第3話 主人公様たちの日常


 ◇

「よくわかんないんだけど――」

 通学ラッシュの歩道を先行して歩く裕也と美鈴。

 今朝の態度に腹を立てた美鈴は、裕也を問いただした。

 そして理由を聞いても美鈴は腑に落ちなかった。

「つまり、裕也くんは玉緒さんが卑怯だってこと?」

「そう」

 春の陽気に駆られ、にこやかになる学生の群れの中、二人だけが神妙な顔つきをしている。

「分身の術が武術とかけ離れていて、そんなものを習っていた自分が恥ずかしいって?」

「そう」

「うーん」

 信号が赤になり、人の流れが止まる。

 裕也の隣に立って、美鈴は空を見上げて考える。すると腹立たしさは消えていった。

 美鈴は人の気持ちをくむことに長けていた。裕也の立場になって考えると、美鈴は、それとなくわかる気がした。

「このまま続けていたら、“か○はめ波”って叫んだり……ああ、ダセぇ……」

 がっくりと頭を落とし、裕也は顔をかくす。のぞきこむように美鈴は顔を近づけて言った。

「必殺、大里流奥義とか? バラリンガーみたい。かっこいいじゃん」

 美鈴のちゃかすような言葉に、裕也は殺意をこめ、にらむ。

「バラリンガーを馬鹿にすんな。DVD、もう貸してやらねぇ」

「冗談だってば。まったく」

 美鈴が謝ると、メロディとともに信号が青に変わり、ゆっくりと人が流れていく。

 

 先行する美鈴は、後ろ手で鞄をもち、長い栗色の髪を暖かな風になびかせ軽快に歩いていく。

 

 裕也はあひるのように口を尖らせ、だらしなく制服のボタンをはずし、かったるいように鞄を左手首にひっかけ、ぶらぶらと歩く。


 典型的な優等生と不良。

 血の繋がりもない、性格も性別も正反対な二人は不釣合いに見えるが、生まれたときから一つ屋根の下で育ってきた。ほんとうの兄妹のように。

 

 血が繋がっていればそれなりの距離をとるものだが、それがないことで二人は幼馴染といった関係を維持することができたし、恋愛対象にならない。奇妙な縁で繋がった二人はよき友人だった。


「でもさ、玉緒さんってそんな人かな?」

 振り返らず美鈴は言った。後ろに裕也がいて当然だと。

「マンガとか読まないし、バラリンガーみたいなアニメも見ない人だし。性格も、態度も、同じ女として、とっても尊敬できるもん。玉緒さんが無理なことって、人間には出来ないことだとおもってる……うん、そうだ!」

 振り返って、笑顔で言う。

「それって、人間の可能性だよ」

「なんだそりゃ」

 反対車線を歩くサラリーマンの波。

 それを見ながら裕也は、文句をつける。やはり美鈴が前にいることが当然のようだった。


「よくわからないけど、大里流は人間の戦い方、その極端で凄いところにあるんだよ。インチキとかじゃなくて、れっきとした武術の一つ」

「分身が? 幻術が実際にあるってか? それが真っ当だってか?」

 すれ違い、裕也が先行していく。美鈴は後ろからついていく。

「だって、隙ができれば有利じゃん。そのために色々工夫するのが武術でしょ?」

「手から光線がでても武術か? 俺なら、そのまえに拳銃を持てっていうぞ」

「それでも負けるよりは、かっこいい――」

 裕也が振り返ってまたにらむ。

「ご、ごめん」

 美鈴が本気で謝ると、裕也は踵を返し、何も言わず歩いていった。

 

――何度も何度も負けているんだ。裕也くんは毎日、自分より小さな女性に負けている。それは男として、とても惨めで、格好悪く、裕也くんが一番気にしていること。それが分身や波動なんて持ち出された日には、すべてがいやになっても仕方ない――。

 

 溜め息をつき、しょんぼりと立ち尽くしていると、美鈴の肩を誰かがたたいた。

 ひゃっと小さな悲鳴をあげ、振り返る。

 そこにいたのは髪を尻尾のように束ねた長身の男だった。

「トールさん……びっくりした」

「わりぃね。脅かすつもりだったから」

 本気か冗談かわからないことをさらっと言ってしまう男――志士ししとおるは笑顔で美鈴に迫った。

「裕也といい感じだったから嫉妬したんだ。今晩、二人で飲もうよ」

「遠慮します。そういう本気か遊びかわからない誘い、苦手なんで」

 

 ふいっと顔をそむけて、美鈴は歩き出す。ひっつくように徹が隣を歩く。

 ときおり肩に手をまわしてくるので、それを払いのけ、二人は学校にむかった。


「あんまりしつこいと、裕也くんに言いつけますよ」

「上等。積年の恨みをはらしてやる。じゃあ、今からカラオケ行こうか」

「玉緒さんにも言いますよ」

「いいねぇ。二十八であの顔だもんな。じゃあ、三人で焼肉は?」

 ナンパ男、チャラ男、遊び人――徹はルックスこそいいものの、こんな言動と性格のため女生徒から敬遠されていた。今も、ひそひそとまわりからささやき声が聞こえる。

 かわいそう、今日はあの子が被害者か――彼にそんな声は聞こえないようだった。


 あれこれと美鈴を勧誘してくる。


 裕也、徹、美鈴の三人はそろって幼馴染だが、そうでなければ口も利かない。

 

 無刀大里流一直線の裕也。

 遊び一筋の徹。

 普通が一番の美鈴。


 対立することはあっても、交わることの無いはずの三人が、こうしていられるのは奇妙な縁としかいえない。

 人と人を結ぶ縁。それがこの三人の場合、稀なケースだった。



 ◇

「あーもう! 行きませんってば!」

「じゃあ、ドライブしようよ。車、買ったんだぜ? 一泊で旅行とか。どうよ?」

 終わらない徹の勧誘で、美鈴に頭痛が始まったころ。

 双葉高校の門前で裕也と会った。

 

 生徒指導の教師は、裕也と徹、美鈴の三人を避けて、他の生徒のネクタイや、髪型を注意している。

 そして、裕也と徹が対峙するところをみるや、校舎に逃げるように入っていく。

 あきらかな無視だった。


「よう、スケコマシ。俺も旅行に連れていけ」

 ゆっくりと裕也は徹のネクタイを、右手で掴む。

 徹はその手を、左手で握り返す。裕也よりも背の高い彼は、見下ろして凄む。

「あいにく二人乗りの外車でな。まぁ土下座したら、トランクに刻んで、詰め込んで運んでやってもいいけど、よ?」

 ぎりぎりと裕也の拳が音を立てる。

 美鈴は他人のフリをしてその場から去ろうとした。すると鞄が二つ、飛んできた。

「鈴ちゃん、ちょっとそれ持ってて。すぐコイツ、殺して海に捨てるから」

 鞄の一つは徹のものだった。


――視線は完全に裕也くんを見ているのに、なぜわかったのかな――


 いつものことながら不思議だった。

「鈴、それ持っててくれや。イカ臭くなるからよ」

 もう一つは裕也の鞄だった。彼の場合、大里流の鍛錬によって視界が広いのだと美鈴には理解できた。

 

――裕也くんが強いと認める人間は三人――


 美鈴は思い出す。


――お父さんと玉緒さん。でも、トールさんには――


 凄みあう二人を避けるように学生たちが流れていくなか、ついに徹が口火をきる。

「裕也ぁ、そろそろ死んでくれや」

「お前が死ね。望まれない子供ができる前によ」

「ひとの恋愛に口を出すな、シスコン」

「兄妹じゃねー。お前の場合、恋愛じゃなくて強姦だろうが」

 にらみ合う二人。逃げるようにふっと風も止む。

 そして、突風ともに裕也が左拳を、徹に向かって放った。

 同時に徹も右拳をくりだす。


「ぶっ殺す!」


 声とともに拳が、互いの顔面に入る。

 どちらも直撃。二人は何事もなかったように連続して殴りあった。

「シスコン!」

「強姦魔!」

 足を止めての超接近戦。

「拳法バカ!」

「色欲魔!」

 何発もの拳が、顔に、腹に、めり込んでいく

「プチひきこもり!」

「成金ダブリ!」


 とびちる鼻血、骨を砕く勢いの打撃音。

 そして……罵声の掛け合い。


 ただ互いに利き腕はつかっていない。

 右利きの裕也と左利きの徹は、利き腕を強く掴んだまま。

 いわゆる、シェイクハンド・デスマッチ。

 

 中学での一件以来、二人のケンカはいつもルールがあった。

――今回は片手だけの勝負か――

 

 やれやれと美鈴は、いつもどおり二人の決着を見届けないまま、教室にむかった。


 ◇

 普段どおりの二年三組。教室に入ると、生徒のほとんどが窓から身を乗り出して叫んでいる。

「いけーっ! トールを殺せーっ!」

「やっちまえ草薙!」

「トールくーん! 勝ったら三分間だけ、デートするからーっ!」

 馬鹿ばっかりだと、憂鬱な気分で美鈴は席につく。

 前の席、安藤あんどう康子やすこに挨拶もせず尋ねた。

「今日はいくら稼いだの」

「とりあえず三万円ほどだわ」

 ディーラーこと康子は悪党よろしくメガネをらんらんと光らせて、電卓をたたいている。しかし、ポツリと文句をもらした。

「でも、そろそろ潮時だわね。トールくんのオッズが落ちてるのよ。儲けが薄いったらないわ」

「いいじゃん。康子は損しないんでしょ?」

「そりゃそうだわよ。所詮、賭博なんてディーラーが一番儲かるんだから」


 彼女の賭博は簡単なものだ。裕也と徹のどちらが勝つか。

 クラスメイトに〝貼り札〟とよばれる換金券を複数買わせる。賭けさせるさいに、口止め料という名の場代をとる。

 口止めとは教師もさることながら、裕也と徹の二大怪物に、誰が貼ったのか広言しないという確固たる団結の証として。


 当たった生徒に換金する分は、外れた生徒のかけ金から払われる。さらに過去の成績からはじき出されるオッズは、彼女がすこし色をつけて、どちらが勝っても、誤差十人以内なら、あまり金がでるように微調整してある。


 康子の儲けは、あまり金と最初に支払われた場代がそっくりそのまま入ってくることになる。するとこの賭博で動くお金は賭けた生徒たちの賭け金だけで、康子は絶対に収入があり、笑い続けるという仕組みだった。



 しかし昨今、徹の負けがこんでいるために、皆、裕也ばかり貼る。

 そして裕也も登校が不定期になっている。

 これでは賭場そのものが成立しなくなる。そうなれば康子の収入はゼロ。

 今日、康子の収入は場代だけで一万円。徹が勝てば五万円という大台だが、裕也が勝てば、七千と五十円。


 一時期はどちらが勝っても四万はかたかったケンカ賭博は、二十世紀バブル経済のようにはじけようとしていた。



 わあっと歓声が上がる。勝敗が決まったらしい。そして落胆したものをおしのけ、歓喜するものが康子の席に集まって次々と、貼り札とお金を交換していく。


 結果はやはり裕也の勝ちだった。


 大方の換金を終えて、康子は溜め息をついた。すくない。儲けがすくないと呟く。

「ますます次のネタ考えなきゃね……鈴、何か儲かるネタないかな?」

 康子の真剣で、どこかぬけた質問に、美鈴はばっさりと言い切った。

「バイトしなよ。まったく」

 

 そんな二人に歩み寄って来る男子がいた。

「すんません。こっちもお願いしますわ」

「はいはい」と康子は彼から貼り札を受け取った。


 美鈴は彼を見る――セミロングのブロンドヘアー、小さな目、とがった鼻、小さな顔。背丈は裕也と同じぐらい170ほど。すらっとした体躯。あまり特徴は感じられない。

 ただ彼は日本人ではなかった。

「ほんま強いわぁ。もっと買っとけばよかったです」

 関西弁で喋る彼に康子は「二十枚も貼っておいて」と愚痴る。

「一人につき十枚までよ。一見様だから大目に見たけど、次はないわさ」

 康子は千円札を彼に渡した。彼は「おおきに」と受け取って、ポケットに仕舞う。

 そこで彼の瞳が美鈴を捉えた。

 彼は美鈴を見つめながら言う。

「トールくんに勝ち目はあらへん。いまんとこは。せやから……」

 そこで彼は視線をそらし、声を張り上げた。

「なあ、僕がユーヤくんとケンカしたらアカンやろか?」


 その言葉に、康子も美鈴も、他のクラスメイトも彼に注目した。


 彼は笑って言う。

「僕かユーヤくんのどっちが勝つか。賭けてください。はっきり言いますけど、勝つ自信、ありますよ。だって……」


 美鈴の体がぶるっと震えた。春なのに一瞬、冷気を感じた。

 彼は笑ったまま宣言する。


「僕、人殺しやもん」


 しんとなった教室。


 やがて少しずつ笑いが起きた。

 彼はその笑いに対し、首を傾げる。

「あれ? おかしなこと言いました?」

 笑い声がどっと起こる。

 美鈴も康子も大笑いした。

「え、え、え? ほんまやって! 洒落とかやなくて、ちょっと――」

 彼だけがうろたえていた。

「マジですって。あーもう。聞いてくださいよー」


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