23
◇
雅也は後部座席から由宇に声を掛けられ、我に返った。
由宇は冬服にマスクという、かえって酷くなるのではと心配を抱いてないかと尋ねた。
雅也ははっきりと「連絡も無いから酷いと思ってたよ」と言った。
由宇は「大丈夫です。これは、おまじないみたいなものですから」と言って、隣のアキラに向かって「ダイエットも兼ねて。雅也さんはスレンダーが好みでしょう?」と屈託の無い笑顔と声をみせた。
アキラはくすくすと上品に笑う。その笑う仕草も悪意など微塵も無かった。
「雅也君は、ここ数日で雰囲気ががらりとかわった。凛々しくて、精悍な面持ちに」
そのアキラの言葉に雅也は、また思い返す――玉緒玲によるアキラの治療、そして受けた特訓を。
◇
二択を迫られた雅也はほぼ考えずに答えを出した。
その答えを玉緒玲は受け取り、言った。
「あたしはこれからアキラのカムイを操る。お前の実家、大里流の技の実演と習得がてら――覚悟しな。本当に、心の底から――この技、カムイ使い相手にはおぞましいを通り越した邪道だ。声を出すと口から魂を引っ張られる。質問は今のうちに済ませな」
「魂魄を分離するのに、どうしてカムイを? 過去に僕はどんな選択をしたんですか?」
雅也は質問しつつ、仮説が思い浮かび、声になる。
玲の声がその仮説を言い当てるように重なった。
「世界の根源を知ることを大里雅也は選んだ。そして知った――アキラに限らず、人間は世界の根源的なものと密接している。だが世界の根源には人の
雅也は「ダブルネーミングですか? 『戦術』と『仙術』。それに『解』は『戒』。アキラちゃんは、横文字をあまり使わない。それにも何か理由があるなら、玲さんの性格、やっぱりどうかしてますよ」と言った。
玲は微笑んで言った。
「可愛くないね、アキラを操ってるのは中井だよ。文句はあいつに言いな。
でもお前は良い弟子だ、本当に……雅也、さっき勘でわかったみたいだね、あたしの術を愚痴で潰したろ」
「いえ、ただ何となく喋らせたら脱線するかなと思っただけですけど……」
「その感覚が術者にとって一番必要なんだよ。やれやれ……あたしでも数えきれない戦場と勉学で掴んだってのに。こんな近くに史上最短で我流仙陣を構築できるかもしれない天才がいるなんてね。
雅也、一言一句を心に刻め。これから己と向き合い、中井との闘い、その後に控える‶本物〟のため……いくよ」
すると玲は短刀で己の右手首を切った。雅也にとってはあっさりと一瞬だった。だが決して浅くもなく、鮮やかな血がゆっくりと溢れるように出て行く。
彼女はその右手に短刀を持ち替え躊躇わず左手首を切り、両手を横になったアキラの額にかざして呟く。
「‶
続いて左手を雅也に向けて言った。
「‶
両手を広げる玲。
アキラの体に血を滴らせ、両手を合わせながらゆっくりと降ろして行く。
「‶やあやあ今日のこの道、わからぬ
ぼうっとアキラの体が発光した。玲はアキラの体に短刀を突き立て、呟く。
「雅也、さほど呆気ないとおもったか? それは違う。先月、お前にはこれの簡略技を見せた……
短刀から玲の腕に光が流れていく――玲は膝をついて、息をついた。
雅也は声を出せなかった。その理由は沢山あったが、心の底から何かをせき止めるのに必死だった。
玲は続けた。
「もともと中井は‶ムスビメ〟のカムイ使いだった。この能力はシンプルかつ強力でね、『輪廻転生して記憶を持ち続ける』こと。人体で複数のカムイは共存できない。シンタという場所に入り込むのは、一体だけなんだ。アキラには最初から‶シヨウ〟というカムイが宿っていたが、中井に取り憑かれ共食い、仙女のせいで悪化……今はあたしの妄言にそそのかされ、アキラの魂ごとあたしの体内に入って暴れている。‶シヨウ〟以外を排除するが方法は教えない。お前は絶対に声を出すな」
玲が言うと、彼女の背中がむくむくと盛り上がって弾けた。背中から百足のような肉の塊が這い出て、雅也の頬に貼り憑く――雅也は食いしばるように力を込めて耐えた。
――こんなのがアキラちゃんの中にいたなんて! 玲さんの褒め言葉は嘘だ! 僕は無力で非力すぎる! でもコイツっ、やたら馴れ馴れしい――
百足が喋ったのは、雅也の頬から離れ、部屋のドアに向かって這う途中だった。
『むすばれ、ちぎり、つながることなきせかいのあいだ。わたしのなかいはどこにいる』
そんな感情を玲は哂うように言った。
「あれには感情なんてない。‶ムスビメ〟と‶ユウジョ〟、‶チギリ〟があたしの体内で食い合い、魄を得て抜け出ただけだ。家の外に出る前に生者がいたら取り憑き、殺す……いなければ魂の出発点に帰る。幽体の見えないお前にはわからないだろうけど、そこら中にあんなのがいるのさ……お前も乱発すると幼馴染がああなるよ」
雅也はその時にいわれた『幼馴染』が誰の事か、まったくわからないままだった。
玲は、もう声を出しても良いよ、と言った。
「カムイは神と違うものだ。守護霊、精霊や土地神……あたしはそれら神秘な意志の力であり、その程度だと割り切っている。あたしにとって神は」
「玲さんにとって神は仙人と同格でしたよね」と雅也は口を挟んだ。「なら、カムイは仙人の使う術や
玲は言った。
「カムイについては人それぞれだが認識の些細なずれが、師弟関係の最も大きい弊害となる。あたしが超能力じみたものとしてもお前が宗教なら使い方なんてまったく違うからね……お前にとっての神は何か、‶カゴメ〟以外にすがれる存在の有無をきっちりと判断しろ。まだあたしの氣は残ってる。時間を止めていられる。常識と現実を忘れずに心を整理して声に」
「ほぼ同じです」雅也は即答した。「僕にとってカムイは、見えない力。とてつもない力を分け与えられ尊敬と畏怖の対象であるけれど、僕には、そんなものより信頼できる女性がいます」
玲は頬を掻いて言った。
「ほんとに中井は馬鹿だね……こうやって非常事態に非常事態を重ねてしれっと異常事態を仕込む、さながら波状攻撃じみた戦術は混乱を誘ってのものだ。現代戦じゃ心理的プレッシャーや内紛の誘発……決まれば同時多発殺傷事件なんてのもあり得るが、不発だと雅也みたいに強くなる。
大別するとカムイも呪のひとつ……多くは災いでしかなく、取り憑かれ悪用した人間はさっきのように肉を喰われ妖魔となる。
遙か昔、世界中に掛けられた呪により現在は生贄、妖魔、怪物、‶本物〟で構成されているのさ……これらの他に中井や雅也のような例外を裏操氣神意合では『
雅也、お前は一人でも中井と戦い、その先の‶本物〟まで迫れる素質がある。だが他の人間は守れない。おかしな言い方だが中井も‶本物〟も、運が良かったのさ」
玲は、短刀から手を離し立ち上がった。さながら背中で爆弾が破裂して、背骨がみえるほどの深手だったが、彼女はアキラの体に一礼をしてから、短刀でぐさぐさと切り刻みはじめた。
解体作業のようにアキラの体が切り刻まれていくが、雅也にそれを止めることはできなかった。
玲の瞳は涙で溢れていた――彼女はそれを拭うことも無く、たんたんと言った。
「永続的不景気、他国への人材流出、技術競争、貧富などなどこれらは近代日本だけでなくあたしの時代と同じテーマだ。代理戦争や大敗の余波、そして尻ぬぐいもね。まるでループしているようで気味が悪い……あたしだって好き好んでこんなことをしたり、引きこもって毎日ヒマしてるわけじゃない。一般報道で見えるもの、見えないものとの葛藤。裏に隠されているものの見聞や分析、接触、仲介、ときには駆除……考察に考察を重ね、自分への訓戒、雅也に指導、アキラの世話……中井一磨が登場してからもう、地獄だ。
でも雅也、お前のおかげで私たちは癒された。論理飛躍の懸念もあるから止まれた……日本国内の治安は警察の仕事、有事ならまさに防衛省がふさわしい。あたしより先に、たつみが行き着いたこともまた、お前がいてくれたからだ。そんなお前に恩を作ってばかりで気がひける」
どんどん部屋中が鉄臭く、血にまみれていく。
雅也は耐えた。そして理解するために想像力と知識を総動員した。
そんな雅也と、玲は再び一致した。
「今日のテイホウ・マンション、六月の中井の件。これらは人間の犯罪、負の遺産としてあるが数年以内には消える……せいぜい改修工事や犯人をとっちめることぐらいで、呪術やカムイなんて誰も言わない……つまり、この国はカムイを黙認、やんごとなき特権階級のお戯れとしているのさ。その暴く手助け……雅也、やりたいか?」
雅也は首を横に振る。
玲は、あたしもだよ、と訪ねた。
「あたしは国のために、なんて御題目をぬかすやつが個人的に大嫌いだ。まとめるときに、方便で使う場合はあるけれど……なんせあたしは『現代社会は呪の幇助装置を含む』としているからね。お前は極論だと否定したが、本物の呪についてはもうわかってるはず……雅也、お前は『社会』や『常識』の下僕に成っている。それを良しとするなら‶カゴメ〟は一生かかっても制御できない。ルールや俗世という籠の中から鳥を解き放つことを覚えるんだ。『代償を差し出してお願いを叶えてもらう能力』の危うさもね……無償の能力なんて無い。礼や賛辞することすら有償だ……でも死者を弔う事、思い返すこと、自分自身が迎えることにそんなものは無い……こんなわがままにつきあってくれるか?」
「僕だけじゃないですよ」と雅也は言った。「人は、好きな人を守りたいだけです」
すると玲は一旦、涙を拭い、手を止めた。彼女は血に染まりきった両手で宙に文字を書き、その光が『武陵桃源』と成り行く。マネキンから肉と骨だけになりつつあるアキラの顔に、彼女は顔を近づけて言った――雅也に聞き取れたのは「ごめんな」だけだった。
玲は顔を上げて、アキラから一歩だけ離れた。再び文字が浮かび出ててその文字が『十天召喚』と成る。玲が「
アキラの体が燃え上がる。ごうごうとしていたが、熱さはなく、においも無かった。
だが雅也は、玉緒姉妹の苦しみを感じ取って、涙を拭った。
玲は、もう声を出しても良い、と言ったが、雅也は黙祷をしていた。両手を合わせ、アキラをじっと見つめたまま――
◇
玲が部屋のあちこちに香を焚き始める頃には、アキラの体は真っ黒になっていた。玲はアキラの魂は一旦師匠に預けたと告げた。
「武陵桃源は完全永世中立地帯。一般人でも妖怪でも幽霊でも立ち寄ったら最後、師匠に酒をガンガン飲まされる。しらふなのは精霊だけで、大自然と酒を維持してる。住人は酒か武術か川釣り、読書ぐらいしかやることが無い。時間もずっと止まってる。
一応、あたしの師匠が仕切っているがいつからかは知らない。でも師匠はアル中になる前は宮廷に仕えるほどの賢人だったと聞く。あたしが懇願と催促するのは切羽詰まってるときだとわかってるよ。アキラは明日までには帰って来る。心配いらない」
「それが‶
すると玲は宙に文字を書いた――光る右腕で大きく『円』と。そして雅也に向かって告げた。
「お前の思う以上に、たつみは優秀だよ。武術のうでも頭のキレも……国賊ともいえる連中を中井の件で炙り出し、カムイ使いを通じて断罪、もしくは引き入れるのがお前の実家の本業……たつみの言葉を伝えておく『いつでも会社のポストをあけとくさかい、さっさと中井をぶっとばして二人でこっちにおいで』だと」
「たつみ姉さんの会社に? そ……それは内定ですか? 僕とアキラちゃんの?」
しどろもどろな雅也の問いに玲はしっかり頷いて、答えた。
「雅也、これがお前の才能であり本当の実力なんだよ。お前は、たつみや姪に中井の情報をごく自然にわからせた。たつみが政界や現皇従徒まで連携を取ろうとして、頓挫する矢先にね……まさに起死回生だ。全員がハッピーになれるかもしれない。『縁』とも『円』とも言える。
皇従徒は中井を不可侵としているが、それは対策の立てらない怪物だったからさ。雅也が大里流の奥義を学び、たつみが政界をよいしょして、あたしが打開策を提案する……大仕事だ。先月の報酬、未払いだったろ?」
「えっと、ちょっと待ってください……ビジネスとして、奇跡的ですけど……玲さんは対・中井一麿のために日本にいた。そして今回、その選抜ができた、あとは討伐して……ハワイ?」
玲は軽く笑った。雅也の肩をぽんぽんと叩きながら言った。
「お前って奴は、あたしが言葉を選んで和やかにしてやってるからって。恋人感覚か」と三度目に肩を叩かれた後、雅也の視界がぐるんと回った。
雅也の背中に痛みが走り、床に叩きつけられた実感がわいた。
その時、雅也の眼前――天井から――アキラを切り刻んだ短刀が降って来た。
雅也は両手で顔を覆うようにしていた。目を開けると、短刀は宙で浮いていた。ぷらぷらと揺れていたので見ていると、やがて柄の尻から細いワイヤーがつけてあるのがわかった。
短刀が部屋中のガラクタや家具を通り玲の手元に収まる。彼女は言った。
「自分で手を下せない体質は殺気を纏えず、殺気を抱かせることもない。せいぜいムカついて喧嘩する程度さ。でもそれが命取りになる……いうなれば草食男子の究極系だ。見ている分には可愛げもあるが戦力としてはせめて自分で殺気を感じ取り、躱してくれなきゃ話にならない。ここまでが基本情報。仙術とお前のトラウマはまだこれから……あたしがあらゆる面から殺しに掛かる。全てを凌いで強くなれ、大里雅也」
K・A・I 外伝 秋澤景(RE/AK) @marukesu
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