22


 ◇

 大里雅也の故郷、京都府北部の山村、哭岬きみさき――この名の由来は二つあるとされている。

 一つは山に囲まれた盆地のため、真夏の昼下がりですら三十度を超えるほどの熱気を保ち続け、鬼ですら泣き喚くことから着いた説――地元住民はこれを一般論として教えられ、八月初週の今日、説教を受ける雅也も信じざるを得ない。


 説教と言っても直接雅也にではなく、彼に憑いた霊に向けてだった。雅也の右手は背に回され梶尾にがっしりと掴まれていた。

 梶尾の自己主張と、放たれる氣を浴びる――雅也は三十秒が悠久の時に思えた。


 雅也は息を荒げ、汗が滝のように流れていく。

 梶尾の放つ氣――震氣という技名がぴったりだと雅也は感じ、耐える。


 やがて右手が離されると、雅也は痛みよりもどっと疲れが出て両手を膝に置き、中腰で地面を見つめた。


――地面が揺らいで見える。暑い、呼吸ができない。カムイに氣を喰われただけじゃない、こんなことは東京では滅多に無かった。長旅の疲れか――


 己の修業不足、体力の無さを呪ってもなお声が出せない雅也。

 そんな彼と正反対に梶尾はきびきびとした声を出す。


「うっし。お疲れ、先輩――」

 ぽんと背中を叩かれた雅也は、苦笑いで返した。

 梶尾英二は笑って、再び雅也の手を取る――ごつごつとした手だった。その手に引かれるように歩く。


 足を踏み出すと、蝉の声が纏わり憑くように聞こえた。


 ◇

 十秒も掛からず車内――旧型のプレジデントの助手席に入ると、冷房が雅也を癒してくれた。冷たい空気を吸い、吐く。シートに背を預けると疲れは消えた。

 だが、雅也の心は先ほどのアキラへ行った行為で埋められ、押しつぶされそうになる。


 後部座席には、姪の大里由宇と玉緒アキラが座って雑談していた。

 雅也はシートから身を乗り出して、謝罪と説明をしようとしたが、躊躇いが生じる。


 二人はまるで何事も無かったように明るく、初対面とは思えないほど親しげだった。

 由宇は、視線で雅也の顔色を窺いつつアキラの服装に話を向けていた。

「――凄くカッコ良い。丹後ちりめん、絹の純正。コスプレなんてレベルじゃないですし、手が出せ無い代物ですよ。私の持っている振袖はポリエステルの混じったものばかりなんです。夏祭りにせっかく着ても、雅也さんは‶それはまがい物だよ〟って。失礼ですよね」

 

 アキラは、お父さんのお下がりだからと言って雅也を見る――彼女はあっけらかんとした表情だったが、いつもの眼光から見える『強さ』が消えていた。


 まるで、生きている事が嫌になったよう――雅也は声を絞り出す。

「ごめん。一切の言い訳はしない。ごめん」


 アキラと由宇は息をつき、黙った。

 雅也は頭を下げた――


 ◇

 アイドリングをしたままの車内、空調の音のみが聞こえる。

 梶尾英二が声を出したのはおよそ三分後、一向に喋らない三人の誰に向けてのものでも無かった。


「昔、ここじゃない田舎で、大里流武具術の門下で剣を習ってた時――俺は剣術ってヤツを少々、誤解していた」


 雅也は頭を下げたまま、梶尾の声を聞く。

 誰のリアクションも待たずに梶尾は続けた。

「六歳ぐらいだった、日本に帰化して武具術に入って一年、俺は二刀流を目指した。剣を両手に持てば攻撃と防御が同時にできる、最強、カッコも良いって。だが違った……まず腕力。片手で振り回す力、斬り抜く力は大人でもハンパじゃつかん。

 二刀流っていっても型は一刀より多くあった。相手の人数や装備、地理地形、追われる場合とか迎え撃つ場合などなど、臨機応変に使い分けなきゃならん。結構、アタマを使うから嫌になりはじめた。

 とどめとなったのは、練習で真剣なんて使えないから竹刀か木刀でやること。

『そんなもんで打ち倒してどうなる?』『真剣で人間をぶった斬れるかなんて判断できるか?』

 疑問が邪魔して鍛錬もおろそかになる、八歳のころには一刀に戻した。普通は逆なんだが……『二つも一つも同じ剣』、『斬れなきゃ意味が無い、斬れたら良い』、俺はそこから再出発したわけだ。不思議なもんで十歳になると最初の問いの答えにも行き着いた『真剣勝負をしなきゃわからん』、『殺しても良いヤツは殺されても良いほど強いヤツ』……でも、十八のころ無刀に入ると、根本が違っていたと気づいた。

『人を斬るだけが剣術じゃない、剣を使って圧倒するのが剣術だ』。で、今、おかしな拳法を続けるのはリベンジ、叩きのめすために知っておこうと……そうだった、さっきまで、頑なに。テメェら見たら揺らいできた」


 するとアキラが声を出す、ぽつりぽつりと。

「五年前……私が十七のとき、私の知る中で最も嫌な人と出会った……の奉納のための試合。あなたは私の身の丈よりも大きな野太刀を、まるで天に向けるように左手に持って、開始の合図を待っていた。私と当るまで他の相手を殺傷し、臓腑や肉片、血を浴びて……夜の焚火に照らされた刃、忘れられない。あれはまさしく凶刃だった。全身に返り血を浴びても刃だけは拭き取り、でも、何度も拭き取ったはずなのに脂を塗ったような、……あれほど怖くて、嫌悪したのは初めて」


 梶尾は、よく言うもんだ、と鼻で笑いアキラの声を遮った。

「刀は拳の延長に過ぎん。帯刀した俺は、うす気味悪いチビ女に素手でボコボコにされた。あのときの拳は凶器としか言えねぇ……当時は俺も生まれてまだ十六年、多感な年ごろだった。そんな時分に努力も才覚も完全否定された気分……きっとあの気分が‶発狂〟ってやつだろう……気づいたら師匠を斬って、他の門下生と大立ち回り。二十名弱、斬りつけて全部がわからなくなって、放浪……‶風切〟に拾われるまでほとんど自覚の無い状態だった。刑罰みたくしごかれている内に、少しずつ後悔と復讐心が湧いて今日に至ったんだが、とっくにてめぇは辞めてると聞いてた。通年のように今日も先輩の送迎だと高を括って……まさか辞めたはずの、テメェがいるとは露知らず。ラブラブ、イチャイチャする関係なら言ってほしいもんだ」


「勘違いしてる。まずあなたに助けなんて求めて無い。私が大里流を始めた理由、辞めた理由なんてあってないようなもの。あえて言うなら今の私は大里流の技、カムイを通じてやっと、お姉ちゃんと雅也くんを信じられた……過去がどうあれ、誰だって現在の自分と近くにいる大切な人を信じていく、それが私の思う‶強いということ〟……単純な力比べや昔のことを引きずるのは子供のそれ。私の心を教える理由なんて無い」

 アキラの声が熱を帯びて来て、雅也は頭を上げて二人を見る。

 彼女は梶尾の背を睨み、梶尾はハンドルを握ってバックミラーからアキラを睨みつけていた。


「愛する人に首を絞められて窒息死、それすら信じた証拠、大人で、テメェの強さだってか。なら先輩を労うぐらいしろよ」と梶尾。「そうしねぇなら俺の‶発狂〟と同じ部類、ナンセンス、アンニュイだってことだ。腑抜けたツラでツンツン、デレデレしてるのは良いが逃げ出す理由に、先輩を巻き起こんでねぇかよ……同じ‶二千年組〟として、ガッカリだ。俺は五年前の、殺伐として生に固執していた玉緒アキラが好きだったが、もういないみたいだな。ナタ・パオペイがただの宝貝パオペイベイビーになるなんざ、マジ気色わりぃ……先輩、結び一族のチビ女、改めましてコンチクショウ。こんな辺境のド田舎までご足労でした。ゆっくり乳繰り合って、首洗って行けや」


「そっちこそ相変わらずの口調と凄まじい勘違いに加えて所々、意味不明」とアキラ。「私はルミさん、啓馬くん、ヒカルちゃん、健さんを快く思ってる……あなたのは認めている。同格にされたことにも異論なんて無い……でもに特別な好意なんて無い。不快になるのは私も同じ。敵に成り得ても、戦友、好敵手なんて成らないでしょうね。私は自分の生き死にぐらい自分で決める。そして決められる人が好き……ここを雅也くんが嫌う理由、わかる気がする。嫌な所には嫌な人が集まるもの……そろそろ出発して。どうせお姉ちゃんが何か企んでるんでしょう」

 

 梶尾は「玉緒玲がいたなら、ぶっ殺して終いにできたかもな……俺が皮肉ってるのは、事態が恐ろしいほどややこしくてぶっ飛んでるのもある。まず超・大昔、てめぇら姉妹と馬鹿野郎一名が、遣唐使をすり替え名前を変え、中国から持ち込んだ、なんたらって書だぞ。あれをナギの奴らが――」と言い始め雅也が口を挟もうとした。


 しかし由宇が先に喋る――まるで雅也の心を読み取ったように適格だった。

「梶尾さん、‶マガツムギ〟の巫女として、今日一日、この車内で発言を封じます……お願いですから、みなさん、もっと大人の態度で――反省は、いつでもできますよね? リラックスしましょう。さあ、家に向かいましょう! ここから三十分ぐらいです。そうだ、道中、みんな、クールダウンも兼ねて途中の自販機でジュースを買って一気飲み大会! ね、雅也さん?」


「う、うん。エイジ……安全運転で実家まで。ジュース代ももちろん、落ち着いたら一杯おごる。文句はその時、僕にぶつけてくれ。今日は、堪えてくれないか」


 梶尾は口笛で返事してアクセルをふかした。雅也はシートに座り直し、シートベルトを付ける。

 ゆっくりと走り出す――由宇はアキラに告げた。

「玉緒アキラさん、大変失礼しました。私は大里由宇。母は‶風切〟。本名は隠さないとダメなんです。ずっと笑ってる人と言えばわかるはず……娘の私ですら本人から説明されないと感情すら理解できなくて、母はアキラさんと梶尾さんの関係も知っていたのか……私は決して喧嘩を煽ったわけではないのです。雅也さんも‶友人を連れて帰る〟とだけ……その理由は雅也さんのカムイによるものです」


「そう。でものことは、たつみさんや雅也くんに言ってないから仕方がないかも。言っていたとしてもの恥、黒星が増えるとか些細な事だから――」


 アキラの皮肉じみた発言に、梶尾が文句の代わりにプレジデントのエンジンを唸らせる。

 緩やかなカーブをスピードを上げて、レーサーさながらのアウト・イン・アウト。

 

 誰も悲鳴を上げ無かった。

 梶尾は反省どころか、むしろバックミラーで、アキラをより一層強く睨みつける。

 雅也は「安全運転を」と促した途端、スピードが下がり、行程速度以下まで落ちた。


 雅也が考える、彼の状態は――


――今日一日、車内で発言できないよう。これが由宇ちゃんのカムイ、‶マガツムギ〟の最上級の使い方、知り得たものを変換させる能力。玲さんの言った通り、ある意味、最も人間に不必要な能力かも。


 由宇は咳を何度も繰り返し、アキラに向かって弁明を始めていた。

「疑われても仕方ないのですが……雅也さんのカムイはほぼ常時、周囲にいるので……機嫌を伺わないと、私のカムイと食い合うかもしれない……そのため、なるべく機嫌を損ねないよう……実家にて、祖父が……ごめんなさい……今から説明を……」と由宇がそこで大きな咳ばらいをした。「まず、ここ哭岬について……そうだ、雅也さんと同じ大学なら、きっとわかるはず。地名通りここら一帯は遥か昔、海だったんですよ。古墳時代の地層からアンモナイトの化石が出たり、恐竜らしき化石もあって、考古学者が時々調べてます。言い伝えでは丹後国より以前、丹後王国があったらしくて。しかもですね、大きな山はすべて人造だって噂もあるんです。そう思うと……ほら、嫌いじゃなくなって、ちょっとずつロマンを感じません?」


 由宇の柔らかな口調に、アキラの声も落ち着きを見せていく。

「そうかもしれない……今見える景色、あの棚田……竹林……ずっと昔は海原だった……自然と人、どっちが望んだ結果なんだろう……どっちもだったら、良い話かも知れない……」

「ですよね? 口伝では『凪の朝に、日の出とともに離れ小島が浮かび出た。その島、天へと続く橋と成り、誰も彼も近づくこと無く、島が広がっていく』と。きっと地殻変動で島が地続きになって行く様子――人々は強要されずに大自然が作ったルールに疑いも無く従って、確実に残そうとしていた。裏付けがどうとかも必要ですけど、夢がある方が素敵じゃないですか? 未来も、過去も、現在も――」


 雅也はため息をつく。


――由宇ちゃんはカムイよりも人が好きなんだろうな。昔から歴史を語ると生き生きする。アキラちゃんもそれにつられてくれると助かる。でも、由宇ちゃんがカムイについて知っているとは。エイジは、知っていてもおかしくない。それほどの才能と努力をこなした。けれど由宇ちゃんは心臓が弱いから武術なんて不可能。

――玲さん、あなたの言ったことが少しずつ証明されていく。さながらミステリー小説の答え合わせ、いや、ミスを指摘されるようで怖い。

――アキラちゃんは、五年前の話をした。その時、確かに言った。十七だったと。彼女は僕と同い年。なら、五年前の試合の時期は僕の記憶と、アキラちゃんの記憶に矛盾が出る。その頃、僕はここで暮らしていたのに彼女と出会っていない。

――僕たちは、やっぱりこの世界から剥離しているかもしれない。


 ◇

 雅也の記憶は遡る。テイホウ・マンションで負傷したアキラを、玉緒万事屋に運んだ日。


 玲は自室まてアキラを担いで行った。雅也も後に続いた。


 玲の部屋に入るのは雅也にとって初めてだった。


 様々な骨董品や書物が乱雑に置かれた二十畳ほどの広い部屋、中央には足の長いベッドが置かれていて、玲はそこにアキラを寝かせると着物を脱がせ始めた。


 雅也は目を背けたが、すぐ玲が言った。


「大里雅也、見ろ。あたしが許す。たつみと連絡し――げ、四十件って。ガキじゃあるまいし――」

 ゆっくり、玲とすれ違い雅也は上からのぞき込むように、躊躇いつつアキラの裸体を見る。


 アキラの身体は、筋肉や女性そのものの膨らみ、筋肉、曲線はあったが、それだけだった。

 体毛は顔の睫毛、眉のみ。

 髪はカツラだった。さらには、胸の突起は無い。そして生殖器も無い。雅也は息を飲み、マネキンのようだと思って、頭を振る。


「それが、ナタ・パオペイってやつの肉体さ……本当にお前は凄いよ。こんな事になるなら、あたしも記憶を消したいぐらいだ、はあぁ……あたし、本当にもうろくしたのかな、ここまで大氣が歪んでるとは……はああぁ……」

 大きなため息をはき、玲が部屋の骨董品を漁りながら言った。「殷周革命の話、知っているだろう」


「紀元前の中国で起こった戦争ですよね。御伽話の題材になるぐらい古く、大きな……」


 玲はいくつも木箱を手に持って、アキラの周り、ベッドを囲むように床に置いていく。

 一つ一つの木箱の埃を払いつつ、そうだ、と語り始めた。

「あの戦争での逸話は多く、同時に発明と発見も多い。天才策士による武器や戦法、戦略や戦術、後世に多大な影響を与えたかもしれないが、判断は出来ないね。

 たとえば一般人を鍛えつつ兵糧を確保する。行軍中、土地を開拓、作物を育てる。街道を整え物流を良くさせ、要所に街を創り味方陣地の拡大も同時に行う。侵略行為の基本を人類史上、初めて行ったとされているが神話だ。信憑性は薄く思われている。もし史実なら……つい先の大戦で旧日本軍もそれを学んでいたかも――日本だけでなく道教や儒教、様々な歴史と思想を学び論じる隣国は全てと言って良いだろう。だからこそ‶戦争〟を‶外交手段〟として正義とは別物とする。良し悪しは語れども尽きない。しかし西洋文化に染まりきったなら、‶命〟が問われる……これら矛盾を同価値にする勝者と敗者。まず相容れない状態を平和と呼び始める。大里雅也、お前ならどう仲裁する?」


 雅也は玲の言葉を聞き、また彼女の手にある木箱を見ながら、だからってと言い返す。

「アキラちゃんの治療と全く関係が無い。一体、何が言いたいんですか?」


 玲は、目を瞑り、呪文のように答える。

「治療にはね。だが経緯は大いに関係ある。現在、一部の馬鹿どもが、クーデターを画策してる。たつみがそれを止めてる最中なんだよ……ここまでは事実なんだが、あたしの気持ちの整理に付き合ってくれ。ほぼ独り言だけどね、きっかけだけでも良いから」


「アキラちゃんが助かるなら良いですけど……クーデターなんて、そんな馬鹿な……たつみ姉さんなんて無視しても大丈夫ですから、それよりアキラちゃんを」と雅也が言うと玲は、ぶつぶつと呟き始めた。


「――我が師、武陵桃源ぶりょうとうげんおきなに代わって命じる。武人たけひとよ、籠目かごめを織り成す、日輪金剛螺旋符陣ひのわこんごうらせんふじんを、我が部屋に――っ」

 

 玲が最後の木箱を殴りつけると、その木箱は砕けずにふわりと浮いた。


 玲は、雅也を睨み、続けた――

「話の腰を折ってすまないね。決めた。まず、アキラの治療をしつつアキラの正体を語る――たつみの事を傍観なんて論外、悠長にお前のレベルアップなんてしてる暇も無い。邪道だろうがチートだろうが最短でお前の根源を引き出さなきゃまずい。今から全過程をほぼ反則的な速度で、あたしの奥義まで教える。もちろん理解できるまで繰り返す。その間、周りの時間を止めたが、あたしはアキラの治療後、ぶっ倒れる。その間に自分で整理するんだ。

 お前の実家における氣の概念は儒教や道教から発生した。アキラの正体、世界の正体にも近い。まず、端的に言うとアキラは


 生きていない――テイホウ・マンションの地下に巣くっていた、骸骨の言葉を思い出し、雅也は胸を手で押さえた。


 玲は床に置いた木箱の一つをとり、蓋を開ける。

 医療用のはりの束だった。その一本を雅也に投げる。

 胸をおさえる雅也の右手に刺さるが、痛みは無かった。むしろ気が楽になっていく。

 玲はアキラに歩寄り、一本ずつ鍼を刺していく。


 その行為が治療で、悪意は感じられなかったが雅也はアキラの肌から血が浮かぶのを見て、目を背けた。


「大里雅也、お前が勘違いする理由、混乱するのもわかる……アキラが実は死んでいると捉えていないか? ……それは違う。アキラはあたしのカガミかもしれない……蛇に身と書いて蛇々身カガミ、一般的な『鏡』の語源。真実を写すものを総称している」

「……中井が言ってました、玲さんはカガミになるのが目的だと」

「目的は当たりだ。動機はきっと、わからない……中井は‶あたしを信じるな〟と言っていなかったか?」

「言っていました。僕の口を封じているとも……」


 ふうと玲は息をつく。空になった木箱を雅也の足元に置いて、ジーンズのポケットからハンカチを取り出して手を拭く。

 彼女の手に、少量の血が着いていた。

「雅也、多くの字にあるように、時として‶口〟はとてつもない悪に成り得る。聞き役のお前の心が不安定なら耳を塞ぎ、何も聞かずに信じない方が楽だ。今まで通りの生活を送れ……あたしからお前への願いは、アキラの良き友、いや、伴侶となってほしいかな。

 お前は出身がどうとか体がどうとか、関係無くずっと接してくれている。初めて会った日、見ず知らずの間柄なのに、親しく、ずっとキープしている……あたしが邪魔でアキラとの関係を保ってると言うなら、すぐに消えても良いよ。都合の悪い記憶も消してやるし、アキラの体をもっと人間らしく作り直し、子供を産めるようにする……ここに呼んだのは、その選択をお前自身に問うためだ。これ以上は、あたしを信じてくれないと語れない。それほど奇妙で、長い話だ……長すぎて、時を止めなきゃできない。信じたくないなら出て行け」


 雅也は、頭を左右に振った。いやだと意味を込めて。

 言葉にできないほど、強く思って、左右に振った。


 玲は、落ち着け、と雅也の肩を叩いてすぐ顔を掴んで見つめた。

「心と体が一致していないよ。普通ならここで終わらせるが、事態が変わった。もう辛くなってもあたしは最後まで語る。あたしの話すことは現実と幻想の境にある……現実の、アキラの治療を見ることをできるか? 念を一つに絞り、声に出して答えろ」

「……アキラちゃんを見捨てない、僕にとっての‶邪怪駆逐〟はそこから始まっています。その現実、守る人の為に必要な情報の取捨ぐらい、自分自身で判断します」


 玲は、頷き雅也の顔から手を離した。

 雅也はベッドに視線を移す。

 横たわるアキラに刺さった、百に近いほどの無数の鍼――ハリネズミのように体中から長さも太さも違う――その肌から血が汗のようにじわりと湧き出していた。


 雅也は全身に蕁麻疹が起きたような、不快感、痒みに襲われる。


 玲は新しい木箱を持って来て蓋を開けて言った。

「ナタ・パオペイについて……殷周革命を知っているなら、もうわかってるはず」

 

 玲の手には小さなメスがあった。緑色に発光する、その光を見ながら雅也は言った。


「戦神、ナタ。陳塘関、李靖の子……他にも托塔李天王の第三太子とかいろいろ……毘沙門天の子供が由来だったかと」


 玲はアキラの体にメスを入れる――ゆっくりとアキラの首から胸元まで鍼の間を斬り、流れ行く血を時折ハンカチで拭きとった。

 アキラの体から出る血は、少量に思えた。

 玲は真剣に、ゆっくりと語り始める。

「現役の大学生、帝都大学文系には愚問かもね……あたしの言うナタは蓮から生まれた、仙人によって作られた者だよ……余談だけど、パオペイは仙人の武器の他に、天才の意味もある。またスラングで馬鹿とか可愛いとか……昼間の仙女の言葉、パオペイ・ベイビーで、アキラが怒ったろ……あやし言葉で使われるのさ、日本語なら‶可愛いベイビー〟とか‶頭の良い子〟のようにね。自分で言うなら相手への挑発やジョークになるが、初対面の女に言われたアキラにしてみれば、侮辱だ。そのせいもあるんだ、今の、アキラの状態は最悪だよ。くそ、あの出来損ない、何が仙界は手を引くだ。しっかり裏方に回ってやがる」


 そう言っている間に玲はアキラの体をアルファベットのTの形に斬り、メスを木箱に戻し、何か呟いてから、木箱を乱暴に部屋の隅に投げつけた。


 雅也が黙っていると、玲はアキラの体から鍼を抜いていく。

 その鍼も先ほどのメスと同じく木箱に仕舞った後、玲は呟いてから部屋の隅に投げた。


 玲はハンカチでアキラの体を拭きとっていく。とっくに血に染まりきったそれをポケットに突っ込み、先ほどアキラの体に入れた深い傷に指を入れた。


 ぐじゅ――傷口から血が流れ、また同時にアキラの身体全体、鍼の刺さっていた穴という穴からから血が溢れていく。

 

 赤い血がやがて、血よりも粘り気のある黒い液体に変わった。


 ぐぇ、ぐふぅ――と液体の溢れ出す音。

 玲が傷口に突っ込んだ指を動かすと、アキラの口や耳からも黒い液体があふれ出す。


 その音、黒く染まりきったアキラから雅也は目を背けたくなったが、玲の言葉で思い留まる。

「よく勘違いされるが、あたしだって辛い。言っても無駄だから言わないだけだ。お前もそんな節がある――殷周革命はもう御伽話のレベルで多くの文献も歴史的事実を誇張し過ぎたものばかり。学術的な価値は出尽くしている。

 さっき延べた、戦略だって怪しく思える。それこそ何でもありの幻想かも――最たるものがお前の言った紀元前の将軍、李靖。彼の人物像はその遥か後、唐の武将李靖がモデルになっている。

 つまり逆なのさ、歴史の穴を埋めた、創作ともいえる人物が闊歩する話だ。だからこそ史ではなく演義、伝説なんだよ。

 だが、あたしは当時の作者は敬意、愛、ロマンを込めてのものと捉えている。

 唐の武将李靖があまりにも華やかなで、昔話に登場させて因果関係を持たせたいとか……日本なら、源義経がチンギス・ハーンになった、真田幸村に使えた十勇士とかもあるだろう。どれも根拠の無い噂程度だが、広まった経緯には戦争がある。

 戦争ではいろいろ狂う……戦火によって命を落とした語り部、紛失した書物、建造物。ある意味人為的な空白時間を作り出してしまう、人間の特殊能力とも言えるほど大胆に。

 そして残された人間を慰めるため、まさしく作られた英雄譚を紡いでいく……それが国によって人によって神だったり仙人だったり、神話なのだと、あたしは思う。

 真実味、証拠、裏付け……そんな物差しで削られ、焚書だ偽書だとされたのを含めると宇宙の星の数ほどある。

 ナタ……仏教では毘沙門天の陪神に過ぎず、インド神話では富みの神、財を護る神クベーラの子、ナラクーバラだ。道教では屈指の戦神となっている。この不可解を考察しても答えは多くあるし、ツッコミも多い……それだけの人間がいたかもしれない、いたらよかったのにという人の願いから生まれたとした方が、わかりやすくて気持ちも良い――願いこそ神話の正体、神の正体だとね。人間が願い、人間のために生れた神……この神を肯定するためには多くの手段がいる。奇跡の証、途切れた過去を繋ぐ、また紡いでいく物語、整合性を持たせるための人間。仙人。

 だがそれを良しとしない連中がいた……いたのさ、‶本物〟が……‶本物〟は多くの仙人、神をナタ・パオペイと呼んで断罪し、作った人間まで罰を与えた……さながら著作権侵害で二次創作、三次創作を訴えるように、あたしらの人生、もてはやした奴らの人生、全てにケチをつけている。

 中井が敵視していのはその‶本物〟……あたしとアキラは、その狭間で生まれた。年号なんて忘れてしまうぐらい、長く、同じような世界をぐるぐると」


 ぐっと力を込めて玲は指を引き抜いた。彼女は汚れた手を拭かないまま、指を振る――指が緑に発光した。


 玲はまたも呟き、最後に「‶邪怪駆逐〟」と言って指でアキラの、血だらけの体をゆくっり拭っていく。


「アキラの治療もここから本番、正体も」と玲が言った。「大里流の氣の正体もまとめて語る。覚悟しろ、恐ろしく早口で難解だよ。氣は魂魄そのものだと知っていたか?」

 

 いいえと雅也は言った。

 本当はもっと直接的な手伝いをしたかった。けれど、玲は会話をすることで気を紛らわせてると感じたから、質問に留めた。

「道教とか儒教の概念ですか? じゃあ、僕たちは魂魄を操って、術を使ったり、カムイを呼んだり――まさか、みんな、寿命を削って? そんなの辞めさせないと――今の玲さんも? アキラちゃんの治療と時間を止めるために命を削って?」


 玲は頷く。

 雅也の背中に悪寒が走る。

 すると玲は返事をした――額に汗を浮かべて。

「正式な弟子なら破門させる意見だが、お前らしくて、良いね――魂と魄。魂は精神のエネルギー、魄は肉体。お前の読み通り、内氣や外氣がそれだよ。

 魂魄を削り術を使うのは、確かに寿命を縮める。だがそれは普通に生きている人間が死ぬのと同じで、理由は様々あるだろう。

 カムイもそう。死への最大要因でもあるが、それが全てじゃない。たつみに聞いたが、お前の友人に梶尾英二がいるだろ、武具術出身の……氣を操るのではなく、剣を操るならカムイ使いであれ、刀で斬られて絶命しても布団の上で往生してもおかしいなんて一概に言えない。

 中井が不死身なのは――あいつは、ただの学徒だったが‶本物〟と通じていたと思う。殷周革命後、アキラの母はアジア圏内を遊んで回った。より、よっぽど地味、今のあたしと同じような暮らしだが、ある日中井と――あ、すまん、とてつもない脱線をしたね、中井の話は順を踏まないとわからないだろう。今は」


 玲は両手でアキラの体を触り、緑の光を当てていく――その術は何かと雅也が尋ねる前に、玲は言った。しわがれた声だった。


「操氣術の発生……操氣術は、アキラの母親が考案したものだ。

 アキラの母が習っていた道教はかなり易しい部類だったんだと。嫁いだ先が、大里流の当時のトップ……武人という男だった。アキラの父だ。

 アキラの母は、武人のために操氣術の入門編を作った。当時の弟子だった中井はすでに化け物だっが、さらに拍車が掛かった。お前も聞いて損は無い――死後、魂は三つに別れる。天に向かう魂と、地に向かう魂、墓場に残る魂の三つだ。

 生きているときは喜、怒、哀、懼れ、愛、惡、欲、この七つの魄が合わさり魂魄、人生を織りなす。

 死後の三つの魂は陽として天へ、七つの魄は陰として地に帰る。ここにアキラの母は仏教の輪廻転生を加えて、‶表操氣おもてそうきかみあわせ〟とした。はっきり言う、きっかけを与えるだけの、アキラの母の方便だ。締めは各々工夫し、勝手にやればいいってね。問題は――」


 玲は息をつき、一旦、間を置いてから言った。

 雅也もぐっと拳を握る。


「問題は‶裏操氣うらそうき神意カムイごう〟。大里流が一般武芸と離れるのは、ここを取り入れ奥義とした――あたしが、この間、中井とじゃれ合った時に使った、戦術と改めるべきものなんて、完璧に理解できれば遊び程度に使える。

 中井を筆頭に天才的感性を持つヤツらは、これを知ったかぶってる。やり遂げたつもりになって、誰も彼も勝手に技を増やして複雑化しているが、中井でさえこの奥義の序盤程度しか知らない。最後まで知ってるのは、アキラの母とあたしだけだ。あたしも師匠はおろか声にしたことは無い。

 だから、焦ってる。アキラの治療の他にも色々失策の挽回もしているから。乱雑でも理解できるように努める――アキラの母が儒学概論を抜粋して、アキラの父や弟子の中井にそれを体現させていた。中井はその時はもう多くの人間、ナタ・パオペイを犠牲にして――世界の構成要素、氣を操ることを追求していた。人間は氣が集まることで‶生〟が形成され、氣が散ると‶死〟となることを実証したんだ。

 アキラの母は、ここまでは儒教、張載や朱子からの引用に過ぎず、各々の才覚を知ることとした。大多数が観念として取り入れ私生活に活かすなか、中井はその上を行った。才能より何より、あいつは金烏玉兎集を――」


 玲は言葉を詰まらせ落ちる汗を拭わずに、唾を飲み込む。そして――


「今の書物のタイトルは即刻忘れろ。調べることは許さない――儒学では死後、魂は天へ昇り、魄は地へ帰る。この時、魂は神に、魄は鬼になる――アキラの母は、ここまで語り中井に殺され、神と鬼に別けられた。奥義の実験だったらしい。

 やがてアキラの父も殺された……あたしの指揮したチンケな戦場で、目の前で中井に討ち取られた。あたしだけでなく、皆が苦しんだ。

 アキラはね、神になり損ねた、母親の魂。そして人と神、現実と幻想、いつもその境目にいる。母親から産まれるどころか、その形作る途中で母と同時に殺された。だからと表す。

 あたしは生まれていたし殺されたが、魂だけ彷徨っている。今の魄は桃の果実……師匠に作り直された、まがい物だ。やはり……何度も中井に復讐してさ、パオペイ・ベイビーと成って、師匠に作り直してもらう……そんなことを繰り返している。

 あたしが特別なんじゃなくて他にも沢山いるよ。人体実験だったり、単なる性的欲求のはけ口だったり……お前の見えてないところであたしは、中井の」


「いくら玲さんを信じても、僕には矛盾が。まず玲さんは中井と同期で、早生まれだって、自分で言ってたじゃないですか。それに一体、いつの時代なんですか?」

 雅也が怪訝な表情でもなるべく冷静に言った。

 玲は、勘違いするなって、と語り続ける。


「これはアキラのルーツだ。あたしのルーツはさらにややこしい……中井とあたしがぶつかる度、いつもあたしが先に人間として生活している。最初に殺されたのは、この国が国として機能する前、石斧や棍棒で戦ってる時代だった。当時の中井と私は同じ年頃。大里流はそんな昔から続く戦法にすぎないのさ。

 あたしの魂が師匠のところに行って、桃の木下から生まれて……復讐しても返り討ち。

 そんな中、人間としての記憶が混じってきた。元々不安定なアキラの魂を、あたしは不憫に思い桃の蕾に宿したころだ――果たしてあたしは、アキラの母そのものだったのかとね。

 アキラの母の魂と魄、アキラが魂であたしが魄だったのかも知れない。あたしはただの結女むすびめとして生きて、死んだ。その後は輪廻転生ではなく、文字通り彷徨っている。結び一族、紡ぎ一族などなど。玉緒玲としたのは明治からだよ」

「玲さん、アキラちゃんはそれをどう思っているんですか」

「雅也、お前も薄々勘づいてないか? 今から五年前、中井によって完全にアキラは下僕になっている。操られているのさ。高校時代の自殺未遂、お前との記憶も恐らく残っていない。

 今回のマンション、仙陣の中で傷がつけられ、邪念が入ってる……中井ではないけれど、さながら邪念の苗床だ。この魄はだめだな。魂を取り出し、これから移し替える。ここまでがアキラの正体だ。他に質問は?」

「ありすぎて……どれから聞くべきか、わからないです」

「補足すると駆け足で語るのは、お前には以前にもこの話を聞かせた」


 息をつき玲は、何か呟き、アキラから離れまた骨董品を漁り出す。


 雅也が問いかける前に、玲は言った。

「あたしは中井のように、お前の行動と記憶を操っている。だが勘違いするな、あたしの趣味じゃない。はっきり言う。これは昔、お前の望んだ事だ。この説明も三度目になる――これが真の、操氣術を極めた者の戦いなんだ。しかもまだジャブの応酬程度。とっくにお前は逃げ出せないんだが、率直に、どうしたいと思う?」


「……正直、今すぐ錯乱して、殺意をぶつけたい。アキラちゃんの治療が無ければ、とっくに殴って……僕の命なんか惜しみなくカムイに差し出して、中井とあなたを」

 雅也の本心が声になるが、玲は部屋中を探し回っていく。


 やがて玲は木箱を手にして、埃をはらいながら言った。

「無理だ。お前は特異すぎる。無極式体むきょくしきていと言って、人間に対してはネコパンチ以下の攻撃しか出来ない。本気で殴っても、殺されかけても絶対にリミッターは外れない。どんな悪人であれ、赤ん坊であれ魄――人体には傷一つすらつけることはできず、防御も皆無だ。こればかりは鍛えるとかのレベルじゃない。その証拠に、お前の手に鍼がある。それで何故、あたしを刺さない?」

「あっ……」

 雅也の右手、その甲に刺さった細い鍼――玲はそれを指さしてから木箱を開けた。

 木箱の中から短刀を数本取りだして、雅也に差し出すが、雅也は首を横に振る。

 玲は短刀に息を吐きかけ、指でなぞり言った――

「気づかないし、嫌悪感で何もできないだろ。でも妖魔には非情に成れる。お前はその内、必ず中井一磨を殺せるが、その前に他の誰かに殺される……たつみならワイルドカードとか言い出すだろうね。

 強力なカムイが補ってくれるが、命を賭せば何でも有りの能力ではないんだよ。もう中井は見破っている、対策もあるはず――雅也、これらはあたしも中井すらも想定外だったんだ。

 たつみは何も言わなかったが、今日の件で確信した。お前は現在の大里流の中では最も皇従徒こうじゅうとの遺伝子が濃い――書いて字のごとく、すめらに仕える日本屈指の大家の末裔だ。無極式体がその証拠、遺伝的なものだよ。

 ただ……これは多くの疑問がある。あたしの術に掛かってこの家に来る人間は、日本では安部あべの賀茂かものなど、その中でも選りすぐりの呪術大家の血筋だけ。

 中井は安部の祖で、生まれ変わりを続け安部あべの仲麻呂なかまろなんて時期もあった、だから度々来る。

 お前が誰かの転生とは思えないし、皇従徒の遺伝子がどこで呪術大家と交わったか……たつみは無極式体ではないし、姪に至っては出会った事がない。

 あたしが生まれた時代以降、近畿地方は、やれ都だ城だと時代ごとに建物を乱立して、その都度、籠目の結界を張り直している。そっちは有名だが、金剛螺旋の呪術は、あたしが唐に渡った時に師匠から学んだ仙術を基盤にした、あたしのオリジナルだった……でも帰国すると何故か張られていた。

 もちろん先に思いついたのなら、やられても当然だが、誰かわからない。しかも何故、当時は士族たちの集まりにすぎなかった大里流だけで、それを守護し中井を敵視しているのかもだ。呪術大家と交わったなら、あたしにもその意味が解けるはずだが、わからない。

 結界の北端を守護してもすぐ反乱が起きる。武力ばかりじゃ無理だから、高貴な血筋を受け継ぐ、まさに神の子が統率しなきゃいけない時があったんだろうが……神の子と士族と呪術大家、どこで交わったのか、わからない……でも、お前はその末裔で違いない。あたしと中井が判を押した。ついでに昼間の仙女もだ。たつみに問いただしたいよ。雅也さえ居れば術も策も必要無かった」


「僕、そんなに、特別なんですか?」


 雅也の問いに玲は「誤解するなってば」と声を荒げた。短刀を向けて告げる。


「あたしの言う神は仙人とほぼ同格。世界は広い。お前と同じルーツ、お前よりとんでもない力を持った奴、立派な奴なんてごまんといるよ。選ばれたんじゃなく、むしろ事故に巻き込まれた被害者だと思っておくこと。恨みはあたしが引き受けてやる。でも……あたしも混乱して卒倒しそうだよ。だがお前なら理解できるはず。術が解ける前に進めるよ――氣を操れるのは、カムイも神も受け入れる‶シン〟の状態。健康でなくても、無理やりでも何かできる。いわば、今の雅也だ」


 玲は短刀をアキラに向けて投げ、カカカカンと、四本、ベッドの角に刺さる。

 玲の手にはまだ三本残っていた。彼女はそれを右手にまとめて持ち、言った。

「氣が去っていくと‶クツ〟の状態。アキラを見ればわかるだろう、何もできなくなるどころか、昼間のように錯乱し始めてやがて、となる。さらにその状態が続くとへ向かう。霊やカムイの収束本能が強く働き、己の魂まで元の場所へ戻ろうとする――」

 

「元の場所って、それはアキラちゃんの場合は、お母さんの魂ですよね?」雅也は言った。声を高々に「それは良い事じゃないですか。だって中井に分裂させられた命が、また一つになるってことは、元通りになるってこと。悩みや傷が少しでも癒える、真実にも近づくなら、そうした方が良い」


「別れた半身が一つになるとは限らないさ……魂の出発点がどこか、アキラか母か、あたしか父か……言い忘れてたね……くそっ、他人を入れての術はキツい。もう蓄えた氣が三割切った」玲は大きく息を吐きだした「忘れてないか? 肉体は魄。そこに戻ることになるんだよ、腐りきって骨だけの――もし母の骸に戻るならそれはあたしもアキラも大問題だ。さらには今日の仕事、テイホウ・マンションでの最悪の事態は何だった?」


「地下に幽閉された、骸骨……では、ないですよね……」

 雅也の呟きに玲は、もっと酷いこと、と言った。


 考えがまとまる前に、雅也の声がでる。思いつきに過ぎないことを、そのまま。

「記憶から消える――」


「おそらくね」と玲はすぐに答えた。「アキラが母と同化すると魄に戻る。魂はすぐに抜けて、後はあたしが出家するとか葬儀屋を呼ぶとかいくらでもフォロー出来るだろう。

 だが、無かったことにされたら? 写真を見ても『この子は誰だ?』とあたしが思ったら?

 それまで二人として、姉妹として生きた証はどうなるか?

 アキラが生きて来た証はどうなるか?

 あたしが生きて来た証はどうなるか?

 アキラの友人は?

 仕事で知り合った相手は? 

 たつみの会社へのツケは?

 それらが全て空白になると、埋める人間が必要なんだ。都合良くなるか悪くなるかすらもう、そうなってからでしか出せない――これが怪物・中井による最大の攻撃、呪だ。

 お前のカムイにも無理だと言われたよ――さらに付け加えるなら、あたしたち、いつ出会ったかも覚えてないだろ?」


 玲は短刀で己の前髪、襟足を切り、アキラの体に撒いた。


 雅也には、もう、見聞きしているだけだった。


「それがお前のカムイ、最大の防御だ――要約するとあたしらは死にたくても死ねないのさ。お前やカムイに苦しみを忘れさせて貰って生きる。ごく普通かもしれないが、毎回中井のとばっちりを受けるから、倒さなきゃ……巻き添えになる人間が増えるからね。

 引き籠もっていても生きているかぎり人に接するから、第三者が、社会が崩壊する可能性も高くなる。被害者候補のトップは、雅也、お前だよ。今、あたしに出来る策は、三度目の告白だ。

 打開策や『if』の話は、たつみ、お前の姪にも聞いてみた。世界バウムクーヘン仮説ってオカルト話が、また長いが――さらにきつくなるよ。具体的には雅也、お前のトラウマを引き起こしていくからね。

 これはお前のカムイから紐解いた、お前の出生と実家の秘密の暴露、そして予測できる未来――私も口にしたくないことだ。だが、お前が選ぶなら教えないといけないんだよ。

 お前は誰も殺せない。でも幼馴染のように忘れるのはできるし、他人を巻き込み忘れさせるのが得意なんだ。その自覚も出来ないままだとアキラを忘れ、中井と争い続けることになる。

 大里雅也、再びの二択だ。一つ、過去の苦痛を耐え忍び、近い死を待つか?

 二つ、過去を閉ざして近い未来、お前の捨てた過去に戻るか?――」

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