21


 ◇

 歌と寝言の反省をしつつ、雅也は流れ行く風景を見ていた。

 駅の数は減り、車内で揺られる時間のみ増えて、乗客も次々と減り熱気も減って雅也はほっとした。

 隣の玉緒アキラの機嫌を伺おうとしたが、彼女は何も言わないまま、じっと一点を見つめていた。


 彼女はすこし涙目だった。それでも、まっすぐ前に向かっていた。

 彼女の視線の先を追う雅也の目に入ったのは親子らしき四人組。

 男児と女児、父親と母親が横並びで座っていて、声変わり前の男児が声を張り上げていた。

 

「なーっ、ホントにアカネちゃん、トールくんに会えるのかーっ?」


 それは雅也に向かっての声では無かったが、雅也は懐を探りメモとペンを手に、会話を記していく。


 雅也の耳に、鹿威しの音が聞こえたから――かつん、と。それは雅也の宿す、カムイの訴え。『呼び出せ』という催促の兆しで、先月から雅也はそれを感知してしまい、抗う事ができなくなっていた。 


 雅也のカムイは‶カゴメ〟――雅也の願いを叶えるためにあらゆる霊、他の神々でさえ助力を仰ぎ最善を尽くして願いを叶えたのち、報酬を要求する。その要求は大小こそあるものの、ほぼ一点だった。


 その要求とは一定期間、雅也は‶カゴメ〟と集めた霊たちに行動を強制させられる。知識を得たり、物品を得たり、時には供養の為に祈祷したり、怨恨を晴らすため暴行もあり得る。


 たつみや玲が禁じた理由、懸念もそれを思慮していたもの――その期間中に‶カゴメ〟が『呼び出せ』と要求すればその期間は伸びる。


 玲は言った『善意での協力でも礼や感謝などの見返りがつくかもしれない。内氣を整えたなら放心状態は無くなるはず。だからそれまで容易く願うな』と。


 アキラの治療中だったが、雅也は前持って教えてくれと反論した。


 すると玲からの返事は『考えればわかるだろ、ガキじゃあるまいし』だった。


 雅也はそこで軽率な己を悔いた――先月のテイホウ・マンションもそうだし、その前の中井一麿との戦闘から、カムイの要求は続いていたかもしれない。ツケを払っていればもっと効率良く立ち回れたかも、と。


 考え始めると、どこから雅也の意識でカムイの意志かわからなくなった――玲は『お前のカムイは、発動する度にリスクの大きさがゼロから百まで変動してしまう。誰にも判断し難い。結果が最悪か最高かなんて、お前しか計り知れない。払拭する方法は気の知れた友人に活を入れてもらうこと。あたしはアキラの治療でしばらく何もできん』と告げた。


 玲は更に続けた、妹のアキラの体をメスで切り裂きながら――『あたしも苦しい。言っても楽にならないから言葉にしないし、声にも出さない。自業自得だと言われるだけだから。帰省はベストかもね。療養にも良いし、今後の戦いに向けて英気を養えるし、何より過去と向き合えるだろう。あたしも一旦、仙界に戻る。ナタ・パオペイが気になることを言っていたからね』

 

 玲が気になることは何かと雅也が尋ねると、彼女は、くぐもった声で返した。


『あたしが牧野の再現をするのかと危惧してると――あれは比喩でもカマ掛けでも挑発でも安く思える。しかし仙界は歴史的重要性の高い者を監視しているのは事実。なら……歴史の転換になり得る出来事が起こるかもしれない。毎度のあたしと中井のいざこざに、今回はプラスアルファがあると考えるのが妥当だ……殷周革命、その決戦の牧野に匹敵するものが現代日本で起こるとしたら。大戦中は中井に付いていた仙界が傍観するはずも無い……いいや、飛躍した論理はお前には理解できないから、辞めておく。順を踏んでわかるように、たつみに連絡しておく』


 ◇

 玲が消えたのは雅也とアキラが出立した日の朝だった。


 ◇

 アキラの治療後、雅也は苦しんでいた。寝起きの頭が冴えてくるとすぐにカムイに乗っ取られる日々。


 今の雅也には弱音を吐くことも、心中を明かすこともできず、ただただ‶カゴメ〟の奴隷と成り下がっていた――


 ◇

「今日もご乗車、誠にありがとうございます。乗車券の確認を致します」

 車掌に声を掛けられて、玉緒アキラが切符を探し始めた。雅也は無言のまま二枚の切符を彼女に渡して、ペンを走らせた。


 親子の会話や思いついた言葉――カムイの暴走だったが、それは雅也の責任であり未熟な証だと、自覚できた。

 この先に役立つとても大事な試練、ヒントになるはず、と言い聞かせてペンを走らされた。


 父親は恰幅の良い大柄だった。

 母親は長い前髪で顔が隠れ、よく伺えない。

 女児は栗毛の髪で肌は白かった。

 男児は髪をブリーチしているのか、母親よりも茶色い髪で肌もしっかり日焼けしていた。

 

 もうすぐ海に着くからね、そう母親が言った――もう田舎だから。人が多い駅は過ぎちゃったわ――その声を雅也は書き記していく。


「鈴ちゃん、レストランで食べなかったでしょう? お腹すかない?」と母親が女児に声を掛けた。


 女児は小型のデジタルカメラをいじりながら、言った。

「旅行前にお父さんに、これ買ってもらったから、お小遣い減ったの。我慢するって約束もしたし……それにお店より美味しい夕食が食べれるもん。我慢したぶん、もっと美味しくなるはず」

「おばさん嬉しいわ。鈴ちゃん、海に着いたら焼きそば買ってあげる」

「やった! ‶草薙さん〟、ありがとう!」


 とたんに男児が、腹へった、たこ焼き、いか焼き、お好み焼き、肉まん、と次から次へとねだるが、君はがまんしなさいと言われてしまった。

 

――血の繋がった親子じゃ無いのか。親戚ほどの軽い雰囲気でもない、複雑な関係みたいだけど、こんな家庭は特別じゃ無いだろ。やっぱり僕の内氣が乱れてるのか?


 雅也の愚痴は仕草に現れなかった。


 ◇

「なあー海はー? どんどん緑になっていくーっ、もうカブトムシしか住めねーっ。アカネちゃんは生きてるのかーっ?」

 ビルや家よりも森林や田園が目立つ風景を男児は皮肉をこめて言った。


 女児は景色を撮影し始め、何度もフラッシュが瞬いた。 


 母親はうなずいた。

「志士くんのお家、お金持ちだから凄いわよ。町も人の数は少ないけれど安全で清潔、のんびりできる良い所よ。引っ越してから茜ちゃんも、どんどん元気になってるって。漫画も描けるようになってるって」

「ふーん。でもさーっ、ウチも田舎だけど、もっと酷いぞーっ? ケータイとか通じるのかーっ? バラリンガーの、第二十話に出てた『消えた村』だろーっ?」

 母親と父親は恥ずかしさをこらえているようだった。

 男児の目が、さらにネタを見つけて声が一回り大きくなる。

「鈴! あの人撮って! たこ焼きおごる!」

「もう撮っちゃった。ただの変な人だよ?」と女児も声を張り上げシャッターをきった。

 

 男児がはしゃいで言った。

「あれはきっと、ボーソーゾクっていうゼツメツキグシュだ! バイクを改造して、リーゼントって髪型、トップクってブランド服着て、走り回るんだってよ! トールくんが田舎でも滅多に見ない天然記念物だって言ってた! 写真をクラスのお土産――いや、自由研究しよーぜ!」

「えーっ、ただの変な人だよ! ぜったいイヤ!」

 笑い合う子供たち。


 父親は顔を赤くして雅也に会釈した。

 母親はそんな父親に問う。

「バイクいじって特攻服着てたら天然記念物……ふふっ、昼間に見るのは珍しいけれど……そんな時代なんだね……昨日ね、話をしたの、私、冗談半分で鈴ちゃんと暮らしてみないかって言ったの。するとね、即答で『いいよ。俺も楽だし、みんな楽になるなら』って。すごくあっけらかんと返されて……気遣われてるのかな? いっそ預けてもいいのかな? 何が正解なの、どうすれば元気に育つかな?」

 

 その顔、声を遠目で観察させられていた雅也は、彼女と玉緒アキラが似ていると感じた。


 父親はため息を混ぜて言った。

「俺のエゴを抜くべきかもな。ゆっくり話合って正解まで導く。何が正解か間違いかは俺たちでは判断できん。

 俺はあいつが決めた人生を全力でサポートして、修正はその都度で良いと思う。俺たちが考えても負担になるだけだと……お願いだからチクらないでくれよ。昔の自分を抹殺しながら今の仕事をして、姉さんの恩返しのため、あいつを引き取った……だが……俺はあいつの本当の親に勝たなきゃ、親と認めてもらえん……あの歳でお家事情にまみれて世の中を恨んでほしくはない」

「ええ、同時に忙しさあまりに育児放棄とか、中途半端にすると元の木阿弥ですね……せめて美和さんよりも長生きして二人を見守らないと……ちょっとしょぼくれたわ。せっかくの夏休み、親子水入らずなのに」

「俺はずっとへこんでる。水入らずで海水浴……なんてタチの悪いことをする妻なんだろってな」

「情けない。普通は弱点や苦手を克服してからの父親でしょう? これも修業であり義務ですよ」

 和やかな、激励とも脅しともとれる母親の発言に、父親は「その言葉を一週間前に聞きかった。冗談抜きで泳ぎが苦手なんだ。練習してたら……俺が溺れたら、誰が家族を助けるんだ……」と呟いた。


 次に着いた駅を見たとたん、男児と女児は絶句した。


 雅也はメモを仕舞って席を立った。


――カムイもだけど、帰省するとこんな思いをする。赤の他人ですら身近な人に重ねたりしてしまう。玲さんが言ってた『哀愁は帰巣願望と自立心の葛藤にある、抑止装置とも言える。ゆとりを持たせようとして一種の錯乱状態に入る。いっそ忠実に従った方が良い』って。

――ここらの無人駅はあの子供たちにとって、アニメやテレビドラマだけのものなんだろうな。あんな風にリアクションするのが楽に決まってる。でも――


 雅也は歯を食いしばって口に出さずメモに残さず、先に降車する玉緒アキラを追う。

 観察していた家族の前を通り、雅也が会釈すると、彼らは謝る素振りを見せた。


 アキラはドアの前に立ったままだった。雅也が開閉ボタンを押すとドアが開いた。

 玉緒アキラが不思議そうに雅也を見るが、彼は何も言わず口をつぐんだまま、降車を促す。


 雅也が降りるまで先ほどの子供たちの声が聞こえていた。

 

 駅名は『哭峠きみさきの麓』――無人駅に置かれたのは、自動改札口ではなかった。ほったて小屋のようなホームに、ただの箱が改札口の役割をこなしていた。


 これなら電車賃がうくと男児が一つの提案してカムイを通じて雅也に届いた。


「切符を買わなくても電車に乗れる。で、行きたい駅までトイレに隠れ――うぎゃっ!!」

 男児の口を父親が封じたのか、呻き声が上がる。

 次に呆れと怒りが混ざったような父親の声。

「お・ま・え・は・ア・ホ・か?――‶キセル〟っていう昔ながらの犯罪だ。俺の仕事を継ぎたいなら、その発想力を勉強や気配りに使え。俺が他人のマナーや成績を気にしない人間でも、世間はすごく気にするんだぞ? それすらわからんのなら、みんなで海まで歩きながら教えようか?」

 

 男児を慰めつつ別の話題に移る母親と女児――四人の声は、雅也にはまるで異世界のものに思えた。


 昼下りの団欒を盗み聞きし、カムイは満足した旨を雅也に書かせる。

 同時に電車が発車する。雅也は再びメモとペンを取り出し『足は歩くため、手は掴むため、耳は聞くため、口は語るため、目は見るために』

 と、殴るように書かされた。雅也の思いではなく、カムイの感想にすぎない。


『人はみな、流れる景色の只中に。喜劇、寸劇を創りいき、抗い生きていくもの也、流さることもまた然り。いかように紡いでも愚かしい。神の恩恵はそこに在るべき』


 雅也は己の意志で語尾に『か?』を書いてメモを仕舞った。

 瞼を閉じて、しばらく雅也は念じた。


――さっきの家族や僕は不幸で愚かしいか、はたして神の恩恵や粛清なんて必要か? こんな単純な問いですら、自身で『解』を出せない神が何をどうする? 貴方は僕の見聞きして、深くない思考などで出した『解』ですら全てだと考えているのか?


 かつん。


 自問自答のような雅也の念に、返事のように音が鳴った。


――だったら、今すぐ僕に力をくれ。アキラちゃんを救うために、守り抜くための力、行使する動機をくれ。


 やがて、かかか――と、竹の音が鳴り響く。


 ◇

 雅也と玉緒アキラはしばらく駅で過ごしていた。日よけ程度の小屋は風通しは良いものの、切符の自販機しかない。

 

 アキラの顔を見ずとも、雅也には彼女の気遣いが伝わった。

 言葉も話題も出てこず、ふつふつと湧いてくる、負の感情を抑え込もうと懸命だった。


――アキラちゃんに牡丹ねーちゃん、由宇ちゃんに玲さんに咲弥さん(ついでに、たつみ姉さんを筆頭にした一族郎党の女性)。昼ドラばりの女難だと思えば楽かも。ナルシスト、責任転嫁って言われればそれまでだし、誰も笑えないけど。


「雅也く――」

「ごめんね、勝手に付き合わせて。理由は言えない。とにかくここは駄目なんだよ、立ってるのか倒れてるのか感覚も無くなるほど、嫌いなんだ」


 アキラの声を遮るように雅也は言った。


 そしてすぐ、彼女の首を両手で掴み、絞めつけた。


 強く、殺意を感じ無いほどまで唐突で、雅也自身、無自覚だった。


「もうすぐ……プレジデントの排気音を聞いたり、夏服の……いや、まだ冬服みたいだ。顔色の悪い、もやしのような姪の由宇ちゃんが、ボディガードの梶尾かじお英二えいじって猪侍と一緒に来たら、気持ちが整って説明できると思う。ここまで引っ張って来た理由、カムイのこと、玲さんのこと、君のこと……きっと全部。だから、黙ってて」


 そう言った雅也にはもう、アキラの声は聞こえていなかった。

 蝉の声すら聞こえていない、竹を割るような音で聴覚は満たされている。

 さきほど雅也が返事したのはアキラが何か言おうとしたと思ったから。

 勘で会話を判断して返事して、いま、首を絞めていることも理解できないまま。


 音には抑揚があり、アキラの声や仕草を知らせる音と、その他の者の言動を知らせる音があった。

 意識を集中させると雅也は、その他の中から特定の人物をピックアップさせることもできた。


 苦しみ悶えるアキラを除いて――

 

 ◇

『まだ電車が着いてねぇな、事故か?』その声は少し離れた車内から感じ取れた。男の声だった。

『ちょ、由宇ちゃん、まだ停車――』

 車の後部ドアが開き、外界へ降りる女性の足音。少し遅れて前方のドアが開き男性の足音が雅也に感じられた。


 そして声が――雅也にとっては緩急で聞き分けられるものの、竹には違いないし、その判断は神経と感情を鋭敏化させるのみだった――聞こえ、そちらを向く。

 

 八月に似つかわしくないほどの黒いセーラー服にマスクを付けた女の子を見て、雅也は笑顔をつくりながら、全力でアキラの首を絞めて声を掛ける。

「やあ、由宇ちゃん。去年より痩せたね、病気のせいとは思えない」


「雅也さんっ! いけませんっ!」

 女の子――大里由宇がマスクを外して叫び、雅也の手を掴んだが、すぐに倒れ込んで咳をはじめた。


 何がいいのか悪いのか、雅也は判断しかねた。

 いっそう力が入りアキラの首を絞めていく。

 

「よう、先輩」と、男が声を掛けながら、ずかずかと雅也に歩み寄って手を掴み、背中に回して捻り上げた。

 その男は百八十もの長身、長い髪を髷のように結んで、顔面傷だらけのいかつい風貌――梶尾かじお英二えいじだった。


 解放された玉緒アキラはむせるように咳をした。雅也に痛みは無く、表情は笑顔のままで話し掛けた。

「やあ、エイジ。去年より傷が増えてるね、年下とは思えない」

 

 すると梶尾は感情の無い声で返す。

「対・妖魔戦、対・中井一麿戦のキーマンがようやく覚醒を始めたって聞いたのに、かなり目ぇして帰省早々、白昼堂々、婦女子を暴行とはガッカリさせやがる。こんな締め方、素人やドラマのそれだぜ? 殺せるわけねぇが――おい、むすび一族のチビ女。テメェも悪い。武術をかじったんなら、相手に情があるか感じとれ。相手が無情、卑劣なら返り討ちしてナンボだろ――二人とも、まずそのツラを『鏡』で見ろ。話すとか警察の前に『鏡』を見ろ」


 雅也の体が震えた。心の中に『鏡』という文字を反芻し、連想する。


――鏡?


――カガミ?


――蛇々身カガミ


――大里雅也の虚像? ‶カゴメ〟の生き写し? 


――もしかして、別の‶何か〟?


 梶尾は「珍しく由宇ちゃんの予言が外れたな。‶カゴメ〟のヤツ、徳川何某だけじゃなく一麿に似た名前なら構わず片っ端から引き連れてやがる。可哀想に、も洗脳されてやがるぜ。戒名とか知らないし、黒幕まで届くか不安だが――やるかい?」と言ってから、息を吸い込む。


 由宇が両手を使って玉緒アキラの耳を塞ぎ「久々の実戦です。目標は十秒以内に雅也さんを気付けして、憑いた霊を邪霊となる前に引き離す。失敗はもちろん、タイムオーバーはご飯抜きですからね」と言った。

 

 すると梶尾が、雅也の右肩に向かって声を張り上げた。


「お控えなすって!! 拙者、性は梶尾、名は英二!! 産まれは遠い異国のブラジル、育ちはサンパウロの帰国子女!! 物心つくとすでに母親の包丁盗んでチャンバラごっこ、間もなく刀剣で悪行を始めたチンケな男でございます!! 名前通りの次男坊、剣術を学ぶため父親に連れられ祖国日の本、大里の門をくぐったのが運の尽き!! あれから刀より矢よりも痛い差別暴言の仕打ちを受けて参りました!! 後悔したのが去る十八の誕生日!! されど引き返す術は無し、手にあるのは一振りの無銘の野太刀のみ!!」


 そこで雅也の意識が戻り、背に回された手の痛みや耳の痛み、アキラを手に掛けようとした後悔――それらは、梶尾の声と共にばらまかれた氣で、体が、心が震え上がったからだった。


 雅也にはショック療法に思え、怖さのあまり声も出せず口を動かすのみ。


 しかし誰も全く意に介さず、梶尾は続ける。


「家畜並みの扱いに耐えかね、師を斬りつける乱痴気騒動を引き起こしそうろう!! お縄を覚悟し辞世の句を詠んだものの、こっちに来れば無罪放免と悪魔じみた救済に便乗致した!! 辛酸舐めて舌を切るなら、無刀に下ると踏み切って三年!! 今でも変わらずの大馬鹿でいっ!!」


 雅也は激しく身を捻らせた。その心中は――


――いや、僕は知ってるから! カムイに向けての自己紹介なら、もうホントに、冗談抜きでもうカムイは離れたから! それより日本語間違ってるし、色々ブレてるよね? シリアスだったはずの雰囲気がひっくり返ってるよね? もう意識が戻ったから謝らせて! 本当に、アキラちゃんに謝りたいから! 誰か(カムイ以外で!)、誰かエイジのだみ声を止めてください! いくら田舎でも恥ずかしい!!


 梶尾の大声は、雅也だけではなく世界中を叱咤し、威嚇するほどの勢いだった。遠くで鳥が鳴いて、飛び立つ――雅也の体が鉛を担いだように重くなり、地に膝を付いた。アキラは心配そうに雅也を見ていたが、やがて舌を出して微笑む。


 雅也にぞくぞくっと悪寒が走る――


「そこまで!」由宇が声を上げた。

 梶尾は声を止めたが、大氣は残響でびりびりと揺れたまま。

 雅也は唾を飲み込む。


 由宇はアキラから手を離し咳払いして笑顔になった。

 安堵とともに雅也は大きく息をつく。


「梶尾さん――」と由宇は梶尾に向かって柔らかい口調で語る。

「いつも言ってますよね、震氣はもう達人級だけど言葉使いが残念。この技の理想は心を氣に乗せて、退却させることです。声と氣が同時に出てしまっても良いけれど、無理してかぶいたり、見得を切ったりしなくても……基本に戻ってお腹から氣を吐き出す感じを心掛けてください。

 ちなみに三秒程度でした。余一麿よいちまろ殿はお帰りになられましたよ。

 次はたっぷり三十秒掛けて近衛このえうじ、他の方々にお帰りを」

 

 梶尾は「三十秒かあ」と意気込みを見せると、雅也は「三十秒も!」と声を上げた。


 由宇はアキラの手を取り「私たちは車に戻りますね。雅也さんも頑張って。今のようにしっかり心を保つようになって下さいね」と告げてその場を後にする。


 雅也は懇願の眼差しでアキラを見たが、彼女は、柔和に微笑むだけだった。

 

「あの、皆、僕はもう、何て言うか、そのね、えっと――」

 誰も雅也の発言を聞かず、二本目が始まる――もっと大きく、地震が起きたかのように駅のホームまでも揺れた。


「二本目たぁ、不思議だが嬉しいねえ!! 嬉しいだろ!? でもこんな感じで英霊悪霊問わずまいかい言ってると師匠に愛想尽かされ餓死しちまう!! 俺らは安易に過去にいちゃもんをつけんし祀りもせん!! 軟弱な若輩だから、出直してくれや近衛氏!! 大東亜戦争とか総動員体制の話をしたいなら、玉緒玲って仙女が良いかもな!! ナイーブな先輩もアンタは重いとよ!! 俺のカムイもギリギリ!! 元首相でも食っちまうぞっ!!――」


 雅也は気づく。

 これは梶尾の修業を兼ねた、姪の由宇による雅也への説教も含まれているのだと。

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