◇

 雅也は玲にかつがれ、玉緒万事屋の一室まで運ばれた。六畳の部屋――あるのはベッドのみ――仕事が夜まで続き、終電を逃したとき寝泊りするいわば、仮眠室だった。

 道中は朦朧とした意識で流れ行く視界を見て、音や声を聞いていた。


「また面倒になる。あんたに雅也とアキラを預けたい――」玲は誰かと話しているが、雅也にはわからなかった。


 ◇

 しばらくベッドで横になり天井を見ていた。

 起き上がり、ジーンズに入れた携帯電話を取り出す。


 ――今、何時だろ。


 ありふれた思惟と行動だった。


 ――午前四時五分。もう一回、寝よう。


 雅也は再びベッドに倒れ、目をつむった。


 ◇

 再び目を覚まし、携帯電話を見る。


 ――午前四時、十分。疲れすぎたかな、五分しか寝てない。


 すると着信有りのランプが点滅していることに気づく。欠伸をして履歴を見ると、雅也の眠けが吹き飛んだ。


 ――三十三件? 誰? 僕、何かした?


 恐る恐る履歴の主を確かめる。

 相手は全て姪だった。三十三件全てに留守番メッセージが残っている。

 雅也は最も新しい音声を再生する。

「雅也さん……私です。出てくださいませ。私、心配で、心配で……ずっと起きてますから、必ず」

 ほとんどが泣き声だった。雅也の記憶は曖昧で、彼女の身に何かあったのか不安になり、リダイヤルした。

「雅也さん! ご無事ですか!」

 姪の声が鼓膜を揺るがす。一旦、耳から離してこめかみを押さえた。


 ――えっと、心配されてる?


 そっと耳に当てて、声を出す。

「あーうん。落ち着いてね。無事だけど、さっき耳が潰れそうだった」

「そうですか……よかったあ」

 鼻をすする音が聞こえた。


 ――こんなに慌てるなんて、らしくないなあ。


「ずっとお待ちしておりました。お返事が全くないので……何かあったのですね」

「えっと……よく覚えてないんだよ。長く寝てたのかな」

「そうでしたか。何度も掛けたのですよ?」

「ごめんね、気づかなくて……でも、今日、いや昨日か。何してたんだろう?」

「私に聞かれましても……」

「そりゃそうだよね。どうせ仕事で終電逃して、玲さんの深酒に付き合ったんだと思うよ。あの人ザルだから、こっちの身がもたない――」


 ――あ。


「そうだ……中井と」

「何かあったのですか?」

「うん。思い出した……そっか。そうだよ」

 自問自答する雅也に夜の事が思い出された。

 

 中井一麿に呆気なく倒されたこと。


 ――思えば、無茶したな。殺されてもおかしくない。


「……全然、ダメだ」

 同時に恥ずかしさもこみ上げてきて、雅也は自己嫌悪して、言葉にする。

「ねえ、僕は何で生きてるんだろ」

「どうなさったんです?」

 ベッドに寝そべり、雅也は話を続けた。

「力なんて無いのに、どうして生き残っているんだろって。ニュースでさ、交通事故で死亡なんて毎日流れてるよね。あの人たちと僕、どっちが死ぬべきか……僕のはずなんだよ。考えなしの無鉄砲、頭も良くないし」

「あの、少しお待ちくださいませ」

 電話から保留音が流れた。


 ――この曲なんだっけ。モーツアルト? どうでもいいや。


「お待たせしました……雅也さん。こんなお話をご存じでしょうか」

「うん?」

「ある外国に行ったカメラマンの話です。その方は有名ではありませんでした。そもそも有名になろうという考えが無かったそうです。何故なら撮影する国は紛争地域。しかもカメラで映すのは悲惨な戦場。無残な亡骸を日々写し、有名になってどういたしましょう」

「兵士でも撮ればいいのに」と雅也は呟く。

「ええ。でもその方は避けていたのです……これから死んでいく兵士たちの遺影を撮りたくは無いと」

「じゃあ何を撮りに行ったの?」

「その方もわからなくなったのです。何故自分は危険を冒してまで戦場に来て、悲惨な光景を撮っているのか。最初は報道者として正義感があったようですが、すぐに消えてしまった。そのような感情は戦場において不要だと。

 死者の多くは故郷のため集まった志願兵でした。自ら望んで戦い、死んでいく……そこに正義も悪もありません。息絶える前に必ず仲間に勝利と未来を託すのです。他所の国が非難して良いことか……カメラマンは悩み、気晴らしに撮影するようになりました。兵士たちが食事するところ、息抜きで遊ぶところ、拠点で暮らしている子供と会話し笑い合うところなど微笑ましいものを。

 ある時、一人の少女を撮影しました。その少女は他の子と離れた場所にいて、一人で、大きな銃を肌身離さず持って座っていました。カメラマンは撮影する前に、自分の国の話や冗談を言って打ち解けようとしました。でも少女はくすりとも笑いません。子供とは思えない、力強い瞳でじっと見つめていた。撮影後、カメラマンは少女にある質問をしました。簡単な質問でした。

〝どうして銃を持ってるの?〟

 すると一言だけ返って来たのです。

〝敵の前で自分を撃てば驚くから〟……カメラマンは帰国後、その少女の写真と答えを題材にその国の現状をコラムにして新聞社に持ち込みました。たちまち話題となり、賞を授かりました。

 時を経て少女に礼をするため再び旅立たれたのですが、たどり着くとその国の戦争は終わっていました。記憶と写真を頼りに探したのですが、少女は見つかりません。カメラマンは後悔しました。

 どうして少女の名前を聞かなかったのかと後悔したのです。これでおしまいです」

 

 話を終えると姪は咳をした。何度も何度も咳をして「すみません」と言った。

「私は仲間や家族の為に少女は銃を自分に向けたと思いました。自分の命より大切なものがあるから……私はこのお話が嫌いです。夢見る人は報われず、夢のない人が報われるという現実をつきつけられます。

 また語るとき死を客観視できる立場にならないといけません。死と恐怖は同じだと感じないといけないのです。暴力の延長に死があるのだと死を忌み嫌い、命を大切にしよう――多くの人がそう教えられ、このお話を語るのは容易でしょう。でも本当に命を粗末に、ぞんざいに扱うとはどういうことか知っていると……このお話は実話でも作り話でも死者に残酷だと思っています」

 姪はまた咳きをした。

「すみません……よくわからないですよね」

 雅也は少し考えてから、返事した。

「僕の事を想ってその話をしてくれたんだと思ったからかな。感想が違う――僕は少女が生き残ったと思ったよ。平和になった故郷で暮らしてた。ある日、自分を探すカメラマンを見つけたんだ。そして、恥ずかしくなって隠れた」

「どうしてですか?」

「例えばむすっとした顔を友達に撮られて、皮肉を言ったとしよう。忘れた頃に――そうだあの写真! この時、なんて言ったと思う――って皆の前にだされたらどうする?」

「それは……恥ずかしいです」

「だろ? だからその少女も恥ずかしくなった。撮り直して、あのときの言葉を訂正してなんて言い出せない。でもカメラマンは隣人に聞き回っている――仕方ない、逃げちゃえ。平和になったし、いっそ別の街で新しい生活をしてやる――って新しい人生を自分で歩み始めたんじゃないかな。だから見つからなかったんだよ」


 くすくすと姪が笑った。雅也も笑っていた。


「私、小学生の頃この話の作文をさっきのように書いて、雑誌に載せて頂いたんですよ?」

「僕が書いたら落選してるね」

「わかりませんよ? 戦争が終わったという喜びの中、人々は新しい生活を始める。大切なこと以外は忘れた方が楽ですし、未来も明るくなりますから。雅也さんの結末なら私はこの話を好きになれます」

「そう。あ、寝なくて大丈夫? 今日も学校だろ」

「いつもこの時間は起きていますから。雅也さんも学校でしょう?」

「大学生と高校生を一緒にしないの。大学はモラトリアムを引き延ばす施設だよ」

「その言い方は嫌いです」

 姪の声は、はつらつとしていた。

 欠伸をかいて、雅也はベッドから起き上がった。

「ありがとう。おかげでちょっと楽になったよ……ああ、それと天気、ホント助かった」

「よろしければ毎日、ご連絡しましょうか? 日にちを決めてくだされば前もってお教えできます」

「うん。じゃあ今日と明日。お願いできるかな」

「喜んで。朝のご祈祷が五時なのでそれ以降に連絡します。他にはありませんか? 恋愛運、金銭運、仕事運なども承りますよ」

「まるで占い師だね……うーん。今日のところは天気だけにするよ。必要なときケチられないように」

「その言い方も嫌いです」

 またも姪の声は笑っていた。

 電話をきってベッドの上で天井を見ていた雅也は、姪の姿を思い描いた。

 

 去年の夏。縁側で日向ぼっこしている姪は、スイカを口にして言った。

 「きっと、私の前世はセミでしょうね。幼い時は一人でしぶとく土にくすぶっていて、成熟すると我儘に泣きわめく。良い人が来くるまで泣いているだけ」

 いつになく弱気な声だった。

 その夜、雅也は友人たちを強引に集め河川敷でバーベキューをした。

 口の悪い友人の一人が雅也をロリコン呼ばわりしたが、それすら笑い話に変えた。


 ――きっと、薬も飲まず待ってたんだろうな。飲むと眠くなるって言ってたし。


 そして独り言ちる。

「死があって当たり前。誰でも、どこでも……無駄にしちゃいけない」

 雅也は体を起こし、ベッドから降りた。

 部屋は暗い。しかしぶつかるものが無いと知っていたので廊下へ続く扉まで歩みを止めなかった。

 廊下に出ると、電気はなかったものの早朝特有の淡い光がぼんやりと道筋を照らしていた。

 玲の部屋、アキラの部屋の前を忍び足で通り抜け、階段を降り、リビングに向かった。

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