◇

 玲の瞳から光が消え、彼女は顔を中井に向けて言った。

「本物のじゅとは恨み辛みで不幸を願うのではなく、相手を支配下に置く。その為に必要なのは行動心理。

 男が男に喧嘩を売られたら人の目が無いところへ行く。何故か? もし負けたら恥だと思うからだ。

 何故恥と思うか? あたしの解では順序、順番、序列なんてしがらみを子供のころに学ぶからとしている。男ならば、男だから……そんな思考を土台にして、正しいことをしよう、辻褄が合うようにしよう、筋を通すように生きよう、と幼少期にルールを作る」


「屁理屈で俺のカムイは解けん」と中井は右手を再び雅也に向けた。

 

 その中井の右手を風が切り裂き、出血させた。黒い血が烏の羽のように舞う中、玲は声を強くして続けた。

「やがて男はルールの下僕となるよう暗示をかけていく。人前で泣くなとか、やられたらやりかえせとか。本能と教育がそれを促進させる。大人になる頃には自立という言葉に挿げ替えてしまう。多くの男はそれを重んじているから集団行動中でも心の中はいつも孤独になろう、耐えようとする。耐えきった時、男は自立したという自負を抱く。幼少期の行動、特に失敗と同じような行動や念を抱くと人目を避けたがる」

 

 話ながら玲は指を立てて左右に振った。

 風が吹き、ざくりと中井の体を切り裂く。黒い欠片が飛ぶ。右から、左から中井を切りつけていく。中井は声を上げる間もないようだった。


「そこにつけこまれたのさ。さっき雅也はいきなり大技を使った。普通なら細かい技で先手を取り、相手の力量を計りつつ続行か退却か判断するはず。実家でそう教えられ、お前はいつもそうやってきた。でも今回はどうだ? 中井に喧嘩を吹っかけたろ。順序なんて無く、中井は死人で悪い奴という論理飛躍からの戦い……あたしが止めず、もし雅也が勝ったとしても、ただの人殺しになるだけだ。その後どうなるかは想像に難くない――まず、念を一つに絞り、唱えろ」


 右の掌を天に向ける玲。

 びゅうびゅうと風が渦巻く音が響く。玲の右手が中井に向けられた。

「〝邪怪駆逐じゃかいくちく〟このたまえ、名も無きカム

 玲が呟くと、ごうっ、と風が吹いた。中井の体が吹き飛ばされ鉄柵にぶつかった。

 ぎしぎしと錆びた金属がこすれ合い悲鳴を上げる中、中井の体は無数の黒い欠片に分解され屋上に舞う。


「カムイを奪われたカムイ使い、玉緒玲……なるほど。空になったシンタに御霊みたまを入れ、即席のカムイにしたか。小賢しい」

 その欠片の一つ一つが声を発し、意志を持つかのように宙に集まって黒い球体を作る。

 球体の底部から足が出て中井の姿が再び現れる。コートもハットも健在の彼は地面に舞い降りるや懐を探って、何かを宙に投げた。それがぼう、と燃えて火の玉になる。


 一つ、二つ、三つ、四つ。

 ぼう、ぼう、ぼうと火の玉が浮かんで中井の体を照らしていく。

 

 中井が右手の人差し指を立てて、ゆっくりと天に向かって手を伸ばした。

「鬼火と成りて暗剣あんけんに宿れ〝バクフ〟……行け」

 指を降りおろし、中井が言うと四つの火の玉が玲に向かって飛んで行った。一つが先行し直線的に玲の胴に向かった。


 その火の玉を玲は払い落す。火の玉はコンクリートの地面で爆ぜ、粉になった。

間髪入れずに曲線的に火の玉が飛んで来る。野球のフライボールのように上から玲をめがけ落ちていき、同時に左右からカーブを描いた火の玉が玲に迫って行く。


「これ、あたしの考えた技だろ――」

 悪態つく玲は身を屈めた。猫のように顔とコンクリートの地面が水平になるまで体勢を低くしつつ、左に駆けていく。上から落ちてきた火の玉は地面にぶつかり音を立て爆ぜた。左右からの火の玉は玲を追いかけ、彼女の左肩と顔面に直撃し爆発した。

 小規模ながらも爆竹より大きな爆発だった。煙が玲の体を包む。

 その煙から飛び出した玲。

 傷も無く、服も破けていない。彼女は中井に向かって駆けた。


 二人の距離が手を伸ばせば届くほど近くなり、玲は足を止め、呟く。

つ首の、瀑布ばくふのごとき荒きカム。刮目せよ、幕間劇の幕開けよ――」

「〝バクフ〟の禁歌きんか!?」と中井が声を上げた。


包獣ほうじゅう演舞えんぶ縛縄ばくじょう黒麒麟こくきりん

 玲の背からしめ縄ほどの太い藁が出て、中井の体に巻き付く。

 一瞬にして両手足が体に密着するほど強く縛られ、中井はさながら大木のように立っているだけ。


宝剣ほうけん演舞えんぶ莫耶ばくや斬捨きりすて同士討どうしうち

 玲が呟くと、彼女の両手が金色に光り、その光が伸びて刃を形作る。

 すくい上げるように玲は中井の体の下から両手を、振り上げた。中井の体を縛る藁ごと×字に切り裂かれ、彼の体がバラバラになる。

 吹き上がる黒い血、そして切断された体は突如、烏の羽のように細かくなって宙に舞う。


崩風ほうびょう演舞えんぶ暴走ばくそう馬元ばげん道士どうし

 風が吹き踊り、その黒い中井の欠片を一か所に集める。玲が指を降って風を操り、欠片を金網に叩きつけた。


「ハッタリか――」

封神ほうしん演舞えんぶ瀑布ばくふ投身とうしん太公望たいこうぼう

 中井の声を遮り玲が呟く――。

 バチバチバチ、とスパーク光と音に書き消された。

 

 その光を眺めながら玲は言った。

「これにて一時いっとき、舞い、仕舞い。四象ししょうに戻れ、騙され魅入みいられしカムよ……と。やっぱり気持ちの籠ってない適当な言葉じゃ、威力が足りないか。〝バクフ〟のカムイもあたしの事、忘れてやがる」

 

 電光が弾けるのを見ながら、頭を掻き玲は続ける。


「中井は複数のカムイを操っている。雅也に仕掛けたのは犬神に似たカムイ……理性と無意識の垣根を破壊し禁忌を犯すよう仕向けるものと見た。

 知り合い、家族、恋人、目に留まっただけの人。術者の氣力きりょくにもよるが、中井ほどの実力者なら大勢を巻き込んだ修羅場を作り出すぐらい容易だし、局所的に小さないざこざを起こすこともできる。

 雅也も中井も男だから、かけ易くかかり易い。もちろん女の心理、弱みを知れば、あたしもアキラも危うかった。だが中井はそんな事を知らない」


 雅也はずっと見て、聞くことしかできなかった。


「中井、あたしがアキラを推挙した理由はね、あの子がほぼ一般的な女だからさ。大里流を学んで、呪やカムイについての知識、理解はあるものの、友人と遊ぶ約束や家族の団欒が好きで、叶えたい夢があって、少し陰のある普通の女。争いを好まず、嫌なことは見て見ぬふり。でも気に残ったことがあると、何もせずにいられない――ほぼ常に集団行動。集団の中でこそ自立できるタイプ。

 お前は長く辛い修業を経て、カムイに近い存在、不死身になった。だが言い変えれば、一人ぼっちの寂しい男……あたしには止められなかった。負い目と愛想で仕事を受け、アキラなら理解してくれるかもしれない、そう思って……が、もういい。近いうちに決着をつけてやる。今日は黙ってねぐらに戻れ」


 光と音が止み、黒い欠片は灰になってコンクリートの地面に落ちる。

 その灰の中から、にゅうと手が出てきた。さらに足や頭、胴体と中井の体のパーツが出て、それらが意志を持ったように動き、這いずりひっついていく。やがて元の姿――ハット、コート、両手両足を備えた巨体――に戻るまで一分も掛からなかった。


 嘆息をつく玲。

 そんな彼女に中井は声を掛けた。

「言葉の合間に言霊ことだまを挟んだな。五十もの御霊みたまを操り、己のへ変換し外氣がいきを上げ防いだ。そして偽の禁歌きんかで俺の〝バクフ〟を暴走させた……口が開くはずだ。カムイを持たずともカムイ使いと戦う、正に大里流の真髄……失念していた。そして見くびっていた」

「無刀大里流操氣術、上位じょうい技の裏、偽舞はかりまい……他人のカムイを操るただの呪文だ。しかもほとんど即興。カムイはともかく、ひっかかる人間はおかしい。ついでに〝バクフ〟はあたしのカムイだ。盗人猛々しいね」

 

 彼女の視線が雅也に移り、声も雅也にだけ向けられた。


「雅也、お前は誰よりもあたしの話に付き合う。もうわかっただろ……今回、ドジ踏みそうになったのは、お前のミスじゃ無く、あたしの認識の甘さだ。そして何より相手がおかしいから。こいつはRPGで例えるならラスボス。経験を積んでいけばいつか互角に戦える。あたしが押さえる、退け」

「そう……でしょうか」

 息を整えてから雅也は空を仰ぐ。ネオンが雲を下から照らしているようだった。

 顔を降ろして、改めて中井を目に捉える。夜中だというのに、彼の巨体がよく映えている。玲の姿も。

 ひゅっと風が吹く。雅也の鼻をくすぐり抜ける刹那、雅也の脳内で思考が走り抜けた。

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