◇

 ファストフード店を出て、さらに探し回る。公園、路地裏、歓楽街、駅、民家の庭を覗き込んだり、学校の校門付近を見て回ってり――気づけば日付が変わろうかという時間まで二人は猫を探し続けた。


 ◇

「これまでにしましょう」

 アキラが撤退の宣言をして、雅也は大きく息を吐き、地面にへたり込んた。

 二人がいるのは都内にある廃墟の屋上だった。雨はとっくに止んでいたが、空はまだ雲に埋め尽くされていた。

「大丈夫?」

 心配げにアキラが前かがみになって尋ねる。

「だいぶ鈍ってたみたい。足がパンパン。明日は筋肉痛だよ」

「終電まで時間はある。歩ける?」

「ちょっと休みたいな」

「だったら私も――」

 アキラの口を雅也は左手で塞いだ。雅也は笑顔を浮かべて言う。

「僕だって男なんだ。警戒しないとだめだよ、ね?」

 アキラは戸惑ったように何度も瞬きした。やがて首を縦に振り、雅也の左手が離れる。

「気をつけて帰るんだよ。知らない人に着いて行かないように」

「うん」

「からまれたら大里流を使って暴れまくる。暴漢に情け無用だよ」

「うん……」

「じゃあ、また明日。お休み」

 雅也は大の字になって寝転ぶ。小石や埃なども気にせずそのまま目を閉じた。

「バイバイ」

 アキラの小さな声がして、足音が聞こえる。足音はどんどん遠ざかり聞こえなくなった。

 雅也は瞼を開け、体を起こす。衣服についた汚れを払い、屋上を闊歩した。

 

 錆びついた鉄柵に手をかけて、その下を覗き込む。十階建ての屋上、高さは四十メートルぐらいだった。周りにある居酒屋やBARなどの光に目をこらしつつ、携帯電話を取り出す。

 居酒屋の街灯に着物を着た、小柄な人影が見えた。

 カメラ機能を作動させ、雅也はその人影を映す――フラッシュが瞬き、シャッター音が響いた。

 確認せずともその人影が鮮明でないこと、アキラかどうか判断しかねることは承知だった。

「まったく、この時代にじゅだのカムイだの……」

 雅也は呟きではなく、話しかけていた。

 返事はなかったが、一方的にまくしたてる。

「あなたのカムイに関しては直感のそれなので恐縮ですが、おそらく呪いに関するもの……穴二つでは済まない。かけられた人、かけた人、かけた人の家族、すべて亡くなる。転生できず畜生界ちくしょうかいで苦しみ続ける。これが当りなら、どうしてあなたは生きているんですか?」

 雅也は屋上の真ん中まで歩き、返事を待った。

 風が吹き、鉄柵をゆるがす。


「無駄ですよ。僕のカムイがじんいてます。破れません」

 びゅうと風が吹き、雅也の前で渦を作る。

 小石や埃が舞う中、黒い人影が現れた。

 ハットを被り、コートを羽織った大男――中井一麿だった。彼は低い、感情の読めない声で言う。

「これは、何だ?」

「質問してるのは僕です。どうしてあなたは生きているのかと」

 中井は顔を鉄柵へと向ける。

「結界では無いな、これは……玉緒から、お前は大里の分家だと聞いた。修業中の身では無い、段も無い抜けた身だと」

「もちろん。少しなら覚えてますが、ほとんど使えません」

「ならばあれは何だ。奇怪な、酷いわざを」

 中井は右手を伸ばし、鉄柵を示す。だが雅也は視線を中井から離さない。眼前に立つ中井も雅也からは視線を離していなかった。

「僕のカムイです。感謝していますが、僕には操れない。見えないし、声も聞こえない。僕は劣等生ですから」

「ぬかせ。凡人が出来る業ではない。ここに何人いるか、わからんのか」

 雅也は首を横に振った。

 中井は右手を雅也に突き出し、指を広げて言う。

「およそ五十。かばねがここを取り囲んでいる……聞こえんか、怨嗟が? 見えんか、哀れな姿が?」

「ですから劣等生なんでわかりません。僕は幽霊とかほとんど見えないんです。わかっているのは僕のカムイは統率力があること。僕の身に危険があり、かつ、念じると周辺の地縛霊、精霊、土地神まで支配下に置き僕を守ってくれることぐらい。

 そもそも、玲さんが教えてくれるまで気づかなかったんです。知ってたら受験勉強なんてしませんでした。ハハハ」

 

 頭を掻きながら雅也は笑った。しかし、中井は全く反応を示さない。

「……すみません。失言でした」

「わからん。貴様が人かどうかも怪しい」

「それはこっちのセリフです。そろそろ答えてください。どうしてあなたは生きているんですか?」

 中井は右手を引っ込め、コートのポケットに入れた。

「カムイとは面白いもの。先人の業を知れば知るほど謎も増え、解くたび新たな術を得る。だがおよそ二千年、深淵に触れた者が無い。

 呪は一門にすぎず、無暗に行う者は阿呆……俺も阿呆だった。殺めた御霊みたまにより冥府へ落ちた。だが冥府に行くことが二門。そこで暮らすこと三門なりて、冥府を知ること四門、五門、六門、七門。

 やがて八門。これが冥府を出るカムイを得ることだった。さらに現世うつしよと冥府を周回する度に、カムイは増え、俺のごうした。やがて大氣たいきと合するだろう。全ては太極たいきょくを目指しての流浪るろう。俺はその果てにある、神居カムイを見たいだけだ」

「あの、僕は頭が悪くって、ちんぷんかんぷん……あなたはカムイを学問として捉えているんですか?」

 中井は頷く。

 雅也はさらに問う。

「その研究のため人を殺したと? アキラちゃんを狙ったのも?」

「貴様に比べれば、児戯に等しいことだ。カムイがれば死など無意味。人間は増えるしか能の無い、出来損ないのカムイだ……俺とあと一人、女がいれば充分……あのアキラとか言う女で良い。他はいらん」

「それ、本気で言ってるんですか」

「ふっ」

 すると中井の口から笑い声が漏れだした。

 カカカ、カカカ……低くて聞き取り辛い笑い声だった。

「面白い。玉緒玲、このような武士もののふで、またあの呪をかけるのか。俺がそこまで憎いか……どうした? シンタが揺れていないぞ? 俺を野放しにしてて良いのか? 怒りが足りぬか、憎しみが足りぬか、血が足りぬか、屍が足りぬか、殺さねばならぬか、か、カカカ――」

「質問を撤回するよ。あなたはもう死人だ。魂だけの不安定な存在」

「否定はせん、ククッ」

 中井は笑いをこらえながら呟く。

 大きく息を吐いて雅也は言った。

「大陸の道士は〝世を乱すしきもの、世を満たす正義の前から去れ〟と言う――玲さんや僕は違う」

「〝邪怪じゃかい駆逐くちく〟か。あの玉緒が解説不要とした唯一の言葉、信念」

 両手をポケットに入れたまま、中井が歩み寄る。巨大な闇が迫りくるようだった。軽くバックスッテプし、間を取った雅也は右手の人差し指を立てて呟いた。

っ、疾っ、疾―っ……」


 ポケットから手を抜き、中井は両手を広げた。夜の闇よりも黒い彼の顔、ハットの奥から二つの赤い光が雅也に当たる。

「貴様のカムイ、片鱗が見えてきた……やれ! 正義とやらでめっしてみせい!」

 中井が叫ぶ。

 雅也は少し躊躇ったが、右手を天に向けて叫んだ。

ぃっ!」

 闇夜の空から光が降り注ぐ。中井の体を包み込み、ふっと消えた。

 暗闇に戻った瞬間、中井の叫び声が轟いた。断末魔の声だった。


「ギャアアア! アフッ、アウ! アアアッ!」

 叫び声に混じり、液体が噴き出す音がする。血が噴き出しているのだろう。

「アウ、アウ、ア……ク、カ、カカッ、カカカカ……」


 やがて再び笑い声が聞こえる。先ほどより弱弱しいものの、雅也には初めて中井の感情が読み取れる――嘲笑だった。


「躊躇ったか……カカカ……終りか? 俺は、演技が下手でな。これでは見せ物としても、面白く無いだろう?」

 脂汗を拭った雅也は、声を絞り出して言う。

「劣等生なんで、ね……」

 闇夜の中で、中井の体がむくりと起き上がった。左半身をごっそり抉られたにもかかわらず、案山子のように一本足で立っていた。


「食えぬ奴だ。妖天君ようてんくんのカムイなど……異例中の異例だな」

 残った右手を雅也に向ける、中井の目が赤く輝いた。

「御伽話にあったな……金聱島きんごうとうに住まう仙人、十天君じゅってんくんが一人、妖天君。使いし術は落魂陣らっこんじん。敷かれた陣に入りし者、魂魄こんぱくまで滅せられる……だが俺はどうだ? 生きているぞ?」

 答えることができないほど雅也の喉は乾ききっていた。息をするたびに喉が裂けるほど痛む。

「俺を滅せねば、あの女を辱める」


――アキラちゃんのことか。

 

 無くなりかけた力を絞り出し、雅也は身を屈めた。


――ここからは肉弾戦。やられる前にやってやる。

 

 中井は右手を、半分になった己の顔面に当てる。指と指の間からまだ赤い眼光が雅也を捉えていた。

「……やはり劣等とは思えん。だが大里流の修練を積んだ身でも無い。玉緒め、一体」

「〝さん〟をつけろ。あたしの方が早生まれだ」

 その声の方へ雅也と中井は顔を向けた。

 鉄柵にもたれ掛かかり、腕を組んで玉緒玲が二人を見据えていた。彼女は呆れたように言う。

「雅也、そいつは一応、あたしの仲間って言ったろ」

 顎を突き出し中井を指すようにして、すぐに戻す。

「犬神はね、その名の通り犬をまつってのじゅ……けど中井のはカムイだ。動物霊って域を陵駕してる……前口上を思い出してみろ」


――女性の感性と論理飛躍。それがどうしたってんだ?


「はあぁ……」

 ため息をついたのは玲だった。

「あんた、自分がどんな顔してるかわかる? 息を荒らげて、舌出して、ヨダレがダラダラ、歯と目はギラギラ。まるで狂犬だよ」

 驚いた雅也は口に手をやる。瞬時に舌が引っ込んだが、長時間出していたため口内がざらめいている。唾液を舌が吸収し口内に水分が戻っていく。喉の痛みも引いた。

 

 中井は舌打ちして、言う。

「邪魔をするな」

「するさ」

 玲の瞳がぼんやりと光る。その光は雅也を捉えており、怯えを呼び起こす力があった。

「雅也、聞こえているか」

 玲の声色こわいろが、更に雅也を追い詰めるようだった。

 

 謝れ――と脅されているようで、雅也は口を噤んだまま、彼女の目を見ていた。


「戻ってこい、大里雅也。こいつとの戦い方を教えてやる」


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