第6話 北海道標津郡中標津町俣落2000 佐伯農場
根釧台地。中標津町に、雪が降る直前の冬に、旅をした。
まず遠い。札幌からひたすら遠い。車で、休憩とりつつ10時間くらいかかったと思う。
よく本州から旅行に来る人が陥りがちなことがらとして、北海道の移動距離の感覚を誤って旅程を組むというものがある。本州の民が「小樽行って、旭川行って、富良野も!」などと言って、北海道の民から「無理に決まってるだろすったこが……!」と言われる、あの事案だ。
北海道の民は、何か自分たちの住む土地が特別なところだというような、そんな心性を持っている。だから「北海道あるあるネタ」は大好きな人が結構多い。方言だとか、食べ物だとか、冬の寒さだとか、雪質だとか。
北海道の距離感が本州のそれと異なるのも、「あるあるネタ」の一つだ。
だが、北海道の民自身も、北海道の距離感を真につかめているのだろうか。札幌市民は、夕張くらいまでしか距離感つかめていないんじゃないだろうか。
私がそうだった。中標津を舐めていた。釧路の北側くらいだと思ってた。違った。
中標津の街の宿に入る。温泉を楽しんで、旅の同行とお酒を飲んで。次の日は朝から行動だ。
街の中に堆肥の匂いが充満している。この時期は、畑に堆肥を播くのだ、と同行が言う。中標津はここいらではなかなか大きな街で、過疎化が進む北海道の田舎にあるのに、なぜか人口が増え続けている不思議な街だ。新古書店じゃない、真の意味での古本屋だってある。この辺りの中心都市なのだ。住宅も多く、一般車両も業務用のトラックも、往来が激しい。
中心部の役場があるところでさえ堆肥の匂いがする。近隣の広範な畑地で堆肥が沢山播かれているのだろう。私は田舎育ちなので全然気にならない。街の人は、この匂いをどう考えているんだろう。街を支える農産業の匂いだから否定するわけにはいかないだろう。むしろ名物と考えるだろうか。わからない。この街に住んで、この街から早く出たいと思っている中高生なんかは、唾棄すべき匂いと考えているのかも。
中標津の郊外に、佐伯農場という場所がある。名前の通り農場で牛とかを飼っているのだが、ここが面白いのは、農場の広大な敷地の中に、サイロや牛舎などの建物を利用した小さな美術館があるのだ。また、バックパッカーを泊める簡易的な宿泊施設がある。
「荒川版画美術館」には、郷土の版画家3名の作品が並ぶ。中央の建物の左右に、サイロの上部を改造した建物が2つ。不思議な空間だ。あとは、農機具倉庫を改造した「ギャラリー倉庫」には大型の美術作品が陳列される。その他、広い農場内には野外作品が点在する。
「ギャラリー倉庫」で作品を見て外に出ると、どこからか太鼓を叩くような音がしているのに気がついた。これも芸術の一環なのかと思ったら、同行によれば、この辺りには自衛隊の演習地があるのだと言う。砲撃演習などしているのだろう、とのこと。大地が広がるが、演習地は遠すぎてどこにあるかさっぱり解らなかった。
「荒川版画美術館」の「荒川」は人名ではない。農場を流れる小さな河川の名前が「荒川」なのだそうだ。開拓時代は雨が降ったら暴れたのだろう。
荒川は私有地である広い農場内を流れているから、そこはまったく護岸工事などされていない様子。私はこういう昔のままの(ように見える)河川が大好きだ。今、身近にある河川は、すべて護岸され、洪水の危険がないようにされている。だが昔はそうではなかっただろう。洪水のたびに激しく流路を変えるような、何度も枝分かれして本流に注ぐような、そんな暴慢なあり方が、河川の本来のあり方だっただろう。しかし人間の生活のために、21世紀では、というか昭和のはじめくらいから河川はかっちりしてしまった。
中標津の農場美術館にあるこの荒川は、河川本来の野生を、名前の通りまだ保持している。近くの公設道路まで流れたところで、しっかり護岸されてしまっているんだけどね。
とにかく、北海道は地元だけど、まだまだ知らないところがあるなぁと思う。
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