第3話 岐阜県揖斐郡揖斐川町 谷汲山華厳寺
一緒に仕事した人が大物で、岐阜県を旅したことがある。
夜遅く、暗い時期にタクシー的ななにかで宿に向かう。道路が真っすぐになり、参道に入ったことがわかる。まっすぐの坂道の両方に、お店が連なるのが夜道でも見てとれた。宿は参道の向こう、お寺の直前にあった。門前町のお店はかなりたくさんあるようだ。
宿は長閑な雰囲気。カメラのコレクションがあった気がする。気がする、というのもあまり覚えていない。実は夜の宴会が差し迫っており、ゆっくり館内を探索できなかったのだ。
宴会には10名程度の人が来ていた。今回の仕事に関連する方が多く、注いだり注がれたり。自然とたくさんのお酒を飲むことになる。たくさん飲んで、感覚が狭まるような酔い。いつもの通りだ。
宴会が終わった後、温泉を楽しんだ。お酒を飲み過ぎてあまり長湯が出来なかった。折角の旅館なのだから、お湯や部屋で、ちょっとのひと時でものんびり楽しみたかったのだ。けれど人付き合いを避けるわけにはいかなかった。
朝一人で早く起きて、周囲を探索することにした。頑張って起きる。11月頃だったと記憶している。持っている服装ではやや寒かった。まずはお寺を参詣する。門扉は解放されており、本堂に到ることができた。境内を歩く。放生池がある。種々のお堂がある。急な階段がある。苔が生えている。
本堂に到り礼拝する。満願堂というお堂にも。
本堂に到る参道の途中。右脇に、石垣に下支えされた四角い空間があった。そこには土と草と苔があるだけ。本来は、ここにも何かしらの建物があったのだろう。しかし今は失われている。ただ入口の狭い道路と、その先に四角い空間があるだけ。
古いお寺や神社にはこうした空閑地があることがある。京都の相国寺のが解りやすくて、三門(山門)は応仁の乱の際に焼失したあと再建されていない。だが、お寺の濠などの構造や、他の禅宗寺院の寺宇の様式から、ありありと山門の跡をうかがうことができる。
これがとても好きだ。
急峻な斜面に堂を建てるために、石垣を組んで平面地を造作する。そしてそこに施設を建造する。どれだけの労力があっただろうか。そして歴史のなかのどこかにおいて、火事なり騒乱なりで、建物が失われる。堅牢な石垣と、平面地が残る。
お寺の荘厳たる構造物から歴史を感じることも多いけれど、こういう「石垣の上に何もない空間」こそ、その寺社の歴史を感じる場所に他ならない。
おもわず空閑に足を踏み入れる。建物がないと何となく狭く感じる。何もない。何もないのだが、明らかにここにはかつて建物があり、人の営みがあったことだろう。
寺から降りて、門前のお店も探索する。旅館や土産屋、食堂があるようだ。800メートルくらい? 続いていたと思う。華厳寺にはどれだけの参拝客があるのか解らないが、お店がかなり多いように感じる。そして、営業を止めてしまったようなたたずまいのお店もある。売り物が無造作に、窓や扉の向こうのディスプレイに置かれる。朝早くて、どんな営みがあるのかはっきり解らなかったのが残念だ。
やがて出立する時間になって、りっぱなお部屋で朝食をとって、あわただしく宿を後にした。
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