ソルト・オン・シャリ
ymsn
ソルト・オン・シャリ
広大なプランテーションがオリンポス山の麓を緑に染めている。
スシサプライチェーンに不可欠な安価な火星のコメは、火星を実質的な経済的植民地とすることで成り立っている。
火星で生まれ育った移民には、太陽系の魚介類――たとえばエウロパ産高タンパク魚――を購入する財はない。
テラフォーミングされた火星の水は、大量のコメ生産と農業者の維持に費やされ、漁業資源を育てることはない。
少女は「一度でいいから寿司を食べてみたい」と言った。
少年は「任せて」と請け負った。
少女が目を丸くすると、少年は手の中にスメシを取り、やさしく圧力を加え、シャリを握る。
「ネタはどこ」
少年はシャリの上に塩を薄く塗り付ける。
「食べてみて」
それはソルト・オン・シャリ(火星でのコメの食べ方)であった。
誰もが知るごく普通の塩おにぎり。
「馬鹿にしてるわ」
少女はそう言いながらも小さな鼻をひくつかせる。どこか懐かしい匂いがする。
ゆっくりと口に運ぶ。
何の変哲もない塩とコメの単調な味がして、少女はまず落胆した。
だが咀嚼するうち、何かが舌に一瞬触れたかと思うと、爆発するように口中に広がる。
――潮と脂!
未知の、しかし郷愁を感じさせる強い味覚。
それは、遠い海の味を湛えていた。
大人になった少女は、ソルト・オン・シャリを握り、数年前に亡くなったパートナーの写真の前に置いた。
あの日から色々なことがあった。
隆起地層から採れる塩に、太古、海があった時代の生物由来の有機物が含まれていることが明らかになる。
北極冠氷での新鮮な生物片の発見。
火星人の遺跡、彼らの台所から見つかった寿司としか思えない食物。
それらはかつて銀河中をめぐる寿司流通圏が存在していたことを示唆していた。
彼女はめっきり広くなってしまったオフィス兼自宅のソファに寝そべり、明日の学会発表に備えて論文を読み返す。
少ししょっぱすぎたソルト・オン・シャリをゆっくりと噛みしめて、遠い日を思い描きながら。
ソルト・オン・シャリ ymsn @nyan_gau
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