109.アリシアの迷い
アリシアらの去り際、ヴェリディクトは急に彼女の目の前に回り込み、顔を近づける。
その行動にアリシアは内心仰天し、つい半歩後退る。ギリギリ表情には出さず、拳をギュッと握りしめる。
「なに?」声の震えと上ずりを押さえながら口にする。
「これからどこへ行くつもりかな?」と、教師の様な口ぶりで尋ねる。
「……あたし達の勝手でしょ。もうここにはいたくないの。放っておいてよ」アリシアは敵意の眼差しでヴェリディクトを睨む。
「なら、私からのお願いだ。ヴレイズ君の事は放っておいてあげてくれ。彼に手を差し伸べ、窮地を救ったのは知っている。正直、君の選択は賢く、礼を言いたい。が、これ以上の手だしは遠慮してくれ。あとは彼自身に委ねてくれないか?」
「……それはわかってる。あたしだって我慢してるんだから、わざわざ言わないでくれる?」アリシアは更に殺気の籠った眼差しで睨みつける。
「それはよかった。では、また会おう。君たちの活躍に期待しているよ」と、ヴェリディクトはアリシアの前から余裕の足取りで退く。
「ったく、なんなのよ……」と、口の中に気持ちの悪いモノを感じ取りながら唸る。
すると、今度は玉座のバハムントが重々しく口を開く。
「おい、お前は何をしにここへ戻ってきた。結局何も出来なかった様子だが」と、息子をあざけるような口ぶりをするバハムント。
「いいや、収穫はあったさ。あんたとお友達が魔王に手を貸したと言う証言。どんな力を貸したのか……奴が元々どんな奴だったのかとかな」と、ニヤリと笑うケビン。
「そう言えばお前も使えたのだな、血読術。我が血を読んだか……」
「それが今回の目的だった。あんたに死を贈るのは、魔王討伐が終わってからだ。楽しみにそこに座ってな」
その後、2人は城を後にし、急いで亡国エルデンニアを去る為、速足で荒れ地を歩んだ。この地は死臭と殺気に塗れているため、そしていつまでもバハムントとヴェリディクトの視線が纏わりついてきたため、一刻も早く離れたかった。
が、1日で抜けられるわけもなく、暗くなると2人は荒野でキャンプを始めた。
「ま、とりあえずオヤジの情報は手に入った。オヤジは、力を手に入れる前の魔王の血を舐めたみたいだから、そこから更に深く探っていけば……」
「それよりケビン、大丈夫なの? 今更だけどさ……滅茶苦茶にされてたじゃん?」と、彼のボロボロのコートやズボンを指さす。
彼はボロ雑巾の様にバハムントに引き千切られ、彼女の目からは死んだ風に映っていた。前もって彼からは『何をされても死なない』と聞いていたが、それでも彼女は驚かずにはいられなかった。
「あれより酷い目に遭った事があるから。今回のは中の上くらいかな?」鍋を温めながら口にする。
「それならいいけどさぁ……で、その魔王の情報はどのぐらい探れる?」
「20年以上前の記憶だし、あくまでオヤジが覗いただけの血の記憶だから曖昧だな。一番いいのは、魔王本人の血を舐める事だが、それは無理そうだし。ま、頑張ってみるさ」
「うん……あたしも使える様になった方がいいかな? その、血読術」
「……頑張れば出来ると思うが、アリシアさんには似合わないな」ケビンは複雑そうな笑みを覗かせながら鍋の中身をかき混ぜる。
「……便利そうな技なんだけどな……」と、少し頬を膨らませながら弓とナイフの手入れを始める。
淡々と食事の用意と得物の調整を済ませ、2人は黙々と食事を摂る。この地でも食事は、何を食べても不味く感じ、あっという間に済ませる。
「それにしても、ヴェリディクトのあのセリフ……」ケビンは寝袋を広げながら口にする。
「あたし達じゃ魔王には勝てない……勇者を育てろ……か……」と、口にして何かを考える様に表情を強張らせながら口を結ぶ。
実際、彼女自身も『魔王に勝てない』という自覚はしていた。シルベウスから試練として魔王の幻影と戦わせられ、見事に破れ、その壁の高さに驚愕した。旅の道中、どう勝つか考えを巡らせたがよい方法が浮かばなかった。
そして、今回のバハムントとの戦いでハイレベルの呪術の濃さを思い知り、自分の光魔法に自信を失いかけていた。
「……まだこれからだろ? ヴレイズやラスティー達と合流して、それからだろ? 考えるのはさ」彼女を励ます様に肩を優しく叩き、笑顔を見せる。
「……うん……」と、無理やり笑顔を作る。
その日、バハムントはヴェリディクトの調理したご馳走に舌鼓を打ち、真っ赤な液体の注がれたグラスを傾けていた。
「久々に退屈しない一日だった。お前が来る日は楽しいが、こんなにも心躍る日はなかった」と、鉄の香り漂うグラスを傾ける。
「まさかここであの娘に会えるとは驚きだった。中々に素晴らしい光使いに成長している様子で嬉しい。あの強さは、ククリス大聖堂の書庫で読んだ歴史書に記された英雄に匹敵するだろう。だが、それでも魔王には勝てんだろうな」と、ヴェリディクトはフレインからの酌を受け、ワインの香りを楽しむ。
そんな彼を見て、バハムントは眉を上げながら首を傾げた。
「お前は……あの魔王をどうしたいのだ? あの娘に倒させたいのか?」
「確かに、魔王の作ろうとする世界にも興味がある。が、私は完成された作品を見るよりも、作成中の姿、ドラマを眺めるのが好きでね」と、ワインの色を楽しみ、一口飲む。
「実にお前らしいな。では、共に楽しもう。この世界を」と、グラスを掲げる。
「そう言えばどうかな? お味は?」
「素晴らしい。不自然な苦みも無い。物語も、申し分ないな」
「それはよかった……ふふふ」と、ヴェリディクトはアリシアの体温から感じ取った心の影を脳裏に思い出し、ほくそ笑んだ。
同時刻、バルバロン国内魔王の居城の執務室で、魔王は頬杖を突きながら鼻くそを穿っていた。
その情けない姿を見た秘書長が脚を踏み鳴らし、手を叩く。
「魔王様!! 真面目に仕事をして下さい! 最近、全く手が進んでいませんよ!」と、母親の様な口ぶりをしてみせる。
「んぁあ……すまないな」と、書類に目をやるが、気が散るのか頭を掻き、結局判も押さずに書類束へ戻す。
「魔王様!!」
「いや、この前の書類が気になってな。世界の影が『エリック・ヴァンガードとその一味のコピーを作りっている』という報告があり、少し気になってな。ほら、数ヵ月前……エリックの気配と魔力を感じたと騒いだだろう?」
「えぇ。すっごくみっともなかったです。二度とあんな醜態は見せないでください」
「相変わらず厳しい意見だ……まぁ、感じたのはほんの数分だったから気の迷いか何かだと、自分では強引に片付けた。だが、この報告を見て……な」と、その報告書をファイルから取り出し、秘書長に見せる。
「どうなさるおつもりで? 早急に世界の影共を叩き潰しますか?」
「それも考えたが……今の俺様はどうしても欲しい人材がいてな……渡りに船だと思っていた所なのだ……が、俺様としても世界の影に頼るのもな……」
「そう言えば、例の計画には光使いが必要なんですよね。育成するにも教材や教師がおらず、中々進まないとか?」
「うぅむ……クラス4に匹敵する光使い。いないかなぁ~」と、悩ましそうに唸る。
「引き換え、デストロイヤーゴーレム計画の方は順調ですね」
「ウィルガルムが張り切っているからな。あとは各地で作らせたパーツを一カ所に纏め、組み立てるだけだそうだ。ま、それだけで1年はかかるらしいが」
「実に楽しみですね……魔王様。って、ほら誤魔化してないで仕事を進めて下さい!」と、秘書長は彼の背筋を無理やり伸ばす様に背を叩く。
「本当に厳しいなぁ君は……」
ところ戻ってアリシアとケビン。彼女は寝袋に包まり、暗雲色濃い空を眺めていた。この土地は常に分厚い曇り空に包まれ、太陽も星も月も輝かなかった。
ケビンは寝なくても問題ない体質の為、彼女の為に見張りの為に起きていた。
「ねぇ……魔王は本当に倒すべきだと思う?」
突然の彼女のこの言葉に、ケビンは目を丸くして驚いたが、自分の考えを掘り起こしながら一呼吸を置く。
「……そうだな。一応は世界統一を目指し、目的も世界平和らしいし……かつての覇王の時代の頃よりはマシな世界にしようと頑張ってはいるな。だが、やり方は間違っているな。国々を自分色に染め上げ、ゆるゆると滅ぼして土地を奪い……だが、世界はこうやって変動してきた。強者が弱者を食い、支配者が衰退すれば分裂する。それを考えると、ここで魔王を倒すと、また元通りの世界に逆戻り……って、アリシアさんはどんな世界を望むんだ?」
「そこなんだよね……あたしはただ、平和な世界を望んでいるだけなんだけど……でも、一番望んでいるのは、自分が良ければそれでいい狭く小さな世間なのかもしれない……それを考えると、魔王が描く世界の方が、ずっと世界の為になるのかもって……でも、分かってはいるんだよね……魔王の支配する世界、そのやり方」
すると、ケビンは彼女の頭に手を置き、優しく撫でる。
「揺らぐ時だってある。そんな時は、難しい事を考えず、仲間の事を想えばいいんだよ。そうすれば、少なくともその悩みは吹き飛ぶはずだ」
「……うん、そうだよね。うん……ありがとう、ケビン。この旅で貴方が一緒でよかったよ!」と、起き上り、彼に抱き付いた。
「こちらこそ。さ、早く寝て明日に備えよう。明日こそは、こんな辛気臭い土地から出て行くぜ!」
「うん!」と、アリシアは再び寝袋へ戻り目を閉じた。が、その表情はどことなく複雑さを隠しきれず、さりげなくその顔をケビンから隠した。
彼女らの魔王討伐の旅はまだまだ途中。
しかし、果たしてこの旅が魔王討伐で終わるのか? それは彼女次第である。
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