90.嵐の前

 治療が終わって半日経つと、ローズはゆっくりと目を開け、上体を起こす。全身に巻かれた包帯に手を当て、警戒する様に周囲を見回す。

「逃げようとは思わないでくださいね? ここはグレイスタン城のど真ん中です」と、薬を調合しながらエレンが口にする。

「……あんた、エレン・ライトテールね。くっあぁ!」と、思い出した様に前のめりになって脇腹の痛みに苦悶する。

「私の治療は時間がかかりますよ。その分、確実に完治しますけどね」と、ローズの額に指を置き、痛み止め魔法をかける。そこから手早くエレンは彼女の身体を水魔法で撫で、身体を確認する。

「噂通り、いい腕してるね。普通に魔法医として働けばいいのに」

「学校では鼻つまみ者扱い、街で真面目に店を開いても『治療が遅い』と文句が多くて……」と、やっと繋がり始めた肋骨を確認し、回復魔法で丁寧に撫でる。

「よくアタシなんか助けたね……」

「アリシアさんなら、そう言うと思いまして」手を水魔法で洗浄し、あっという間に乾かす。

「流石はあいつの仲間だ」と、呟くとエレンが頭を押して枕に押し付ける。

「ですから、安静にお願いします。上体を起こすのもダメです」

 ローズは自嘲気味に笑い、安心した様子でため息を吐く。

そんな彼女を尻目に、速筆でカルテに彼女の治療状況を書き加える。彼女の目から見ても、完治するにはあと2日を要した。

 そこへ、キャメロンに連れらててスワートとトレイが現れる。2人は一応不法侵入者の為、手錠で繋がれていたが不自由はしていなかった。

「お、生きてたか」考えるよりも先に口が出てしまうスワートの顔面に、花瓶が命中する。

「元気そうっすね」トレイは腰を引くくしながら、彼の代わりに頭を下げる。

「コラ! 怪我人を増やさない!!」エレンは足早に彼に歩み寄り、突き刺さった破片を取り除いてヒールウォーターで癒す。

「いちちちち……流石にまだダメか……」と、腕を押さえながら表情を歪ませる。

「当たり前でしょう!! 両手両足は粉砕骨折していたんですから!」

「それより、煙草吸ってもいい?」

「ダメに決まってるでしょうが!!」



 現在、ジェソンタ炭鉱は再びグレイスタン兵が入ったため、世界の影はアジトを失い、ムーンウッドの森の中へ身を隠していた。その中で、グロリアが悔し紛れに大木を殴りつけていた。

「くそ! 私が……!」あの時、彼女は別同隊に呼ばれて作戦会議に参加していた。このまま上手く運べば、ダーククリスタルが手に入ると報告した矢先の出来事の為、彼女は立場を失っていた。

 そんな彼女の背後に黒衣の男が立つ。殺気も気配も、人間らしい生気のない人形の様な男だった。

「木を殴ってもどうしようもないだろう。まぁ、ダーククリスタルは後でいい。肝心なのは、グレイスタン城の警備状況。式当日の人員配置、そして世界王の座る場所だ」

「そちらは任せろ」と、森の闇の中からブリザルドが現れる。グレイスタン城下町全体には風の共鳴器が設置されており、城内の状況は彼なら手に取る様に知る事が出来た。

「……裏切らないでよ? 元風の賢者さん」グロリアは目を鈍く光らせる。

「貴様らこそ、この私を簡単に顎で使えると思うなよ?」と、ブリザルドは黒いマントを翻し、闇へと溶ける。

「……で? ラズロフは?」彼女が言うのはローズを秒殺したジャレッドの分身、組織の作り上げた人造人間の事であった。

「あの男はいざという時……そう、邪魔が入った時の保険だ」

「……ローズを見つけたら知らせて。あの女は私が殺すから」グロリアは拳に雷光を纏わせ、血を滴らせた。

「我々の目的を忘れるな。もし、お前個人の目的が障害となれば……分かっているな?」

「えぇ……」彼女は荒んだ眼で同志を睨み、森の奥へと消えて行った。



 その日の夜、城内病室にひとりの影が現れる。その者は警備にも誰にも気づかれずに歩き、ローズの隣に立った。

 彼女はエレンの入眠魔法をかけられており、ぐっすりと眠っていた。

 が、影が座った瞬間に目をカッと開き、上体を起こそうと構える。

「おっと、動くな。先生が怒るぞ」影の正体はディメンズだった。

「あんたか……鼻先に来るまで気付かなかったよ」と、手の中に隠し持った花瓶の破片を床に捨てる。

「マーナミーナ以来か。意外と早い再開だな」と、どこからか酒瓶を取り出し、グラスに注ぐ。彼女は恨めしそうな目で強請ったが、彼は渋顔で首を振った。

「あんたは何しにここへ?」

「大人しくお前に言うと思うか?」と、一口啜って唸る。

「……当ててみようか?」と、ローズは世界の影の中にいたジャレッドの分身に付いて口にする。ディメンズもエリック・ヴァンガードの一番の相棒だった。

「珍しく当たりだ。東大陸の研究所はナイアが潰したが、この西大陸にある本部はまだ発見できていない。その場所を知りたいんだ」

「……何故連中はジャレッドの分身を作ったの?」ローズは彼のグラスを奪おうと手を動かしたが、ディメンズはグラスを遠ざけた。

「エリックや俺らは、かつての覇王討伐の仲間であり、覇王や世界中の王から実力を認められていた。で、俺らは世界の影からスカウトを受けたんだ。闇の為に働け、てな。その頃から連中は人口でコピー人間製造に取り掛かっていた。優秀な人材をコピーし、軍隊を作るってな」苦そうに思い出しながら、また一口飲む。

「人間のコピーか……どうやって?」

「それはナイアが色々とガルオニアの研究所で集めたが……お前には教えてやんねぇよ」ディメンズは意地悪そうに笑いながらグラスに酒を注ぐ。彼女の口元まで持っていくが、あと少しの所で自分が口を付け、美味そうに息を吐く。

「ケチぃ!」

「っと、俺の昔話をしてやったんだ。お前のも聞かせろよ」と、別のグラスにヒールアルコールと炭酸を注ぎ、手早く切ったレモンを絞り、淵に擦りつける。「ほらよ」

「……グロリア・ウォーターベルって元勇者の事は知ってる?」

「あぁ、今や世界の影に属しているな。お前の幼馴染だろ?」

「流石……そいつがこの国に来て、今回の事に絡んでいるわ……」と、レモンソーダを喉を鳴らして飲む。

「世界の影に属すなら、目的に忠実なはずだが、その女はお前を殺す事しか考えていないみたいだったな」と、知った風な口を利くディメンズ。

「どこまで知ってるのよ、あんた……」

「お前が救助された後、ムーンウッドの森を探索したら、隠れ家を失った連中が息巻いていたんでね。ちと、盗み聞きをね」あの救出作戦には、裏からディメンズも参加していた。

「そこまで知ってるなら、戴冠式前に連中を……」

「そこまで1人で出来ると自惚れちゃいないし、ラスティーの折角の策を台無しにするわけにもいかないからな」と、煙草を咥える。

「本当、隙の無いオヤジだこと……」

「てぇことで、お前もここで大人しくしてるんだな。あいつらなら悪い様にはしないだろうし、それに……」

「えぇ、待っていればいずれ連中から来る、ってね」と、ローズは腕に雷光を纏い、彼の懐から煙草のケースを奪い取る。が、中身は空っぽだった。

「残念、こいつが最後の一本だ」

「ケチぃ……」次の日の朝、ローズはエレンに酒を呑んだことがバレ、とことん絞られる事となった。



 次の日の朝、トコロ変わってグレーボン国。

 エディは久々に本部から馬でグレーボン首都のカジノへと向かった。ここの警備は全て、ラスティーら討魔団の預かりとなっており、厄介者やイカサマ客から店を守っていた。

 警備責任者はオスカーが勤め、接客や店の運営方針などにも口を出し、オーナーの様に振る舞っていた。彼の補佐はコルミが担当し、フロアマネージャーはマーゴットが務めた。

「よ、景気良さそうだな」エディは500ゼル分のチップを手にテーブルにつく。

「あら、司令官代理殿。忙しいのにこんな所で遊んでいいのかしら?」バニーガールコスチュームを楽しむマーゴットは胸の谷間をチラつかせながら口元を緩める。

「様子を見に来ただけだ。書類上では問題なくとも、現場でどうなっているのかわからないからな」と、ウェイターからカクテルを受け取り、一気に飲み干す。

「あら、あたしらを信用していないのかしら?」

「書類を作っているのがお前だからだよ」エディは目を座らせ、彼女の瞳を覗き込む。彼は彼女から裏切られて散々な目に遭った事があった。故に彼は、マーゴットの事を心底信用していなかった。

「それより、あたしの耳寄りな情報を聞く気はない? ここは情報が嫌と言うほど集まってくるからねぇ」

「報告義務があるだろうが。残らず書類に……」

「それはそれ、コレはコレってね? あたしだってお小遣い欲しいからねぇ?」と、マーゴットは眉を上げ下げして見せる。実際、彼女は裏で個人的に情報を転がし、小銭を稼いでいた。

「あまり火遊びをしていると、怖い目に遭うぞ? ……で、その情報ってなんだ?」

「気になっているんじゃない。聞きたい? ねぇ、聞きたい?」

「……ちっ」と、エディは懐から残りの500ゼルを取り出し、彼女の胸の谷間に挟む。

「思い出すわね、バルバロンにいた頃を」と、挟んだ紙幣を取り出し、小さく折り畳んで袖に隠す。

「で? 勿体ぶるなよ」

「……実は」と、彼にワザとらしく耳打ちする。話が進むうちにエディの表情は険しくなり、固まる。

「……それは本当か?」

「えぇ」

「それ、ウチに報告しなかったらお前……クビにするところだぞ?」

「だから、報告したじゃない。司令官代理殿」と、カクテルを上品に飲み干す。

「だぁからお前は……信用できないんだよ」エディは足腰をふらつかせながらテーブル席を後にし、頭を抱えながらカジノを出た。「反対派貴族共が強盗団残党共を雇ってウチに総攻撃を仕掛けるだぁ? ラスティーが不在で乗り切れるかぁ?」

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