89.ローズ救出

 その日の夜、キャメロンはひとりでグレイスタンの城下町を歩いていた。ポケットに手を突っ込み、無防備に町中をうろつき、未だ賑わう大通りの露店の様子を見る。

「お、美味そう」と、瓶詰の酒漬けオレンジを手に取る。

 その瞬間、背後に気配の無い何者かが立ち、素早く彼女の懐から封筒を抜き取る。その手技は風の様に素早く、キャメロンは蜘蛛の糸で撫でられた程度にしか感じなかった。

 その者は目当てのモノを素早く仕舞い、自然に雑多の中へと消えて行った。

 それに気付いてか、キャメロンは買い取った酒漬けオレンジをひとつまみ口に入れ、満足そうに唸った。

「上手くやれよぉ……少年」

 


 スワートとトレイは、人混みから遠ざかる男の背後をこっそりと尾行していた。

「あいつで間違いないな?」スワートは小声で確認する。

「間違いないっすね。キャメロンさんが合図したでしょう?」と、男に集中するスワート。因みにその合図とは、彼女が口に何かを入れた時であった。

 2人は気配を消し、10メートル間隔で男を追い掛けた。

男は尾行を警戒するような素振りを見せず、素直に城下町郊外へと向かい、そのまま荒野を歩く。

 それを見て二手に分かれ、スワートは闇魔法で影の中へと身を潜め、トレイは別方向から尾行を始める。

 すると男は周囲に誰もいない事を確認すると、凄まじいスピードで走り始める。まるで軍馬の様な足の速さで駆け、ムーンウッドの森へと向かう。

「やはり隠れ家はそこっすか」トレイも脚に魔力を纏い、彼の後を追う。

 スワートも影の中を土竜の様に進み、そのまま森の闇へと入り込む。

 しばらく2人は男の背中から目を離さずに集中した。

 が、次の瞬間に男は木の影から消え失せる。どこの影にも隠れておらず、木の葉一枚振る事も無かった。

「……おぅ? どこ行った?!」スワートは目を真ん丸にしながら影から現れ、上下左右を見回す。

「え、スワートも見失ったっすか?!」



 2人の尾行を撒いた男は森から抜け出し、荒野を高速で走っていた。彼は勿論、尾行に気付いており、2人の視線を読んで木の影から別の木へと瞬時に移動してあっという間に距離を開けたのであった。その術は死角歩法の中にある技であった。

「あの2人の内のひとりは闇使いスワートだったな……顔は覚えた」と、頬を緩めて真っ直ぐジェソンタ炭鉱へと急ぐ。

 城下町を出て3時間後、息つく間もなく奔り続け、男は汗ひとつ掻かずにジェソンタ炭鉱へ辿り着く。


「やっぱりここかぁ! あたしの勘に狂いはなかったか」


 男の背後からキャメロンの声が響く。彼女は酒漬けオレンジの最後のひとつを頬張り、上機嫌に鼻歌を口ずさむ。

「なんだ、貴様!」不意を突かれ、男は戦闘態勢をとった。

「何だはこっちのセリフだよ。人の胸倉弄っておいてさぁ」

「この私を尾行したのか?」

「先のアレは囮だよ。本人らは気付いてないだろうけどね」と、得意げに口にするキャメロン。

「成る程……なら、死ぬ覚悟をして来た、という事だな?」男は両指にブレードを光らせ、目を鋭く尖らせる。

「まぁね」と、空になった瓶を男の顔面に向かって投げる。男はそれを砕きながら前進する。彼は眼術使いであるため、彼女の視界を操ろうと瞳を光らせた。

 ダンスの様に舞うブレードフィンガーは彼女の動脈を狙ったが、一瞬で彼の指は焼かれ、指が残らず消し飛ぶ。

「な!」狼狽しながらも次の攻撃に転じる。男は回し蹴りを放ったが、太腿が一瞬で焼き潰される。「ぎゃあぁ!!」

「あんたらの常套手段は予習復習済みなのよね」と、余裕な足取りで近づき、彼の懐から封筒を奪い返す。

「くっ……貴様の様な奴に」と、悔し気に歯ぎしりをしながら、奥歯の仕込みを噛み砕いて自決する。

「貴様の様な? あたしの事知らないでしょ? じゃ、お邪魔しますよ」と、キャメロンはズイズイと炭鉱内部へと脚を進めた。



 キャメロンは遠慮なく鉄扉を火炎魔法で吹き飛ばし、中にいるモノを次々と打倒していく。3人の黒ずくめを衝撃波で壁に叩き付けて気絶させる。その中にグロリアはいなかった。

「こいつらのアジトなのは正解だね。で……ローズはいるかな?」と、暗い部屋の中を火の明かりを頼りに探す。

「……ありゃりゃ……鼻かんだ後のちり紙みたいになっちゃったねぇ」と、部屋奥で転がる彼女を見つけ、しゃがみ込む。

 ローズは手足を砕かれ血みどろになり、虫の息だった。脇腹からは砕けた肋骨が顔を出し、不規則な呼吸を繰り返す。その度に彼女は血の泡を吐いて呻いた。

「ま、4年前のあたしよりはマシかな? あん時は……思い出したくもない」と、キャメロンは一旦炭鉱の外へ出て、夜空に火炎弾を放つ。

 すると、外に待機させていた馬車が姿を現す。彼女は個人的に頼んでおいたグレイスタンの兵に今回の事を説明し、協力させていた。

 早速彼らは用意していた担架やヒールウォーターでその場で応急処置を施す。

 その間にキャメロンは世界の影の持ち物やその場にあった書類を回収する。

「……ぐ……ぁ……お、まえは……」ローズは霞む片目でキャメロンの顔を見る。

「こっぴどくやられたね。続きはウチの優秀な魔法医に任せるよ。この程度の怪我なら傷ひとつ残さず治してくれるよ」と、ローズの潰れた手を指さす。

「くっ……ぅ……」相当体力を失ったのか、そのまま彼女は気を失ってしまう。

「ま、エレンなら余裕でしょ」と、彼女はグレイスタン兵に指示を与え、ローズを丁重に乗せ、そのまま城下町へ馬車を走らせる。

 馬車の後部座席には、ムーンウッドの森で撒かれたスワートとトレイが不貞腐れていた。

「俺たちは最初から囮だったわけね……けっ」面白くなさそうにスワートが漏らす。

「まぁ、幽霊みたいな得体の知れないヤツだったし、仕方ないっすよぉ」トレイはため息を吐きながら夜空を見上げてため息を吐く。

「ま、あんたらみたいなガキには丁度いい仕事だったよ。ご苦労さん」キャメロンはカラカラ笑い、彼らの頭を軽く叩いた。

「ったく……喧しいババァだ」と、スワートが呟いた瞬間、彼女は彼を馬車から蹴りだした。彼は勢いよく転がりって泥に塗れる。

「なにすんだこの野郎ぅぅぅ!!!」

「少しは学べよ、バカ……」呆れてトレイは首を振った。



 グレイスタン城に到着したのはそれからまた3時間後の明け方だった。ローズを城内診療室へと運び込む。既にそこには起床して医務室内の道具をチェックしていたエレンがおり、きょとんとして彼女らを見た。

「え、急患?」と、慣れた様に水魔法で手を包み、運び込まれたローズの身体に触れる。

「流石先生! 行動が早いねぇ」と、感心した様に口笛を吹くキャメロン。

 実際、エレンは本部では寝る間もない程に仕事に熱中している為、彼女にとっては自然な行動であった。

「酷いわね……事故に寄るものではない……ん? この人!?」と、ローズの事に気付き、半歩だけ後退る。

 エレンはローズの事は2年ほど前に一瞬だけ見た程度であったが、アリシアを治療した際に彼女の体内水分を読み取り、ローズの事はある程度知っていた。

「こいつ……」エレンにとってはアリシアの寿命を削り取って拷問した憎き仇であった。

 エレンの目の色が変わった事に気が付き、顔を覗き込むキャメロン。

「先生? どうしました?」

「こいつは……!」っと、エレンはローズが過去にやった事を手短に伝え、奥歯を強く噛みしめた。

「あぁ……そうなの……でも、結構重要な情報を握っているみたいだし、自殺癖もないみたいだからさ、せめて話せるくらいにだけ治療してくれないかな? まぁ、どうしても嫌なら城内の魔法医に」

「いいえ! 私が完璧に治しますとも! 後悔させるのはそれからです!!」と、エレンは両手に水魔法を込め、治療を始めた。

「流石、ウチの裏の司令官」エレンはラスティーの相談役としても活躍していた為、回りからは『裏の司令官』と呼ばれていた。

「邪魔だから出て行ってください!」



 魔法治療は3時間にも及び、その頃には城内は朝食の時間となっていた。エレンはヘトヘトになって診療室のソファに座り込む。いつもは片腕片足、腹や背の切り傷、打撲などであったが、今回は全身余すところなく重症であったため、久々に技の全てを尽くした。

「どう?」キャメロンは淹れたてのコーヒーを彼女に渡す。

「全治2日でしょうか? 粉砕骨折が多く、内臓も破裂していましたし……まぁ、あの人なら大丈夫でしょう」

「いや、仇敵を治療した先生が心配なんだけど……複雑でしょ?」と、自分のコーヒーを一口啜る。

「……不思議とアリシアさんは拷問された事に対しては気にしていなくて……それに、彼女の水分から頭を覗きましたが、あの人の中にも色々と複雑な事情がある様子で。悪人じゃありません」と、目を瞑りながらコーヒーを飲む。

「そうなんだ……大人だねぇ、先生は」

「そうでしょうか? 貴女は大丈夫なんですか? 一昨日から一睡もしていないんじゃないですか?」と、キャメロンの健康状態を心配する。

「あぁ、平気平気。1週間もロクに寝ずに見張りに立ったり戦ったりした事あるし」

「貴女も、大変な目に遭ったみたいですね……どうです? 話を聞きますよ?」と、キャメロンのコーヒーにヒールウォーターの雫を一粒垂らす。

「ありがとう。でも、それはまたの機会にでも」と、彼女は一気に飲み干し、診療室から出て行った。

「強い人ですねぇ……」

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