78.立ち去るという選択

 アリシアは淹れた茶を冷まし、ゆっくりとヴレイズの口へと、咳き込まない様に少しずつ慎重に流し込む。この茶には抗鬱効果があり、飲む者の心を落ち着かせた。

 彼女はヴレイズの看病に集中し、頭に手を置き、光魔法で彼の心の容態を探る。

 ケビンは彼女のサポートの為に、いつでも治療道具や薬剤を使えるように用意していた。

 ヴァークはそんな2人を、腕を組みながら観察していた。

「飲むか?」ケビンが彼の目の前に茶を差し出す。

「頂こう」と、湯呑を受け取り、湯気と香りを嗅ぐ。

 すると、彼は何かに気が付いたのか眉を顰め、湯呑をケビンに返す。

「気に入らなかったか?」

「光の雫が入っているだろう。俺には合わない」

「あ、ごめん。貴方は闇使いだったね。はい」と、彼女は手早く光の雫を配合していない茶を用意し、彼に手渡す。

「そこまで気を使って貰わなくてもいいんだが……」

「いえいえ、あたしらも聞きたい事があるからね」と、ヴレイズの額に湯で温めた濡れタオルを乗せる。

「いいだろう」と、茶を一口飲み、気に入ったように唸る。



 その後、ヴレイズの容態が落ち着き、3人は別の部屋で卓を囲む。

 アリシアはヴァークにいくつか質問し、彼はそれらに対して滑らかに答える。自分自身の正体はわからず、ほんの数ヵ月間だけ黒勇隊の隊長を務め、『熱』についての探求の為、そして魔王を倒す為の旅をしていると言った。

「戦いの中の熱、か……わかるなぁ~ でも、曖昧なモノだよな」ケビンは理解した様に頷く。

「あたし達が出会ったもうひとりの闇使いは、正真正銘、魔王の息子だった……貴方も同じ匂いがする。けど、何かが違う……」

「その違いのせいで、俺は熱を持たないのかもしれない……いや、『あの時の戦い』は熱を感じたんだ……僅かだが」

「その戦いって?」アリシアは茶を啜りながら問う。

「ここから東のガルオニア国の東海岸沿いにある廃城で……そう言えば貴女はそこで出会った女性によく似ているな、いや……あの戦った男とも雰囲気が……」と、何かを思い出したのか目を細めて彼女の顔をマジマジと眺める。

「ん……? もしかしてその人、ナイアって名前だった?」

「あぁ……ナイア・エヴァーブルー。バルバロン国内では一番高額な賞金首だ。勧誘されたが断らせてもらった」

「勧誘ねぇ……なんか変な格好じゃなかった? ふしだらじゃなかった?」アリシアは自分の母の安否よりも、別のモノが気になり、真顔で問う。

「フシダラ? ……いいや」彼女の質問が理解できない様に口にするヴァーク。

「ならいいや。あたしの母さんなんだよね……無事、恥を曝してなきゃいいや」アリシアは心労をため息に変えて吐き出し、茶を啜る。

「で、アリシアさん。ヴレイズはどうなんだ? 大丈夫なのか?」と、隣の部屋へ顔を向ける。

「大丈夫ではないかな。かなり難しいところだよ。と、言っても技術的な話ではない、かな……」

「どういう意味だ?」ケビンは首を傾げ、ヴァークも興味ありげに前のめりになる。

「彼の傷は心と連動しているって説明したよね? そこに様々な事情が絡み合って、簡単には治せないんだよね……」難しそうな表情で頭を掻くアリシア。

「事情?」

「……本当はあたしの光魔法で呪いを解いて、傷を治す事は出来るんだけど……それは彼の為にはならないって事。これはヴレイズの試練なんだよ」

「試練……」

「ここであたしがヴレイズを助けても、意味が無いの。いえ、もっと事態は深刻化すると思う。多分、あたしは今、ヴレイズにとって一番助けて欲しくない相手なの……」

「どういう意味なんだ? アリシアさんはヴレイズの頭の中を読んでいるからわかるのか?」ケビンは彼女の言う事が理解できないのか、表情を歪めながら問う。

「うん……」



 ヴレイズは今迄、己の腕を磨くために旅をしてきた。が、一番の目的は心を鍛える事であった。

 ウィルガルムとの戦いで仲間を失いかけ、自分の力の無さに歯噛みした故に、彼はラスティー達との旅を拒み、修行の旅を進んだのだった。

 次こそは仲間を守り、誰も死なせず、たとえ窮地に追い詰められても的確な判断が出来る程の精神力を持つために今迄旅をしてきたのだった。

 しかし、フレインを奪われた事により再び彼の心はへし折れ、立てない程のショックを受けていた。

 そんな今の自分を彼は心底情けなく思い、もう立つことを諦めていた。そんな今の彼をアリシアにだけは見られたくないと思っていた。

 もし今回助かっても、アリシアが目の前にいたら、更に助けた相手が彼女だったら、もう二度と立ち上がれない程に心がへし折れる事になるのは明白であった。

 彼女はそこまで彼の心中を汲み取り、心底悩んでいた。



「で、このまま放っておくのか? 生きていれば何とかなるっていうのがアリシアさんじゃないのか?」ケビンは腕を組みながら彼女の瞳を見る。

「放っては置かないよ……以前もこんな状況になったっけ……その時は無力だったけど、今回は助けるよ」

「でも、どうやって?」

「お腹の傷じゃなくて、心の傷を癒すの。ちょっと難しいけど、あたしなら出来る。で、彼が目を覚ます前に立ち去る……」少し寂しそうに口にし、ため息を小さく吐く。

「君がそれでいいって言うなら……」ケビンも残念そうに口にする。

「……そこまでヴレイズの事を考えているのか……仲間以上の関係なんだな」ヴァークは羨ましそうに言い、微笑を浮かべる。

「大丈夫、貴方にもできるよ。そんな仲間が」アリシアは腰を上げ、ヴレイズのいる部屋のドアを開けた。



 その後、彼女はヴレイズの頭に触れ、光魔法を通じて彼の心の傷を癒そうと『正のイメージ』を軽く流し込む。

 するとそれは心中に仕込まれた呪いに弾かれ、心には届かなかった。

 今の彼の心は『負の思い』で満たされ、窒息していた。更にへし折れ、凸凹になっていた。

彼の精神は更に呪いで縛られ、負の連鎖が起きる様に仕向けられていた。

「今のヴレイズじゃ、これは解けないな……」と、光の解呪魔法で心を蝕んでいた呪いを打ち消す。

 再び『正のイメージ』を流し込む。それは自分ら仲間たちとの思い出だった。

「ケビン、ちょっと手伝って」と、彼に手をヴレイズの額に乗せる様に言う。「貴方の思い出も貸して」

「おう、もちろんだ」

「……貴方も、協力できる?」と、ヴァークにも頼む。

「俺でいいのか? 半日程度しか関わりは……」

「それも思い出に違いはない筈。いいから」と、アリシアは彼の手を取り、額に乗せる。

 それから彼らは、しばらくヴレイズの心に思い出を送り込む。いい出来事も悪い出来事も薬になるとアリシアは言い、仕上げに彼の身体を光で包み込む。

 アリシアの治療が効いたのか、険しかった表情が緩み、安堵した様な寝息を立てはじめる。

「これでよし……あとは、ヴレイズ次第だね」と、彼の傷の具合を診る。先ほどはどす黒く治りようのない風な傷だったが、今は普通の腹部の刺し傷になっていた。

「この傷も治したいところだが、アリシアさんが言うなら仕方ないな」と、ケビンがため息交じりに口にする。

「さ、行こうか。ヴレイズが目覚める前にね」アリシアは手早く荷物を纏め、鞄を背負う。

「どこへ向かっているんだ?」と、ヴァークが尋ねる。

「亡国のエルデンニアだ。そこで少し野暮用をね……」ケビンは重々しく口にしながら腰を上げる。

「ヴレイズをお願いできる?」アリシアはヴァークに手を合わせてお願いし、頭を下げる。

「あぁ……見届けるよ」と、ヴレイズの寝顔を伺い、また羨ましそうな表情を覗かせる。

「じゃあ、またね」と、2人は日が落ちる前に村を後にした。

 


 それから3日後、ヴレイズはゆっくりと目を開けて上体を起こす。腹の傷の事を忘れていたのか、咄嗟に傷を押さえて呻く。

「……なんだ……? 俺、死んでなかったのか……?」霞む目で自分の手を眺め、辛そうにため息を吐く。

 しばらくするとヴァークが影からヌッと現れる。

「やっと起きたか……」

「お前が看病してくれたのか?」

「まぁな」

「……ん……この匂い……アリシア? いや、まさかな……」と、ゆっくりと枕に頭を預け、天井を眺める。

「……どうした?」

「なんだか不思議な気分だ……まるで、今ここにいる筈の無い仲間に助けられた様な気分なんだ……もう二度と甘えないって誓ったのに……情けないな」

「それがこの2日間の感想か?」

「いや……絶対に死ぬもんかよ! まずはこの傷を何とかしなきゃな!」と、包帯を取って腹の傷の具合を診始める。

「……名医だな、彼女は」改めて感心する様に零すヴァーク。

「なんか言ったか?」

「いいや、なんでもない」


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