46.闇からの生還

 光のヒールウォーターを飲ませてからおよそ20分経過する。爪が剥ける程に床を引っ掻き、噛んだ布を千切る勢いで悶え苦しんだが、ようやく落ち着いたのか、リサの身体から力が抜ける。

「よ、ようやく……」安心したのか表情に笑みを浮かべるエル。

 そこで、ナイアが素早く傍らに座り、リサの脈を確認する。


「……こりゃダメかもね」


 エルの期待とは裏腹の言葉を呟く。

「な、何故? だって……」と、彼女の心音を確認し、表情を強張らせる。リサの心臓はまるで失速した様に弱々しく鼓動していた。瞳孔を確認すると目は益々黄色味を帯び、皮膚の斑点も濃くなっていた。

「彼女もこのまま闇に呑まれる……か」と、ナイアはエルの装備を勝手に掻きまわし、ナイフを取り出し、彼に手渡す。

「どういう意味です?」

「諦める気なら、このままトドメを刺してあげるのが彼女の為よ」

 すると、エルは激昂した様にナイフを投げ捨て、立ち上がる。


「諦めませんよ!! まだ、出来る事がある筈です!!」


 エルは再び書類に手を伸ばし、彼女を助ける手がかりを探し始める。

 それを見てナイアはため息を吐き、彼の肩を叩いた。

「じゃあ、貴方に出来る事を教えてあげるわ」

「邪魔をしないでください!!」

「いいから聞きなさい!! いい? 彼女の手を握って強く念じなさ。強く、つよ~くね! 出来れば貴方の魔力を流し込んで上げるといいかもね」と、彼の両手を取り、彼女の手を握らせる。

「これにどんな意味が?」首を傾げるが、ナイアの真剣な眼差しを見て、納得した様に頷く。

「効果はあると思うわ。私も昔、こんな時に……いや、今はいいか。とにかく、念じなさい。彼女が諦めていなければ、通じるから」と、彼の背中を優しく撫で、リサの様子を伺った。



 リサは肉体と魂を切り離され、ねっとりとした闇の中に沈んでいた。冷たく粘り気のある闇が隙間に入り込み、彼女の呼吸を奪う。両手両足は鉛が詰まったように重く、ただ闇の中を漂う。容赦の無い冷たさが生を諦めさせ、リサは凄まじい眠気に襲われた。何も見えず、冷たさしか感じず、最後に『諦め』が襲い掛かる。

 何のために生きるのか、何のために戦うのか。彼女自身の思考は闇で塗りつぶされていく。

「……このまま……眠ろう」リサは全てを諦め、力を抜く。

 すると、遠くの方で何かがチラリと火花の様に光り、徐々に近づいて来る。その光はどんどんと大きくなり、少しずつ形作られていく。

「なに?」リサは閉じそうになった瞼をゆっくりと開き、光に集中する。

 その光はやがて人の形となって手の届きそうなところまで近づき、ゆっくりと手を伸ばす。

「あ……あたたかい、な……」

 リサは重たくなった手をゆっくりと動かし、光へと手を伸ばす。

 すると、光は彼女の手を力強く掴み、ぐいっと引っ張った。



「うっぷぁあ!!!」まるで水から引き揚げられたような声を出しながら目を覚ますリサ。喉の奥からヘドロの様な闇の飛沫の残りを吐き出し、激しく咳き込む。黄色味を帯びた目は徐々に元の蒼い色へ戻り、肌の斑点は薄まって徐々に消えていく。

「リサさん! あぁ!! ぁあぁ!!!」エルは言葉を失い、半分混乱しながらも彼女を介抱した。

「おぉ、目が覚めた」ナイアは感心した様に唸り、彼女の様子を伺う。

「ちょっ! ちょ、ゲホッ!! な、何が?! ぶほっ!!」リサは喉に詰まった違和感を吐ききり、大きく深呼吸する。

「よかった! 本当に助かった! ナイアンさんのお陰です!」と、エルは黒く汚れた手でナイアの手を握る。

「うわっ!! 汚い汚い触るな触るな!!」

「な……ナイア? ナイア・エヴァーブルー?!!」黒勇隊副隊長であるためか、聞き逃さずに反応するリサ。

「チガイマス!!」ナイアは全力で否定し、笑いながらその場をごまかした。



 その頃、フィルは地下研究所への別の出入り口を見つけ出し、潜入していた。注意深く周囲を探索し、呪術罠がないか警戒する。

「外のデータはあんなもんで……そろそろこちらもね」

 彼は既にこの研究所の存在を知っていたのか、何を見ても驚かずに進む。瓶詰になった魔物の臓器や、標本になった現地人の実験体。綺麗な手術台に乗せられたダークグール。趣味の悪いモノのオンパレードであったが、彼は全く怖気ることなくズイズイと進んでいき、やがてとある部屋に辿り着く。

 そこは狭く、一般人なら決してお目にかかることの無い機械類が所狭しと並んでいた。その中央には冷たい鉄製の拷問椅子が置かれ、そこに何者かが座っていた。

 両手両足を高速され、頭はヘルメットで固定されていた。

「こいつがメインか」フィルは魔道写し絵装置を取り出し、眼前の椅子を記録に残す。更に風魔法式記憶装置を取り出し、風にその場のデータを記憶させる。

彼はこれらの道具を使って今迄の出来事を記録していた。

「しかし、コイツが本当に? ヴァイリー博士の言う事も100パーは信用できないからなぁ~」と、不用意に椅子に近づき、椅子に座る者を小突く。

 すると、椅子に座った者は小さく呻き、首を動かした。

「ぅわ! びっくりさせんなよ……さて、そろそろ」


「この私をお探しかな?」


 いつの間にかフィルの背後に研究所の主である黒衣の男が現れる。

「あんたがヴァイリー博士のライバル、アドラル博士っすか」驚かずに振り向き、不敵な笑みを向ける。

「お前は黒勇隊諜報部、ボーンの使いか」

「流石、耳が早いっすね~ こんな環境でそんな情報を得られるって事は……やっぱり俺も実験の一部って事っすかね?」冷静に分析し、フィルは乾いた笑いを漏らした。

「その通り。コレは私とヴァイリーの勝負なのだ。そして、お前は……我が最高傑作の準備運動に使わせて貰おう」

「そう言うの、マジで頭来るんだよなぁ~ ま、俺は命じられた事をやるだけっすけどね」フィルは手に魔力を込めて炎を灯す。

 彼はこう見えて、気軽に熱線を打てるだけの実力を持った炎使いであった。眼前の無防備な男ぐらい、秒殺する自信があった。

「この状況で、まだ余裕でいられるかな?」フィルはアドラルの鼻先まで炎の灯った指を向け、いつでも熱線で貫けるように魔力を込める。

「言った筈だろう? これは私とヴァイリーの勝負だ。駒は大人しく駒らしく……」アドラルが口にした瞬間、フィルの指先から灼熱が轟と噴き出る。

 が、彼の熱線は明後日の方へと飛んでいた。フィルの胸は背後で拷問椅子に座っていた男の手刀に貫かれていた。

「な、な……に……?」フィルは血の塊を吐き散らし、力なくその場に倒れた。

 男は手を勢いよく振って血を拭い、再び拷問椅子に座り直した。

「準備運動にもならなかったな。ヴァイリーも何故こんな男を寄越したのだ?」と、アドラルは椅子の隣についたスイッチを押して装置を再起動した。

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