9.迷えるアリシア
その日の夜、アリシア達はもう一晩だけこの宿に泊まる事にした。トレイは闇に当てられて消耗し、アリシアも疲れてソファでぐったりとしていた。
「あの、アリアン、さん」騒動から数時間してやっと目覚めたスワートが彼女の前に立つ。
「本名はアリシア、だよ。昨日言ったのは偽名だったんだ。ごめんね」
「……その、ありがとうございました……俺の中の、ぐっ……」体内に巣喰っていた魔王の影はアリシアの手により浄化され、彼はやっと自分を取り戻していた。
実際、彼は生まれてからずっと魔王の影に操られ、殆ど自分の人生を生きていなかった。そんな忌まわしい影がやっと晴れ、彼は今まで感じたことの無い清々しさに感動していた。
アリシアは彼の心中を察して優しく微笑み、彼の横顔をそっと撫でた。
「これからは思う存分、自分のやりたい事をやればいいよ! うん!」
スワートは目を潤ませ、目をゴシゴシと擦り、初めて素直な笑みを覗かせた。
「なんか不思議だな……バルバロンから逃がしてくれたナイアさんって人にそっくりだ……」スワートはアリシアの顔を覗き込み、不思議そうに唸る。
「その人、あたしの母さんなんだよね……なんかエッチな事されなかった? 正直に言ってごらん?」驚くスワートの目を覗き込み、複雑そうに口を歪めるアリシア。
「そうなんですか……いや、そんな、あの人は俺達の為に命をかけて……へへっ」何か思い出したのか、口元を緩めてにやける。
「……その顔……ったくぅ~ 我が親ながら恥ずかしいというかなんというか……」
「いや、そんな変な事をされたとかエロい事をされたわけじゃなく、ただ……」
「ただ?」
「着ていた衣装が大胆だったってだけで」
「どんな服?」と、アリシアが問うとスワートは少々恥ずかしそうに小声で呟いた。「はぁ?! バニーガールの衣装?!」
村の酒場で昨晩の様にケビンはローズの向かい側の椅子に座り、カードを軽やかな手つきで切る。2人の隣にはこの店で一番強い酒の瓶が数本置かれ、ショットグラスが山の様に置かれ、回りには見物人が殺到していた。
「ルールは簡単、ゲームの始まりに一杯、終わりにもう一杯。ベット時にその額に合わせてグラスに注ぎ、負けた方が注がれた分を全部飲み干す」ケビンは切り終えたカードを卓の中央に置く。
「オーケーで、最終的な勝ち負けで差し出す品物は?」
「君は、昨晩の賭けで俺の剣を勝ち取ったな? それを返して欲しい」と、己の背に収まっていた大剣をひょいと持ち上げ、ローズの隣に置く。
「成る程。で、あたしが勝ったら……あんたを貰うわ。アタシの靴磨きとしてついて来てもらう」と、ギャラリーの中からディーラーを選び、その者にカードを配らせる。
「負けっぱなしは性に合わなくてね」配られたカードを手にし、手札をチラリと見て伏せる。
「アタシもそうだよ。今夜もあんたに勝って……くふふふふ」ローズは不気味に笑いながら手札を眺め、右目を泳がせる。
「何を企んでいるんだ?」
「あんたを奪えば、アリシアが黙ってないでしょ? で、取り返したければ、って話になって、あいつにもこのバカみたいなルールのゲームに付き合わせるの。あいつは酒には弱そうだし、この手を使えば今度こそ、あいつに勝てるってね! あわよくば、旅の奴隷としてアリシアにも来てもらおうかしら~」ローズは肩を揺らして笑い、カードを伏せる。
「成る程、今夜は負けるわけにはいかないみたいだな」ケビンは肩を鳴らし、ローズの自信に満ち溢れた目を睨んだ。
「では、開始!」火ぶたが切って落とされ、それと同時に2人はグラスを手に取り、中身を一気に飲み干した。
朝日がほんのり顔を出す頃。ケビンは満足げに鼻歌を歌いながら宿へ戻っていた。アリシアのいる部屋では、昨日同様スワートとトレイが仲良く眠り、アリシアは旅支度を済ませて茶を淹れていた。
「おかえり~ どう? 朝の一杯」と、湯呑を差し出す。
「ありがとう」
「機嫌がよさそうだけど、良い事があったの?」
「己の自由を勝ち取ってきた。中々にいい気分だ」昨日とは違い、満ち足りた顔で茶を啜り、ほっと溜息を吐く。
彼とは変わり、アリシアは少し浮かない表情を浮かべ、窓の外の朝日を眺める。
「どうかしたのか? なんか、悩み……いや、悩みは腐る程あるな。だが、新しい悩みを抱えたと見える」と、呑気に眠る青年2人に一瞥をくれる。「こいつらが原因か?」
「話せば長いんだけど……」
アリシアは昨日の魔王の影との邂逅で己の中に孕んでいた悩みを掻き乱されていた。シルベウスの元で光魔法の勉強の他に世界史も学んでいた。その内容は世界に散らばった教科書や歴史書とは違い、全て包み隠されていない容赦の無い真実のみが書き綴られており、彼女は世界に不信感を抱いていた。
この世界は救うに値するのか。魔王のやっている事が本当に世界平和の為なのなら、それを阻止しない方がより良い世界になるのではないか、と悩んだ。そして、自分の戦い、仲間たちとの魔王討伐の旅の理由を深く考え、また悩み苦しんでいた。
この世にはやはり、支配者が必要なのではないか?
アリシアは魔王、それ以前の覇王が現れる200年以上前の世界史を目にし、唖然とした。世界中が殺し合い、領土を奪い合い、日常的に国や村が滅んでは新しく生まれ、また滅ぶ。これを繰り返して今のこの世界があるのであった。
覇王が現れ、世界から『戦争』という手段を取り上げ、覇王の監視の元に条件付きの戦争を許された200年間は比較的に平和だったが、それでも内戦は何処の国も絶えず、更に野盗やならず者たちの集団は後を絶たず、必ずしも『平和』ではなかった。覇王は戦争を取り締まってはいたが、ただそれだけであった。
これを考えれば、魔王はまだ覇王よりも上手く世界を平和にしようと確固たる目標を持って活動していた。
「あたし達の戦いは、間違っているのかな……ってさ」アリシアはここに来て初めて、疲れ切った表情を覗かせ、深い溜息を吐いた。
ケビンは黙って茶を啜り、湯呑を机に置く。
「俺は、数百年以上この世界を彷徨ってるが……正直、この世界全体が平和になる事はあり得ないと思うぞ。魔王が世界を完全統治しようが、魔王出現以前の世界だろうが、結局はどこかで理不尽な悲劇が起こる。何故なら、生き物がいるからな。生き物には、ひとりひとりに個性があり、100いれば100、1000いれば1000の個性が存在する。その全てが平和を望んでいるかって言うと、そうじゃないだろ?」
「何が言いたいの?」
「つまり、もっとシンプルでいいんだよ。難しい事を考えすぎると、自分の大切にしている思想が濁り、やがてそれが呪いとなってへばり付き、別人に成り果てる。アリシアさんには、そうはなって欲しくないなぁ、俺は」
「呪い……」
「そう。俺のオヤジは、そうやって吸血鬼に成り、魔人へと成り果てた。そうなる以前は仁君で名が通っていたのによぉ」ケビンは父親の事を脳裏に思い浮かべ、ふっとため息を吐いた。
「……考えすぎ、かぁ……」
「そう。魔王は悪いヤツの親玉。だから倒す! それでいいじゃないか。な?」と、ケビンはアリシアの茶を淹れ直し、手渡す。
彼女はそれをゆっくりと喉を鳴らして飲み下し、ほっと息を吐く。
「うん。あまり難しく考えるのは自分らしくない、かな? こういう事はラスティーが考えてそうだし、あたしは……自分の出来る事をやるよ!」
「それでこそアリシアさんだ! で、いつ出発する?」
「そうだなぁ~」と、窓の外を眺めると、真下に殺気を感じ取りそこへ目を向ける。
そこにドロドロに酔っぱらったローズが壁に枝垂れかかっていた。
「アァァリィィシィィアァァァ……」と、壁に登ろうとする猫の様に爪でガリガリと音を立てる。
「なに?」眉を顰め、首を傾げる。
「お前は卑怯だぞぉぉぉ! アタシより数段強くなりやがってぇぇぇ……今度はアタシのルールで勝負しろぉぉぉぉぉ!」
「……そのルールって何?」
「酒飲みながらボードゲーム!! 負けたら負け!!」ローズは壊れた笑顔を覗かせながらヘラヘラと声を出して笑う。
「……やだ」アリシアはピシャリと言い放ち、窓を静かに閉めた。
「ひきょうものぉぉぉぉぉぉぉ!」ローズは体重のままに顔から崩れ落ち、そのまま気絶する様に眠った。
トレイが頭を押さえながら目を覚ます。昨日はアリシア特製光のヒールウォーターで治療を受け、頭の中で蠢いていた暗黒の靄を祓った。本来なら数週間はまともに動けないほどの重傷であったが、彼女のお陰で二日酔いの様な頭痛で済んでいた。
部屋には既にアリシアはおらず、手紙と小瓶に入った光の雫だけが置かれていた。
「本当、優しい人だったな……アリシアさん」トレイは小瓶の中身を飲み下す。こびり付いた最後の痛みが晴れ、ホッと一息つく。
次いでスワートも起き上り、彼女に付いて訊ねる。
トレイは彼女の残した手紙を彼に手渡しながら椅子に座る。
「やっと自由になったって感じだな」と、手紙に目を落とすスワートに向かって口にする。
「……あぁ……生まれて初めて清々しい気分だよ」と、頭を掻く。
「で? どこへ行く? もうどこへでも行けるじゃん? お前は何処へ行きたいんだ?」
「いや、まだ本当に自由って訳じゃない。俺達の本来の目的を忘れたか? オヤジ……いや、魔王を倒して……姉ちゃんを助けるんだ」スワートの瞳に決意色に代わり、手紙を丁寧に折り畳む。
「じゃあ、どうする? ……アリシアさんの言う通りにする、か……?」
アリシアの手紙には「この手紙を見せれば、ラスティー・シャークアイズ、並びにエレン・ライトテイルのいる討魔軍に助けて貰える」という内容だった。
「……考えておく、ってな」スワートは手紙を懐へ仕舞い、立ち上がる。「俺の旅はこれからだ。早速、誰かの言う通りにするのも面白くないだろ? まず、風の賢者に打ち勝ったこの国の王の戴冠式を見物しに行こうぜ!」と、手を差し出す。
「いいんじゃないか。誰の命令も効かずに、己の思う通りに旅をするのは、さ」トレイは素直に首を縦に振り、彼の手を取り、ニヤリと笑った。
「よし! あのババァに見つかる前にこの村を出ようぜ!!」と、口にした瞬間、窓を何者かの声が叩いた。
「誰がババァだぁ!!!」
スワートはビクリと草食動物の様に跳ね、ソファの影に隠れた。
「ん? ん? ん?」怯えた様に辺りを見回し、闇を身に纏う。
トレイは部屋の窓を開き、声の主の正体を確認する。
「大丈夫、ただの寝言だよ。多分」
「ネゴト? 本当かよ!」スワートは表情を強張らせながら震える腰で立ち上がり、乾いた笑いを漏らす。
「本当に大丈夫かな、この旅」不安げに口にしながらも、トレイは何か楽し気に微笑んだ。
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