8.魔王の誘惑

 アリシア達は一旦、村の宿へ戻り、部屋のベッドへ彼を寝かせた。トレイの回復魔法によって体内の毒素は殆ど取り除かれており、目を覚ますのは彼自身の問題であった。

「彼の中に魔王が……ねぇ」と、スワートの額に手を置くアリシア。熱と脈拍を調べ、問題が無いのか安堵のため息を吐く。

「魔王のオッサンは、スワートの事を『もうひとつの自分の身体』としか思ってないっすからねぇ……それが嫌で、バルバロンを出たんっす」

 スワートが言うには、バルバロン内、即ち魔王の闇の届く距離内にいると憑依され、人形の様に操られてしまうのであった。

「そんな身体で、どうやってバルバロンから出たの?」アリシアが問うと、スワートは表情を和らげながら彼女の顔を見た。


「貴女の母親、ナイアさんに助けて貰ったんすよ」


 この一言の後、少々の間を置いてアリシアは仰天の声を上げた。

「母さんが? 貴方たちを?!」

「……理由は知らないけど、どこからか情報を聞きつけて、俺っち達の前に現れたんすよ」

「へぇ~…… ねぇ、元気だった? 母さん」アリシアは恐る恐る尋ねると、彼は今度は彼女を思い出す様に照れ笑いを浮かべた。

「元気って言うか……なんていうか……へへへ」このにやけるトレイの表情を見て、全てを悟ったアリシアは重たい溜息を吐きながら窓の外を見た。

「自分の年を考えて欲しいなぁ……全く」呆れ顔で頭を掻くも、彼女自身、母親の安否を知れてホッとしていた。が、疑問が湧き上がり、また質問しようと口を開く。「で、どうやって助けたの?」

「闇魔法に対抗できるのは光魔法だけなんすよ。で、光のベールで包んで国外への逃亡、船の手配をしてくれました。でも、甘かったんす……」

 彼らがバルバロンを出ても魔王による影響は続き、スワートの体内に『魔王の影』が潜伏し続けていた。国抜けに成功した直後、『ま、精々足掻いてみろ』と、楽しむような顔で影が現れたのであった。その理由があった為、昨晩、彼を気絶させてからアリシアの正体について問い詰めたのであった。

「だから、まずはこの影を取り除かなきゃ、俺っち達の旅は……」気落ちする様に俯くトレイ。

「父親同伴の旅か……無粋な事をする魔王だねぇ」アリシアは両手を擦り合わせ、舌をペロリと出す。

「何をする気っすか?」

「その影ってヤツを追い払ってみるよ」



 その頃、村の外れの木陰でローズはケビンの隣に座りながら酒瓶を傾けていた。

「……アリシアって何なんだろうね。あんた、わかる?」もはや彼の剣の事はどうでも良くなり、アリシアに付いて2人は語り合っていた。

「わかるさ。彼女は女神だ。光の女神」真面目な顔で語るケビン。

 ローズは笑い飛ばそうとしたが、笑い声溢れる口を閉じ、少々考え込む様に酒瓶を置く。

「……あいつはアタシなんかの為に、命を投げ出したんだよね。『そうしなきゃ納得できないでしょ?』とか涼しそうに言ってさ。本当、バカだよ」

「で、殺してみてどう思ったんだ?」ケビンは今の今迄彼女の話に付き合い、出会いから先ほどの戦いに至るまで全て聞いていた。無事なアリシアを確認している為、彼は激怒するような事はしなかった。

「復讐の味は蜜の味とか言うじゃない? それよりも濃い、達成感を味わえると思った……そして、自分の人生は間違っていなかったって、証明する為にアリシアを殺したかったんだよね。で、結果……最悪だった。自分で自分のトドメを刺した気分になった……」

「それを全てわかっていたのかな……彼女は」ケビンはローズの酒瓶を取り、傾け喉を鳴らした。

「本当、ムカつくよ……全てにおいてアタシの上を行きやがてさぁ」

「体術でコテンパンにしてやったんじゃなかったっけ?」と、からかう様に口にする。

「その分……逆にコテンパンにされた気分だよ。ったく」ケビンから酒瓶を奪い取り、一気に飲み干して空瓶を遠くへ投げつける。「絶対にあいつを超えてやる!」

「威勢がいいな。ま、頑張れよ」と、ケビンは腰を上げてアリシアのいる宿の方向へと足を向ける。

「ねぇあんた」

「なんだ?」

「アタシ、一応アリシアを一度は殺したんだよ? あんたはそんなアタシを許せるの?」この問いに対し、ケビンは鼻で笑った。

「現に彼女は生きているし、それを許す許さない、復讐だなんだって考えは正直ないな。俺、一応数百年生きる吸血鬼だぜ? そこんトコロは器用なんだよ」

「本当、ムカつくわ……」ローズはゴロンと横になり、静かに目を瞑った。



 アリシアは手の中に光を作り、トレイの頭の上で小さく炸裂させる。彼の体全体に光の粉が降り注ぎ、沁みわたっていく。が、それを拒む様に闇のベールが滲み出る。

「中々強力だね。文献通りにいくかどうか心配だな」冷や汗を垂らしながらも余裕の表情を蓄えるアリシア。部屋全体を照らす光を展開し、それを収縮させ、光の雫を作り出す。それをスワートの口へと垂らす。

 すると、スワートは苦悶の表情を浮かべ、口内から真っ黒い煙をドクドクと抱き出す。

「うわ、こんなの見た事がないっすねぇ」水の回復魔法知識を持つトレイであったが、この様な治療法は初めてであった。

「治療って言うよりも……なんだろう? お祓いかな?」と、吐き出された黒煙を光で浄化し、更に口へ光の雫を垂らす。

 しばらくすると彼の口内から黒煙が出なくなり、代わりに彼の顔面が真っ黒に染まる。

「さ、ご対面だね」アリシアは深呼吸し、全身に殺気を帯びた魔力を巡らせる。

 スワートの顔の闇が晴れ、中から魔王の顔が現れる。アリシアはこの顔に見覚えがあったため、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 魔王の影はゆっくりと上体を起こして立ち上がり、アリシアに向き直った。


「お前がアリシアか」


 一気に襲い掛かるような様子もなく、余裕の笑みを覗かせる魔王。それを見てトレイは固まり、滝汗を掻いた。

「はじめまして、かな? あたしはそうでもないけど」シルベウスによる試練で対面していた為、この顔を見るのは久しぶりであった。

「ウィルガルムが殺したと言っていたが……聞き間違いだったかな? 確か、首の骨を折ったと……」

「ま、誰にでもミスはあるよね」首を摩りながら不敵な笑みを見せるアリシア。

「ふん、その顔。あの2人の娘であるのに違いはない様だな」気に入らないのか、頬をピクつかせながら目を座らせる。

「で、対話がお望みなのかしら?」戦う気満々で呼び出した為、少々拍子抜けていた。このスワートに取りついた『魔王の影』はクラス5の魔力は持ち合わせておらず、実際の実力はスワートの半分程度であった。だが、影でも魔王は魔王である。

「正直、この愚息がお前と会うとは想定していなかったのでな。お前こそ消そうと思えば簡単に消せるだろう?」

「まぁね。でも、敵がどんな奴なのか、ちゃんと確認したくてさ」

「中々に冷静だな。気に入った」魔王は手を後ろ手組み、アリシアに一歩近づく。


「どうだ? 俺様の仲間にならないか?」


 この言葉にアリシアの表情は固まり、首をゆっくりと傾げた。しばらくして口をあんぐりと開ける。

「はぁ?!」信じられない勧誘を受け、彼女は狼狽した。

「言っておくが罠ではないぞ。俺様は本気でお前の様な人材を欲している。我が軍には残念ながら、優秀な光使いがいないのだよ。どうだ? この息子と共にバルバロンへ来ないかね?」アリシアの顔色を窺うように腰を曲げ、表情を伺う魔王。

「絶対に罠に決まっている! そいつはいつもそんな事を言い、」激昂するトレイであったが、魔王が指を鳴らした瞬間、彼は両目を真っ黒にさせ、人形の様にその場に崩れた。

「あたしも罠だとは思う……」と、アリシアは何か考え込む様に苦しそうに唸った。

「考えるか……考えたくなるよな。お前は恐らく、天空の監視者の元で修業を積んだのだろう? 今の時代、ここまで光魔法を鍛えられるのは、あそこくらいしかないからな」と、ゆっくりとアリシアに歩み寄る。そんな魔王には殺気はまるでなかった。

「……」黙り込み、魔王の目を睨み続けるアリシア。

「あそこで学んだのなら、世界はどんな事を繰り返してきたか、光と闇の争いとその真実を知った筈。そして、今更この俺様を倒した所で、この世界はどういう方向へ向かうか、わかるはずだ……」と、アリシアの背後へ蛇の様に回り込む。

「……くっ」

「俺様の計画を聞きたくないか? 俺様の最終目的は世界平和だ。誰も泣かない、馬鹿を見る事もない。滅ぶ国も無ければ、焼かれる村も無い。善良な民が野盗へ身を落とす事もないだろう。そんな世界を作るには、どうしてもアリシア、お前の力が必要なのだ」魔王は彼女の正面へ回り、手を差し出した。

「…………」

「ピピス村の事は済まなかった。怒りに身を任せた、愚かな行いであった……謝る。過去の事は互いに水に流し、共に歩まないか? 俺様も、お前の両親の事を持ち出す事は今後一切ないと約束しよう……」

「うっ……」アリシアの肩と膝は震え、今にも崩れ落ちそうになる。


「さぁ、握手に応えてくれ。アリシア・エヴァーブルー」


「断る!!!!!」


 アリシアは全身から眩い閃光を放ち、魔王の伸びていた影を打ち払う。部屋中は真っ白な光に包まれ、家具が一斉に吹き飛ぶ。

「そう言って結局お前は独善的な理由で国を潰し、人々の生活を蹂躙しているんだ! そんな上に立つ貴様の理想郷、世界なんて見たくもない!! あたしの前から消えろぉぉぉぉぉぉ!!」アリシアは手を広げ、魔王の影目掛けて光の波動を放つ。

 魔王の影の顔に皹が入り、徐々に剥がれ落ちていく。

「成る程、今のトコロはそういう答えか……だが、お前の迷いは見えたぞ」魔王は勝ち誇るような表情を覗かせる。「また会おう、アリシア・エヴァーブ、」と、言う間に影は全て塵尻に消し飛び、残されたスワートが崩れ落ちる。

「……くっ……そうやって誑かすのが手口ってことは、全部予習済みだぃ!」アリシアは強がるように胸を張ったが、どこか不安げな表情を見え隠れさせながらも荒くなった呼吸を整えた。

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