107.ボディヴァ家の意地

 パトリック・ドラグーンは魔王が現れる以前は、普通の魔術教師だった。日々の当たり前を幸福と噛みしめ、仕事を愛していた。

 その反面、彼は陰で世界最悪の炎使い、ヴェリディクト・デュバリアスを崇拝していた。教科書や授業では教える事の出来ない様々な火炎操作、爆炎術、応用呪術などを練り上げ、自己満足に浸るだけの大人しい男であった。

 しかし、魔王の登場により、彼の考え方が変わる。

 いつまでも陰で満足していても、自分はそのまま誰に知られる事もなく、平凡に余生を終わらせるだけになる、と。

 それでは詰まらないと、彼は日々の幸福を満足できなくなり、自分の練り上げた影の技術を表に出し始める。

ある日、魔術学校でその技を披露し、彼はクラス4の非合法呪術を魔術師学会の許可なく使ったとして、指名手配を受ける事になる。

 手配されたが、彼はそれを面白く思い、追手を捕まえては更なる呪術の実験を繰り返し、己の技を磨き続けた。

 その結果、魔王の目に止まり、配下に加わる事となった。彼は水を得た魚の様に更に技術を向上させ、2年前、6魔道団のひとりとして迎えられることとなった。



 パトリックの撒き散らす火の粉は全て、樽一個分の爆薬に等しい爆発を見せ、ヴレイズを爆炎で包み込んだ。

 ヴレイズは炎を操り無効化できたが、衝撃波までは掻き消す事が出来なかった。炎の魔障壁で辛うじて防ぎ、苦悶の表情で距離を取る。

「くっ……爆炎術とはこれまたやりにく、い!」黒煙の中から現れたパトリックのドヤ顔と目が合い、狼狽するヴレイズ。

 パトリックはヴレイズの赤熱腕を掴み、魔力を送り込む。みるみるうちに膨らみ、爆裂する。ヴレイズは煙を燻らせながら海へと落下し、大波と共に沈む。

「並のクラス4ならこの程度か……さて、沈みかけの船にトドメを刺すか」と、貨物船へと視線を向ける。

 反乱軍の乗った貨物船は、既に傾いており、沖へと出る事はほぼ不可能だった。

 パトリックが右腕を光らせ、何かをしようと目を輝かせると、真下の海が裂け、火柱が彼目掛けて立ち上る。

「ん?」それをヒラリと避け、片眉を上げながら火柱へ注意を傾ける。

 その火柱の中からヴレイズが現れ、パトリック目掛けて赤熱拳を見舞う。彼はその攻撃を涼し気に受け流し、楽しむ様に笑いながら距離を取った。

「やるな。流石、ウルスラを退けただけある」

「お前のその佇まい……なんかムカつくんだよ!」パトリックの姿はパッと見ると、ヴェリディクトに似ていた。



 チョスコ港に辿り着くフレイン達。馬を乗り捨て、門を潜り、周囲の様子を伺う。討伐軍やチョスコ正規軍の気配を感じず、逃走作戦は上手く行っているのだと考えたが、5秒後に最悪のシナリオが脳裏を過る。

 パトリック・ドラグーンがチョスコ港上空におり、両腕に魔力を蓄えていたのであった。彼の正面ではヴレイズが勇ましく構えていたが、どう見ても劣勢ムードであった。逃走用と思われる貨物船は今にも沈みそうにマストが折れ、炎が立ち上っていた。

「なんてこった……」傷を押さえながらビリアルドが苦し気に呟く。

「父上……」

「ヴレイズ……ズルいぞ!! またあたしに先駆けて強者と戦っているなんて!!」上空を指さし、フレインが頬を膨らませる。

「「あんたはそればっかだな!!!」」呆れた様に兄妹が口にし、彼女の首根っこを掴んでニックのジェットボートまで向かう。

 ニックは反乱軍の救助へ向かうか、フレイン達を待つかで揺れ動いている真っ最中であった。彼女らの顔を見て、ホッと表情を緩めるも、直ぐに慌てた様に口を開く。

「遅いぞ! おら、早く乗れ!! 連中を助けに向かうぞ!!」と、温めていた魔動エンジンを吹かし、火を噴かせる。

「このボートには何人くらい乗れるのですか!?」スカーレットは沈みゆく貨物船を指さしながら大声を上げる。

「出来るだけ乗せるさ! それに、救助用の折り畳み式ボートが2隻詰んであるから、それを引き摺ってでも救助するさ!!」と、舵を切り、急いで貨物船へと向かう。



 ヴレイズは全身の魔力を高速循環させ、全身から激しく火柱を噴き上げる。この戦いは同じ属性同士の戦いであるため、純粋な実力勝負がモノを言った。

 彼の焦り具合を見透かすように、パトリックが鼻で笑う。

「ふん、お前は私とまともに戦うつもりか?」

「……俺を殺す気なんだろ?」

「そのつもりだったが、お前は私の目的というモノを理解していない様子だ。そんな間抜けは殺さずとも、目的の遂行が容易だ」と、貨物船をひと睨みする。

 すると、煙を上げて傾いていた貨物船が赤熱化し、あっという間に爆散する。物資や木くずを撒き散らし、波が荒ぶる。

「な!!?」何が起きたのか理解できず、体温が一気に冷えるヴレイズ。

「さっきの火の粉爆撃の時にちょっとした発火呪術を混ぜたのだ。それが船全体に浸透し、合図するだけで爆発する様に仕掛けたのだよ。爆炎術士と呼ばれるだけあるだろう?」と、得意げな顔を覗かせる。

「き、貴様!!」ヴレイズは怒り任せに距離を詰める。

 しかし、パトリックはそれに見向きもせず、貨物船の爆破跡へと向かう。そこには、木片にしがみ付いたイングロス・ボディヴァが浮かんでいた。

「まずひとり……」と、高速で火球をぶつける。イングロスは一瞬で炭と化し、海へと溶けていった。

 彼のあまりに無駄のない動きに、ヴレイズは呆気にとられたまま動けなくなっていた。



「何かに掴まれ!!」ニックが叫んだ瞬間、ジェットボートは高波に襲われて激しく揺れ、木片と火の粉が降り注ぐ。

 しばらく何が起きたのかわからず、フレイン達は頭を押さえながら海の様子を伺っていた。

「何が起こったのだよ! ……まさか」ビリアルドの目には、足先から炭と化し消え去る父親の姿が映っていた。その眼前には、悪魔の如きパトリックが宙に浮いていた。

 ビリアルドは瞳を揺らし、呼吸を無理やり整える。脂汗が甲板に垂れ、胃の奥から熱い何かがこみ上げる。

「ち、ちうえ……」ビリアルドは妹スカーレットの方へ向ける。

 彼女は未だに何が起こったのか理解できぬまま、貨物船の安否を確かめようと双眼鏡を覗きこんでいた。

 ビリアルドはそんな彼女の背後に立ち、指先から鋭い電流放つ。不意を突かれたスカーレットはそのまま気絶し、彼に抱えられる。

「な! 何してんのあんた!?」フレインが目をパチクリさせる。

 ビリアルドはゆっくりと操縦席へと向かい、ニックの肩を叩いた。

「外の様子はどうなんだ! 生存者はいたか?」

「ニック……スカーレットを頼んだのだよ」ビリアルドは彼女をニックに預け、外へと飛び出していった。

「何をする気だ?」



「パトリック!!」甲板の上でビリアルドが雄々しく吠える。

「……ボディヴァ家の長男坊か。自分から出てくるとは、馬鹿かな?」ジェットボートへ腕を向け、魔力を込めていたパトリックは小馬鹿にする様に笑った。

 そんな彼の背後からヴレイズが殴りかかる。

 それを目も向けずに避け、腕を掴み、肘で鳩尾を穿つ。

「ぐおぅ!!」

「目の前しか見えない馬鹿が……やり易いが、面倒だな」と、ヴレイズの腹部で火球を爆裂させ、港町へ吹き飛ばす。ヴレイズは瓦礫の中へと突っ込み、頭を強かに打つ。

「で、ボディヴァ家の長男よ。どうする気だ? 噂ではお前もクラス4の様子だが……実力の程は?」聞くまでもない情報ではあったが、パトリックはワザとらしく問うた。

 ビリアルドは甲板から降り、脚に魔力を纏って海上で浮いて見せた。彼は飛ぶことはできなかったが、低空を浮く事は出来た。

「ボディヴァ家の意地を見せるくらいは出来るのだよ!」

「それはそれは。面倒は省きたいので一応聞くのだが、君の妹、スカーレットは何処かな?」

「……アヴェン砦で死んだ……あの憎きノーマンに殺されたのだよ!」彼は眉も瞳の色も変えず、言い放った。

「ほぉ……まぁ、その程度の働きぐらいはしてもらわなくてはな……あの筋肉バカめ。で? 意地を見せるのだったな」

 パトリックがワザとらしく天を仰ぎながら口にすると、ビリアルドは全身にありったけの魔力を込め、凄まじい稲光を鳴らしながら雷撃を炸裂させた。海が大きくうねり、眩い閃光が海を見る者の目を眩ませる。

「結局、眩しいだけか」ビリアルドの首を掴んだパトリックが髪を撫でつけながら口にする。

「眩しいだけではないのだよ……」気道を潰されたビリアルドは一言だけ絞り出す。


「いいや、お前ら一家はただの見かけ倒しだ」


 パトリックが言い終わった瞬間、ビリアルドの中へ火炎を送り込み、一瞬で爆裂させる。木っ端微塵に成り果てた彼は最後の稲妻と共に海へと溶けていった。

「このくだらん意地も、忘れられるのだ。どこまでも虚しい没落貴族共が」

 走り去るジェットボートを尻目に、パトリックは首を振りながらクスクスと笑い、港へと飛んでいった。

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