106.爆炎術士パトリック、あらわる!

 追手を撃退し、とりあえずは静かなチョスコ港。

 逃走用貨物船の甲板上で、イングロス・ボディヴァは腕を組んで佇んでいた。今迄の戦いの事を思い返してはため息を吐き、俯く。

 そんな彼の隣に、心中を察したニックが立つ。

「どんなに無様でも、今は逃げれば勝ちですよ」

「やはり無様に見えるか……」重々しく口にするイングロス。

「えぇ。無様な逃走って言うのは、幾らでも言えますよ。泣きべそ掻きながらクソも漏らして逃げた、負け犬ってね」ニックは滑らかに口にし、鼻でワザとらしく笑う。

「……そうか」

「しかし、肝心なのはその後だ。恥を忍んで生き延び、いずれ必ず魔王を打倒する。そうすれば、実際の糞漏らしでも、後世までヒーローと讃えられる。要するに、最後に勝てば栄光はいくらでも付いて来るって事ですよ。司令官殿、その日まで、ぐっと堪えて下さいよ!」ニックは彼の背を叩き、頼もしく笑って見せた。

「うむ……そうだな!」と、何かを決心した様に瞳を輝かせ、手を掲げて号令する。

 すると、貨物船の帆が貼られ、湾へと航行する。

「必ず帰ってくるぞ! では、ニック殿。ビリアルドとスカーレットを頼んだぞ!」

「任せて下さい!」ニックは風魔法を脚に纏い、甲板から飛び立ち、自分のジェットボートに着地する。「無事、湾の外まで行ってくれよ……」

 と、同時に貨物船に影が差す。上空から巨大な火の玉が勢いよく飛来していた。反乱軍の皆が目を剥き、一瞬で自分たちの死を悟る。

 火の玉は真っ赤な障壁に激突し、空間が避ける勢いで炸裂し、湾全体を揺るがし、貨物船が激しく左右に揺れる。

「覚悟はしていたが、これ程か!」貨物船をガードしたのはヴレイズだった。火の玉の飛来は気付いていたが、それを防ぐだけの魔障壁を練り上げるのに時間がかかり、ギリギリになってしまったのであった。「術者はどこだ?!」



 チョスコ港にある一番大きな酒場の屋上で、パトリックはパラソルを差しながら椅子に座り、紅茶を傾けていた。貨物船方面には見向きもせず、本を傾けながら、左手で魔力を練り上げる。

 すると、貨物船上空に紅色の雲が広がっていき、雷の様な勢いで炎が噴く。それを合図に紅色雲から火の粉が雨の様に降り注ぐ。

 火の粉は一見頼りなく、肌の表面を焦がす程度の威力しかない様に見えた。

しかし、着弾と同時に小規模の爆発が起こり、たちまち帆に穴が空き、マストが傾き、甲板に穴が開く。兵たちは次々に爆発に倒れ、腕や脚を吹き飛ばされ、甲板上は地獄絵図と化した。

 ヴレイズは慌てて魔障壁を傘の様に展開させ、火の粉の爆撃を防ぐ。

 が、この雨あられはひとりで抑えるには厳しく、少しずつ彼の体力が削れていく。

 そんな様子には見向きもせず、パトリックは本を読み進めながら紅茶を啜り、酒場の主人に茶菓子を催促した。

「さて、あの術者はどこまで合わせる事ができるかな?」鼻歌混じりに呟き、彼は用意されたブルーレーズン入りスコーンを齧った。「うん、合うな」と、また紅茶を一啜り。



 その頃、フレイン達は砦の外れにある馬舎から馬を拝借し、港へと奔らせていた。フレインはひとりで手綱を振るい、スカーレットは後ろに兄を乗せて後を追っていた。

「馬なんて久しぶりだなぁ~ 父さんと旅して以来かな?」と、楽し気に鬣を擽る。

「上手いな……兄上とは大違いだ」と、ほれぼれする様に口にし、背後の兄をチラリと見る。

「ほっといてくれ……」彼は乗馬が苦手であった。理由は、手綱捌きが下手とか馬嫌いとかではなく、酔うからである。今でも彼は妹の背で吐き気を堪えるのに必死になっていた。

「それにしても……フレインは一体どうしたのだろう……変わりがなさそうだが」

 ノーマンとの戦いから、フレインの様子が変だった。

 まるで記憶にないのか、ノーマンとの骨と肉を削るような戦いの事を、彼女はまるで覚えていなかったのである。

 スカーレットは知らなかったが、フレインの技『暴龍宿し』は発動すれば我を失い、体力尽きるまで暴れ続ける荒業であった。

 しかし、今の彼女はそんな技を使った様子はなく、元気いっぱいに動き回っていた。ただ、服装だけはズタボロになっており、今は敵から剥ぎ取った軍服を着ていた。

「本当に何も覚えていないの?」スカーレットは彼女の背に向かって口にした。

「しつこいなぁ! 多分、不意に頭を打って記憶が飛んじゃったんじゃないかな? なんだか頭がじんじんするし……」と、忌々しそうに頭を押さえる。

「……頭を打った……ねぇ……」と、ノーマンとフレインの戦いを見た彼女が首を傾げる。頭を打つという生易しい言葉では片付けられないほどの殴り合いを演じた彼女が、その程度で記憶に穴が開くとは思えなかった。

「ノーマンとは戦えなかったし、何だか損した気分だよ……ま、もういいや! 早く港へ行こう!」

「えぇ、そうね!」



 ヴレイズは貨物船上に分厚い魔障壁を展開して守り、自分は紅色雲の中へと躊躇なく突っ込んでいた。雲の内部では火炎が龍の様にのたくり、炎の牙で彼に襲い掛かっていた。

 ヴレイズはフレイムフィストを赤熱させて迎え撃ち、一撃で火炎龍を消し飛ばす。

 だが、紅色雲は消えることなく、火の粉の雨を止める事はなかった。

「こう言うのは……大抵……」と、ヴレイズは灼熱の雲の中を泳ぎ、中央を目指した。雲の中心には炎の魔法が渦巻いており、それが雲を形作っていた。

 ヴレイズはそれに向かって赤熱拳を振り上げ、腕を突っ込む。

 その瞬間、紅色雲が火の粉を撒き散らして消し飛び、太陽が爆ぜた様な轟音が轟く。青空が戻り、周囲の白雲まで跡形もなく消し飛ぶ。

「やるんじゃなかった……ゲホッ」爆発の後、上空にはヴレイズが黒焦げになってその場を浮いていた。怪我も火傷も無かったが、爆発のショックで聴力障害を起こし、焦点の合わない目でフラフラと港を見下ろしていた。

 そんな彼の目の前に、ひとりの男が飛んでやって来る。

 霞むヴレイズの目には、一瞬だけその男がヴェリディクトに見えて、背筋を一気に凍らせる。が、それが見間違いだとわかり、安堵する。

「お前がウルスラを退けた者か……見事だな」その男は今迄、酒場の屋上で読書を楽しんでいたパトリック・ドラグーンであった。自慢の爆撃雲を破壊され、多少なりのショックを覚えてヴレイズの前に立ったのであった。

「お前は……誰だ?」見覚えの無い男を前にキョトンとした顔をする。目の前の男が術者だと分かってはいたが、どこのだれかまでは存じ上げていなかった。下手をしたらノーマンの手下か何かだと思うくらいであった。

「私は、この国とその他いくつかの国々を預かっているパトリック・ドラグーンというモノだ。六魔道団のひとり、と言えば早いか?」

「……また六魔道団か……」ヴレイズはうんざりした様に呟き、小さくため息を吐いた。この国にはニックの手伝いと、フレインの『打倒ノーマン』の為だけに来ていた。まさか再び六魔道団のひとりと戦う羽目になるとは、思ってもいなかった。

「お前は手配書によると3万ゼルのヴレイズ・ドゥ・サンサだな。その実力で3万ゼルとは安いな……」

「俺は安くて結構なんだが……まぁ少し悔しくもあるけど……」

「この件を報告すれば、更に跳ね上がるだろうな。懸賞金を安くしたいなら、もっと目立たない様に活躍しなければな」と、パトリックは余裕の笑みを見せる。

「あぁ、全くだ」

「そう言えば、お前はあのサンサ族の生き残りだな? ヴェリディクト様が滅ぼしたあの村の……」彼は知った様な口を訊き、ヴレイズの表情を伺った。

「あぁ……間引いたとか何とか言ってたな」ヴェリディクトの事を思い出し、全身に苦み走った感情がこみ上げ、一気に不機嫌になる。

「あのお方と繋がりがあるのか……羨ましい」と、口にした瞬間、彼の顔面に赤熱拳が炸裂する。が、パトリックは涼し気な表情でその炎拳を掻い潜り、ヴレイズの鼻先へ近づいた。

「羨ましいだと?」瞳を血走らせ、歯を剥きだす。彼は久々に芯に通った怒りの感情を逆なでにされ、我を失いかけていた。

「あぁ……私はあのお方を崇拝しているのだ。魔王様よりも憧れ、尊敬し、近づきたいと願っている」と、心酔するような表情で天を仰ぐ。

「お前……馬鹿じゃないか? あんな変態を……」と、ヴレイズが口にした瞬間、今度はパトリックが額に血管を浮き上がらせ、拳を振るった。

「貴様! あのお方を気安く汚すような事を口にするんじゃないぞ! 殺されたいか?!」と、目から勢いよく火花を散らし、拳から灼熱を噴き上げる。

「お前もまともじゃない様子だな……」

「まともで六魔道団が務まると思うか? っと、久々に我を失いかけたぞ、危ない危ない……で、お前が私と戦う事に乗り気ではない事はわかった……どうだろう? あのボロ船に乗る司令官とその息子、娘を引き渡すなら、助けてやらんでもないぞ?」と、落ち着くように自分の整った髪を撫でる。

「そんな事をさせない為に、俺がいるんだが?」

「だったら、まず、お前を殺すとしよう」



 

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