92.真夜中の魔王
その日の真夜中、魔王は湯気匂い立つ味噌ラーメンを執務室で食べていた。箸を器用に使い、書類に汁が飛ばない様に麺を上品に啜る。
「あ゛ぁ~ 真夜中のラーメン程沁みるのは無いなぁ~」と、厚切りチャーシューを口へ運ぶ。秘書長ソルツは出来るだけ魔王の注文通りのラーメンを用意していた。
彼女の優しさを噛みしめながら、魔王はスープを味わい、満足の息を吐く。
そんな彼の眼前に、突如として闇が広がる。その者はグレーのコートを羽織り、黒々とした長髪を後頭部で束ねていた。
ククリスで光の王を殺した闇使いヴァークであった。
彼は闇を足元から消し、机を挟んで魔王の前に立った。ラーメンを啜る彼を見下ろしながら、闇色の瞳を光らせる。
しばらく見つめ続けると、彼の腹が小さく鳴る。
「……君も食べるかね?」魔王はそこでやっとヴァークを見上げ、目を細めた。
「これは?」魔王の食べるラーメンへ目を落とす。
「味噌ラーメンだ」と、口にすると、ヴァークの足元に闇が広がり、応接用の椅子が生えてくる。座る様に促すと、彼は遠慮なくそれに腰を下ろした。
「……頂こう」ヴァークは魔王の心中を探るような目で口にした。
その言葉を聞くと、魔王は闇の中へ溶けていき、彼の眼前から姿を消した。
「いや、それを一口でいいんだが……」
しばらくすると、執務室に秘書長ソルツがため息交じりに現れる。盆の上には湯気立つ味噌ラーメンが用意され、それをヴァークの前に差し出した。
「こんな時間にアポなしでお客人ですか……ま、珍しくはありませんが、いったいどなたなのです?」ソルツは疲れ目を押さえながら口にした。
「俺様以外の闇使いだ。いきなり現れて、内心仰天したよ。さ、もういいから、君はもう休み給え」
「……一応、待機しております。その人が帰られたら、休ませていただきます」と、ソルツは一礼して退室した。
魔王は自分の丼を闇の中へ消し、着席する。
ヴァークは湯気立つラーメンをじっくりと観察し、首を傾げた。
「さ、どうぞ……」
魔王が促すと、ヴァークは一言「いただきます」と口にし、勢いよく麺を啜り始めた。
その後、彼は何も言わずにただラーメンに集中し、ものの数分でスープ一滴残さず完食した。
「美味かったか?」魔王はヴァークの顔を覗き込む。食べる時の表情、手の運び方、具材の食べる順番、作法を観察し、分析していた。
「ごちそうさまでした」丼に箸を置き、一礼し、用意されたナプキンで口を拭う。
「で、腹が満たされたところで本題だ。君は一体、誰だ?」
「それは貴方が知っていると聞き、ここまで来た」ヴァークは魔王の目を覗き込む。彼の瞳は魔王と同じ種類のモノであった。
「誰がそう言った?」
「ヴェリディクトという、炎使いだ」
「あの人かぁ……」魔王は「参ったなぁ……」と言いたげな表情を手で隠しながら唸る。彼とヴェリディクトは世界中で噂されている通り、師弟関係にあり、魔王はヴェリディクトを尊敬していた。それと同じだけ彼の事を厄介と思っており、頭を悩ませていた。
「教えてくれ。私は一体、何者なんだ?」ヴァークは表情を崩さず、冷静な顔のまま質問する。
「それは俺様の方が教えて欲しいな……だが、調べればわかるかもな。それに、俺様はお前に興味がある……お前が一体、何者なのか……」魔王は頭の中の情報を冷静に引き出していき、ヴァークは誰と繋がっていそうか人間関係を思い返す。
まず、魔王には2人の子がいた。15になる娘と14の息子。この2人は魔王の目が届くところにいた。妻は既に亡くなっており、愛人や隠し子はいなかった。
故に、この目の前の男が何故、闇属性を操れるのかわからなかった。
しかし、つい最近の報告を脳裏から引っ張り出し照らし合わせる。
それは、数か月前、ヴァイリーが所長を務める研究所が謎の爆発で消し飛び、十数名の死傷者が出たという事件だった。この犯人を黒勇隊に調べさせたが、とある廃虚で消息を絶ち、謎が色濃くなる。
この時、ウィルガルムがその廃虚へと向かい、犯人と思しき者と交戦。彼がその時に着用していたバトルスーツはアリシア達を全滅させたモノと同じ性能のスーツだったが、左パワーアームを斬り飛ばされ、手も足も出ずに取り逃がしたのだった。
その後、ウィルガルムの証言を元に似顔絵を作成し、ヴァイリーの依頼で極秘裏に捕縛指令が出されたのであった。
この事件は、魔王は書類上でしか認識しておらず、ひとつの事件として頭の片隅に置いてあった。因みにウィルガルムに見舞いへ行こうとしたが、彼自身は全く怪我を負っていなかった為、彼とは会っておらず、問題なくその後、六魔道団会議を進行させた。
「あの時の犯人がお前か……」思い返しから2秒後、魔王はため息ひとつで頭をスッキリさせ、ヴァークの顔を見た。もっとその時の事件に耳を傾けていれば、と後悔する。
「何の話だ? 確かに、ククリスの王を殺したのは私だが、そんなことはもうどうでもいいだろう」
「……?! ククリスの王が死んだだと? ……ま、どーでもいいんだが」魔王にとって世界の中心ククリスは眼中になかった。
「そう、どうでもよい存在であった。私の所業は隠ぺいされ、都合のいい虚実に書き換えられるだろう……実に虚しかった。が……」と、ヴァークは立ち上がり、ほんのりと殺気を纏った。
「貴様を殺したらどうなるか、興味が出てきた」
「ラーメンの礼を仇で返すのか?」と、ヴァークの前にある丼を指さす。
「あの秘書にはあとで礼を言っておく」と、口にした瞬間、机が真っ二つに割れる。彼の手には短刀が握られ、刀身からは無属性エネルギーが鋭い刃となって生えていた。
「お前の口で言えればな」魔王は背後に立ち、彼の肩に手を置いた。
その瞬間、彼ら2人は執務室から闇と共に姿を消し、ファーストシティ上空へ移動する。魔王はそのまま滞空し、ヴァークから手を離した。
すると、彼も怯まずに宙に浮き、長くなった刀身で魔王の胴を薙ぎ払った。
その瞬間、空間の爆ぜる様な音と共にヴァークの腕が止まる。魔王は無属性の刃を指で摘まんで止めていた。
「俺様も、お前ほどではないが、これぐらいは出来るのだよ」と、刃から指を離して距離を取る。
すると、魔王の背後に闇のエネルギーボールが現れ、爆ぜる。その衝撃で彼は飛ばされ、その行く先々で闇球が現れ、大爆発する。
そして、トドメにヴァークは両手でナイフを握り直し、大剣が如き無属性エネルギーを放ち、魔王目掛けて振り下ろした。
魔王の顔、身体は出血せず二つに割れ、力なく落下する。
だが、魔王の肉体はそのまま闇に溶けていき、ヴァークの背後に無傷の姿で現れる。
「お前では俺様は殺せない。同じ闇属性使いでも、次元が違うんだ。俺様は、闇そのものなのだよ」
「っ!!」その後、ヴァークは数回にわたり、魔王を己の得物で斬り刻み、闇魔法で消し飛ばした。その度に魔王は幽霊の様に宵闇から現れ、見下すような笑みを浮かべた。
「もういい、わかった……」魔王はヴァークの頭を掴み、己の闇を彼の意識に流し込む。彼は無属性刀で抵抗し、魔王の腕を斬り飛ばしたが、腕は彼の頭を掴み続けた。
やがて、ヴァークは短刀を取り落とし、ぐったりと動かなくなる。
「……久々に、やってみるか」魔王はヴァークの手の甲を爪で傷つけ、血を己の指先に塗り付ける。その指を口へ運び、血の味をゆっくりと口内で転がす。
「……!!! ヴァイリーめ……」
トコロ変わってヴァイリー・スカイクロウの仮設研究所。彼の研究所は現在、建設中であり、今の所はこの簡素な造りの研究所で彼は己の仕事に没頭していた。
「全く、私の指示した60パーセントしかデータが取れていないじゃないか。やはり、大型ゴーレムのデータはロキシーに任せた方が良かったか……」と、マーナミーナ港より持ち帰ったナイトメアゴーレムの戦闘データを眺め、ため息を吐く。
すると、その背後に闇が広がり、魔王が生えてくる。
「おやおや魔王様、今宵はどんな御用で?」ヴァイリーは振り向きもせずに淡々と口にした。
「こいつは、お前が作ったのか?」
魔王はヴァークを傍らの手術台へ寝かせながら目を尖らせた。
「……? おぉ!! よく見つけて下さいました!! まさか、魔王様自身が連れてきて下さるとは!」ヴァイリーはヴァークに気付くと、書類を投げ捨て手術台へ素早く歩み寄った。魔王は調子に乗るなと言わんばかりに、彼の喉元に闇を帯びた指を向けた。
「貴様……俺様の妻を誑かしたのか?」魔王は思い当たる節にヴァイリーを当て嵌め、過去に起こった『忌まわしい出来事』の謎部分を少しずつひも解く。
「とんでもない! 私は、奥方様に頼まれたのです。それに応え、残ったサンプルで」
「サンプルだと!!」魔王は彼の襟首を掴み、珍しく怒りを露わにする。
「……魔王様。覚えておいでで? ランペリア国を滅ぼした後、私は貴方様の元で研究し、尽力すると誓いました。そこで貴方様は、私の反骨心を見抜き、こう仰った。
『精々、俺様を裏切ってみろ』と……
それに応えたまでです。どうです? 驚きましたか?」
ヴァイリーは爛々とした目で魔王の表情を伺い、頬をぐにゃりと歪めて笑う。
魔王はしばらく考え込む様に黙り、彼の襟首から手を離した。
「ふ、ふははははははは……成る程、これがお前なりの裏切り、か?」
「とんでもない。これはまだまだ始まりに過ぎませんよ。覚悟しておいてください」ヴァイリーは楽しそうに笑いを漏らす。その傍らで横たわるヴァークをチラリと見ては、またクスリと笑う。
「あぁそうしよう。精々励むがいい。だが、少し言わせて貰おう」と、口にした瞬間、ヴァイリーの身体を足元から闇で覆い尽くし、顔だけ残す。その鼻先まで顔を近づけ、血走った目で彼に殺気を流し込んだ。
「二度と、俺様の肉親を利用するな!! いいか? あれらを利用していいのはなぁ……この、俺様だけだ!!!」
「……は、……はい、魔王様……」ヴァイリーは流石に冷や汗を掻き、己の内臓を闇で撫でられる感触を覚え、吐き気を催した。
その後、魔王はヴァークの記憶を消し、新たな記憶を刷り込む様にヴァイリーに伝えた。ヴァークは黒勇隊の副隊長に据えるとだけ言い、最後に「勘弁してくれよぉ」とだけ漏らして闇の中へと消えた。
彼が去った瞬間、ヴァイリーはホッと息を吐き出し、冷や汗をハンカチで拭った。
「こ、殺されるかと思った……私の研究はまだまだ途中なのだ! ここで終わってなるものか……」と、腕に残った震えを押さえる。
手術台に乗ったヴァークへ視線を戻し、再びぐにゃりとした笑みを零す。
「お前は決して失敗作ではないぞ……成功だ。魔王様を脅かしただけじゃない。人類の進化への第一歩へと貢献したのだ。くふふふふ、奥方様は、いい土産を残して逝ったものだよ……」と、傍らから機械仕掛けのヘルメットを取り出す。
「さて、言われた通りにするのはつまらん。記憶は消さずに封印し、トリガーは残しておこう……」と、ヴァイリーは深夜の空に轟く程の高笑いを研究所中に響かせた。
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