91.魔王の残業
「相変わらずだなぁ~ リヴァイアさん」フレインは上機嫌に笑いながら堂々と酒を呷った。すっかり全身の包帯は取れ、傷はすっかり完治していた。リヴァイアのヒールウォーターの効果は凄まじく、フレインの身体には体力が必要以上に漲っていた。
快気祝いにヴレイズ達はギオスの町の酒場で一番高い酒を注文し、皆でグラスを傾けていた。
「本当に参ったよ……治るからって、容赦ないんだもの……」と、ヴレイズはリヴァイアから喰らった鞭の味を思い出し、身震いする。
「あの人、昔から冷静に見えて、熱血サディスト教師だからなぁ……」フレインは幼少の頃、ククリス魔法学校で魔法基礎を3年間学んでいた。
その時、リヴァイアのドッペルウォーターが半年ほど教員を務め、その年の入学生を散々にシゴキ倒した。教員達や学長から「子供相手ですのでもっと優しく」と、頼まれた。
が、リヴァイア曰く「吸収力が一番の時期だからこそ、厳しくしなければ、この先の修行には耐えられない!」と、持論をぶちかまし、そのまま学校を去った。
「で、だ」話を遮る様に卓の中央に酒瓶をドンと置くニック。彼は珍しく酔ってはおらず、シラフだった。
「なんだ? 飲み比べか?」ヴレイズは久々に本気で飲む気なのか、受けて立つと言わんばかりに腕まくりをする。
「それは、俺の話の後で……今はまだシラフだ。酔ってないぞ! 酔ってないだろ?」と、自分の顔を指さす。
「珍しいね。酒場に入った瞬間に酔っぱらうあんたが」一口煽りながら笑うフレイン。
「この先の進路の事だ。フレインにも話したし、ヴレイズにも言ったな? 2人の間ではき違えが無いか、それだけ確認したくてさ」と、椅子に深々と座り、腕を組む。
「ヴレイズも承知したじゃん。チョスコへ行って、そこにいるノーマン・キッドロゥってヤツを倒しにいくんだよ!」と、鼻息を荒くして口にするフレイン。彼女は今度こそ自分の手で強者を倒すんだ、と息巻き、またグラスの中身を空にする。
「それは聞いたが、具体的なプランがあるのか? 今回みたいに、いきなり乗り込んで親玉と一対一なんて無理な話だろ?」
ヴレイズの言う通りであった。
今回の氷帝ウルスラは、幹部はおろか、部下1人も置かずにたったひとりで国を支配していた。それは彼女自身、氷属性の強さの証明のため、あえてひとりで刺客を迎え撃っていた。
しかし、次の相手は違った。
ノーマン・キッドロゥは六魔道団のひとり、パトリック・ドラグーンの右腕であった。彼が収める北大陸西海岸方面の一国を任され、ノーマンは3人の幹部、そして数千人の兵隊を抱えていた。この国にの町や村々には彼の兵が駐在し、目を光らせていた。
つまり、サバティシュとは違い、今度こそ無策で突っ込めばタダでは済まない事は明白であった。
「大丈夫。そこの所は任せておけ。俺ぁお前らと会う前、チョスコにいたんだ。そこで色々と仕事をしてな。必ず戻るって、約束したんだよ」ニックは何かを思い出す様に口元を緩ませた。
「……俺もやらなきゃならない事が出来て、そっちを優先したいところなんだがな……」ヴレイズは兄の事を、リヴァイアからの頼みごとを思い出し、重い溜息を飲み込んだ。
「お兄さんの事?」フレインもその事をヴレイズから聞きいていた。
「……ちょっと会って、話し合わなきゃな……もしかしたら、ぶん殴る事になるかも」と、常に燃え盛る赤熱の右腕を握り込む。
「ま、ま、ま、とりあえず同じ進路、同じ目的なら、グラスを合わせてくれ。これが俺とお前らとの契約だ」そこでやっとニックはグラスを手に取り、酒を並々と注いだ。
「ニックには散々世話になったし、借りは返さなきゃな」ヴレイズはグラスを掲げた。
「もちろん。ニックがいかないって言っても、あたしはチョスコに行くつもりだし」と、フレインも掲げる。
「よし、乾杯だ! これで堂々と飲める! よぉし! 今日も呑むぞぉ!! 出港は明日だ!」と、一瞬で5杯ほど注いでは飲みを繰り返し、顔を赤く染める。
「おいおい、準備とか二日酔いとか大丈夫か?」
「準備は町の連中が十分すぎる程整えてくれている! 恩を返し足りないって文句を言うくらいだぜ? で、二日酔いはお前が何とかしてくれるだろ? 不思議な炎でよ?」と、ヴレイズの赤熱右腕を摩る。
「調子いいヤツだなぁ……ま、それならいいか」ヴレイズは呆れた様に首を振りながら、酒を呷る。
「でさ、ヴレイズ。お前さ、有名人か?」ニックは顔を近づけながら問うた。
「有名? さぁ? どうだろうな。一時期、お尋ね者になった事があったな。確か5000ゼルだ。でも、これは東大陸での話だし、西大陸のギルドで手配書が張り出されている事は無かったし、賞金稼ぎに追われた事は一度も無かったな。そういう意味では、全くの無名だな。赤熱拳のヴレイズなんて、聞いた事ないだろ?」ヴレイズは自嘲気味に笑いながら問うた。
「……んぅ……ないなぁ……てぇかお前、お尋ね者だったのか? 5000って何やらかしたんだ?」
「魔王の軍に村を焼かれ、更に賊に攫われた娘を助けたら、いつの間にかな。その子は今、俺の大切な仲間、いや……それ以上だ」ヴレイズはその時の事を思い出し、豊かな笑顔を覗かせて酒を呷った。
「ふぅ~ん。その子に会ってみたいな。ま、お前が無名で安心したぜ。チョスコで悪目立ちしたら、面倒だからな」
その頃、魔王の居城の執務室で、魔王は机に向かっていた。書類片手に唸ってはサインをし、判を押し、丁寧に封をする。
そこへ、上品なノックと共に秘書長が現れる。
「失礼します。現在、西海岸沖にて、ウルスラとメラニーが水の賢者と交戦中です」
「ワザワザ俺様に報告に来ると言う事は、相当苦戦している様だな」魔王は疲れ目を押さえながら唸る。
「はい。海上でのリヴァイアは歴代水の賢者最強と言われるだけあり、圧倒的です。しかし、2人が負ける事は無いと思われますが、周囲の被害が尋常ではなく、貨物船が3隻ほど沈み、港町にも戦いの余波が届いております」秘書長は淡々と口にし、魔王の返答を待った。
「……ウィルガルムからは『直接行くな』って止められているんだが?」
「ですが、この戦いを止められるのは、貴方しかおりません。あぁ、こうしている間にもバルバロン国民の悲鳴が聞こえてくるようです」と、ワザとらしく耳を広げる秘書長。
「そこまで言われてはしょうがない。行かなくてはなぁ。ソルツ」
「はい」本名ソルツ・ペパーマンが頭を傾ける。
「甘い物と、にがぁいコーヒーを用意して待っていてくれ」
「かしこまりました」ソルツ秘書長が丁寧にお辞儀し終わると、目の前には黒い闇に魔王が吸い込まれていった。
北大陸西海岸沖では現在、嵐と大渦、ついでに雷が暴れ狂い、太古の怪物の様な水の化身が大海原を引き裂いていた。大型帆船すら木っ端みじんにする程の大竜巻がいくつも発生し、たった2人の女性目掛けて襲い掛かっていた。
「シャレにならないわね! お迎えに向かっただけなのに、こんな事になるなんて!」メラニーは大竜巻を片手で弾き飛ばし、魔獣の大口の様な高波を押さえつけ、跳ね返す。
「私ひとりで十分よ。文句を言うなら帰れば? これは私の戦いよ!」海原を一瞬で氷原に変え、自分のフィールドを作る。が、瞬きする間に氷が割れ、水の大拳が雨あられの様に降り注ぐ。ウルスラはそれを全て凍らせ自分のモノとし、海中で殺気を放つリヴァイアへ向けて放つ。
「ここで水の賢者を落とせれば、魔王様はさぞお喜びに……なぁんてね。あの人はそう言う事に興味がないのよねぇ~」メラニーは海中のリヴァイアを探り当て、そこに向かって海中大竜巻を発生させ、襲わせる。
リヴァイアはそれを簡単にいなし、海上へ上がり、優雅に海面に立つ。
「中々決着が付かないわね。侮っていたわ。貴女の事」忌々しそうに眉をピクつかせるリヴァイア。
「流石のリヴァイアも、2人が相手では分が悪いんじゃない?」挑発する様に口にするメラニー。口は軽いが、彼女の実力は周りが言う通り、賢者とほぼ互角であった。
「あんたの相手はこの私よ、リヴァイア!」氷の鎧を身に纏い、海面を凍らせながら間合いを取るウルスラ。
「そうね。ウルスラさせ大人しく来てくれたら、それでお仕舞なんだけどな……」
「そう簡単にいくと思わないでよ。ここであんたを殺して、氷属性の証明をして見せる……」
「それはあんたをコテンパンにした炎使いを倒してから言いなさい」
「黙れぇ!!!」ウルスラは氷面を勢いよく蹴り、殺気全開で飛びかかる。
すると、彼女らの間に真っ黒な闇が広がり、そこからスーツを着こなした魔王がぬっと現れる。
「待った」魔王は涼し気な顔で手を付き出した。
「「「んな!!!」」」その場にいた3人が仰天し、一気の周囲の嵐が収まる。
「ま、魔王……」急な大物の登場に狼狽し、手の震えをばれない様に背中で隠すリヴァイア。
「お初だったかな? 水の賢者、リヴァイア・シレーヌ。大海の監視者ノインは元気かな? 貴女は彼女の弟子、だろぅ?」と、獲物を目の前にした蛇の様に首をくねらせる魔王。
「ぐ……ん、そこのウルスラを引き渡して貰おうか! その女は……」
「サバティッシュを預けていたのだが、少々疲れが出てしまってねぇ。なにせ、たったひとりで一国を収めていたのだ。無理もない。故に、別の国へ配置換えをし、気分転換と療養を、ね。その案内役をメラニーに頼んだのだが……その邪魔をするのかな?」魔王は賢者を前に余裕を崩さず、笑顔のまま口にした。「おまけにこの戦いで我が国では小さな混乱まで起きている。例え管轄外の大陸でも、賢者として混乱はマズいだろう?」
「……ぐ」リヴァイアは気圧され、脚を一歩引く。魔王は明らかに殺気も魔力も帯びていなかったが、只ならぬオーラが海全体に広がっていた。大海はリヴァイアの味方だったが、この瞬間だけ、魔王の味方をしている様に見え、己の無力さを芯まで感じ取る。
「魔王様、これは私と、水の賢者の戦いなのです。例え貴方でも決闘の邪魔は……」ウルスラは己のプライドの為、震えを我慢し、ずいっと前に出る。
「邪魔?」
ここで魔王は初めて目を尖らせウルスラを睨み付けた。それ以上に何か言葉を続けられるように口を動かしかけたが、それをワザとらしく飲み込み、顔を賢者へ戻す。
「って事だ。お引き取り願おう。確かに俺様とククリスは敵対関係にあるが、俺様も無益な争いや人死には御免なのだ」
「ぐっ……くぅ……」リヴァイアは拳から血が滲む程に握りしめ、何も言わずに海へと吸い込まれて行った。そこでやっと海原は穏やかになり、潮風も落ち着く。
「言葉で喉を詰まらせんばかりだったな。腹を下さなきゃいいが」と、楽し気に口にしながらウルスラ、メラニーの前へ向き直る。「やぁウルスラ」
「ま、魔王様……」先ほどのにらみつけが効いたのか、ウルスラはすっかり殺気と魔力を解き、意気消沈していた。
「なぁ~邪魔はないだろぉ? 俺様はわざわざ、仕事を中断してここに来たんだぞ? 正直、言ってやりたい事は腐るほどあるが、これ以上お前の自尊心を傷つけても何にもならんからな……」
「も、申し訳ありません……」ウルスラは自分が何者か思い出した様に震えあがり、今にも泣き出しそうに顔を歪める。実際彼女は、六魔道団に入る前は魔王に負け、命を助けられた身であった。
「……まぁ、これから3か月休暇に入るわけだ。その間、傷ついた心身を癒し、万全になってくれ。その後、ビーボルブ国を頼む。あ、くれぐれも氷漬けにはしないでくれよ」と、だけ口にする。
「魔王様、申し訳ありません。賢者に後れを取ってしまい……」メラニーも魔王の睨みつけの巻き添えを食い、少々気落ちしていた。
「君が謝る事はない。よくやってくれている。休暇が欲しければいつでも言ってくれ。いいか? 仕事と休憩のバランスが取れていなければ、いい仕事は出来ないからな」
「はい……」
それだけ言い終えると、魔王は再び闇の中へと沈んでいき、闇の広がった海は普通の夜の海へと戻る。
すると、ウルスラは海面で膝を付き、涙をポロポロと流した。口に手を当て、静かな泣き声を漏らす。
「……一杯飲みたいなぁ……どう?」察したメラニーは彼女の肩に手を置いた。
「うん……」完全に心の疲れ切ったウルスラは、弱々しく頷いた。
「奢ってくれる?」
「お財布ない……」
「氷帝が『お財布』とか言わないでよ」メラニーは苦笑しながら波を呼び出し、それに乗って2人は遠くの港町へと向かった。
「おかえりなさいませ」魔王が帰ってくる頃、ソルツ秘書長はチョコレートケーキと湯気立ち上るブラックコーヒーを机に置いていた。
「ふぅ……その前に、」と、指を立てた瞬間、魔王の前に熱いおしぼりが差し出される。魔王はそれを受け取り、顔をゴシゴシと拭いた。「わかってるねぇ~」
「何年、貴方の秘書をしていると思っているのですか?」
魔王は早速、コーヒーの香りを楽しみ、何も言わずにケーキをペロリと平らげ、仕上げにまたコーヒーを飲み干す。
「一仕事終えた後のおやつはいいねぇ~沁みる……」と、口を上品に拭う。
「まだこっちが終わっていないのですけど?」と、机に乗った書類の小山を突く秘書長。
「厳しいなぁ……夜食にラーメン作ってくれるか?」
「味噌ですか? 醤油ですか?」
「コーンバターのチャーシュー厚切り二枚と煮卵と……」
「み・そ、でよろしいですね?」手に持ったステンレス製のお盆をベコリと凹ませる。
「はい……」魔王は秘書長の笑顔の威圧に押されながら、また一枚書類を手に取った。「そう言えば、ウルスラを負かした例の炎使いについて……調べておいてくれ」
「かしこまりました」秘書長ソルツは眼鏡をクイッと上げ、丁寧にお辞儀しながら執務室から退室した。
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