90.賢者の特別レッスン
ギオスの町の外れ、ラウ平原。
水の賢者リヴァイアは何の構えも見せずにヴレイズを高みから見下ろしていた。対するヴレイズは赤熱右腕を白熱化させ、戦闘態勢のまま彼女の様子を伺っていた。
模擬戦闘。ただヴレイズの実力を測る為、という理由でリヴァイアはこの戦いを申し込んだが、この戦いはそれ以上だった。互いの魔力がジリジリと擦れ合い、何も無い空間で火花が散る。
ヴレイズは己を試すと言う意味で、ウルスラとの時と同様の魔力を見せ、更に自分を超える勢いで高めていく。
「……クラス4になりたて故、まだ自分の器がどの程度かわかっていないみたいね。ま、そっちの方は自分ひとりで測りなさい」と、リヴァイアは彼の間合いにぬるりと入り込み、鞭の様にしなやかな蹴りを放った。
ヴレイズはそれを狼狽せずに避け、迎え撃つ。全身から目晦ましの炎を放ち、殺気を纏わせた分身を彼女の死角に配置し、ヴレイズ自身は一歩離れたところで赤熱拳を構える。
「甘い」リヴァイアが拳を強く握ると、水の波紋が周辺に広がり、ヴレイズが用意したまやかしを消し飛ばし、鋭い水弾を放つ。
ヴレイズは口笛を吹きながらそれを避け、また一歩距離を置いた。
「流石ですね」
「私に向かって流石って……ったく、勘違いしないでよ」と、口にした瞬間、リヴァイアの身体が霧散する。
「そこか!」と、ヴレイズが反応して拳を振るった瞬間、彼の脇腹に彼女の肘打ちが炸裂する。「がぁ!!」内臓を砕かれるような鋭痛が貫き、膝が折れそうになる。
そんな姿を見て、リヴァイアは呆れた様にため息を吐き、片手を腰に置いた。
「ったく、やっぱりウルスラを倒した事で調子に乗っていたわね。いいわ、クラス4の戦い方をたっぷりと教えてあげる」
リヴァイアの作り出した魔力の波に包まれ、ウルスラはサバティッシュより離れたククリスへと運ばれていた。彼女は抵抗する気が無いのか、無気力な表情のまま、波に身体を委ねていた。
するとそこへ、別の力に操られた波が横から、ウルスラを包んだ波に襲い掛かる。波は急停止し、リヴァイアの分身であるドッペルウォーターが海面から顔を出す。
「何者?」不機嫌そうな声を出すリヴァイアの分身。
「久しぶりね、リヴァイア……の分身」襲い掛かった者は六魔道団のひとり、メラニー・デプスチャンであった。彼女は海面に優雅に降り立ち、そのまま大波を固定してその上にちょこんと座る。
彼女の実力はリヴァイアに勝るとも劣らないと言われ、バルバロンでは絶大な信頼を得ていた。主に南海岸側の国々を任されており、海賊や密輸船団の取り締まりにも貢献していた。
「貴女はたしか、『大海の女王』って恥ずかしい二つ名を自称する魔王の手下だったわね」ドッペルウォーターはタダの分身に過ぎなかったが、性格やものの考え方は完全にリヴァイアと同じ物であった。
「分身のクセに、大口を叩くのね。私に勝てると思っているの?」と、メラニーが手を掲げた瞬間、大波が鋭い刃に姿を開け、無数に襲い掛かる。
しかし、この様な攻撃は水の化身たるドッペルウォーターには通じなかった。呆れた様に首を傾げるリヴァイアの分身。
「この程度なの?」
「やはり、分身は分身ね。ただのデクノボウだわ」メラニーは勝ち誇ったように分身の背後を指さす。
そこには氷のドレスを身に纏ったウルスラが立っていた。指を鳴らした瞬間、ドッペルウォーターは凍り付き、木っ端みじんのダイアモンドダストに変わる。
「助かったわ」ウルスラは頭を押さえて首を振り、重たそうに礼を口にした。
「寝起きでもこれだけ出来るなんて、流石ね」メラニーは笑顔で拍手する。
「で、魔王様にはもう伝わっている訳ね」
「えぇ。取りあえず、サバティッシュ国はパトリックの部下に任せるって仰っていたわ。貴女は北海岸側のビーボルブ国へ移動だって。それと、ウィルガルムが冷却装置の開発を手伝ってくれって」
「……サバティッシュを監獄島にする計画は?」
「しばし凍結、だってさ。皮肉ね~」メラニーがへらへら笑うと、ウルスラが彼女の口を睨み付け、氷のマスクを張り付ける。「んむっ! ん、んぅ!!」
「うるさい……ま、監獄島計画は先送りでも問題ないわ……でも、それじゃあ私の気が済まない!!」と、海面を殴りつけ、半径数百メートル先まで凍り付く。
「ぷはっ! ったく、らしくなく荒れるのね」と、口元の氷を砕き剥がし、凍った海面から脚を抜き取る。
「ヴレイズ……それにフレイン……ただじゃおかないわ。必ず礼はするわよ……」と、脚と拳を震わせる。が、力が抜けるのか膝からがくりと落ちそうになる。
「その前に、休憩ね。魔王様が3か月ほど休暇をくれるってさ。で、送ろうか?」
「お願い……」ウルスラは力なくその場で座り込み、今度はメラニーの波に身を委ねた。
「ちっ……逃げられたか」ウルスラ逃亡に気が付き、内心で舌打ちをするリヴァイア本体。彼女自身はヴレイズの連撃を紙一重で優雅にかわしながらも、鋭い一撃でカウンターを繰り出し、彼をボロボロにしていた。
「く……当たらない……」ヴレイズは息を荒げ、傷を押さえる。リヴァイアの一撃は全て重たく響き、防いでもそこが破壊され、骨に皹を入れた。
「貴方はまだ、クラス4の繊細な技術を体得できていない。それに、呪術に対応はできても、咄嗟に打ち破る程の応用力が低いわね。それから、まだまだ魔力の練り方もなっていない。だから避けるどころか、防ぐこともままならないのよ!」と、彼女は教師の様な口ぶりのまま、水で錬成された鞭で彼の背を激しく打つ。
「くぁっ!! この!」水を蒸発させる勢いで火炎を放つも、その炎はリヴァイアの水鞭を消し去る事は出来なかった。「なに?」
「ウルスラ同様、私の水にも耐火の呪術を書き込んであるのよ。それも、彼女のとは違ったタイプのね。それを見切り、対策するまで何秒かかるの? これが実戦なら、貴方はもう死んでいるわよ!」と、鋭く言い放ち、無数の水鞭でヴレイズを引っ叩き、更に懐に潜り込んで重たい拳をめり込ませる。
「ぐがっ!! っくっ!!」と、反撃するも、その全てが彼女の身体を捕える事はなかった。
「瞳に魔力を込め、動体視力を向上させ、さらに相手の身体に流れる属性を読み取り、動きを先読みする技術……これぐらいは備えないと、更に上には行けないわよ?」と、仕舞にリヴァイアは水龍を作りだす。それは大口を開け、勢いよく彼に襲い掛かり、あっという間に飲み込んでしまう。
水龍が通り過ぎると、ヴレイズはその場で大の字に倒れ、息を荒げていた。
しかし、身体に刻まれた傷は全て治癒し、破れた衣服も元通りになっていた。それどころか以前よりも綺麗に仕上がっていた。
「……完全に負けたな……」ヴレイズはポツリとつぶやき、天空を仰いだ。
「これは試合でも勝負でもないから、負けですらないわ。私の見立てだと、貴方の実力は中の下って感じね……ま、クラス4に覚醒したばかりだし、こんなモノね」
「……俺もまだまだか……」
「当たり前でしょ? しかし、初めてサンサの火に直接触れたけど……あいつとは違うわね」と、自分の指先を眺める。
「あいつ?」
「……私は東大陸を護る賢者なの。で、とある地域で炎使いの国を作ろうと活動する組織があるのよ。それを鎮圧してくれって頼まれて、私のドッペルウォーターが向かったんだけど……その組織のリーダーがサンサ族出身の者だったの。名前はグレイ。蒼い炎を操る、冷徹な男だったわ」
「グレイ……俺の、歳の離れた兄です……」ヴレイズは嫌な思い出に後頭部を小突かれた気分になり、表情を歪めた。
ヴレイズと兄のグレイは10歳程、離れていた。ヴレイズの記憶では、彼が4歳の頃にグレイは村中に喧嘩を売る様にして旅立った。
グレイは『燃やす物を選ぶ炎』には興味が無く、力を渇望していた。腕や脚から炎を噴かせ、力を誇っては、まだ足りぬと鍛錬を続け、父親や村長に更なる炎の、サンサの技術を求めた。
しかし、村長はグレイが力に呑まれる事を危惧し、彼に知識を与える事は無かった。それを不満に思い、グレイはだんだんサンサ村に不満を募らせた。
そしてある晩、両親と大喧嘩し、村を出て行った。
それ以降、彼とは再開する事は無かった。ヴレイズ自身、グレイはとっくに殺されたか、盗賊の親玉でもやっているのだろうと思っていた。
4歳の頃のヴレイズの目には、グレイは鬼の様に映っており、良くは思っていなかった。
「肉親なのね……だったら、貴方が彼の暴走を止めてくれないかしら? 私が行きたいところなのだけど、『蒼い炎』は少々やっかいで」
「蒼い炎……」
サンサの蒼い炎とは、ヴレイズの持つ『燃やす物を選ぶ炎』の真逆に位置する凶悪な魔法であった。
厄介と言う意味とは、この炎は『炎を含むあらゆる物、全てを焼き尽くす容赦の無い炎』であった。例え、炎を跳ね返す呪術を身に纏おうとも、バリアを張ろうとも、炎を味方にしようとも、それらを全てのみ込み焼き尽くすのが蒼い炎であった。
「あの炎で焼かれると、回復に時間がかかるのよ……連中が陣取っているのは内陸側で、海を味方に出来ないし、水使い対策も万全なのよ」
「……は、はぁ……」ヴレイズは弱ったように頭を掻いた。
「なぁによ! 水の賢者たる私が稽古をつけて上げただけでなく、更にこうしてお願いをしてるのよ? 断る気?」
「え……と」
「って事でヨロシク。私はこれから逃げたウルスラの追撃に向かうから。そう、貴方の後始末よ! それを考えると、貴方って何様なのかしら?」
「いや、ちょっと、勘弁して下さいよ……」ヴレイズは弱腰で表情を歪め、縮こまって行った。
「んじゃ、そっちは頼んだわよ~」
「いや、ちょっといいですか?!」ヴレイズがやっとの思いでいい出す。
「なぁにぃ?」イラついたように目を尖らせるリヴァイア。
「俺の仲間がウルスラとの戦いで重傷なんです……助けてくれませんか?」小動物の様に勢いのない言い方で機嫌を伺う。
「……なんであんたのお願いは素直に聞かなきゃいけないのよ」と、苛立ったように口にしながら、彼女は水の珠を作りだし、彼に手渡す。「これを飲ませなさい」
「あ、ありがとうございます!」
「その代り、アンタの兄貴は頼んだわよ!」と、殺気を滲ませながら口にし、あっという間に彼の前から去っていく。
ヴレイズはしばらくその場で立ち尽くし、力が抜けた様に膝から崩れた。
「……凄い圧力だった……流石は賢者……」
その後、ヴレイズはいそいそと診療所へ向かった。先ほどの理不尽な話を聞いて貰おうと、大きなため息と同時に扉を開く。
「フレイン~ さっきさぁ……」と、ベッドに目を向けた瞬間、表情が青くなる。
「よぉヴレイズ~~~! フレインはチョスコ行き、ノリノリだぜぇ~」
そこには赤ら顔のニックが酒瓶片手に高らかに声を上げた。
その隣で、身体の痛みを堪えながらも、ついに酒を呷ってしまったフレインがケラケラと笑っていた。
「ヴレイズ~! って事なんで、よろしくぅ!」
「……あ……もう、つかれちゃった」ヴレイズは白目を剥き、フレインの隣の空のベッドに倒れ込んだ。
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