88.氷に勝った者達

 轟々と燃える赤熱の右腕を鎮火させ、フッと安堵する様に息を吐くヴレイズ。崩壊したフィッシャーフライ城屋上から周囲を眺める。雪は全て溶けて蒸発し、本来のサバティッシュ国の姿が広がっていた。

「上手く行ったな」ヴレイズは地平線を眺めながらぽつりと呟く。

 彼はクラス4に覚醒した瞬間から、自分の魔力が何処まで届くか試していた。その範囲はこの城下町から地方全体、そして国全体へと広がった。雪を降らす暗雲、雪原、氷などを暖かなサンサの炎で炙り、水分も残さず蒸発させたのであった。被害を被ったのは、この生態系に慣れつつあったブリザード系の野生動物たちだけであった。

「は、はは……すげぇ……本当にやりやがった」ニックは呆けた表情で見上げ、口笛を吹く。

「流石、ヴレイズ」誇らしげな顔でフレインは静かに呟いた。

 そんな彼らの前へとヴレイズは緩やかに滑空し、ふわりと降りてくる。

「空まで飛べるのかよ……もはやなんでもありだな」

「……え? あぁ、俺、今、飛んでた? いや~、意外と出来るもんだなぁ……」照れたように頭を掻くヴレイズ。

「でさ……ウルスラだけど、死んだの?」フレインは重々しく尋ねた。

「いや……でも……」



 ウルスラはサバティッシュより真南の海岸へと不時着していた。全身傷だらけのズタボロではあったが、命に別状はなく、彼女の回復力なら問題の無い怪我だった。

 しばらく気絶していたが、砂浜の砂と波が耳に入り、飛び跳ねる様に目が覚める。取り乱した様に周囲を見回しながら立ち上がろうとする。

 しかし、彼女はまるで下半身に力が入らないのか、上手く立ち上がれず、壊れた人形の様に砂浜の上でもがいた。

「な、な? な……な?」下着姿のウルスラは、状況を確認しようと周囲の気配を探りながら氷の鎧を装着しようと魔力を込める。

 が、それも上手くいかず、氷は気が抜けた様に溶け落ちた。

「ぐ……力が、入らない……」彼女は悔し気な表情を浮かべ、脚や背骨に怪我が無いか確認をする。彼女の見立てでは、そんな重傷は負っておらず、何故上手く立てないのか、魔力を込められないのかわからなかった。

「何が? 私の身体に何が?」身体を震わせ、両手を砂浜につく。


「あら……私が来るまでも無かったかしら?」


 不意のセリフに濡れた髪の毛を逆立てるウルスラ。

 彼女の背後には、水の賢者リヴァイアが腕を組んで立っていた。

「リヴァイア!! 何故ここに!!」ウルスラは上手く動かない脚を無理やり動かし、強引にリヴァイアの方へ身体を向けた。

「あんたが来いって言ったんでしょ? 私のドッペルウォーターを壊したんだから……で、来たんだけど……どういう事? 誰に負けたの? ガイゼル? 彼を寄越すとは聞いていなかったけど……」

「くっ……」ウルスラは歯を剥きだし、拳から血が出るほど握り込む。

「その様子だと、格下に負けた様子ね。貴女ほどの使い手を負かすって……一体誰が?」

「話したくないわね」

「ま、そいつにぶっ飛ばされて、ここでへたり込んでいるわけね。立てない所をみると、背骨でも折れたのかしら? あら? あららららぁ?」リヴァイアはウルスラの身体に異変が無い事に気付き、悪戯気な笑みを浮かべた。

「なによ!」

「貴女、ただ腰が抜けているのね? なぁに? そんなに怖い目に遭った訳?」

「黙れ! 黙れ黙れ黙れ黙れ! 黙れぇ!!!!」ウルスラは氷柱を作りだし、彼女の顔面に向けて飛ばす。が、その一撃は一瞬で力なく溶け、砂浜にベチャリと落ちる。「ぐぅ!」

「それも、相当なトラウマを植え付けられた様子ね……島の外まで感じた貴女の魔力が、今じゃあ見る影もない……」

「うるさい!! うるさい……」

 ウルスラの脳裏と瞼の裏には、ヴレイズの巨大な赤熱拳に飲み込まれた記憶が焼き付いていた。その炎は彼女の身体を焦がすことなく、ただ衝撃波のみにここまで吹き飛ばされたのであった。

 その時の炎は彼女に「もう二度と戻ってくるな。もし同じ事を繰り返せば、次は消し炭にする」と、伝えた。

 その炎への恐怖がプライドを粉々に打ち砕き、ウルスラの心を蝕んでいたのだった。そのせいで魔力を練れず、足腰が全く効かなかった。

「ま、私は戦わずに済んでラッキーだけど……貴女を倒した実力者には一度、会っておきたいわね」と、ウルスラには目もくれず、歩きはじめる。

 すると、その場に数メートルの高波が発生し、一瞬でウルスラを飲み込む。有無を言わさずに波は引き、穏やかな海へと戻っていく。

「貴女は丁重に、ククリスへ連行するわ。快適な旅をお約束……は、できないわね」



 ヴレイズ達がギオスの町へと戻る頃には夜更けになっていた。ニックは犬ぞりを持ち主へ返し、その足でさっさと酒場へと向かう。

 ヴレイズとフレインは診療所へと向かい、ダンガ達の様子を見た。

 国の雪は溶けたものの、彼らの受けた氷の呪いは解けておらず、未だに苦しんでいた。ウルスラが倒れても、呪いは解けることがなかったのであった。

 ヴレイズはフレインを、今迄自分が寝ていたベッドに寝かせる。

「ヴ、ヴレイズか? まさか、これはお前らが?」ダンガはもはや目も見えず、仲間のリームルから伝え聞き、強張った顔で無理やり笑う。

「それよりゾイをどうにか助けられないか?! 暖かくなったせいで溶けかかっているんだ! このままじゃ……」と、慌てた顔で声を荒げるリームル。

 ヴレイズは慌てず、まず氷漬けになっているゾイから助けた。彼女の胸の中心に手を当てる。彼は彼女の呪われた氷を溶かしながらも、肉体をヒーリングで維持し、ゆっくりと解凍する。

 しばらくしてゾイの肌や髪に艶が戻り、同時に呼吸が回復する。瞼の下で眼球がゴロゴロと動き、しばらくして寝息が立つ。

「安定した。彼女からすれば、やっと安心して眠れたってトコロだ。数日は看病してやってくれ」ヴレイズは笑みを浮かべ、リームルの肩に手を置く。

「はは、助かったのか? 本当に助かったのか?!」

「あぁ……そして、俺の恩人も」と、ダンガの隣に腰を下ろし、同じように胸に手を当てる。彼の凍り付いた魔石を解凍し、弱り切った身体に炎の回復魔法をゆっくりと流し込む。彼の腐りかけた肉体、内臓が徐々に回復していく。

 ダンガの表情から皺が取れ、やっと眠りについた。

「ふぅ……」ヴレイズは最後に、フレインの身体の傷を診る。彼女は元気そうな表情で微笑んでいたが、身体の傷は酷く、ヴレイズの回復魔法では治し切る事は出来なかった。

「ここからは私の仕事だ。やっとまともに仕事が出来るよ」と、診療所のドクターが現れ、フレインの身体の傷をヒールウォーターで癒し始める。

「なぁ、本当にウルスラを、あの氷帝を倒したのか?」リームルはヴレイズの肩を掴み、揺り動かす。

「ま、もう二度とこの国が氷で包まれることはないな」



 それから数日間、ギオスの町だけでなく、国全土がお祭り騒ぎで包まれた。

 今迄彼らは、『雪で包まれた今のままでいい』『現状維持が一番』と、やる気のない顔で呟いていた。ある者はベッドの中で布団に包まり、またある者は酒場に入り浸って冷えた身体を酒で温めて、互いを慰め合っていた。

 いざ救われたなら、無気力だった彼らにやる気と活気が戻っていき、今後の生活や仕事の為に、過去を切り替える為に彼らは宴を繰り広げた。

 ウルスラが倒れた報告はサバティッシュ王にも届き、早速、フィッシャーフライ城へと戻った。瓦礫と化した城を目にし、王族たちが愕然としたのは言うまでもない。

 そして、傷を癒したヴレイズはダンガ達と共に、酒場で久々のまともな食事を楽しんでいた。

 フレインはまだ傷が完治しておらず、診療所に残っていた。

 そんな彼女には構わず、否、忘れたのか、ニックはあっという間に飲んだくれに戻っており、赤ら顔で酔っ払い連中と飲み比べを行っていた。

「なぁ、お前があの女を倒したのかぁ?」ひとりの酔っ払いがヴレイズの肩をむんずと掴む。ヴレイズが頷くと、彼は何を考えているのか、手にしたグラスの中身を一気に飲み干す。「けっ! 余計な事をしてくれたもんだぜ! 今迄、ただ酒を飲んでいるだけで良かったが……こうなっちまったら、恐らく魔王からの援助はなくなるだろう。また、仕事と寝床の往復だけの生活に逆戻りだ! ったく、やってらんないぜ!」

 それを耳にし、ダンガが表情を歪め、肩の筋肉を盛り上がらせる。

 しかし、酔っ払いは顔を緩め、ヴレイズの背中を叩いた。

「ありがとうよ! 正直、毎日酒を飲んで、酔いつぶれて寝る生活ってのは、ぬる~い地獄なんだ……まるでリアルな死後の世界の様だぜ。しかも、寒さのせいでやる気なんか出るわけがない……全部お前のお陰だ! 飲め!!」と、彼は酒瓶をヴレイズ達の卓にドンと置き、自分の席へと戻って行った。

「やる気を奪う地獄か……まさに、そんな牢獄だったな。この国は」ヴレイズは納得する様に頷き、右腕で酒瓶を持ち、グラスに注ぐ。

 その右腕を、ダンガ達は不思議そうに眺めた。

「そんなフレイムフィストは初めて見たな。たまに、欠損した手足を属性魔法で補う使い手を見た事があったが、炎をそんな風に使うのは初めてだ」リームルはヴレイズの赤熱腕をマジマジと眺める。

「俺も真似したいが、そんな器用にコントロールできないな」と、ダンガも失った右腕にフレイムフィストを生やすが、それは激しく火花を散らし、テーブルクロスを焦がし、慌てて引っ込める。

「サンサの炎のお陰だ。それと、まだクラス4の魔力を自在にはコントロール出来ていない気がするんだ。コツを教えてくれないか?」

「俺が教えられるかな? 既にお前は、俺の数段上の使い手だろうに……」

 そんな会話をする彼らを目の前にして、先日目覚めたばかりのゾイは首を傾げた。

「……親し気だけど、昔の知り合い?」

「お前は随分長く眠っていたからなぁ……」リムールは呆れた様に笑いながら酒を呷った。

 その後、彼らは夜を徹して酒場で飲み明かした。

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