85.ふたりの炎

 犬ぞりに乗って雪原を猛スピードで走らせるニックは、フィッシャーフライ城下町へ入る。巧みに手綱を操り、建物の間をスルリスルリと奔り抜け、あっという間に城門まで辿り着く。

「早かったな……」血の混じった咳を吐きながらヴレイズが感心する。

「基本、操作できる物ならなんでも得意だぜ? 馬車も、船も、飛行船もな」

「飛行船?」

「一度乗ったことがあるんだよ。操舵手が酔いつぶれて、臨時の代理ってやつでな」

「お前が潰したんだろ?」

「あ、わかる? 一度乗ってみたくてさぁ~ でも、生きた心地がしなかったから、あれにはもう二度と乗らねぇ」と、布団簀巻きのヴレイズを担ぎ、城内へ運ぶ。

「もう平気だ……この布団を解いてくれ……」まったく大丈夫ではない顔色でヴレイズが口にする。

「……わかった」ヴレイズが大丈夫ではない事は彼が一番よく知っていた。全身の血行が悪く、内臓機能が激しく低下し、もう数日も長生きできない身体であった。それでも前へ進もうとする意志の強さに感じ入り、ニックは彼をここまで連れてきたのである。

「で? 作戦は?」ニックはヴレイズに肩を貸しながら口にする。ヴレイズの身体が所々腐り、崩れかけている事に気付く。

「……そんなもの無いな……生まれてこの方、作戦なんて考えた事がないんでな……でも、フレインは絶対に連れて帰る……じゃないと、ガイゼルさんに申し訳がない……」

「策無しかよ……よく今迄生きてこられたな」

「……今迄仲間に頼ってやってこられたからな……今は別行動だし、俺が不甲斐ないせいでこのザマさ……」ヴレイズは自嘲気味に苦しそうに笑い、少しずつ歩く。

 玉座の間に近づくにつれて嫌な予感が色濃くなっていく。フレインが戦っているなら、城の外まで轟音が鳴り響いていてもおかしくなかった。それが少しも聞こえないと言う事は、既に戦闘が終わっているという事であった。

 そして、フレインが氷帝に勝てる可能性は、ゼロに近かった。



 玉座の間への扉を開くと、そこではヴレイズが予想した最悪の展開が繰り広げられていた。

 フレインは見る影もないほどにズタズタに引き裂かれ、転がっていた。傷口は凍り付き、そのお陰か腸が飛び出ずに済んではいたが、凍傷を負って腐っていた。

 ウルスラは満足そうな笑みを浮かべながら、フレインの凍った頭にハイヒールで踏みつけ、頭部に皹を入れる。

「フレイン……」ヴレイズは叫びたくとも力が入らず、代わりに激しく咳き込む。

 そんな彼の代わりに、ニックが瞬時に駆け寄り、ウルスラに向かって自慢の棒術を放っていた。棒の先端に圧縮した空気弾を纏い、顔面目掛けて振るう。

 ウルスラは一瞬で距離を取り、突如の襲撃者の顔を見て首を傾げた。

「まったく、最近の訪問者はアポを取る事を知らない様ね……」呆れた様にため息を吐き、胸の下で腕を組む。

「おいフレイン! 返事をしろ! フレイン!」ニックは我を忘れた様に彼女を揺り動かす。フレインの頭は内側から凍らされており、瞳からは既に光が失われていた。

それでもまだ、心臓は弱々しく動いていた。

「で? 何の用かしら? 言っておくけど、その娘は持って帰る事も許さないわよ」ウルスラは冷たく言い放つ。「それに、もう手遅れ。脳を凍らせたから、解凍したら耳から溶けた脳が流れ出る事になるわ。残念だったわねぇ~」

「言いたい事はそれだけかよ! このクソ女!」ニックは棒を身体の周囲で高速回転させ、ウルスラに飛びかかった。彼は決して戦闘員タイプの人間ではなかった。

 しかし、例え勝ち目のない戦いであっても、飛びかからずにはいられなかった。

「本当、最近は馬鹿ばかりで困るわ……」



 ヴレイズは動かない身体を無理やり動かし、少しずつフレインへ這い寄った。骨が軋み、砂利が詰まったようになった腕で彼女を抱き寄せる。

「フレイン……っ」言いたい事は沢山あったが、何から言えばいいのかわからず、言葉を詰まらせる。

 フレインは今までにないほどに傷つき、瀕死を通り越し、生きているのが不思議な状態であった。

 そんな彼女を目にし、半年前のアリシアを思い出す。最後に彼女と別れた時、互いに死にかけており、助かったのはほぼ奇跡であった。

 あの時程、ヴレイズは己の無力さを痛感した事はなかった。

 死にゆく大切な人。何もできず、自分も瀕死。

 ただただ足掻き、気まぐれの様な奇跡で助かったが、自分でアリシアを助けた気にはならなかった。

 むしろ、アリシアの信念の強さによってヴレイズの方が助けられた様なものであった。

 ヴレイズは己を情けなく想い、同じことは繰り返さないと誓った。

 しかし、起きてしまったのである。今まさに、フレインは眼前で死にかけており、自分も後を追う運命にあった。

「情けないな……あの時からちっとも変わってない……」俯き、歯の間から小さな声を絞り出す。

 すると、微かに小さな声がヴレイズの心を叩いた。

「ゥ……゛……ェ……ィ……ゥ……」声や言葉になっていない微かな唸り声がフレインの口から漏れ出る。彼女の脳はシャーベットの様に凍っており、話す事が出来る筈がなかった。

 だが、凍った彼女は確かに話した。

「フレイン?」瞳に涙を浮かべ、ヴレイズが問いかける。

「…………、…………」虫の鳴くような声を出す。

 何を言っているのか聞き取れなかったが、ヴレイズはその内容を感じ取る事が出来た。


「フレイン……頼む……こんな時に言うべきじゃないんだが……力を貸してくれ……ほんの少しでいいんだ……」


 ヴレイズはフレインの手を左手で強く握り、祈る様に頼んだ。

「……………」フレインの目は何も見えず、耳も聞こえていなかった。しかし、ヴレイズのぬくもりだけをしっかりと感じ取り、彼が何を欲しているのかを心で理解した。

 握られた手を通して、体内に残った最後の一絞りの魔力、火の粉の様に小さな魔力を送り込む。それは『巨龍崩火』と同じ性質を持った、フレインの最後の火だった。

 それが彼の体内へ送り込まれ、凍った魔石に沁み込む。

「……フレイン……」ヴレイズは彼女の頭を力強く抱き、静かに涙した。



「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」ニックは片脚を凍らされ、地面に転がってのたうち回っていた。得物である棒も砕かれ、もうなす術もなかった。

「本当になんなの? 勝ち目も無ければ策もない。ただの雑魚ばかりがアポのなくやって来て……私は別に戦いたいわけでもなければ、ゴミ虫を凍らせて喜ぶ程暇でもないのよ!」と、氷の鞭でニックを打つ。

 彼は背中を引き裂かれ、城中に響くほどの悲鳴を上げた。

「そうねぇ……私の元で働くなら、命だけは助けてあげるわよ? あぁ、それなら脚を凍らせるんじゃなかったわね……」と、鞭をのたくらせながらニックを甚振る様に眺める。

「冗談じゃねぇや! だったら、この場で死んだ方がm」と、言うとまた背中に鞭が炸裂する。血が瞬時で凍り、紅い粉が飛ぶ。

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」背中の傷は凍り付き、凍傷となって腐り始めていた。

「ふん。なら、死になさいな……ったく、つまらない」と、這いつくばるニックの頭を踏みつける。

 すると、眼前から眩い光が照らして来るのに気付き、目を細める。首を傾げながらその光の正体がヴレイズである事を知り、目を丸くする。

「な、なに? なんなの?」

 ヴレイズは全身からサンサの炎を滲みだし、フレインの傷を癒していた。凍り付いた裂傷が塞がり、凍傷が癒える。更に凍り付いた頭も、何事も無かったように解凍され、フレインの顔に表情、頬の赤さが戻る。

 ヴレイズはゆっくりとコートを脱ぎ、彼女の身体を隠す様にかける。

「……んぅ……ん? ヴレイズ?」フレインはゆっくりと目を覚ます。

「よかった、後遺症はないみたいだな」と、優しく彼女の額に左手を置く。「本当によかった……」

 ヴレイズはゆっくりと起き上り、今度は這いつくばるニックへと歩み寄り、左手を置き炎で包み込む。

「……暖かいな……これがサンサの火ってやつか……」ニックは炎の回復魔法に癒され、腐りそうになった背中がみるみるうちに回復し、脚も元に戻る。

「俺の回復魔法は未熟だからな。あとは魔法医に仕上げて貰ってくれ」と、彼を引き起こし、フレインを抱き上げる。「さ、戻ろう」


「どこへ行くつもり?」


 一部始終、あえて手を出さずに見ていたウルスラが声に苛立ちを混ぜながら問う。

「奇跡だか何だか知らないけど、都合の良い事が起きたみたいね。まぁ、また凍らせればいいだけだけど」


「奇跡なんかじゃないさ」


 ヴレイズは振り向かないまま答え、玉座の間から去ろうと歩み始める。

「待ちなさい」指を鳴らすと、扉が閉まり、分厚い氷に包まれる。「勝手に帰る事を私が許すと思う?」

 ヴレイズはフレインをニックに預け、ゆっくりと振り向き、鋭い目でウルスラを見た。

「戦っても無駄だ。お前は大人しくこの国を去った方がいい」冷静な口調で言い、一歩前に出る。すると、鼻先を氷の鞭の先端が掠める。

「誰に口を訊いているつもり?」瞳を血走らせ、額に血管を浮き上がらせる。

 ヴレイズは右肘から赤熱化した腕を構築させ、炎を揺らめかせた。

「お前だ。氷帝ウルスラ……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る