84.逆襲の氷帝

 ギオスの町、診療所の扉が開き、雪まみれになったニックが震えながら入ってくる。外はコートを剥がす勢いの大吹雪になっていた。

「フレインが何処にもいないぞぉぉぉ! こんな吹雪じゃ風魔法で探す事もできやしない!!」と、凍え切った身体を震わせながら暖炉の前に座る。

「……まさか、うそだろぉ……」目の下を真っ黒にしたヴレイズは、更に血の気が引いていく。

「ウソじゃねぇ! 外に出るのは自殺行為だ! どんなに頑張っても探す事は……」

「いや、違う……俺にはわかるんだ……」と、ベッドから無理やり起き上り、ヨロヨロと立ち上がる。

「無理するなよ! マジで死んじまうぞ! ってぇか、何がわかるんだ? フレインの居場所か?」

「あぁ……彼女は多分、ひとりで氷帝を倒しに向かったんだ……間違いない」と、ヴレイズは自分のコートを苦しそうに羽織ろうとするが、上手く身体が動かずに膝を折る。

「だからって、お前が行かなくても……それに、今のお前が外に出たら、間違いなく死ぬぞ! ろくに目も見えなし、片腕のクセによぉ!! 何が出来るんだよ!!」と、窓を指さす。外はまさに、人を殺す勢いの吹雪が吹き荒れていた。

「大丈夫だ……もっと厳しい目に遭ったことがある」苦しそうに笑うヴレイズ。

「でもよぉ……俺は行きたくないぞ?」と、ニックは扉から身体を背け、舌打ちを鳴らす。

「……別にいいさ。今迄、ありがとう」ヴレイズは「当然だ」と言わんばかりに頷き、やっとの思いでコートに袖を通し、扉のドアノブに躊躇なく手を掛ける。

「まてまてまてぃ!!!」急にニックが彼の腕をガシリと掴む。

「止めるなよ」威嚇する様に目を鋭くさせるヴレイズ。

「だから待てよ、つまんねぇ男だなお前! 着いて来て欲しかったらよぉ、もっと言う事があるだろ? それをまるで赤の他人を突き離すみたいにさぁ……」

「……一緒に来てくれるのか?」意外そうな声を出すヴレイズ。

「だからさ! 俺みたいな運び屋を相手にして、何か頼み方があるだろぅがよ!」

「面倒くさいヤツだな、お前」

「なんだその言い方!! もう頭来たし、面倒はこっちのセリフだ!! 行くぞ、ヴレイズ!!」と、彼は燃えた炭の入った缶を厚手の布で包み、ヴレイズの背中に入れ、更に彼の身体を毛布で包み、簀巻きにする。

「これじゃあ外を歩けないんだが……」

「俺に任せておけ、用意ならある! 俺を誰だと思ってるんだ?」

「……飲んだくれの運び屋か?」今度はワザとらしく口にして見せるヴレイズ。

「そんな口を叩けるって事は、まだ余裕がありそうだな」と、扉を開ける。

 すると、外から攻撃するような吹雪が彼らを出迎え、あっという間に顔面を真っ白に染める。

 ニックは堪らず一旦、扉を閉めた。

「やっぱこんな日はさ、暖炉の前で温めた酒を片手にお喋りでも……」

「…………」

「わかったよ、冗談だよ! いきますよ!」



「くっ……あぁ……さ、て……どうやって、帰ろうかな……」玉座の間で倒れ込んだまま、フレインは息も絶え絶えになりながら頭を悩ませていた。

 筋肉は悲鳴を上げ、骨を全身万遍なく皹が入って軋み、内臓にも深いダメージを負っていた。指先ひとつ動かせず、炎も出せず、寒気に晒されていた。

 だが、それでも心は幾分か穏やかだった。憎き氷帝の顔面を潰し、打倒したのである。賢者に匹敵する力を持つ六魔道団のひとりを独力で倒した事は彼女にとって、とても大きかった。

 そして何より、ヴレイズを救う事が出来たかもしれないのである。彼女に取ってそれが一番の収穫であった。

「参ったなぁ……痛ぃ……」身じろいだだけで全身に激痛が奔り、頭が「動くな」と命令した。戦いの最中ならこんな命令は無視できたが、今はそれが出来なかった。

 するとその時、近場で転がっていた氷帝ウルスラの指先が氷床を引っ掻く。小さな音ではあったが、風の吹く音しかしないこの部屋では十分聞こえる大きさであった。

「……!?!」フレインは身体の痛みを忘れ、亡骸の方へ首を向ける。そこには未だ、頭から蒸気を上げるウルスラが転がっていた。

「……吸血鬼じゃないもんね……大丈夫……」と、安堵のため息を吐き、目を瞑る。

 そんな彼女を尻目に、ウルスラは音も無く、手も足も使わずに起き上った。顔面には氷の仮面を貼り付け、腹にも氷がへばり付いていた。それらに皹が入り、パラパラと落ちる。

 そこでまたフレインが目を向ける。夢か幻覚かと思い、表情を顰める。


「……驚いたわねぇ……ここまでやってくれるなんて」


 ウルスラは何事もなかったように歩き始め、徐にバスローブとスリッパを脱ぐ。指を鳴らした瞬間に氷のドレスとハイヒールを身に付け、氷の瓦礫の中から手鏡を取り出す。鏡を覗き込み、顔の具合を確かめ、微笑を浮かべる。

「うん、以前より肌の艶が良くなったわね。片目の視力がまだ回復仕切らないけど、まぁじき戻るでしょう」と、手鏡を取り落とし、そこでやっとフレインの方へ顔を向ける。

「……っ……」立ち上がろうと身じろぐが、それが出来ずに表情を歪めるフレイン。

「残念だったわねぇ……賢者レベルにもなると、急速回復魔法を身体に仕込み、致死レベルの怪我をしてもこの通りよ。パパに教えて貰わなかったの? フレインちゃん」と、瀕死の獲物を目の前にした猛獣の様にゆっくりとヒールを鳴らす。

「くっ……んぐっ!」悔し気な表情を滲みだし、全身の痛みに襲われる。

「でも、大したものよ。クラス3のクセに、あの馬鹿力。格下を相手に侮ってはいけないって教えを久々に思い出したわ。正直、敗北感まで味わったくらいよ」と、ワザとらしく拍手する。

 しかし、ウルスラの心中はもっと無様なモノだった。

 実際、彼女はフレインに腹を打ち抜かれる直前、敗北感よりも先に恐怖一色に染まっていた。眼前の黒い炎と強大な殺意、魔王が如き闇の存在を感じ取り、彼女は蛇に睨まれた蛙の様に固まり、全く動けなかったのである。

 こんな思いは魔王を目の前にした時以来であった。

 今のフレインにはそんな気配は微塵も感じてはいなかったが、先ほどまでの恐怖色が、一気に憎しみ一色に染まっていた。

「さ、賢者の娘フレイン……簡単に死ねると思わない事ね」ウルスラは彼女を髪をむんずと掴み、無理やり引っ張り起こし、殺意の滲む笑顔を鼻先まで近づけた。


 

 その頃、ヴレイズ達は殺人的な吹雪の中を猛然と進んでいた。いつの間にかニックが用意していた調教済みのブリザードドッグ15頭を用いたソリに乗り、フィッシャーフライ城へ向かって奔らせていた。

「酒場で作った縁がもう役に立ったぜ。酒の力も、馬鹿にできないだろ?」と、ゴーグルとマスク越しに口にするニック。

「何を言っているか全く聞こえないな」

「もうすぐ到着だ!! いいか、忘れるなよ? 今回の報酬はあの酒場で1週間飲み放題だ! それと、生きて帰る事! いいな!」吹雪で声がかき消されようと、話し続けるニック。

「だから聞こえないって……」

「声が響いて来るだけマシだな! 生きてる証拠だ! 構うもんか、俺は話し続けるぞ!」

「はは、マジで何言ってるか聞こえねぇ……」ヴレイズは楽し気に笑いながら応え、肩を揺らした。

しかし、これからのプランは何も無く、勝機も無ければ、生きて帰れる保証も策も無かった。ヴレイズは心中で「こんな時に仲間たちがいれば」と呟きかけたが、眼前で犬ぞりを奔らせるニックを見て、何とかなるんじゃないかと淡く思っていた。



 フレインは玉座の間の氷壁に叩き付けられ、声にならない悲鳴を上げていた。前のめりに倒れそうになると、ウルスラの氷拳が腹にめり込み、更に乱打が襲い掛かる。全身の骨が砕け、体内の何かが破裂し、熱が口から飛び出る。

「っ……ぁ……゛……」防御どころか避ける事も出来ず、彼女はただ殴られるがままにされ、氷床を赤く染め、ゴロンと転がる。

 ウルスラは返り血を薄氷で防ぎ、パラパラと払い落とす。

「こんな程度で済むと思わないことね。私の気はこの程度では済まないし、私なんか腹を抉られ、頭を砕かれたのだから……ね!」と、尖ったヒールの先でフレインの顔面を蹴り飛ばす。

「う……ぐっ」己を奮い立たせ、無理やり起き上ろうとするフレイン。彼女はもう、魔力を練る事も炎を絞り出す事も出来なかったが、闘志だけはまだ死んではいなかった。

 やっとの事で立ち上がり、ウルスラの方へ顔を向ける。

 その瞬間、氷の鞭が襲い掛かった。氷の結晶がしなやかに結合し、それはまるで処刑用の鋼鞭であった。肉の爆ぜる音が響き、肉片と紅が辺りに飛び散る。

「ほらほら、折角立ち上がったんだから、もっとがんばりなさいな」と、ウルスラは楽しそうに、倒れ行くフレインの両手を氷のロープで縛り、天井吊りにし、そのまま滅多打ちにする。

 フレインはもはや、苦悶の声すら上げる気力は無く、ただ氷帝の蹂躙に身を任せるだけだった。次第に痛みも寒さも感じなくなり、ウルスラの話す言葉すら頭に届かなくなる。

 ただ不気味な冷たさを胸の内で感じ取り、ただ涙が溢れ出た。

「さて、飽きてきたわね……トドメにどうしてくれようかしら……」と、氷ロープの拘束を解く。フレインは崩れる様にその場に倒れ、微かに痙攣を繰り返した。

 ウルスラは再び、氷瓦礫の中へ手を入れ、何かを取り出す。

それは一本の氷柱だった。

それをフレインの口へグリグリと押し込むウルスラ。

「ほら、さっき『お前がしゃぶれ』とか言って投げ返した氷柱よ。最後のチャンスをあげるわ。これをこの場で舐め溶かす事が出来たら……あの炎使いの呪いを解いてあげるわよ」と、守る気の無い約束をチラつかせる。

 フレインはそれに応える様に、右腕をゆっくりと動かす。

「ほら、自分で持って……ね」と、微笑み、氷柱を彼女に手渡そうとする。

 その時、フレインの手から小さな火炎弾が放たれた。それがウルスラの顔面に再び命中し、頬に小さな火傷を負わせる。黒い煙をプスプスと上げたが、火傷はあっという間に氷で包まれ、完治と同時にパラリと落ちる。

「それが答えってわけ……本当に最後まで……」ウルスラは額に血管を浮き上がらせ、歯を剥きだしにした。

 そして、フレインのヘソに向かって氷柱をぶち込み、そのまま踏みつける。突き刺さる音が物騒に響き渡り、真っ白な蒸気が勢いよく吹き上がる。

「がっ……ぁっ……ぁ゛……っ」白目を剥き、ガクガクと痙攣を繰り返すフレイン。何も感じなかった身体に襲い掛かる、腹を噛み砕くが如き激痛は耐えがたく、頭の中でゆっくりと流れ始めていた走馬灯がブッツリと切断される。

「……そうね、生かしておく必要はないか……心臓でもくり抜いてガイゼルに送り付けてやろうかしら……身体は凍らせてオブジェにでもしてやるわ……でも、その前に……」と、フレインの頭を掴み、カタカタと震わせる。

「あんたの頭を凍らせて、踏み砕いてやる……」ウルスラの顔面を殴られた恨みは根深く、目は殺気に満ちていた。

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