78. ズタボロの2人、雪の中の逃走

 フレインを包み込んでいた炎のベールが消え、一気に彼女を寒気が襲う。褐色肌に鳥肌が立ち、くしゃみと共に起きる。その衝撃で、まだ完全に治り切っていない傷が悲鳴を上げ、表情がくしゃりと歪む。

「くぁっ……いってぇ……寒いぃぃぃぃぃ……」曇った目を擦り、状況を把握しようと周囲の気配を探る。脳内は未だに歪み、眼前で何が起こっているのか、把握しきれていなかった。

 彼女の眼前では、右腕を失ったヴレイズがウルスラに嬲られていた。

 ウルスラはフレイルの先の様なゴツい氷塊を作りだし、ヴレイズの顔面に叩き込んでいた。彼はその勢いで向こう側の壁までスっ飛ばされ、叩き付けられる。力尽きる様に前のめりになるが、それを許さぬようにウルスラが再び彼の顔面に氷塊を叩き込む。

「ぐぶぅあ! ……ぐっ」顔面の骨が陥没し、穴という穴からドロリとした血が流れ出る。

 その場でばたりと倒れ、氷の床を赤黒色で汚し、その場でもがく。

「まだ動けるの? しぶといわねぇ!」ウルスラは今度は氷のロッドを作りだし、棒術の名人の様に身体の周りで高速回転させる。その勢いのまま顎を掬い取って無理やり起こし、そのまま棒先で乱打する。

 ヴレイズは防ぐことが出来ず、ただ叩かれるままに身を任せ、ボロ雑巾の様に宙を舞って床に叩き付けられる。

「ま、ここに来たからには最低でも1人には死んでもらわなきゃね。貴方たちも、それぐらいは覚悟してきたのでしょう?」と、棒先でヴレイズの心臓に狙いを定め、躊躇なくそれを突き入れる。

「がぁっ!!! くっ!」胸を突かれ、自然に左腕で棒を掴む。心臓には突き入れさせまいと堪えるが、今や力は入らず、氷棒がズブズブとめり込んでいく。

 あと数ミリで心臓に到達、というところで彼は身体の軸をズラし、寸でのところで致命を外す。氷棒はそのまま彼の肉体を突き破った。熱い血がドクドクと流れ出て行き、ヴレイズの顔色が死人色へと変わっていく。

「本当にしぶといわね……でも」と、氷棒に魔力を込める。このまま氷棒の形を変え、棘こん棒に変え、抉ろうと企んでいた。


「ヴレイズゥゥゥゥゥゥゥぅゥゥ!!!!」


 状況を把握したフレインが飛ぶように2人の間に割って入り、氷棒をへし折る。

「あら、邪魔する気?」ヴレイズの前に立ちはだかった彼女を忌々しそうに眺めるも、余裕の表情だけは崩さない氷帝。

「ヴレイズ、大丈夫?」ウルスラには目もくれず、ズタボロ成り果てた彼の容態を確認する様に問いかける。

 彼はフレインの身体に体重を預け、体勢を崩した。

「……フレイン……ひとりで逃げてくれ……」ヴレイズはグシャグシャになった顔を隠す様に俯き、荒く呼吸を繰り返す。

「いつもらしくないじゃん! 早くこんなヤツ、2人でやっつけようよ!」

「頼む……逃げてくれ……俺たちじゃ、勝てない……」と、ヴレイズは膝を折り、糸が切れた様に前のめりに倒れる。

「ヴレイズ? ヴレイズ!!」フレインは彼を必死になって揺り動かす。だが、彼はもう何も応えなかった。

「彼はもう終わりよ。魔石を凍らせたの。例え生きていたとしても、もう二度と戦えないわ。ま、放っておけば徐々に凍り、生きながらに氷像となるわ」ウルスラは勝ち誇る様に説明し、一歩近づく。


「貴女も、同じようになりたい?」


 ウルスラはフレインの胸に触れようと、スッと手を伸ばす。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 フレインは苦し紛れに炎を撒き散らした。上下左右、城内を焼き尽くす勢いで炎嵐を巻き起こす。

「あらあら2人揃って見苦しいわね……こんな炎、ちっとも熱くないわ。これじゃあ、ただの目晦まし程度にしかならないわよ?」

 ウルスラが手をかざすと、一気に吹雪が吹き荒れ、フレインの起こした炎の突風を一気にかき消す。

 しかし、眼前に2人の姿は無く、血溜まりのみを残して逃げ去っていた。

「あら、本当に目晦ましだったのね……」ウルスラは小首を傾げながらその場で跳躍し、一瞬で玉座へと戻る。

「ま、最初から逃がすつもりだったんですけどね。あの娘はメッセンジャーよ。炎の賢者ガイゼルを呼ぶための、ね」と、氷の玉を作りだし、手の中で弄ぶ。

 彼女はガイゼルに勝てる確固たる自信があった。

 一国を凍らせるほどの魔力、炎を跳ね返す氷、そして戦闘力。全てにおいてガイゼルを超えていると自負していた。

 彼を倒せば、バルバロン国内での地位を確固たるものに出来、魔王軍内での立場も他の6魔道団よりも頭ひとつ分抜きんでる事が出来ると考えていた。

「……今の私なら、あの男に勝てる……確実に!」と、ウルスラは手中の氷球を握り潰し、城内に響くほどの高笑いを張り上げた。



 その頃、フレインはヴレイズを背負い、フィッシャーフライ城下町跡の雪の中を進んでいた。急いであの場から逃げたため、コートを忘れてきてしまい、素肌を吹雪に晒したまま極寒の中を歩いていた。

「う゛う゛う゛……ざ、ざぶぅい゛ぃぃぃぃぃぃぃ」フレインは表情を真っ青に濁らせ、身体に襲い掛かる雪に耐えた。ザクザクと雪を踏みしめ、刺すような冷たさに必死で耐える。

 背負ったヴレイズも氷嚢の様な冷たさであり、このままでは命の灯が消えてしまう、という予感が不気味に首筋を過る。

「このままじゃ、2人とも凍死しちゃうな……」と、ヴレイズを自分の身体に縛り付け、両手に松明を持つ。少しでも彼の身体を温めようとするが、今にも消えそうな松明の炎で冷えていく肉体を温めるのは難しかった。

 その上、フレインも先ほどの戦いで傷を負っており、吹雪吹き荒れる雪原の中で、いつもの様な無茶は出来なかった。フィッシャーフライ城の中で戦った時の傷は塞がってはいたが、逃げる際に少し開き、暖かな血が脚を伝って流れ出ていた。

「く……ここからギオスの町まで遠いなぁ……」ヴレイズを背負い直し、吹雪に打たれながら身体を震わす。

 ヴレイズ程ではないが、彼女の体力も枯渇しかけており、今にも膝を折りそうになっていた。

「……ふん! いい試練だ! ここから無事に町まで引いて、態勢を立て直し、次こそあの女を!」と、意気込むが雪に足を取られ、顔から雪へダイブする。彼女の足は、既に感覚が無く、凍傷にかかっていた。

「むぐ……く、くぅ……ふんぬぅ!!!」弱った足腰に鞭打ち、無理やり立ち上がってゆっくりと歩を進める。

「絶対に戻るからなぁ!! 戻ってくるからなぁ!! みてろぉ!! ウルスラめェ!!!」



 ゴーウ雪原を歩き始めてから2時間、フレインの歩幅が徐々に狭くなり、ついには数分ずつ止まりながら一歩一歩進む。彼女はヴレイズと違い、魔力を体力へ変換する術を持たなかった。それ故、彼女の足は今や鉛の様に重くなり、根性だけではどうにもならなくなっていた。

 その根性も降りしきる雪と冷気に搾り取られ、彼女の心は今や折れかけていた。

「く……ぁ……す、少し、休めば……」と、脚を止めようとするが、弱くなるヴレイズの心音を感じ取り、身震いする。「や、ヤバい! ど、どうすれば……」

 持ち物の中の貴重な回復剤の殆どは無くなり、彼女には『こういった事態になったらどうすればよいのか』という知識も持ち合わせていなかった。

 そう、そこの所は殆どヴレイズ頼みであった。

 そこへ追い打ちをする様に、遠くから獣の遠吠えが響き渡る。その鳴き声は、彼女らをマークしていたサーベルウルフの群れであった。

「もう! いい加減にしてよ!!」悲鳴を張り上げる様な声を出し、膝を震わせる。

 そんな彼女をよそに、サーベルウルフたちは涎を垂らし、舌を振り乱しながら獲物目掛けて駆けていた。4匹程両サイドへ回り込むように向かい、もう2匹が後方から走る。そして、最後の1匹は余裕を持った歩幅で駆け、瞳を光らせていた。

「くそ! 片っ端から焼き殺してやる!!!」

 フレインは両手から火炎を噴き出し、結界を作る様に周囲に灼熱の壁を作り出す。

 だが、サーベルウルフたちは炎を恐れずに灼熱壁に突っ込み、フレインの間合いへ入り込む。

「なにぃ!!」

 サーベルウルフたちは炎に対する恐れより、フレイン達から香る血の刺激と空腹の方が勝っており、血眼で襲い掛かる。

「フ、フレイン……」背中から注意を促す様に声をかけるヴレイズ。彼はサーベルウルフたちの襲撃パターンを予習している為、それを彼女に教えたかった。

「わかってる! 手足から先に狙ってくるんだよね!!」彼女は記憶の片隅に彼の蘊蓄を止めており、次々に襲い来るサーベルウルフたちの喉や腹に向かって鋭い突きを放つ。

 しかし、矢継ぎ早の攻撃に両手が追い付かず、1匹の牙に襲われる。

「くあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」サーベルウルフを象徴する2本の前歯が上腕に食い込む。更に腕をそのまま肩ごと引き千切る勢いで首をブンブンと振る。

「ふぬ!!」フレインも負けじと前歯を一撃でへし折り、蹴り飛ばす。そのまま魔力を練り上げた火炎を放ち、サーベルウルフたちを炭になるまで焼き払う。

「どうだ! く……ぅ」腕に突き刺さった残った牙を引き抜き、火で止血する。

「ヴレイズ……大丈夫だからね……大丈夫だから……」ヨロヨロと立ち上がり、炭となり燻るサーベルウルフの骸を蹴飛ばす。

 すると、雪の中に隠れていた最後の1匹が飛びかかり、フレインの腹の傷口に思い切り噛みついた。

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 完全に油断していた彼女は、そのままハラワタの一部を食いちぎられ、雪原に転がった。真っ白な雪に紅溜まりが出来上がり、徐々に広がっていく。

「……ぐ……ぅ……くぅ!!!」目に涙を浮かべながら火炎弾を連射し、最後の1匹を焼き殺す。呼吸が乱れ、脂汗を垂らしながらも脚を震わせながら立ち上がる。

 満身創痍でふらつきながらも方角だけは見失わず、少しずつではあるが確実にギオスの町へと近づいていた。

「はぁ……はぁ……はぁ……も、もうすぐだから……が、頑張って、ね……」自分以上に死にかけているヴレイズに声を掛け、心音を確認し、頷く。

 すると、正面から大きな影がのそのそと歩み寄って来ていた。

 フレインは町の身周りの者だと思い込み、安堵のため息の後に最後の力を振り絞って大手を振った。

「こ、ここだよぉ……! た、助けてぇ……!」声が思うように出ず、内心情けなく思うフレイン。

 少しずつその影が近づいて来る。それは近づく度に大きくなっていき、やがてそれが人ではないと気が付く。

 それは町の見回りではなく、空腹状態のブリザードベアだった。

「じょ、じょうだんでしょ?」ついにフレインは雪原に膝を付き、奥歯をカタカタと震わせた。

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