79.シラフなら救世主!
ブリザードベアを目の前にして、ついに戦意喪失したフレイン。諦めた様に顔から覇気が失せ、力なく項垂れる。彼女は今にも泣きそうな声を小さく漏らし、身体を小刻みに震わせた。
そんな彼女に気付いたヴレイズは、彼女の背で蚊の鳴くような声を出した。
「フ、フレイン……」最後まで諦めるな、と続けたかったが、ここで力尽きる様に気絶する。
「ヴレイズ……くっ!」彼の意志に応える様にゆっくりと立ち上がるフレイン。心に火が再び灯り、生き残ろうとする意志が燃え上がる。
眼前のブリザードベアは全長4メートルほどあり、通常個体より少し大きめであった。この程度の熊なら、普段の彼女なら朝飯前の相手だった。
普段の彼女、ならである。
今は満身創痍であり、寒さで弱り果て、更に瀕死のヴレイズを背負っているのである。これだけのハンデを引き摺った状態で戦ったことは、未だかつてなかった。逆境状態でも平常心でいられるよう鍛える炎牙龍拳の訓練にも、ここまでハードなモノは無かった。
ブリザードベアはフレインの様子を診るように前傾姿勢のまま鼻をヒクヒクさせ、軽く唸って見せる。
相手は明らかにフレインの事を侮っていた。
「う……くぁぁぁぁっ!!」苦し紛れにブリザードベアへ向かうフレイン。彼女は雪熊の頭を蹴り登り、そのまま背後へと回ってそのまま逃げるのを試みた。
その動きにブリザードベアは瞬時に反応し、前足で彼女の顔面を捕え、数メートル先まで吹き飛ばす。破裂した様に血が飛び散り、壊れた人形の様に転がる。
「あ……が……」首の千切れる様な衝撃、激痛を超える灼熱の様な熱さに襲われ、フレインは指一本動けずにいた。意志に反して身体が撥ね、溶けた鉛の様なドロリとしたモノが口から溢れ、真っ白な雪を汚す。
そんな瀕死の彼女にのそりと近づくブリザードベア。勝ち誇る様なその足取りは、まるで嫌味の様だった。
「ぁ……ぅ……」視界がぼやけ、ただ寒さと生暖かさのみを感じるだけになったフレイン。
『自分は確実に死ぬ』
フレインの頭にこの言葉が木霊し、自然と涙が溢れる。
ブリザードベアはフレインの腹の傷に鼻を押し付け、舌なめずりする。
すると、そんな雪熊の頭上から何者かの影が覆い被さる。不意を突くようにその者は手にした棒を高速回転させ、その勢いで雪熊の脳天を一撃した。堪らず咆哮し、襲撃者の方を見やる。
「痛かったか?」
その者はシラフに戻ったニックだった。彼は得意の棒術でブリザードベアの視線を翻弄した。棒の先端に風の魔力を纏いながら再び振り回す。
「おい、フレイン! ヴレイズ! 生きているのか? 折角迎えに来たんだ! 死ぬんじゃないぞ!」
食事の邪魔をされ、上体を起こし後ろ足で立ち上がるブリザードベア。怒り心頭で咆哮し、標的をニックに変える。目を血走らせ、涎を撒き散らし、勢いよく突進する。
「獣って奴ぁ、正直でいいねぇ~」ニックも突撃し、雪熊の手前で棒で地面を叩き、高跳びの要領で再び雪熊の頭上をとる。
先ほどの一撃で雪熊の脳天には皹が入っていた。ニックはそこを正確に突き、棒で一撃した。
彼の棒術は棒の先端に風の衝撃波を纏い、叩く瞬間にその魔力を解放し、衝撃を数十倍に高めると言う、攻撃なモノであった。
彼の目論見通り、雪熊の頭は砕け散り、一気に力が抜けて雪にダイブするブリザードベア。そのまま動かなくなり、雪がダイアモンドダストとなって舞い散った。
「シラフだったら、朝飯前だな。まだ酒が残ってるかな~ んで、大丈夫かい? お2人さん」彼は事情を知らずに軽やかな足取りで2人に歩み寄った。
ヴレイズとフレインはピクリとも動かず、顔面を雪に埋もれさせたまま何の反応もしなかった。
「……おぅ……まじか」
暖かさとふんわりとした匂いで目を覚ますフレイン。彼女の身体全身には包帯が撒かれ、両足はタライに満たされた温められたヒールアルコールに浸かっていた。部屋の外からは湯気が流れ込んできており、彼女の鼻を擽った。
「……おなか減ったぁ……」ぼんやりした頭で天井を見上げ、ゆっくりと呼吸する。
しばらくしてエプロンをしたニックが現れる。ここはギオスの町にある数少ない建物である宿だった。
「おぅ、起きたか」何かを食べながら口にし、フレインの額に触る。「ん、まだ高いな。37度8分かな」
「ねつ?」
「2日間ずっと、寝ていたからな。その間、色々と治療させて貰ったぜ」と、彼女の身体に巻かれた包帯を指さす。「食べる体力はあるか?」
「うん……は! ヴレイズは?! ヴレイズは無事なの?!」いきなり飛びかかり、ニックを押し倒す。が、体力が底を尽いている為、そのまま崩れてしまう。
「落ち着け、あいつは無事だ。あまり無事とは呼べないが、生きてはいる。まずはお前が万全にならないとな」
「会せて! 本当に無事なの?! えぇ?!」噛みつく様に怒鳴り、歯をギリギリと鳴らす。
「ま、まずは食えよ……な?」
その後、フレインはベッドでニックお手製のポトフを食べた。トロトロに蕩けた野菜とスープが優しく胃を刺激し、身体を温める。
「……料理上手なんだね」意外そうな目を向けるフレイン。
「ひとりで仕事をしていると、自然にな」
「それに、強いんだね。あの熊をひとりで……」『自分でも勝つのは朝飯前』といつもなら鼻息を荒くしたが、今の彼女にはそんな元気はなかった。
「喧嘩なら常勝無敗だぜ。化け物相手でも、今の所はな」
彼が言うには、ヴレイズは現在、町の診療所で、同じ症状で昏睡するダンガの隣で寝かされていた。
最初はフレインもそこに運び込まれ、魔法医が傷の治療を行ったのである。その後、熱はニックが看病したのであった。
「早く会いに行こうよ!」と、フレインは言うがまだ熱は引いておらず、万全ではなかった。
「まず、お前が治ってからだな。外は常に雪景色だ。今のお前が出たら、またぶり返すぞ?」
「う……うん……」落ち込む様に表情を暗くさせ、ポトフをもう一口食べる。
「どうした? 元気がないな?」
「……なんでもない」
「なんでもあるな、こりゃ」
その頃、ヴレイズは寒さを堪えながらベッドの上で座禅を組み、いつもの様に瞑想をしていた。全身包帯に巻かれていたが、彼は平常心を保ちながら体内の凍り付いた魔石を探る様に集中し、深く深呼吸をする。
その隣では、同じ症状であるダンガは相変わらず寒さに喘ぎ、苦しみながら臥せっていた。
「どうしてそんな事ができるんだ?」傷をある程度直し、ゾイとダンガの看病をするリムールが問いかける。
「俺は以前、似た様な呪術を喰らった経験があるんだ。その時は、魔力暴走だったが、今回はその真逆。何か共通点があるはずなんだ……何かヒントが」
「いや、瞑想なんて出来ないだろ? 普通……」
今のヴレイズは、体内に常に冷気を放つ氷を入れられた様なモノだった。体温は下がり、普通なら臓器不全を起こし、瞑想どころか話す事も出来なかった。
「じっとしていても事態は好転しないって事もわかってるんだ! それより、俺に話しかけないでくれ。瞑想の邪魔だ」と、それ以降、ヴレイズは口をつぐみ、冷たい息を吐きながら集中した。
「ねぇニック……」フレインはベッドに入り、毛布を被りながら問うた。
「なんだ?」煙草を咥えながら応える。
「ニックは何で、あたし達を助けてくれたの?」と、不思議そうに首を傾げた。
通常、運び屋稼業の様なグレーゾーンな仕事をやる者は、金を払わなければ何もやらなかった。何を頼んでも「幾らだ?」といいながら指をすり合わせ、相手の足元と財布具合を伺うモノだった。フレインはそういう仕事人を数人知っており、ニックもその手の人間だと思っていた。
「助けるのに理由が必要なのか?」
「いや、でも……不思議でさ。なんか……」今となっては恩人の彼に対し、失礼な口を訊いた、と反省する。
「……お前らなら、この国を救えると思ってよ……助けたいんだ、俺はこの国を」と、煙を燻らせる。
「もしかして、故郷なの?」
「いいや……俺の故郷は北大陸内陸の小さな国だ。今はもう、バルバロンと名乗っちまっているがな。知っているか? 魔王の手にかかった国がどうなるか……文化を侵食され、砂糖の様に甘い政策で徐々に国らしさを奪われていくんだ。で、仕舞には自分でバルバロンの旗を掲げる様になっちまうんだ……この国には、そうはなってもらいたくないんだ……」
「……もしかして、魔王討伐とか目指してる?」
「馬鹿言え……ひとりで何が出来るって言うんだよ……って、無駄話している暇があったら早く寝ろよ。風邪の時は寝るのが一番だ。その間に、俺がヴレイズの看病してやるよ」と、彼は素手で燻る煙草の火を揉み消し、灰皿へ叩き付けた。
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