42.窮地の娘たち

 ヴレイズ達が廃工場に到着する頃、すでに真夜中となっていた。周囲では獣の遠吠えや虫の音、霧が不吉に立ち込めていた。

 広場には戦った後なのだろうか、血の跡が池の様に広がっており、異臭が立ち込めていた。にも拘らず、死肉を漁る獣は一匹もおらず、まるで何かに怯える様に茂みの向こう側で震えていた。

「……この血、匂い……3人分だな」鼻を動かしながらケビンが呟く。血の池の前で跪き、目を細めながら血に触る。

「この量……まさか……」と、ヴレイズは血の中に残った魔力の痕跡を探る。フレインの血ではないかと焦り、目の奥を震わせる。

 目を瞑り、微量な3人分の魔力を感じ取る。ひとりは水使いの吸血鬼と思われる何者か。もうひとりも吸血鬼で女性、彼が思うにレイチェルの物だった。

 そして、最後のひとりは良く知った炎使いのものだった。

「フ……フレイン……」ガクリと膝をつき、奥歯を震わせる。

「慌てるな。この量の比率……殆どはバズガとレイチェルのモノだ」焦らず騒がず、ケビンは更に周囲の痕跡を探り、廃工場の入り口を見る。

「ここで3人ともやり合ったわけか……まさか、2人とも攫われたのか?」

「……廃工場の方へ何か引き摺った跡があるな……いや、這った跡か?」ケビンは大剣に手を掛けながら中腰で入口を潜る。目を赤く光らせ、罠を警戒する様に周囲の気配を慎重に探る。

「この気配はフレインだ……フレイン!!」ヴレイズが一歩踏み込むと、ケビンがそれを遮り小声を出す。

「慌てるな。バズガの罠の可能性もある……慎重に頼むぞ」

「あぁ……」荒くなった息を整え、瞳に炎を灯す。炎眼法という、暗視と動体視力の向上する技だった。廃工場内をゆっくりと進み、周囲の死角と成り得る場所へと気を配る。

 すると、ケビンが小部屋の片隅で小さく呼吸をする者の気配を感じ取り、そこへと目を凝らす。

 そこには汗だくで薄目を開けたままフレインが床に転がっていた。

「フレインっ……」ヴレイズは今にも飛び出しそうな己を押さえ込み、まず彼女の周囲に罠が貼られていないか確かめる。

「よく堪えたな。どうやら、バズガはもうここにはいない」

「フレイン!!」ヴレイズは彼女を抱き起し、容態を確かめる。

 彼女の全身は何かに貫かれており、更に腹には風穴が空いていた。更に手足を骨折し、虫の息だった。おまけに首筋に噛まれた痕が残っており、そこから血管が浮き出て脈打っていた。

「こ、これは……」嫌な予感が奔り、手を震わすヴレイズ。

「吸血鬼に噛まれた痕だな。バズガの野郎……」ケビンは唸りながら拳を握る。

「……んっ……ぅ……ヴレイズ?」

「フレイン! 大丈夫か?!」

「……熱い……」フレインには炎とは違う不快な熱を感じていた。それは、吸血鬼化を促す呪術に抵抗する身体の熱だった。彼女は生まれてこの方、風邪を拗らせたことが無いため、こんな体験は初めてだった。

「第一段階だな……これが1日続き、2日目に納まって喉が渇き、3日目に……残念だ」ケビンは既に諦めているかのような声を出しながら目を瞑った。

「……ヴレイズ……あたし、吸血鬼なんかになりたくないよぉ……いやだ……あたしはあたしのまま強くなりたい……っ!」彼女は涙を一筋流し、声を震わせた。



 その頃、バズガはアジトに戻り、食用に飼っている女性のひとりの血を吸い尽くしていた。彼女らは催眠で感情を殺されており、奴隷の様に働かされていた。

 そんなアジトの床に、レイチェルは拘束もされずに転がっていた。目を血走らせ、喉を掻き毟り、声にならない声を絞り出していた。

「ケビンの血で変異したとはいえ、喉は乾くか……」バズガは彼女に甚振るような目を向け、クスクスと笑った。

「くっ……ぁ」彼女は普段は渇きを殺す事が出来たが、今は状況が違った。彼女は大量出血しており、渇きが普段の数十倍ほど酷くなっていた。吸血鬼の渇きは性的なものだったが、彼女のソレはもはやそれを超えていた。

「喉が焼けるだろ? それに思考もドロドロだろう……え? 飲みたいか? 普段は獣の血程度で抑えられるだろうが、今回のコレはどうだ?」と、地面に這いつくばる彼女を眺めながらソファーに座る。

「よ、よけいな、お……おせわだ!」と、口ではいいながらも、先程バズガが飲み干した女性を物欲しそうな目で眺める。口元は涎で濡れ、犬歯が普段よりも鋭く伸びる。

「ふぅむ……」バズガはまた甚振るような目を覗かせ、奴隷女をひとり呼び寄せる。

「……うっ!」レイチェルは彼女を赤い目で睨み、口をぱっくりと開けた。

「飲みたければ飲むがいい。俺の奢りだ」と、奴隷女を蹴り飛ばし、レイチェルの眼前に転がす。

「う……ぅ……くっ」レイチェルは彼女に両手を伸ばし、まるでご馳走を眺める様な赤い目を光らせる。バズガはそれを楽しそうに前のめりになって眺めた。

 レイチェルは彼女の首筋に向かって大口を開いたが、目を強く瞑り、奥歯を噛みしめる。そして、両手を大きく叩き、催眠を解く呪文を唱える。すると、奴隷女は目をパチクリさせ、辺りを見回した。

 そんな彼女の前にレイチェルは背を向けてヨロヨロと立ちあがる。

「に、逃げて……」と、彼女は眼光を鋭くさせ、構える。

「全く……痛々しいな」バズガは瞬時に彼女の背後に立ち、訳も分からず辺りを見回す奴隷女の喉の齧りつき、ものの数秒で全身の血を呑み切る。レイチェルはそれを何もできず見ていることしか出来なかった。

「くっ!! うぅぅぅぅ……」

「複雑な表情だな。いい顔だ」と、吸い終わった女を床に転がす。

 すると、背後からボレガーノが現れる。

「バズガ様、到着しました」

「来たか……くくく」



 アジトの広間には、黒勇隊のレッドアイが穴の開いた鎧の具合を確かめ、忌々しそうにため息を吐いた。

「あの炎使いめ……」と、替えの鎧を黒く塗りながら歯の間から絞り出す。

「まったく、かの黒勇隊が遅れを取るとは…」広間の奥の影で何者かが笑う。

「も、申し訳ありません……」

 そこへバズガとボレガーノが現れる。

「呪術兵器部門の所長さんがこんな所へワザワザお越しいただけるとは……我々も偉くなったもだ」バズガは上機嫌に口にする。

 この所長と呼ばれる男は『ヴァイリー・スカイクロウ』だった。ウィルガルムがクリスタル兵器なら、彼は呪術兵器と呼ばれる、また違った恐ろしさを持つ兵器の開発責任者だった。

「貴重な数百年前から生きる吸血鬼だからね。私の最大の目標である『進化の秘術研究』にはどうしても必要なのだよ」ヴァイリーは眼鏡を暗闇で光らせながら口にし、立ち上がった。

「進化の秘術?」

「そう……このレッドアイ君も興味津々な研究だ。人間はどんなモノにでも進化できるのだ。吸血鬼は進化の途中段階に過ぎない。その更なる向こう側を研究する必要があるのだ」

「我々は、もうじきその向こう側へ到達できるのだ……」バズガが口にしすると、ヴァイリーは突然大口を開けて笑った。

「浅い浅い……たかが、吸血鬼が弱点を克服するだけじゃないか。そんなもの、サンプルにしか使えんな」

「なんだと? 無礼な男だな……所詮、貴様らに渡すのは搾りかす程度である事を理解して欲しいな」バズガは負けずに口にしたが、ヴァイリーはまだ笑っていた。

「たかが不老不死よ。強欲な王がよく欲しがる秘術とは言うが……言っただろう? それは途中経過に過ぎんのだよ。で、計画の方は上手くいくのかね? それ次第では、来た甲斐が無いというものだ」

「心配するな。ケビンなら必ず乗ってくる」バズガは調子を狂わせ、フンと鼻息を鳴らした。

 そんな彼をボレガーノは黙ってみているだけだった。



「ヴレイズ……あたしを、殺して……」フレインは息絶え絶えで苦しそうに口にした。

「なに?」

「あたしは、人のままで……バースマウンテンの炎使いとして死にたい……だから、変わってしまう前に……」


「お前はそんなに弱かったのか?」


 ヴレイズは厳しい眼差しを彼女に向けた。

「簡単に諦めるのがフレインなのか? まだまだこれからだって言うのに! たかが吸血鬼の呪いにかかった程度で弱音を吐くのが君なのか?! ガッカリしたぞ! 何が殺せ、だ! 死にたいだ! 馬鹿かお前!!」叱る様に怒鳴り、歯を剥きだす。

「何よ! あんたに何がわかるのよ!! あたしは……あたしは化け物なんかになりたくないのよ!!!」

「ヴレイズ……今は優しい言葉をかけてやるのが情けってもんだろ?」ケビンがたしなめる様に口にする。

「アリシアだったら……こんな事で弱音は吐かないだろう。それに、俺を信じてくれる」と、ヴレイズはフレインの身体を『燃やす物を選ぶ炎』で撫でた。

「アリシアさん……まぁ、確かにそんな気がするな」

 ヴレイズは目を瞑り、炎でフレインの体内を探る。

「以前はエレンがいたから探れたが……俺だけで出来るか……」と、彼女の身体に障らない様に注意深く探る。

 すると、彼女の心臓付近で何か黒い靄を感じ取る。

「なぁケビン。吸血鬼化の治療研究をやってるんだよな?」

「あぁ……今の所の俺の目標だな」

「その……吸血鬼化の呪いは、どんな感じに作用するんだ?」

「……噛まれた場所から発熱し、心臓まで移動する。そこから癒着して肉体の細胞ひとつひとつに行き渡り、変異させる」

「だったら……癒着する前なら間に合うな」と、ヴレイズは靄に向かって熱を注入し、焦熱させる。彼女の内臓は傷つけず、あっという間に呪いの靄を焼き払ってしまう。

「どうだ? フレイン……」

「……え? うそっ……胸の鈍さが消えた」

「マジか?」ケビンはフレインの瞳孔や顔色、汗、脈拍、熱を確認し、変異が止まった事を確認する。「マジだ……ヴレイズ、お前……」

「いいか、フレイン。簡単に殺して、とか死ぬとか言うなよ。もっと仲間を信頼してくれ」ヴレイズは優しく笑いかけ、ぐったりした彼女を抱きかかえた。

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