32.フレインと酒の席
その日の夜、ヴレイズはガイゼル宅の酒の席に呼ばれていた。そこには戦士たちは同席していなかった。フレインは少々浮かない表情でヴレイズの隣に座り、酒を呷っていた。
「どうしたんだ?」頬を赤くしたガイゼルが尋ねると、彼女はそっぽを向いた。
「別にぃ」目をクリクリと動かし、煙に巻くような言い方をしながらもう一杯飲み下す。
「それにしても、このお酒は美味しいですね~」ヴレイズはバースマウンテン自慢の地酒『バース・ウェスト』に舌鼓を打ち、ゴゴンギャの肝酢を味わった。
「だろぉ? 先代の町長さんと酒工房の皆が頑張って作ったんだ! 美味いと言ってくれると嬉しいよ」と、ガイゼルも一杯飲む。
「お酒の話じゃなくてさぁ~」フレインはヴレイズに顔を向け、目を尖らせた。「他にも話す事、あるんじゃない?」
「え?」ヴレイズは先ほどまで、ここ1年での旅話を彼らに話していた。特にグレイスタンでの話は彼らの興味をそそり、ガイゼルは大きく唸りながら感動していた。
「お前が話したいんじゃないか?」ガイゼルが口にすると、フレインが膨れ面を作った。
「……話すよりも、拳で語りたいんだけど……な」と、拳に炎を揺らめかせヴレイズを見る。
「おいおい、今はやめてくれよ」
「冗談だよ。ま、明日ね、明日」
「明日も勘弁だなぁ」と、やり難そうに答えるヴレイズ。
すると、フレインは我慢できず、爆発する勢いで立ち上がり、ヴレイズに向き直った。
「ねぇ! どうやったらそんなに強くなれるの!!」
燃え盛る様な勢いでヴレイズを睨む。
彼は参ったように笑い、目を泳がせた。
「おい! ヴレイズ殿が困っているじゃないか! それに、強くなる秘訣なぞ、今の話を聞いていればわかる事じゃないか!」穏やかながらに激しい口調で話すガイゼル。
「はぁ? わからないから聞いているんじゃん! そんな都合よくポンポン強くなれるわけないじゃない!」フレインはここで悔しさを露わにして怒鳴った。
ボルコニア城で会った時のヴレイズとフレインは、実力だけなら互角だった。故に、彼女は彼の事をライバル視しながら今迄、クラス4になる為の訓練を積んでいた。
だが、一向に覚醒できず、さらにヴレイズが習得していたクラス3.5の技すらも物には出来ていなかった。
「そんな! 俺だって結構努力してだなぁ!!」ヴレイズは短期間ながらも、血の滲むどころか全身の血を絞り出すような努力と経験を積み、ここまで強くなったのである。決して楽な道ではなかった。
「でも、都合よすぎだよ! あのヴェリディクトやブリザルド、それに魔王の右腕ぇ? 半年の間にそんな強豪とやり合えるわけないじゃん!! ズルいよ!!!」火を吐く勢いで怒鳴るフレイン。
「……そりゃあ、魔王討伐の旅をしていれば……」ヴレイズがボソボソと口にすると、フレインはむんずと胸倉を掴んだ。
「まおうとうばつ……たった4人で? バッカじゃないの!!」
「こらぁ!! それ以上言うと、ワシがただじゃおかんぞ!!」ガイゼルは噴火する様に口にする。
フレインはしばらく父親と唸りながら睨み合い、ついには出て行ってしまう。
「ばぁか! ばぁーーーーーーっか!!!」陳腐な捨て台詞を吐き、バースマウンテンの奥へと姿を消してしまう。
「まったく……娘の無礼をどうか許してくれ……」勢いを鎮火させ、熱い溜息を吐く。
「いえいえ……それより、フレインは何故あそこまで強くなろうとするんですか?」ヴレイズが尋ねると、ガイゼルは一杯喉へ流し込み、目を瞑った。
「フレインは、本当は俺の親友の娘なんだ」
いきなりの告白に、ヴレイズは表情を固めた。
「そのことを、彼女は?」
「戦士の儀が終わった後、告げた。そうしたら、『それでも、あたしはガイゼルの娘だ!』ってな……だが、実の父親の死を告げたあと、あいつは変わった」もう一杯酒を注ぎ、流し込む。
「……殺されたんですか?」
「あぁ……しかも、あのヴェリディクトにな」
彼のこの言葉に、ヴレイズはやりきれない表情で俯いた。ガイゼルはヴレイズに酒を注ぎ、話し始めた。
14年前、ガイゼルが32の頃、炎の賢者に就任する。その時、彼には親友でありライバルである男がいた。
その名は『ヴォルカ』。彼はクラス4の実力者であり、当時ガイゼルと賢者の座を争ったひとりだった。
賢者に成りたての頃、ガイゼルとヴォルカは2人である男を倒そうと、とある町へ向かう。その町は、その男が所有する地であった。
その男の名はヴェリディクトだった。
ガイゼルたちは己の実力を信じ、ヴェリディクトの話す言葉には耳を貸さずに立ち向かた。
しかし、結果は悲惨なものであった。
ガイゼルは手も足も出ず、更にヴォルカは片手を残して飴の様に溶かされたのであった。
その時、ガイゼルの心に恐怖が植えつけられ、2度とヴェリディクトには逆らう事が出来なくなったのであった。故に賢者会議に彼が乱入した時、何もできなかったのである。
そして、当時2歳だった母も身寄りもないフレインを引き取り、今の今迄大事に教育してきたのであった。
「……つまり、仇を討つために、強くなりたいと……」以前の自分を見るようで悲しくなるヴレイズ。彼はヴェリディクトに故郷を奪われていた為、他人事とは思えなかった。そして、『ヴェリディクトを倒す』という目標がどれだけ険しい道か、彼はわかっていた。
「……あいつは、間違った者を追っている。目を覚ましてやりたいんだが……」ガイゼルはまた一口煽り、ヴレイズを見た。
「俺も、以前はあいつを追っていましたが……今は追おうとは思っていません……一度触れればわかります。あれは絶壁すら生易しく思える程の壁です」
「そうだ……それに、追い続ければ、間違った人生を歩むことになるだろう。やはり、事実を伝えたのは間違いであったか……」
「……」ヴレイズは、泣きそうな表情のガイゼルを見て、額を押さえて考え込んだ。
その頃、フレインはヴォルケフォールのマグマ溜まりで、体内の魔力循環を速める訓練をしていた。弾ける火花、跳ねる溶岩、灼熱の中で彼女は精神を集中し、魔力を加速させる。
しかし、心中で暴れる思いや焦りが加速を阻害し、やがて汗を噴き出しながらへたり込む。
「ちくしょう! あ゛~! 酔いを冷ましてからだ!!」と、褐色肌をマグマに晒し、雄叫びを上げる。
すると、道場からボルンが現れる。騒がしい彼女に恐る恐る近づき、肩を叩く。
「フレインさん?」
「う゛わっ! ビックリしたぁ! なんだボルンかぁ……」少々残念そうに口にする。
「誰ならよかったんです?」
「うるさいなぁ!! あ、そうだ! あたしと試合しない? ねぇ?」
「お断りします……殺気立っていますし、荒れていますし、酒の匂いがしますし」と、赤ら顔のフレインを見て、微笑むボルン。
「あっそ、つまんなぁい」それだけ言い、フレインはマグマ溜まりの近くを宙返りしながら舞った。
しばらくフレインは得意な炎牙龍拳の舞の訓練をしていた。
「ねぇ、ボルン……ヴェリディクトと一戦交えたんだよね?」
「……いえ、触れる間もなく洗脳され、気付いたら片足が無くなって……町の近くに」と、己の義足を見る。精工に出来たそれは、魔力を込めれば以前の足の様に動かす事が出来た。
「なんで片足だけ? しかも斬りっぱなしじゃなく、そんな義足を付けて?」
「それは私にもわかりません……ただ、誰かが私に礼を言ったのだけ……覚えています」
今より5か月ほど前、東の大地の南部地方にある、亡国エルデンニア。
ここは、呪われた地と忌み嫌われ、国として機能しなくなって300年、盗賊すら近づかない腐った大地と成り果てていた。
人の代わりに住み着くのは腐ったグール、呪われた猛獣、謎の霧に紛れた幽体、そしてヴァンパイアだった。
そしてこのエルデンニアにある廃城シャルベルナー。
この城にはバハムント・シャルベルナー2世という城主が300年以上前から居座っていた。
毎日毎日、陽の当たらない城内の玉座にて、頬杖を付きながら目を瞑っていた。
そんな呪われた地に、2人の旅人が現れる。
ヴェリディクトと、洗脳されたボルンである。
彼らは臆せず城門へと進み、ヴェリディクトは何かを懐かしむ様に、そして楽しむ様に歩を進めていた。時折、死肉を齧るグールと目が合うが、グールたちは怯えた目で後ずさりし、闇へと消えて行った。
そして、城内へと入り、真っ直ぐ玉座へ向かう。
すると、待ち望んでいたかのようにバハムントは目を開き、ニタリと笑った。
「来たか、友よ」渋く深い声がヴェリディクトを出向かる。
「久しぶりだな、王よ」
「1年で唯一の楽しみな日だ。今日は、どんな趣向を用意してくれたのかな?」
「今日は……」ヴェリディクトはボルンをチラリと見て、頬を緩めた。
そして翌日、食事会が行われる。埃や蜘蛛の巣だらけの玉座は、ヴェリディクトの繊細な炎によって全て焼き払われる。長テーブルには行儀よく食器がズラリと並び、美しい輝きを放つグラスが置かれる。それらを全て、タキシードを着たボルンが用意した。
王のグラスにはルビー色の液体が注がれ、ヴェリディクトにはシャンパンが注がれた。盃を掲げ、互いに一気に飲み干す。
「……呪術を施すと、多少の渋みが出るな。だが、久々の熱い味だ。実にうまい」バハムントはナプキンで口を拭い、口にする。
「恐怖を感じさせるよりは良いと思ってね」ヴェリディクトはさらに用意された前菜を肴にシャンパンをもう一杯味わう。
「で、今回の料理はなんだね? 催促して悪いが……」待ちきれない様子で王が口にすると、ボルンがテーブルの中央に大きな皿を置く。
そこには大きな粘土が置かれていた。それを熱した糸で切り、丁寧に剥がしていく。すると、中から蒸された肉が現れる。それをボルンは丁寧に切り、盛り付けて王の前に出す。
「友から教わった、土を使った料理だ。食べて見てくれ」ヴェリディクトは王の口元に注目する。
バハムントはゆっくりとそれを口へと運び咀嚼する。
「……流石だ。その友に、礼を言ってくれ」
「岩塩で包む料理もあるのだが、アレは少々濃く仕上がるのでね。土は、バースマウンテンで手に入れた。合うだろう?」と、ヴェリディクトはアクアピジョンのソテーを口にする。
しばらく2人は会話を楽しみながら食事を続け、最後に食後のデザートの間の酒を味わう。
「ボルン君。君にも礼を言うよ」バハムントはニコリと彼に微笑みかけた。
「まだ呪術はかかってはいるが、その礼だけは記憶させる様にしておこう。光栄だな、ボルン君」ヴェリディクトも笑いかけ、デザートの準備を始める。
そのデザートは、紅いソースのかかったシャーベットだった。
「これは?」王が尋ねると、ヴェリディクトはデザートに飾り付けながら答えた。
「長年の努力が実った、とだけ言っておこう」と、自ら王の前に差し出す。
王はスプーンでシャーベットを掬い取り、ゆっくりと味わった。
「ん、甘い……この甘さ……300年ぶりか?」
「その者には生涯、果実だけを与えて育てたのだ。お陰で甘く美しく、短命だった」と、甘さ香る赤き酒をグラスに注ぐ。
「そして幸せだったのだな……だが、物語に面白味がないな」
「我儘な王だ。今後の課題としよう」ヴェリディクトとバハムントは静かに笑い、それをボルンは血の通っていない瞳で眺め続けた。
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