22.ウォルターVSロザリアと思しき者

 エレンの腕にヒールウォーターが螺旋を巻いて消えていく。彼女の目の前には落ち着きを取り戻した少女が、穏やかな寝息を立てていた。

「これで大丈夫です。あとは、時間が解決してくれる筈です」と、彼女の両親に伝え、家を出る。

 外では、ウォルターが囚人兵の死体を注意深く観察し、更に周囲で発見された紅色の甲冑の破片やロザリアの使っていた大剣を検めていた。

「ど、どうですか?」エレンが問うと、ウォルターは物証から目を逸らさずに返事をした。

「この鎧片を見るに、ロザリアさんは一方的に攻撃されたみたいです。恐らく、あの少女を人質に取られたのでしょう……」

「大剣に血は付いていませんね。まぁ、彼女は血を見るのが嫌いで……」

「これだけじゃあ、ロザリアさんや『犯人』がどこへ行ったのか分かりません。現場へ向かいましょう」と、立ち上がり、そこでやっとエレンの顔を見る。

 エレンは、強張った笑顔を覗かせ、コクリと頷いた。



 村から少し離れた谷間の影に2人がやってくる。そこでは今でも血が香り、重たい空気が渦巻いていた。

「この臭い……血とは別の物が混じってますね」ウォルターは早速、乾いた血の跡に触れ、独特な目の動かし方をして見せる。

「血……血から読み取れるかしら?」と、エレンも地面を塗りつぶす血に触れる。

 すると、指先に細かい歯に噛みつかれるような鋭痛を感じ、手が撥ねる。

「いたぁっ!!」

「? どうかしましたか?!」慌てた様に彼女に駆け寄り、周囲を見回す。

「い、いえ……大丈夫です。その、痕跡がその……」自分の『水分から記憶を読む能力』を悟られない様に誤魔化す。

「この臭い、呪いの匂いですね」ウォルターは地面の血を指で掬い取り、注意深く観察する。

「呪い!? 呪術の類と言う事ですか?」

「……いえ。いや、そうなのかもしれない……強いて言うなら、これは天然の呪術、といった所でしょうか」

「天然? 天然の呪術とは一体?」

「私もよく分かりませんが……例え魔法や呪術に精通していなくても、『想い』の強さ、それだけで呪術を施す、という例を過去に見た事があるので……」

「まさか、オマジナイの類だとでも言うの? これが?!」と、どす黒い血の池跡を指さす。

「私は魔法には不慣れで学もありません。しかし、これだけはわかります……この呪いは強力です」と、ウォルターは目をギョロギョロと動かしながら辺りの探索を再開する。

「これがロザリアさんとなにか……いえ、ありえない! あんなに優しくて、暖かい人が……こんな……」エレンは頭を押さえ、不安を取り除こうとするも、出来るわけもなく膝を折りそうになる。

 そんな彼女をよそに、ウォルターは足跡の種類、そこから得られる情報を元に、犯人がどこへ向かったのかを割り出し、更にその者の受けた怪我まで予測した。

「かなりの重症ですね。足を引き摺って西へ向かっています。いや、誘っているのか? 何か悪意を感じる歩き方だ……」ウォルターは深く考える様に唸り、足跡に触れる。

「なぜ、そこまでわかるんですか?」彼は魔法を使っている風には見えなかった。

「眼術、という動体視力や観察力などを磨き、戦闘や探索に役立てる、というヤオガミ列島に古くから伝わる技術です。俺はそこで戦闘術とコレを学びました。皆のお役に立てるように」と、彼は足跡の向かった先の風向きと雲の流れを調べ、馬を引っ張る。

「す、凄いですね……」

「私から見れば、エレンさんや皆さんの方が凄いですよ。私は魔法が苦手で……」

 


 2人はそこから、犯人の足跡の追跡を始めた。事件から3日過ぎていたが、犯人は怪我のせいか、あまり遠くまで行っておらず、それらしき痕跡を発見する。

 足跡の終わりの地点に焚き火と野生動物の骨が転がっていた。ハエの集った内臓がぶちまけられ、目をカッと開いた一角鹿の生首が転がる。

「これを見たら、アリシアさんが怒りますね……命を粗末にしているって」と、エレンは四散している死骸を1カ所に集め、土を被せる。

「ここで足跡が消えている……汚れた布が散乱し……! 罠だ! ヤツはここにいる!!」ウォルターは一瞬早く動き、エレンを馬の背後まで突き飛ばす。彼の頭上には、歪んだ笑顔を張り付けたロザリアが飛びかかってきていた。

 だが、彼女が一目でロザリアだとは、2人は思えなかった。

 ロザリアは金髪のポニーテールに凛々しい顔つき、紅色の鎧に大剣という恰好だった。

 だが、この者は漆黒の汚れ痛んだ長髪を振り乱し、歪み切った笑顔、汚れたボロを身に纏っていた。下着のつもりか、包帯をさらしの様に巻いていた。

「ぐぬっ!」ウォルターは何とか相手の腹部を蹴って距離を取り、予測できる間合いの外側へ逃れた。

 変わってロザリアと思しき相手はダメージを負わず、ゆっくりと着地して黒髪の隙間からウォルターを覗き見る。まだ得物である刀は抜くことはおろか見せてはおらず、死角で隠し持っていた。

「……くっ……エレンさん、逃げて下さい!! ここは俺が足止めをします!!」余裕がないのか、普段とは考えられないほど強い口調をして見せる。

「は、はい……!」頼りになるウォルターの判断に従い、愛馬に跨る。しかし、掛け声を発してもエレンの、正確にはアリシアの愛馬は足を動かさなかった。


「どこにもにがさなぁいよぉ?」


 ロザリアと思しき者は、馬に向かって殺気を放ち、鬣を掴んで離さなかった。馬はこの殺気に震え、心臓が縮こまり奔る事が出来ずにいた。

 その殺気がエレンに届くと、彼女はゆっくりズルリと落馬し、尻餅を付いた。

「ひ、ひぃ……」血管から心臓へ冷水を流され、凍り付くような感覚に襲われ、全身を震わせる。

 その殺気に、ウォルターは怯むことなく眼術を相手に浴びせかけていた。この技は相手が戦術の玄人であればそれだけ惑わす事の出来る技だった。

 彼は目の動きだけで、間合いの内側を飛び回り、相手のペースを掻き乱した。

 だが、相手は歪んだ笑顔を止めず、脱力した身体をユラユラと揺らしていた。

 それを見てもウォルターは険しい表情を止めず、相手の範囲外で足を止めていた。

 それを見てまた笑うロザリアの思しき者。

「ねぇ? そこがあんたの予想する、安全地帯なの?」

「な」

 ウォルターが口にする間に、相手は姿を消し、彼の背を殺気で撫でた。

「にぃ?!」ここで思わず攻撃に入ってしまうのが直情的な戦士だが、彼はその類ではなかった。飛び退き、相手の動きをじっくりと観察する。

「へぇ~打ってこないんだ。やるね」もし、ここでウォルターが手足を出していれば、容赦なく斬り飛ばされていた。

「ぐっ!」相手の殺気を必死になって受け流しながら、再度間合いを計算し、円の外側に身を置く。

 だが、彼に相手の間合い計算が出来るわけがなかった。

 何故なら、ロザリアと思しき者はパンプアップ・サンダーという高度な強化魔法を一瞬だけ使って跳躍、攻撃をしていたからである。

 魔法についての学の無い彼には、手の余る相手と言えた。

「さてさて、そろそろ……ね♪」黒髪を靡かせ、歪んだ笑みをぐにゃりとさせ、ウォルターの瞳に入り込む勢いで飛ぶ。

 彼の動体視力は、今回は彼女の動きに追いつくことはできた。

 だが、体までは追いつけずにいた。腹部に鋭い痛み、鈍い衝撃が走ったのを覚え、手で押さえる。

 しかし不思議な事に、彼の腹には傷が刻まれてはいなかった。

 ただ、吐息の熱を感じる距離にいる彼女に、身じろぐこともできず、ただ茫然と突っ立っていた。

「あんた……あたしと同じだね」憐れむような声を漏らし、刀を収める音を響かせる。

「?」鋭い殺気のみで痛みを感じた事にショックを覚え、冷や汗を飲み込む。

「おすそ分けしなくても、十分……ふふ、ふ……」ロザリアと思しき者はふらふらと彼から離れ、今度は動けずにいるエレンに近づく。

「ま、待て……」ウォルターは彼女を止めようと足を動かすが、背骨を断ち切られたかの様に崩れ落ちる。脚が震え、身体が思うように動かず奥歯を噛みしめる。

「あんたにおすそ分けしてあげるね♪ とっても気持ちいいわよぉ」一歩一歩彼女に近づき、エレンのポニーテールを掴んで無理やり立たせる。

「や、やめてください! やめてください!!」エレンは涙ながらに懇願し、相手の歪み切った目に顔を映す。

「ふふ、ふ……ん? あんたは……懐かしい顔ね……大きくなって……」

「え?」恐怖のあまりに胃の奥から灼熱がこみ上げるも、思わず飲み込む。

「ねぇ、お願いがあるんだけどさ、聞いてくれるよね? よねぇ?!」ロザリアと思しき者の迫力に、エレンはただ痙攣する様に頷いた。

「あたしの仲間……エクリスとウィルをここに連れて来てくれる? ロックスはいいや。あいつ、苦手だし」誰だかわからない名を口走り、淡々と説明する。

「あ、あなたは一体……名前はなんですか?」

「あたしは、フミヅキ・アスカ。そう言えば、あいつらはきっと来てくれる筈よ」そう口にすると、彼女は殺気による拘束を解き、一瞬で姿を消した。

「ここで待ってるわ」ただ声をだけを残し、夕闇に溶ける。

「ろ、ロザリアさん……ロザリアさん、だった……彼女は……彼女は……20年前の……あの人だった!」エレンは涙をボロボロと零し、しばらく立てぬままその場で泣き声を上げた。

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