81.アリシアと夢と試練

「ま、それはさて置き、君、彼女の怪我を治したいんだろう? 助けるには条件があるんだが」ひとしきり漫才を終え、ヴレイズに向き直る山の主、シルベウス。

「試練……ぐ……」ゴクリと息を呑むヴレイズ。

「あら? この事は麓の村で聞いたでしょう?」冷たく言い放つミランダ。


「わかった。早速始めてくれ!」


 ヴレイズは腹をくくり、強く頷いた。

 シルベウスも頷き、アリシアの傍らに跪く。

 すると、信じられない言葉が彼の口から飛び出た。


「試練を受けるのはこの娘だがね」


「はぁ? ……てめぇ、ふざけてんのか!! こんな体で試練なんて、出来るわけないだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 動かない身体を無理やり動かし、今にも飛びかかりそうな勢いで彼を睨む。

 アリシアは首の骨が折れ、今にも天に召されそうな容態だった。彼の言う通り、何らかの試練を受けられる状態ではなかった。

「貴様は黙っていろ」ミランダは彼を睨み付け、口の前に人差指をおいた。

 シルベウスは手を怪しく光らせ、アリシアの頭を軽く掴む。そして目を閉じ、呪文の様な何かをブツブツと呟き始める。

「いいか、この試練を超えられなければ、この子は死ぬ。だが、それはこの子の選択でもあるんだ。悲しまずに尊重してあげてくれ」

「どういう意味だ?」ヴレイズが問うと、ミランダは鼻で笑った。

「ま、今迄この試練を受け、生還した者はい・な・いがな」

「てめぇ……アリシアなら!」

「残念だが、それは事実だ。この世界でこの秘術を撥ねつけた者は、未だかつていない」シルベウスは更に手を光らせる。

 ヴレイズは冷や汗を掻きながら、その光に吸い込まれそうなアリシアを見つめた。



 アリシアは、気怠い身体の痛みと共に目覚める。

懐かしい匂い、音、気配を感じ取り、狼狽しながら辺りを見回す。

 そこは、自分の部屋だった。狩りの道具がいくつも壁にかかり、昨日獲った獲物の皮がテーブルに畳まれていた。最後に見た時は、燃え盛る火炎の中で全てが黒く燻り、村中から悲鳴と下卑た笑い声が響いていた。それが嘘だったかの様に、自分の家は元通りになり、外からはいつもの仲間の声が楽し気に流れていた。

「……夢?」頭を押さえながらベッドから出る。

 だが、彼女の頭の中では、何かが雪の様に溶け、形が崩れ始めていた。代わりに、昨日の狩りの成果や子供たちとの約束、村長からの相談が次々と思い出される。

 テーブルに置かれた狩猟用ナイフを手に取る。

 既に溶け始めている夢の中では、このナイフは瓦礫の中で燻っていた。だが、手応えは本物だった。試しに指先で刃を撫でると、指の腹が薄く切り裂かれ、血が滲み出る。

「いって……」と、指を舐めてナイフを仕舞う。

 家を出ると、そこにはいつものピピス村の光景が広がっていた。日の角度からして午前7時。村民全員起床し、一日仕事の準備を始めながら朝食を作っていた。あらゆる角度からあたたかな匂いがやってきて、彼女の鼻をくすぐり、腹を鳴らす。

「お~い、アリシア! 遅い目覚めだな!」真横から声が響く。

「ヴレイズ?」つい喉の奥から、溶けて流れ落ちそうになった名前が飛び出る。

「? 誰の名前だ? まだ寝ぼけている様だな! 夜明け前の狩りに珍しく参加していなかったから、病気か何かだと思ったぞ!」彼は村長の息子だった。逞しい青年であり、村の守り手でもあった。アリシアの僅かに残った記憶では、無残に殺されていた。

「……夢……?」彼の頬にそっと触れ、声を震わせるアリシア。

「ど、どうした? 顔でも洗ってこいよ! 変だぞ?」手を掴み、訝し気な表情を作る。「子供たちが朝食を摂り終えたら、覚悟しておいた方がいいぞ」

「……そうだった! 今日は鳥の狩り方を教える日だったっけ! 急いで準備しなきゃ!」いつもの調子が戻ったのか、急いで部屋の中へ戻り、朝食の準備を進めながら子供たちへのアドバイスを頭の中へ書き巡らせる。そして村近くの狩場の中で、よく鳥の獲れる場所を、そしてなるべく危険でない場所を探す。

「そうか、あれは夢だったのか……」少し残念そうな、それでいて安心したかのような声を漏らしながら、初めて笑顔を作る。



「アリシアねぇちゃん! 弓は! どうやってあれを撃ち落とすの!」

「それよりガルコング(剛腕猿)を狩りに行こうよ! ねぇねぇねぇ!!」

「ねぇ~早くナイフの使い方を教えてよぉ~」

 子供たちが口々に喚く。

 アリシアはワザとらしく咳払いし、指を立てた。

「はい、いいですか~! まず、あんた達じゃあ、飛ぶ鳥を狩る事は無理です。飛び立つ前の仕留め方を今から教えます。ガルコングを狩るのは、あんた達じゃあ10年早いよ! そして、ナイフの使い方は村の中で、机の上で教えます! 実戦で教えるにはまだまだ……」

「僕たちを馬鹿にしないで下さい!」子供たちが揃って口にする。

「だったら、お姉ちゃんの言う事を大人しくききなさい!」

「はい!」意外と素直に礼をし、アリシアの指示に従う。

 彼女は、飛び立つときの鳥の身体の動かし方や、近づき方、風の流れなどを教え、弓の番え方を長々とレクチャーする。そして、最後に悪戯に生き物の命を奪わないように、と強めに言い、ひとり一羽ずつ森の鳥『ギグル』を狩らせる。

 それが終わると、今度は村へ帰り、羽一本無駄にしない鳥の捌き方を教える。中には泣き出す子も出てきたが、アリシアは「生き物の命に敬意を払うんだよ」と教え、一緒に手を添えて解体する。

 最後に子供たちのやり切った笑顔と、明日の約束をして別れる。その頃には、もう日は沈みかけていた。

「ふぅ~、まだまだ手がかかるね」と、伸びをしながら空を見上げる。

「お疲れ。俺たちがガキの頃を思い出すな。アリシアに比べたら、ハーヴェイさんはまるで鬼だな」村長の息子が声を掛け、彼女の肩に腕を回す。

「おじさんは、厳しかったけど……その分、立派になれた……かな?」その腕に首を預け、楽し気に笑みを零す。

「お前はこの村一番の立派な狩人だよ。そういや、明日の朝一で、村はずれのボス・ガルコングを狩りに行くんだが、来てくれないか?」

「もちろん!」アリシアは鼻下を擦りながら笑顔で答えた。



 その日の夜、アリシアは村長宅で夕飯をご馳走になっていた。村の子供への教育や村の防備、次のオレンシア市での売り物選びなどを村長が相談し、アリシアは色々と提案をしていた。

「髪飾りやお守りなどを作る傍ら、玄人用の弓やナイフを出すのはどうでしょう?」

「ん~いつもと違う、何か意外性のある物が欲しいな」パイプを吹かしながら口にする村長。

「では、明日狩る予定のボス・ガルコングの皮を使って防具を作るのはどうでしょう? 一点ものとして宣伝すれば、店としても中々の魅力が出ると思いますが」

「いいアイデアだ。それで行くか」村長は満足そうにパイプの灰を落とす。

「じゃあ、明日は張り切らなきゃな」その息子も肉を頬張りながら張り切る。

「そうだね。あたしは、今夜中に狩場のチェックをしてくるよ」と、席を立ち、村長宅を後にする。帰り道、夜空を見上げながら何かをブツブツと呟きながら、狩りのプランを頭の中に巡らせる。

「ヴレイズ、ラスティー、エレンって、誰の名前だ?」追ってきた村長の息子が肩を叩く。

「……え? あたしなんか言ってた?」

「惚けるなよ。食事中も、たまに口にしてたぞ。誰なんだ? 村の外で友達でもできたか?」嫉妬する様に詰め寄る。

「ん? ううん……その、夢の中で、ね……」

「夢? 夢の中の登場人物か? それに俺は出てこないのか?」と、自分の顔を指さす。

「うん、出てくるよ……ううん、正確には、夢の中の夢の中に……かな?」

「なんだそりゃあ? 変な夢見てるんだなぁ~ その夢は一体、どんあ夢なんだよ?」

「……その夢は……うん……」考え込むように俯き、拳を握り震わせる。

「お、おい……大丈夫かよ?」


「なぁんにも覚えてないや!」


 

 その日の真夜中、アリシアは部屋中にある狩りの道具を鞄一杯に詰め込み、旅支度を進めていた。ブーツの中にまでナイフを仕込み、そして干し肉を齧る。

「行かなきゃ……」

 すくっと立ち上がり、家を出る。何かを決意するかのように目を閉じ、またブツブツと何かを唱え、目を開く。そして、下調べする森とは反対方向の、村の門へと向かう。

「おいアリシア!」村長の息子が彼女を強めに呼び止める。

「なに?」

「そんな装備でどこへ行く気だ? 下調べの割には、厳重じゃないか……」

「呼び止めないでくれるかな……」

「どうして? 今朝からなんか変だぞ?」

「うん……わかってる」アリシアは、踵は返さず、話し始める。

「みんな、楽しかったよ。一日で満足した……でも、これ以上甘えるわけにはいかないんだよ」

「甘える? どういう意味だよ! ただいつもの一日を過ごしただけじゃないか!」

「その一日が! あたしにとっては特別甘く……これ以上留まったらダメなの……あたしがダメになる気がするの……」

「何を言ってるんだ? さっきから全然ピンとこないんだが?!」

「つまり……あたしは! ……あたしは……」そこで彼女は彼に向き直り、胸一杯に空気を吸った。


「魔王討伐に行かなきゃいけないの!! ヴレイズ、ラスティー、エレンと一緒に!! これ以上、あたしの様な目に遭う人を増やさない為に!!!」


「いや……その、意味が全く……」彼が一歩足を踏み出すと、アリシアは一歩引いた。

「……あたしにとって、貴方は……ううん、村のみんなは……っ! だから!」拳を握り、喉から振り絞る。

「まだ意味が……だが、何かを決意したことはよくわかったよ……」村長の息子はさっと彼女に近づき、優しく抱きしめた。


「行ってこい……辛くなったら、また戻ってきていいから……」


 アリシアは潤む瞳をぐっと堪え、彼の抱擁を引きはがし、村の門へ、そしてその向こう側へと駆けて行った。

「みんな! 今、戻るよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」勢いに任せて、闇の中を駆けるアリシア。そんな行動とは裏腹に、心中は「村でずっと、いつもの日常を送りたい」という思いで一杯だった。

しかし、彼女は今朝の夢、すでに溶けて殆ど残っていない何かを選び、夢中になってその3人の名前だけは忘れずにいた。そして、闇の中でその名前を叫ぶ。

「ラスティぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」

「エレェェェェェェェェン!!!」

「ヴレイズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!!!」



「んぇ?!」シルベウスの光っていた手が突如、何かに弾かれた様な音を立てる。驚いてアリシアの顔を覗き込み、目を丸くする。

「……どうしました?」異変を感じ取り、問いかけるミランダ。

「おい、早く試練ってヤツを始めてくれよ! アリシアが……アリシアが……手遅れになっちまうだろうが!!」彼女のか細くなった心音を感じ取り、焦るヴレイズ。

 すると、シルベウスは目を尖らせ、彼女を抱きかかえてスクッと立ち上がった。

「どうしたのですか?! ま、まさか……」ミランダが何かを悟ったように口にすると、シルベウスは大きく頷いた。


「この娘、絶対に助けるぞ」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る