79.ふたつの道
ヴレイズはフラフラの足取りで入室し、壁に寄りかかる。顔色は今までになく悪く、息を荒げて、目は虚ろだった。それでも彼の話す声色は、今のラスティーよりもはっきりとしていた。
「おい、無茶するなよ……」ラスティーも右脚を引き摺りながら彼に歩み寄る。
「ヴレイズさん、ベッドへ戻ってください! 貴方は立つどころか……」
「だが……2人よりは考えはハッキリしているつもりだ」ヴレイズは頭を壁にもたれさせ、天井を見上げながら話した。
彼の傷は、常人なら死んでいてもおかしくない重症だった。呼吸器を含む内臓は焼け爛れ、大胸筋は消失し、骨は半分溶けていた。両手足の筋肉も神経まで焼かれ、一般の炎使いでも即死するほどの火傷だった。
エレンと村人たちの協力で、やっと自立呼吸や火傷が回復し、安定した。
だが、胸の筋肉は『回復させる』という次元ではどうにもならない傷ゆえ、ヒールウォーターの染み込んだ包帯が巻かれている状態だった。痛々しく骨が浮き出て、呼吸するたびに血が染み出ていた。
そんな彼が、はっきりした口調で話し始める。
「ラスティー……俺がアリシアを背負って山に登る……お前は、一刻も早くバルジャスへ向かってくれ」
この言葉に、2人は一瞬凍ったように固まり、喉に言葉を詰まらせた。「そんなの無理だ」「死にに行く気か?」「そうはさせない」などの言葉がこみ上げるも、吐き出す事は出来ず、2人で息を呑み、死にかけのヴレイズを見る。
「……止めても無駄だよな」脚を震わせ、尻餅を付きそうになるラスティー。それほどまでに、ヴレイズの言葉に衝撃を受けていた。
「何故、ですか……?」エレンの疑問から余計な言葉が削ぎ落され、純粋な質問が口から飛び出る。
「……俺は……アリシアを助けたい……ただそれだけだ……!」天井を見上げたまま応える。時折苦しそうに咳をすると、包帯から血が滲む。
「俺もそうだ! だったら、2人で……」ラスティーが言いかけると、ヴレイズの拳が彼の顔面にめり込んだ。
「ぐぁっ!!」
「お前が熱くなってどうするんだよ!! こう言う時、いつも冷静だったのがいつものラスティーだろうが!! そんなだから、こっちの調子が狂うんだよ畜生!」
拳を振るったショックで激痛、は感じなかったが全身の神経が撥ね、焦げ付いた塊を勢いよく吐き出す。エレンは堪らずヴレイズの身体を支え、回復魔法を施す。
「こう言う時に、熱くなるのが俺だろうが……役割を間違えてんじゃねぇよ!」血を吐きながら吠え、床に崩れ落ちる。
「もう話さないで下さい! やめて! 死んでしまいます!!」ヴレイズの心音が弱くなるのを感じ、慌てるエレン。「こんな体で、どうやって山を登るんですか!! アリシアさんを背負って!!」
涙ながらに叫ぶエレンの肩に手を置き、一言「大丈夫」とだけ言うヴレイズ。
「クラス3.5の力を上手く使えば、役立たずになった身体は動かせる……」
「どの程度持続できるんですか? 5分で山を登れるのですか?」
「やってみなきゃぁ……」
「現実を見て下さいよ!! できるわけがない!!!」
エレンは拳を握り、彼に訴えた。だが、彼は表情も目の色も変えなかった。
「本気か……」頬を摩りながら起き上り、鼻血を拭うラスティー。
「アリシアは、1年前から本気だった。魔王を討伐すると言ったあの日から……それに応えてあげなきゃ……それに、今、お前が動かなきゃ、皆で頑張った1年が全て無駄になるんだろうが……お前こそ本気だったのか?」
「……ぐ……」ラスティーは俯き、歯を食いしばった。
しばらく3人の部屋に沈黙が流れ、それを断ち切る為かラスティーが煙草を咥える。それに応え、ヴレイズが着火させる。煙を天井に向かって吹き、目に溜まった涙を振り払う。
「よし、ここからは二手に分かれよう」
ラスティーは目に決意を宿し、ヴレイズに目を合わせる。
「俺とエレンは、今からバルジャスへ向かう。お前は、山にアリシアを連れて登り、傷を癒してくれ」
「あぁ……」ヴレイズは笑って応える。
「いいか、試練だろうが何だろうが、今迄も散々乗り越えてきたんだ……今回も軽いだろ?」
「あぁ」
「頼んだぞ」吸い終わった煙草を揉み消し、最後の煙を吐く。
アリシアは、教会の2階にある大きなベッドに横たえられていた。隣ではシスターが数時間交代で世話をし、風の延命魔法で彼女の消えかけの灯が消えないように祈っていた。
全身に包帯が巻かれ、折れた首と腰は固定され、呼吸器が塞がれないように器具が挿入されていた。
そんな彼女の瞳には輝きが無く、半開きになった虚ろな目は力なく、ただ天井を眺めるだけだった。
そこへエレンがやって来る。
シスターにこれからの事を話し、「無茶だ!」と散々言われるも、彼女は笑顔で答えた。
「信じましょう、2人を」エレンは疲れてはいるが、はっきりと口にし、アリシアにベルトを巻き始めた。
しばらくして、ヴレイズが現れる。
ゆっくりとアリシアに近づき、額に手を置く。
「エレン……今、彼女の心の中は?」
「……死ぬもんか、とだけ聞こえます……まだ、諦めていません」涙を堪えながら登山の準備を続ける。
「じゃあ、応えなきゃな」ヴレイズも固定器具を身体に巻き付け、準備を始める。
その後、ヴレイズは優しくアリシアを背負い、ベルトで固定した。手を離しても落ちないようにキツく、されど彼女に負担を与えないように丁寧に縛る。
シメに、エレンは自分の体内の魔力を全てヴレイズに注ぎ込もうと構えるが、それを彼に止められる。
「それ、アリシアに渡してくれないか……万一の為にさ……」
「それが出来ないからヴレイズさんに渡すんです。道中、ヴレイズさんが彼女に少しずつ、注いであげてください。負担を与えず、慎重に頼みますよ!」
「あぁ、任せてくれ」
その頃、旅支度を済ませたラスティーが村長や世話になった村人たちに礼を言いながらやって来る。
「ヴレイズ、俺の魔力も渡そうか?」
「いいや、道中危険なのはラスティー達も同じだろ?」
「人を気遣っている場合か、お前は?」
「そっちこそ……」2人は静かに笑い合い、そして目を閉じる。
「……別れの言葉はいらないな?」ラスティーは少し重たそうに口にする。
「あぁ、あえて言うなら、『またな』ぐらいじゃないか?」
「……そうだな……じゃ、またな! 待ってるぜ!」
「絶対に助けて下さいね! 約束ですよ!」エレンが口にすると、ヴレイズは含み笑いを零した。
「すげぇプレッシャーだな……あぁ、期待して待っててくれ!」
3人は互いの顔を見て頷き、踵を返した。
3人が3人、それぞれ決意を胸に宿し、迷いなき足取りで前へ進む。
ラスティー、エレンの向かう先はバルジャス。
そしてヴレイズの向かう先は、天高く雲貫くほど高い山、ゴッドブレスマウンテン。
彼らは無事合流できるか、そんな疑問は頭から追い出し、ただ互いを信じて先を急いだ。
ヴレイズはしばらく、緩やかな山道をゆっくりと杖を頼りに歩いた。普通の登山者よりも明らかに遅い足取りだったが、確実に前へ休みなく進んでいた。
「意外と、楽かもな……」余裕の表情を浮かべ、アリシアを背負い直す。彼女の吐息が、心音が弱くはあるが感じ取ることが出来き、安心する。
「……アリシアの方がキツイもんな。どんな絶壁が現れても、俺は、弱音は吐かないぞ」彼女を元気づける様に語り掛け、歩みを速める。エレンから『語り掛けるのは効果がある』と聞き、意識して彼女に話しかけ続けた。
「初めて会った時は、俺は弱音ばかりでさ……迷惑かけたよな」1年前の自分を思い出し、自嘲気味に笑う。
「狩りとか、薬草とか、全く知識無くてさ、よく旅の足を引っ張ったっけ……俺、3人に助けられてばかりでさ……役に立てなかったな……」
どんなに語り掛けても、アリシアは応えなかった。ただヴレイズの身体の揺れに身を任せ、ただ呼吸を続けるのみだった。
「で、あの魔王の右腕……今度こそアリシアを、みんなを助けようと思ったんだが……ダメだったな……詰めが甘かった……それに、折れちまったんだ……一瞬だけ……」ヴレイズは、ウィルガルムからの申し出を数瞬だけ考えてしまった事を深く後悔していた。
ラスティーとエレンを見捨てそうになったのだ。ヴレイズは自分自身を恥じていた。
「もうみんなと旅は続る資格は無いな……俺ぁ……おれは……」いつの間にか、彼の頬に涙が伝っていた。
「みんな……許してくれ……」
ゴッドブレスマウンテンを登り始めて4時間後、日が陰り始めていた。
どこまで登ったかは定かではなかったが、山道の斜面は少しずつ傾き、登り辛くなっていた。ヴレイズの額から汗が滝の様に流れ、変えたての包帯から血が滴る。
だが、彼の体力と魔力にはたっぷりと余裕があった。クラス3.5を発動するまでもなく、彼の心に余裕が生まれていた。
「どんな試練が待っているか知らないが、この調子なら余裕だろ……」汗だくながら笑みを零し、アリシアの一定した心音を感じ取り、さらに元気が湧く。
そして、ついに斜面が緩やかになり、山頂らしき場所に辿り着く。
明らかに、希望の龍の像が置かれていたであろう台座のみがそこの置かれ、近くに無人の小屋が建っていた。
「で、山の主ってのはどこにいるんだ?」と、小屋の周辺を探り、更に歩を進める。
するとその先に、信じられない物が現れる。
絶壁だった。
更に、そこに看板が突き刺さり、ふざけた様な文字で『この先に希望の龍の像、アリ』と天空に向かって矢印が指されていた。
「ま、マジか……」
ヴレイズの登山は、まだ始まったばかりである……。
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