60.賢者の力

「ぐっ……ヴレイズ、予定通りにやるぞ……あいつを……」

「はぁ?! はじまる前に看破されたんだろうが! いまからあいつと戦っても……勝ち目なんか……」怯えた眼差しでブリザルドを見るヴレイズ。

 彼らの相手は、一国家の軍事力に匹敵すると呼ばれる賢者である。

 ヴレイズは、ヴェリディクトという賢者に匹敵する炎使いと一戦交えた事があるので、その恐ろしさは嫌と言うほどわかっていた。

 今のヴレイズはクラス4にあと少しで手が届くと思われるクラス3.5という、一定時間魔法を無限に増幅させる体内魔力循環が可能だった。この状態になれば、己のキャパシティー次第でどんな使い方でも可能となる。

 だが、そうであっても賢者に勝てるなどとヴレイズは自惚れていなかった。

 むしろ、ヴェリディクトに触れる事も出来ずに完敗し、殺されかけた恐怖が頭にこびり付いており、目の前の賢者に完全にビビっていた。

「おやおや、威勢が無くなったな……これではつまらん。よし、私はこの椅子から腰を上げずにおこう。煮るなり焼くなり唾を飛ばすなり、好きにしてみろ」誘うように手招きし、いやらしい笑顔を見せる賢者ブリザルド。

「……ヴレイズ、俺を信じろ……援護する」

「いつものお前らしくないぞ! 勝算のない戦いはしないんじゃなかったのか?!」

「うるせぇ! これはチャンスなんだ! この機を逃したら、もう2度とここには立てないんだよ!」

「その通りだ。このチャンスを上手く活かせなければ……諸君は終わりだ。ま、チャンスを無理に掴もうと力み過ぎれば、頭上からピンチが降ってくるのが世の常だがね」余裕綽々で足を組み、焦る2人を楽しそうに眺める。

「ぐ……見ろ、あいつは俺たちを完全に舐めきっている! これが隙と言わずなんだ? アリシアのくれたチャンスを無駄にする気か? お前は!」片手でヴレイズの胸倉を掴み、血走った目で睨み付ける。

「くそ……だが、アリシアは……アリシアはこんな無茶な戦いはしない筈だ……」


「アリシア? あの威勢のいい小娘か? ローズに随分と可愛がられた様だが……元気にしているかな? 今日は来ていないのか? そうかぁ……死んだか?」


 ブリザルドの嬲るようなセリフを耳にし、ヴレイズの表情が固まる。

「お前らも策無しの無鉄砲だが、あの小娘も随分無謀だったぞ。野良犬ほどの相手にもならなければ、ゴミ虫を潰すより簡単だったよ」


「あ?!」


 ヴレイズの体全身に力と火炎が漲り、クラス3.5を発動する為の呼吸を始める。

「あの小娘が持ち帰った、取るに足らない情報という奴を頼りにここまで来たというのなら、お前らは相当お粗末だな」


「もういっぺん言ってみろぉ!!」


 彼の瞳から灼熱が零れだし、全身から炎熱が吹き上がる。隣に立つラスティーは堪らず距離を取る。王の間の気温が一気に上がり、部屋中が真っ赤に染まる。

「やっとやる気になったか……わかりやすい男だ」汗ひとつ掻かず、椅子に腰深くすわるブリザルドは、眼前に迫った赤熱拳を涼しげな表情で眺めた。



「ウィンガズ殿、これは謀反と、とらえて良いのか?! どうなんだ! はっきりと答えて貰おう!!」額に血管を浮き上がらせたボーマンが利き腕を高らかに掲げる。すると、回りの彼の兵たちが一斉に弓を引き、ウィンガズたちに狙いを定めた。

「エレンさん、用意をお願いします」ウィンガズは背後で構える彼女に小声で合図をした。

「もう準備完了です」エレンは用意した瓶から液体を取り除き、巨大な水の塊を作り出す。それを頭上に掲げた瞬間、彼女が合図をすると、周囲を囲んだ風使い達がその水球を押さえる。

 風使い達とエレンは、息を合わせて魔力を込め、水球を一瞬で霧に変え、ボーマンたちを包み込んでしまう。

 エレン特製の精神安定の霧は、彼らの肌から吸収され、張り詰めた緊張感やストレスを緩和させ、少なからずの余裕を生み出す。

「ん……う……ま、待て……皆、武器を降ろすんだ! 急いてしまうのが私の悪い癖だな、すまない……ウィンガズ殿」表情から一時的に険しさが取り除かれる。

「我々は、この城下町を攻め落とそうという気も、ボーマン殿と一戦交える気もない。少し、話を聞いて欲しいだけだ!」ウィンガズは冷や汗ひとつ掻かず、声を上げる。

「そうだったな……実は、ブリザルド王代理から話を聞く前日の夜に……貴殿の兵から本日の事の告発があったのだ。そして、その兵はこう私に伝えた。

『ウィンガズ様はお悩みになっておられる。お話に耳を傾けて欲しい』、と……私は聞こう。貴殿の悩みを……何故、1万の兵を勝手に動かしたのかを、な」

「ありがたい……」ウィンガズは目を瞑り、己の心の内に秘めた悩み事を話し始めた。



 ヴレイズは怒り任せの赤熱拳を振り抜いた。彼の拳は確かにブリザルドの憎らしい表情を捉えていた。だが、その顔を潰すどころか、かすりもせずに虚しく空を切った。

 考える間をおかずにもう一発を放つが、それも空振りに終わった。

 これ以上の加撃は無意味と考え、炎を纏ったバック転で距離を取る。

「……なるほど……流石、賢者だな」何をされたのか理解し、冷や汗を掻く。

「ほぅ、今の2発の空振りで何をされたのか、わかったのか?」ブリザルドは眉ひとつ動かさず、ヴレイズの身体をつま先から頭まで舐める様に眺める。

「拳の流れを風で変えやがった……あの距離、あのスピードの赤熱拳を……座ったままで……」

「このぐらい、賢者でなくてもできるぞ?」ブリザルドは鼻で笑い、足を組み替える。

「ヴレイズ! 相手に呑まれるな! いつもの自分を……」

「いつもの自分じゃあだめだ! ここからは……」纏った炎が一瞬で消え去り、頭上から煙だけが上がる。


「一味違うぜ!!」


 クラス3.5の体内循環が完了し、全身に無限の魔力が回る。

ヴレイズは石畳が砕ける程の勢いで蹴って飛び、余裕たっぷりの賢者に向かって飛びかかる。

「早っ」新たな力を手に入れ、本気を出すヴレイズを見るのが初めてだった故、素直に驚きの表情を見せるラスティー。

「ほぉ」感嘆の声を出す賢者は利き手を掲げ、魔力を込めた。

 すると、高速で飛ぶヴレイズの周りに真空波が漂い、一瞬で彼を切り刻む。

「ヴレイズ!!」ラスティーは肝を冷やして八つ裂きになったブツを見る。宙に細切れになった炎の破片がボタボタと地面に落ち、一瞬で消える。


「こっちだぁぁぁ!!」


 ブリザルドの背後上空を取り、両腕に火炎竜巻を作り終えたヴレイズが咆哮した。その瞬間、バースマウンテン火口最深部で見せた熱線の、数倍太い火炎砲が賢者を襲った。


「なるほど、クラス3.5の力か」横目でヴレイズの放った熱線を睨み、指を鳴らす。

 すると、椅子諸共消し飛ばさん威力の熱線が一瞬で掻き消え、地獄の業火はそよ風に消えた。

「まだまだぁ!!」両腕から交互に熱火球を放ち、一発で賢者に当てようと連射する。

 だが、それら全てはブリザルドの椅子を守るかまいたちによって、全て刻み落とされ、虚しく散った火の粉は絨毯に落ちる前に鎮火した。

「調子に乗らない方がいいぞ?」賢者がもう1度指を鳴らすと、アリシアを戦闘不能に陥れた圧縮空気爆弾がヴレイズの背後で炸裂する。

 炎で身を守りながら吹き飛ばされるヴレイズ。

 ブリザルドの眼前に転がり、一瞬で受け身を取りながら次の攻撃準備に移るが、その前に足元に真空波がのたうち回る。

「うぉっとっとっと!!」堪らず飛び退き、ラスティーの隣まで退く。ヴレイズが熱い何かを感じ取り、太ももを押さえると、そこから滝の様な血が流れていた。急いで傷口を焼いて止血する。

「ぐ……ハンパじゃないな……賢者は……」

「いや、ブリザルドはともかく……お前の化けっぷりには驚いたよ、俺ぁ……」眼前で繰り広げられた刹那の戦闘を目にして、目をパチクリさせるラスティー。

「こんなもんじゃないぞ……俺も、ヤツも……」目をいつになく鋭くさせるヴレイズ。

「ふぅむ……クラス3.5か。一時的に無限の魔力を引き出す荒業か……才能のない使い手が必死こいて編み出す苦し紛れの付け焼刃って所だな」拳で頬杖を付き、楽しげに笑う賢者。

「悔しいが、そうだな。俺には才能が無い……だがな、あまり甘く見過ぎると……」ヴレイズが得意げな表情を覗かせ、指を鳴らす。

 すると、ブリザルドが体重を預けていた玉座に皹が入る。

「なに?」異変を感じ取り、腰を上げた瞬間、豪華な装飾を施された歴史ある玉座が粉々に砕け散った。

「う、うぉ?!!」驚いたラスティーが目を丸くする。

「今までの派手な攻撃は全部囮だ! あの熱線火炎弾の合間に椅子に火花を飛ばして、少しずつ負担を与えてやったのさ! 古かったから、思いのほか早く壊れたな!」

「貴様……この国始まって以来400年の歴史あるこの城の玉座を……ただではおかんぞ?」余裕の表情が消え失せ、眉をピクつかせる賢者は、ここでやっと殺意を覗かせた。



 王の間に風が集中し始める。まるで、そこに台風の目があるように、ヴレイズ達に嵐のような突風が襲い掛かる。

 カーテンが千切れんばかりにはためき、花瓶や石膏像が粉微塵に消し飛び、石畳がめくれ上がる。

「ぐっ……やっと本気を出すってところか?」風のベールを展開させ、襲い来るかまいたちから身を守るラスティー。それでも防ぎきれず、頬や腕が細かく切り裂かれる。

「いや……俺たちをビビらせたいだけだ……」本当の強さの片鱗を知るヴレイズは、炎嵐で対抗しながらブリザルドを睨み付ける。

「くくく、ありがたく思え。賢者の実力の数分の一を味わえるのだからな……」

 ブリザルドは余裕の表情を取り戻し、腕を天高く掲げる。すると、ウソの様に嵐が納まり、宙を飛んでいた瓦礫や砂利が床にパラパラと落ちる。

「さぁ、これが受けられるかな?」

 自信満々の声と共に人差指をヴレイズに向ける。

「あれが来るのか……?」ヴレイズが問うと、ラスティーがコクリと頷く。

「あぁ、アレだ」

 彼の言う『アレ』とは高名な風使いのみが使える最強の刃だった。この技はかまいたちや真空波とは段違いの鋭さを持っていた。

 前者の技は精々が岩や大木を大雑把に切り裂くことのできる乱暴な技である。

 だが、後者は精密な動きで城塞に使われる鉄壁をいとも容易く切り裂ける、繊細かつ強力な技だった。

 この技を放つには、クラス4の無限の魔力を必要とし、更に長年積み重ねた経験からくるコントロール力が無ければ使いこなす事は到底できなかった。

 この技は『風の宝刃』と呼ばれていた。

まさに、賢者に相応しい技だった。

「いいか、指の動きに注意しろ……」風使いの技は大体頭に入っているラスティーは、ブリザルドが操るであろう技を、ヴレイズに全て叩き込んでいた。

「わかっている。お前も気をつけろよ」脚に着火させ、高速移動の準備をする。


「風の宝刃を放つと思っているのか? 甘いな……」


 ブリザルドの怪しい笑みを見て、嫌な冷たさを首で感じ取ったラスティーは、すぐに地面を蹴って飛び、ヴレイズを突風で吹き飛ばす。

 その瞬間、彼らの間に真っ白になるまで練り上げられた風圧の刃が通り抜けた。一見、それは『風の宝刃』だったが、賢者の言った通り、ただの刃ではなかった。

 この刃が槍の様に通り抜けた瞬間、周囲に分厚い風の刃がばら撒かれた。その刃はかまいたちや真空波とは違い、ひと触れすれば真っ二つになる程の鋭さを秘めていた。

そんな代物が無数の突風となり、2人に襲い掛かる。

「くあっ!!」ラスティーは刃の軌道を己の風で変え、何とか攻撃から逃れた。

「ぐげぁ!!」ヴレイズは攻撃を見切る事が出来ず、刃を腹部にくらい、勢いよく吐血する。

「くくく……私を甘く見るな……歴代最強を自負する、この私だぞ?」自慢げに人差指を振り、いやらしくニヤつく。

「い、今のはただの風圧ブレードじゃない! た、竜巻だ! 魔力をこれでもかと練って圧縮してブレード状に細く纏めた『大竜巻』だ!! あれにあったったら……」顔から血の気が引き、膝を笑わせるラスティー。

「あったったら? どうなるんだよ……」アリシアから渡された薬効布を傷口に貼り付け、エレンのヒールウォーターをかける。


「貫通するだけじゃない。吸い込まれて粉微塵になって、血の霧となってこの世から消え去る……私が編み出した芸術的な魔技だ。王座をこれ以上傷つけぬように、射程距離を押さえるのが少しキツイがね」


「だ……だめだ……勝てない……あ、あれでもあいつぁ本気じゃない! ど、どうすれば……」ラスティーは困り果てた顔を両手で押さえ、泣きそうな声で嘆いた。

「お、お前がそんなんじゃあ困るんだが……」クラス3.5の体内循環の乱れを必死で整えようと深呼吸をするヴレイズ。

「さぁ、余興はこれからだぞ、諸君」虫を嬲る猫の様な気持ちで喉を鳴らし、獲物を目の前に舌なめずりをするブリザルド。

 策を打ち砕かれ、絶望的な戦力を目の前にしたラスティーは相変わらず衰弱した顔を覗かせ、ヴレイズを不安がらせた。

 だが、彼の心は見た目とは裏腹に、草原を吹き抜ける風の様に穏やかだった。

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