59.掌の上

 王の間の扉を開く。天井には豪勢なシャンデリア、床にはグレイスタン国代々王座に就くムンバス家の紋章が刻まれた絨毯が引かれていた。壁かけの燭台は怪しく光り、窓を遮る厚手のカーテンがひらひらと揺らめく。

 ヴレイズとラスティーの眼前には、この国を治める王代理であり、軍師であり、風の賢者でもある男『ブリザルド・ミッドテール』が、見下ろす形で微笑を浮かべ、座っていた。

「ようこそグレイスタン城へ! 歓迎しよう、我が国の恩人たちよ!」

「お招きをありがとうございます……先日、俺達の仲間がお世話になった様で……」ラスティーが上目遣いに睨む。ヴレイズは拳を握り、奥歯を噛みしめた。

「先日……? はて、覚えていないな?」惚ける様な顔を見せる王代理。

 その表情で堪忍袋の緒が緩み、ヴレイズが足を一歩進める。それをラスティーが手を引いて止める。

「どうやら、君のツレは演技が苦手な様子で」と、指を鳴らすと、王の間に流れていた風が急に止まり、シン……と物音ひとつ立たなくなる。

「!!!」ラスティーは目を見開き、部屋中の異変に気付く。

「君の得意の『風の伝令』……弱点は、それより格上の風の妨害だ。それか、炎だな。我々の繊細な風術は炎からの影響を受けやすいな。亡国の王子、ジェイソン・ランペリアス君」

「気付いていたのか」額に汗が滲み出る。ラスティーはここでの会話を外の城下町の方へと風の伝令で流していた。

「隣はヴレイズ・ドゥ・サンサ君だな。サンサ族の貴重な生き残り……」

「おい、ラスティー!」目を泳がせ、表情に不安さが露骨に現れる。

「……どうやら、俺達はヤツの掌の上……の様だな」


「お前らの策を言い当ててやろうか?」


 ブリザルドの落ち着いた言葉が、2人の胸を貫いた。

「な……に?」ラスティーも目を泳がせる。

「お前らは囮だ。本命は外で合図を待つウィンガズ騎士団長だろ? 彼らに、否、城下町全体の民たちに私の正体を暴露する。その為、お前らは私の前に立った……違うか?」

「お、おい……」怒りを忘れ、顔面蒼白になるヴレイズ。

「ビビるな……ヴレイズ」

「お前の作戦は悪くない。私の様な強者を打ち倒すには、数で攻めるしかない。そこで、私の秘密を利用し、国民を炊き付け……そして説得したウィンガズ騎士団長とこの城下町を守るボーマン騎士団長とその兵を私に差し向け、この国から私を追い出そう……そう企んでいるだろう? ビンゴかな?」

 ヴレイズは今にも泣きそうな表情になり、ラスティーの冷や汗が滝の様に地面に落ちる。

「私を打ち倒すには、これくらいなモノだろう? 私が君の立場なら、そうする。だが、下準備のやり方が実に雑だった。私はこの国の王代理だ。騎士団長たちの足取り、兵の動かし方、武器の流れ、何を買い入れ、何を用意し、城下町に仕込んだか、まで私は把握している。風の共鳴器を街中に仕込んだだろう? これで私は確信したのだよ」

「……ラ、ラスティー……」今にも膝を折りそうになるヴレイズ。

「黙れ……」息を荒くさせるラスティー。

「……あぁ可哀想に。少し大人げなかったかな? トドメに言わせて貰うが、ウィンガス騎士団長が持ち場である砦を離れ、この城下町へ向かっている事はボーマン騎士団長に報告済みだ。この大切な時期に城へ兵を向ける……どういう意味かわかるかな?」虫をいたぶる様な表情ですらすらと口にし、2人の表情を見て楽しむ。

「……誰がどう見ても謀反だな……」ラスティーは俯き、絞り出すように口にする。

「迎え撃つのが、この城を守るボーマン騎士団長の役目だ。兵数3万。ウィンガズ騎士団長は1万。合計4万を私に差し向ける予定だったのだろうが、残念だったな」

「……くそ、万策尽きた……か」ラスティーはついに片膝をつき、拳を握って震わせた。

「お、おい……ラスティー……バックアッププラントかあるんだよな? な?」助けを求める様に彼の肩をゆする。


「ヴレイズ、一緒に死んでくれ」


「マジか……」




 アリシアは血の咳を吐き、崩れ落ちた。

ローズの両手両足の自由を奪い、勝利を奪い取った彼女だったが、殆ど敗北に近い勝利だった。肋骨を数カ所砕かれ、内臓を潰され、脛を真っ二つにへし折られた上に腹を黒焦げにされて、ほぼ戦闘不能だった。

「グ……あ……」誇らしい笑顔が一気に歪み、蹲る。

「ふふ、ふ……どうやら相打ち……いや、殆どアタシの勝ちみたいだね! このまま放っておけば、あんたは確実にくたばる! 撃ち込んだアタシが言ってるんだ!」身を捩り、壁にもたれ掛ってニヤリと笑う。

「ぐ……そうだね……最後のが効いた……」黒く焦げた皹から毒々しい色の血が地面に沁み込んでいく。

「どうする気よ! あの連中はあんたを信用しているってさ? 期待に応えられるの? え? お前はここで終わりだ!! 仲間の期待を裏切って死んでいくんだよ!!」


「……ここまでは計算通りって言ったらどうする?」


 痛みを堪え、不敵に微笑むアリシア。ゆっくりとローズの方へ向かって這いずる。

「どうする気……? ま、まさか!」アリシアの計算に気付き、身を捩って抵抗する。だが、彼女は両手をローズの身体に絡ませ、ゴソゴソと何かを弄る。引き抜くと、彼女の手にはヒールウォーターの満たされた瓶が握られていた。

「あ、あんた……それをどうする気? まさか……飲むの? どうなるか分かっているの?! あんたの身体に残った寿命は……は、はは……このままどうなるか見物してやる!!」

 ローズがニタニタと笑うのを尻目に、アリシアは瓶の中身を飲み干した。

 空になった瓶が地面に落ちる。

 すると、アリシアの身体から真っ白な湯気が立ち上り、体内から肉と骨が擦れ、ぶつかり合う音が不気味に響く。

「ぐ……あ、が……ぎ……」目玉がでんぐり返り、泡をボタボタと垂らして胸を掻き毟る。砕けた肋骨がうねり、腹の焦げがパラパラと落ちて綺麗な肌が覗き、へし折れた脛が真っ直ぐに伸びる。

「うわ、今迄以上にエグぅ……このままくたばるのはありがたいけど、アタシの分なんだけどなぁ……」


「誰がくたばるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 咆哮の後、アリシアは天へ向かって立ち上がる。

「う、そ……」

「はぁ、はぁ……流石にキツイな……でも、これで信頼には応えられそうだよ」

「ウソ吐け! あんたの寿命はもう残り一桁のハズ! もう戦うどころか走る体力もないでしょう!! なんで……なんで戦おうとするの!! しかも相手は賢者! 勝てるわけがない!!」


「黙りな!! ローズ・シェーバー! いいえ、ジェシー・プラチナハート!」


「……え?」ローズの表情が固まる。

「ジェシー・プラチナハート、26歳、元々とある魔王討伐隊でサブリーダーを務めた雷使いのファイター。魔王の『勇者狩り』に遭い、黒勇隊に敗れる」

「やめな……」

「捕まった先で1カ月にわたる拷問を受け、仲間の情報を吐く」

「やめな!」

「そして、魔王に服従……現在は黒勇隊1番隊で、」

「やめろってんだよぉ! このクソガキ!!」目を血走らせ、アリシアを睨み付ける。

「……あたしを舐めないでくれる? あたしの仲間にかなりの情報通がいてね。彼曰く、あなた相当有名ね? 戦闘スタイルに性格まで教えてくれたわ。ま、性格はあたしもよぉく知っているけど」

「……不用意に名前は教えるべきじゃなかったわね……」

「そうだね。あたしは狩人なの。獲物は舐めないし、容赦しない。あなたはあたしよりずっと格上だった。だから今回は、無茶は承知で捨て身戦法を取らせてもらったわ」

「……くそっ……相打ちどころか……」

「そうでもないよ……あたしはもう長くは生きられないみたいだし……精々、残り少ない人生を悔いなく戦うよ」アリシアは踵を返し、村の出口へと向かう。


「待ちな!!」


 ローズ、もといジェシーが大声で呼び止める。

「アタシの懐にもう1本瓶がある。それを飲みな!」

「……?」アリシアは彼女に恐る恐る近寄り、言われた場所を探って瓶を取り出す。

「これは?」

「命を削るヒールウォーターの対として扱われるもう1本……これで今、削られた寿命が5年戻るわ」

「うぇ? 本当に?」

「アタシがそれをあんたにくれてやる理由はひとつ……あんたをこの手で殺す為よ! 寿命で死ぬなんて許さない! あんたはこのアタシが直々にトドメを刺してやる!! わかったか!!」

 アリシアは静かに彼女のセリフを聞き、瓶の詮を抜いてゆっくりと飲み干す。萎み切った心臓の動きが少し活発になり、胸が心地よくなる。

「本当みたいね……少し、走れそう」

 実際、アリシアに戦える体力は殆どなかった。ローズとの戦いも、フットワークが鈍く殆ど動けず、少し本気で走っただけで息が上がっていた。

「いい! アタシはすぐにあんたに追いつく! その時、あんたを!!」

「……その時は、また返り討ちにしてあげるよ」アリシアは楽し気に笑いながら自分の道具袋を掻き回し、1枚の医療布を彼女の右肩に付けた。

「御礼だよ。半時で右腕が動く様になるよ。その後は、自分で何とかしてね」

「余計なお世話だ!!」

 アリシアはローズの憎まれ口を聞きながら駆け出した。指笛を鳴らすと、この一週間で手なずけた愛馬が飛んでくる。流れる様に跨り、手綱を慣れた様に操る。

「よぉし! いま追いつくぞぉ!!」



 ラスティーが王の間に入ったころ、エレン達は持ち場から動き出し、城下町の門の前へ進んでいた。彼女とウィンガズの背後には500の兵が、その遥か後方には1万近くの兵たちが何の疑問も持たず丘の向こうで潜伏し、騎士団長の命を今か今かと待っていた。

「……もう入ったかな?」

「ここまで兵を動かしても出迎えがない所をみると……」ウィンガズが門の向こう側を睨み付ける。すると、馬に跨ったボーマン騎士団長が現れる。

「こんな所で何をしているのです? ウィンガズ殿……マーナミーナ側の国境近くの砦が持ち場だったハズですが?」1万の兵を目の前にして、眉ひとつ動かさずに口にする。

「事情がありまして、持ち場が変わったのです」

「その話は……聞いております」ボーマンが片手を掲げると、どこからか大勢の兵がわらわらと現れ、弓を構える。

「後方の1万の兵で何をなさる気です? まさか、謀反を企んでいるのでは?」

「……ある意味では、そうかもな」ウィンガズは狼狽えず、ボーマンを睨み返した。


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