53.アリシア救出作戦 中編

 夜が明け、外で鳥たちの歌声が風に乗ってゆるやかに流れる。

 だが、アリシアの閉じ込められている部屋には何も聞こえなかった。ただ、鎖の擦れる音や水滴の垂れる音のみが不気味に響いた。

 彼女の正面の扉がゆっくりと開く。中から疲れ目のローズが欠伸混じりに現れ、アリシアの様子を窺う。

 軽く身体を痙攣させ、トロトロと液体が地面に滴り落ちる。その液体の海の中で2匹の棘蛇が疲れた様に身体を捩り、舌をチロチロと動かしていた。

「……ひと晩耐えるなんて、大したもんね」

 ローズのセリフにアリシアは何も答えず、ただ項垂れて苦悶の声を弱々しく漏らした。

「でも、放っておいたら死ぬわね」と、手に持ったヒールウォーターの瓶をチラつかせる。一瓶で5年もの寿命を縮める禁断の回復薬である。


「飲みたい? それともこのまま死にたい?」


 意地悪な問いに、アリシアは小さく唸って答え、重たそうに頭を上げ、口を小さく開ける。

「その前に、何か言う事ない?」

「……っ……ぁ……ゴブっ!」声にならない言葉を地面に垂らし、軽く吐血する。

「……一刻も早く回復して欲しいみたいね。ほら、どう? 痛い?」

 ローズは彼女の、見るも無残な腹部に手を当て、軽く押してみる。ヘソからドロリとした黒い液体が流れ落ち、不気味な音を立てる。

「っ……ぅ……ぐ……」

「はいはい、わかったから。どーぞ」と、ローズは乱暴に瓶を彼女の口に押入れる。

 アリシアは回復の水に溺れ、残り少なくなった寿命と引き換えに傷が治る。数分も待たずに、アリシアの身体は傷ひとつない健康体となったが、目の下は黒く、顔色も土気色でお世辞にも『健康』とは言えなかった。

「さ、今日も始めようか……」



「何で早く言わないんだよ!! 今すぐ探しに行くぞ!!」

 話は昨夜まで遡る。ラスティーの言葉にヴレイズは激昂し、勢いよく立ち上がって部屋を飛び出そうとする。

「待て! どこにいるのかわかっているのか?!」

「探すんだよ!! 聞き込みでもなんでもして、この足で探すんだよ!!」

「そんな事は俺たちがとっくにやったよ! それに、目星もついていないのに探すって、このだだっ広い国をどう探せばアリシアが見つかるって言うんだ?! 4人でやっても数年かかるぞ?!」

「その賢者ってやつに負けて攫われたんだろ? じゃあ城の地下に……」

「はぁ……また話すのか……」

 ラスティーはバグジーを説得した時と同じように彼を宥め、今どの様な行動をすべきかを語り、とにかく座らせた。だが、ヴレイズは全く納得はしていなかった。

「それでも動かないよりはマシだろ!」

「下手に動いたら、他国のスパイだと因縁つけられて捕まるぞ! お前ら、この国に入った時に捕まったそうじゃないか! それを繰り返すのかよ!」

「でも……アリシアは……俺は行くぞ!!」

「待てって!!」ラスティーは乱暴に彼の肩を掴んで引き寄せるが、ヴレイズは肘で振り払った。不意を突かれる形となり、飛ばされるラスティー。

「ヴレイズさん!」眼前に立ちはだかるエレン。

「アリシアは……仲間だろうが! 放っておけるかよ!!」


「……この際ハッキリ言ってやろうか……?」


 ラスティーは口から出た血を拭いながら起き上り、ヴレイズの背を睨み付ける。


「俺たちはもうすぐ、軍団を率いて魔王討伐を目指す事になる。その際、俺たち……いや、特に俺は非情に徹しなければならない時が来る。仲間を見捨てなきゃならない決断に迫られる時がくるんだ……必ずな。その時にいちいち取り乱していたら、命が何百あっても足りないんだよ。わかるか?」


 腹の底から絞り出すような声でラスティーは言い放ち、煙草に火を点ける。

 ヴレイズは彼の言葉を背で受け止め、静かな鬼面を向ける。


「……アリシアを見捨てるって事か?」


「もし逆の立場だったら、見捨てて欲しいね……」


 ヴレイズは今度は、殴る事を意識してラスティーの顔面を殴り抜いた。ラスティーは彼の拳を受け流して地面にたたき伏せる事も出来たが、あえて殴られ壁に叩き付けられた。

「…………俺だって見捨てたくはねーよ」血で濡れた煙草を吐き捨て、睨み返す。

「……せめて、俺一人でもいいから探させてくれないか……」

「ダメだ。今の俺たちには人手が足りない。今、お前にいなくなられたら困る……頼む、手を貸してくれ……」

「ぐっ……」拳から真っ赤な蒸気を上げ、奥歯に皹が入らんばかりに噛みしめる。

 すると、彼らの会話がひと段落するのを待っていたかの様に、ドアをノックする音が響いた。

「後にしてくれないか?」ラスティーが返すも、ドアが開く。

「申し訳ない、私も忙しくてな。エレン先生はこちらにおいでか?」気品漂う服と武具を身に付けた男が現れる。顎に逞しい髭を蓄え、鋭い眼光をした武人だった。

「どなたですか?」エレンが腰を上げる。

「おぉ、私は騎士団長のマシュー・ウィンガズと申します。我が娘、ライラ・ウィンガズを助けて頂き、誠に感謝する」と、膝を付いて頭を深く下げる。

「いえいえ、結構なお宿を貸し切りにして頂き、こちらこそ感謝しておりますわ」

「ここへ来たのは礼と……我が王代理より招待状を預かって参りましたので……どうぞお受け取り下さい」蝋印が成された封筒をエレンに手渡す。

「王代理って事はつまり……」エレンが目を泳がせ、ラスティーを見る。

「それと私は、礼は言葉だけでなく、行動で示す主義でな。用や頼み事があれば何なりとお申し付け下され! 忙しい身ではあるが、可能な限り願いを叶えよう!」胸をドンと叩き、高らかに言い放つ。

 すると、ラスティーはエレンに抱き付き、頬にキスをした。

「うぇ! 一体何を??」

「エレン!! 本当に恩にきる!!!」

「え? え?」事態を飲み込めないエレン。その隣でバグジーが嬉しそうに手を叩いていた。



「……恩人の為なら何でもしよう。だが、今の話は頂けんな」眉をピクピクと動かしながらウィンガズが口にする。

 凡そ1時間ほどラスティーの話を聞き、逆鱗に触れる寸前か顔を真っ赤に染めていた。至極当然、王代理を魔王の使い呼ばわりされ、自分たちは魔王の野望に手を貸すハメになっていると言われたのだった。さらに、ラスティー達に手を貸し、王代理を失脚させろとまで言われたのだ。普通なら手打ちものだった。

「信じてくれ、と言っても無理な話だな。それはわかる。今の話も無礼極まる話だな。だが、信じて欲しい」

「ふざけるな! まるで他国のスパイが村々で妄言を吹くかのような内容ではないか! 実に不愉快だ!! エレン先生、何故このようなほら吹きと旅をしているのです!! 幻滅しましたぞ!!」

「そういわれても……」困ったように首を傾げるエレン。

「仕方ない……ま、想定内だが、奥の手を使うぞ。ウィンガズ殿……口は固い方ですか?」

「ぶしつけに何を? あぁ固い方だ。どんな拷問をされても舌を噛み切れるほどにな!」

「……今からある者と会っていただきます。この事は絶対に、信頼できる者、部下、親兄弟、娘や飼い犬に至るまで口外しないと誓ってください!!」ラスティーは勢いよく指を立て、ウィンガズの鼻先まで近づける。

「なんだ? もし口外したらどうなるのだ?」

「この国が終わります」

「……! わかった。まぁこの国が終わるとかの妄言は知った事ではないが……口外しないと約束しよう」

 すると、ラスティーは隣の部屋へウィンガズを招き入れ、ヴレイズ達には部屋に留まるように言った。そして、バグジーを呼び、ドアを閉めて鍵をかける。

「会せる者って、もしかしてバグジーの中の人か? いないとか言ってたのに」ヴレイズが訝し気な顔をする。

「いるにきまっているでしょう? その人が、ラスティーさんの切り札なんでしょうね。それにしてもヴレイズさん。いきなり殴るのはいけませんよ?」

「……悪いとは思うが……アリシアの事を想うと……抑えられなくてな」

 ヴレイズは複雑そうに口にし、浮かない顔を床に向ける。

 すると、隣の部屋から悲鳴にも似た漢の泣き声が轟と鳴り響いた。すぐに泣き声は納まり、水を打ったように静かになる。

「……なんなんでしょう??」



 しばらくして部屋からラスティー達が出てくる。ウィンガズは先ほどと同じ威厳溢れる表情をしていたが、頬に涙の痕が残り、鼻は真っ赤に腫れていた。

「ジェイソン殿! 兵は何千お貸しすればよろしいですか?」

「とりあえず信用できる者を100人ほど、この宿に集合させてくれ。総力戦は俺が言った日に頼む」

「心得た、ジェイソン殿!!」

「……そのジェイソン殿ってのはやめてくれ……ラスティーで頼む」

 ウィンガズはラスティーにお辞儀し、さらにバグジーに向かって深々と床に脳天が付く勢いで頭を下げ、部屋を後にした。

「……大丈夫か、あの人……口外しないだろうが、態度でバレそうだ……」

「あの、ラスティーさん。一体どんな話を……?」エレンが問うと、ラスティーはまた彼女に抱き付き、胸の中で顔をグリグリと擦りつけた。


「エレェェェェェェェン愛してるよぉぉぉぉぉぉぉ!! 君のお陰でやっと進めるぞぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


「うぇ?! ちょっちょっと、やめて、やめてって……やめんかぁ!!」エレンはラスティーの顔を引っ叩いた。

「悪い、興奮しすぎた……それからヴレイズ!! この偉大なるエレン先生のお陰でアリシアの居場所がわかったぞ! たぶんな」

「本当か!! どこだ!!」

「ここだ!」ラスティーは地図を広げ、2か所に墨を入れた。

「ここは……サンゾン炭鉱とジェソンタ炭鉱?! あり得ないだろ?! ここから病原菌が広がったんだぜ?!!」ヴレイズが大声を出すと、ラスティーは怪しげに笑った。

「誰が、ここを封鎖したんだ? なぜその病原菌には呪術が施されていたんだ? それは、全部ブリザルドの野郎がやったんだよ。都合のいい隠れ家を持つためにな! つまり! ここに囚われている可能性が高い! そしてもう片方には魔王との繋がりを示すブツがあると見た!!」

「なるほど……よし! すぐ行くぞ!!」ヴレイズが勢いよく立ち上がると、ラスティーが彼を強引に座らせた。

「待て……その隠れ家になんも罠が無いという根拠はあるのか? 俺たちだけで行くのは危険だぞ? だから、さっきウィンガズ殿に頼んで……な?」

「いつその応援はくるんだ?!!」

「早くて明日の夕刻だ。いいな、それまで慌てず騒がずいこうぜ!」

 ラスティーはヴレイズに笑いかけながら肩を叩き、煙草を咥える。すると、ヴレイズが火を点けた。

「さっきは悪かった」

「いいって。俺は、その時が来たら見捨てる覚悟をするとは言ったが、軽々しく見捨てる様な真似はしない」


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