47.秘密のバグジーくん
グレイスタンに入って数日、アリシア達は各村々を転々としながら情報を収集していた。だが、ラスティーの満足する情報は得られず、表情は黒く曇っていた。
彼らはなるべく宿には止まらず、荒野にキャンプを張り、そこでたき火をして寝ていた。ラスティー曰く「壁に耳あり。もし俺たちの会話を聞かれた日には、スパイと疑われて憲兵を呼ばれてしまう」らしい。
「……ヴレイズ達とはどうやって合流するの?」得物の手入れをしながらアリシアが問う。
「ボルコニア側から一番近い3つの村の宿に、2人の人相書きと手紙を渡しておいた。ここにいれば、じき来るさ……無事ならな」と、ラスティーは西大陸地図の上に色の付いた石を置きながら煙草を吹かした。
「無事に決まっているよ! ……ラスティー、まだ煮詰まってないの?」恐る恐る問うと、彼の咥えている煙草が真っ赤に光った。
「策を煮るには材料がいるんだよ! その材料が……情報が、人材が、賢者に立ち向かえるだけの実力が俺たちには圧倒的に足りないんだ!! くそぅ!」
ラスティーは目を血走らせながら火を噴くように煙を吐いた。ここ数日、有意義な情報も入らず四苦八苦していた。さらに人材もなんとか探そうとしたが、この国内に王制に不満を持った者はいなかった。さらに金で盗賊や傭兵を雇おうにも、それだけの金を所持はしていなかった。
最後に頼りたいのはバースマウンテンで修業したヴレイズだが、ほんの数か月で賢者に比肩するほど強くなったとは思えず、さらにアリシアの言動が彼の安否が怪しくなった。
つまり、今のラスティーに王代理を、風の賢者ブリザルド・ミッドテールを打倒す策は欠片も思いつくはずもなかった。
「一か八か遠回りしてバルジャスで待っている連中を呼ぶか? 今行けば少なくとも7000弱の兵力が……」と、呟くと背後で話を聞いていたバグジーが彼の肩を叩き、首を横に振った。
「だよな……こんな俺に付いて来る訳がないよな……あ~あ……くそぅ」降参するように背中から横になり、新しい煙草に火を点ける。
「……ねぇラスティー……」アリシアが彼ににじり寄る。
「なんだ?」
「どんな情報があれば材料になるのかな? 詳しく教えてよ」
「そうだなぁ……俺が今一番欲しいのは……ブリザルドの戦闘パターン、性格、癖とか、頭ン中がどうなってるとか……あいつの書いた本は何冊か読んだが、これらだけじゃあ不十分だな……」
「じゃあさ、ブリザルドと戦ったことがあるヤツを見つければいいのかな?! その人から直接……」
「無理だ! って頭ごなしに言いたくはないが……俺も数日、そんなヤツを……ブリザルドの戦いを目撃した者とか見つけようと嗅ぎまわったが、見つけるのは難しいな」
「だよね……」
「それに、あまり嗅ぎまわると敵国のスパイかと疑ってくる奴も少なくない。だから今迄、道中情報を片っ端から収集してきたはいいが……賢者の戦闘力を書き綴った資料なんかある筈もなく……」
「じゃあ、さっきからラスティーが弄ってるこの地図は?」
「……この国の問題を解決した後の策だ。ここで使えない情報を絞り出し、後で使う策を組み立てていたんだ。こっちはまぁまぁ順調なんだがな……」と、また弱ったように頭を掻き、煙草をたき火に向かって吐き捨て、また新しい煙草を咥える。
「あぁ畜生。ワルベルトさんやディメンズさんが手伝ってくれれば何とかなる気がするんだが……とにかく人数が足りないな……ヴレイズ達、早く着かねぇかな……」
「ラスティー……」普段、このような弱音を聞くのはエレンの仕事だったが、この頃はアリシアが聞いていた。
心が弱った彼を見たアリシアは、湯を沸かし、数種類の薬草を煮立たせ、1杯の茶を淹れた。
「はい、飲んだら落ち着くよ」
「おう、サンキュ……」ラスティーは一口飲むと、欠伸を吐いて数瞬で気絶するように眠ってしまった。
「……こういう時は寝るのが一番だよ。大丈夫、ただの入眠茶だから」アリシアは自分の茶を啜りながらニコリとほほ笑んだ。
それを見たバグジーはそっとラスティーに毛布を掛け、頭の下に枕を敷いた。
皆が寝静まった真夜中、アリシアはラスティーのイビキに我慢ができずに目を覚ました。相当疲れていたのか、普段は静かに寝息を立てる彼が、まるで巨牛の様なイビキを立て、頭蓋骨を削る様な歯ぎしりをしていた。
「もう、あの茶で眠らせるのはやめよう……」すっかり目を覚ましてしまったアリシアはムクリと起き上り、辺りを見渡した。鈴の罠や獣用のトラップは作動しておらず、異変はいつも通りなかった。
すると、彼女の目線に木に持たれかかって寝ているバグジーの姿が止まった。この瞬間、彼女の中で眠っていた好奇心が目覚め、体全身に広がる。
「中に人がいないってぇ? 確かめてみようかねぇ~」
アリシアは得意の忍び足でバグジーに近づき、大きな被り物に手を掛ける。中から小さな寝息が漏れ出て、『中に人がいる』と確認できる。
「ごた~いめ~ん♪」
被り物が取れ、中から見覚えのある顔が出てくる。その顔はバルカニアの宿の大浴場で見たハンサムながらも、汚い無精ひげの男だった。
「あっ……」
「う~ん……ん? ……あ……あぁ!!」男は目をパチリと開きアリシアから距離を取った。
「え……と、お久しぶりです」
「み、見たな! アリシアさん、見ましたね!」男はどういう反応をすればいいのかわからないのか、複雑な表情を作っていた。
「見ましたけど……」
「見たからにはタダでは済ましませんよ!」目を尖らせ、指を差すように右腕を突き出す。
「ど、どうする気?」
「どうするって……ラスティーさんに言いつけ……いや、それだと私が怒られるな……えっと……」
「少し、おしゃべりしない? 夜風に当たりながら」アリシアは腰を上げ、彼の手に優しく触れる。
「そ、そうですね」
バグジーの中の人は着ぐるみを脱ぎ、寝ているように偽装して、2人で夜の散歩へ出掛けた。男はパンツ一枚だったが、持っていたローブを身に纏っていた。右腕の二の腕は鉄製の精工に出来た義手になっていた。
「で、お名前は?」アリシアが小首を傾げて問うと、男は困ったように冷や汗を掻いた。
「う……名乗ってはいけないと言われておりまして……」
「なんで?」
「理由も言うな、と……」
「ラスティーから言われたの?」
「最初は自分で決め、ワルベルトさんから言われ、そしてラスティーさんからも……」
「う~ん、気になるなぁ……とりあえずバグジーでいい?」
「はい、お願いします」バグジーは歩みを止め、深々とお辞儀をし、再び歩き始めた。
「うん……ねぇ、なんでラスティーはこの国の王を倒そうと必死になってるんだろう? ワルベルトさんから無茶ぶりされたとか、7000の兵を納得させるだけの実績が必要だ、とか言っているけど……それだけじゃないみたいだけど、何故だかわか……る?」アリシアがバグジーの顔を覗き込む。彼の顔は涙で濡れていた。
「す、すいません……それも言えないんですぅ……」
「うぅ、秘密の多い人だなぁ~やりにくい。大浴場の時は楽しくおしゃべりができたのに……あ! そうだ!」アリシアは道から反れ、草原の中へ入っていく。
「アリシアさん? そっちは湖ですよ?」
「そうだよ~」と、アリシアは彼に背を向けて服を脱ぎ始める。
「久々に水浴びしたいし! バグジー君もどう? あの中、暑いでしょ」
アリシアは生まれたままの姿になり、湖へ飛び込んだ。
「あ……そうですね」バグジーもローブを脱いで丁寧に畳み、ゆっくりと湖に浸かる。
「育ちが良さそうだね~いちいち綺麗に畳んでさ!」ばちゃばちゃと音を立てて泳ぐアリシア。
「普通畳みますよ! 逆になぜ貴女は畳まないんですか!」
「我慢できなくてさ! 久々の水浴びだしね!」言い終えると、深く潜り姿を消す。
バグジーは顔をゴシゴシと洗い、顔の垢汚れを落とした。無精髭さえ反れば文句なしのハンサムな顔が月明かりに照らされる。
「ふぅ……確かに久々の水浴びだ……あの中は暑いし臭いし動きにくいし……いつになれば解放されるのか……」夜空を見上げながらぼやく。すると目の前の水面がボコボコと泡立ち、アリシアが飛び出してくる。
「ぷはぁ~~~! この湖、主がいるよ!! 大人しくて可愛い手長鯰! バグジー君も見る??」
「いや、遠慮しておきます……ぷ、はははは」突然、バグジーがくすぐられている様に笑い出す。
「どうしたの?」
「いや、なんだか……久々で嬉しくて。着ぐるみを脱いで、裸で子供の様に湖で泳ぐなんて……いつ以来だろうか……あっと! 義手を外すのを忘れていた! 錆びてしまう!」急いで義手を取り外し、畳んだローブの上に置く。
「普段から脱げればいいのにね。いつになったら自由になれるの?」
「……この国での事が上手くいけば……」
「そっか……頑張らなきゃね、お互いに」アリシアは背泳ぎしながら口にし、また深く潜っていった。
「ラスティーさんだけに頑張らせるわけにはいかないんだが、何をすればいいのか……」彼が悩む様に口にすると、いつの間にかアリシアが彼の背後に浮かんでくる。
「あたしも、そこん所がわからないんだよね~」
その後、こっそりキャンプ地に戻ったアリシア達はラスティーがまだイビキを吐き散らしているのを確認し、床に就いた。アリシアは泳ぎ疲れたのか、彼のイビキを気にせず直ぐに眠りに落ちた。
さっぱりしたバグジーも着ぐるみに入り、被り物を被ろうとしたその瞬間、何者かに耳を掴まれる。
「約束を破ったな? あ~ん?」
額に血管を浮き上がらせたラスティーがチンピラが威嚇するように声を荒げ、バグジーの目を覗き込む。
「す、すいません……不覚にも彼女に被り物を取られ……」
「本名は名乗らなかっただろうな?」胸倉を掴み、鼻先まで顔を近づける。
「はい、命に代えても、はい!」
「ならいいんだ……ったく、俺たちがこの国で頑張るのはお前の為でもあるんだからな! 成功したら色々と借りは返してもらうからな! 覚えてろよ!」
「それは勿論、はい!」
「よろしい……ん? なんかお前、顔が妙に綺麗だな……顔でも洗ってきたのか?」
「はい、アリシアさんと水浴びを……」
この言葉を聞いた瞬間、ラスティーの表情が固まった。
「……あの、ラスティーさん?」
「テメェ!! 俺も拝んだことのないアリシアの裸体を! 見たのか! 触ったのか! どこまでやったんだコラ!! 答えろ! 拷問するぞ!!」
ラスティーは火を吐く勢いで捲し立てた。
「え? ラスティーさんは入った事ないんですか? 私は2度目ですよ? バルカニアの時に……」この言葉が更にラスティーの怒りに油を注いだ。
「なんだとぉ!! 俺もヴレイズも拝んだことのない……この野郎! どうしてくれようか!! お前の残った左腕、俺が貰ってやるぅぅぅぅ!!」
「???」ラスティーは彼の胸倉を両手で掴んで激しく揺さぶり、バグジーは訳も分からぬまま彼の怨嗟の声を一晩中聞き続けた。
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