25.エレンと紅の戦士

 19年前……南の大地のボスコピア国にて。

 エレンがまだ2歳の頃、両親が営む診療所に住んでいた。彼女の父親は村の唯一の魔法医であり、腕も良く、村の皆から慕われていた。

 ある日の事、診療所に旅人がやってきた。その者は腹を横一文字に斬り払われており、誰が見ても重症だった。さらに体中、生傷や古傷が多く、特に右腕に刻まれた大傷が目を引いた。

 その怪我人は黒髪のロングヘアーをした女性だった。年齢はおよそ14~16くらいで、ボロ切れを纏い、大切そうに刀を握りしめていた。

 彼女の治療は数時間で終わり旅汚れを、助手として働くエレンの母親が綺麗に拭い、ふかふかのベッドに横たえ、水の精神安定魔法で眠らせる。

 両親の働く姿を見るのが好きな小さいエレンは、興味の眼差しで患者を眺め、ヨチヨチと近づき、ベッドに手を付く。

 エレンは父親の真似をし、患者である少女の額に小さな手を置き、目を瞑った。

 すると……。



「うわぁ!!」エレンが汗だくになってベッドから飛び起きる。荒くなった息を整えようと胸に手を置き、深呼吸をしながら鞄から自分で煎じた薬を取り出し、一気に飲み下す。頭を押さえ、口の中を苦くさせながら表情を歪める。

「どうしたんだ?」歯を磨きながら別室にいたラスティーが顔を出す。

 彼女らはアリシア達と別れた直後、パレリアの城下町へ入り、宿屋で仮眠を取っていた。

「昔のことを思い出しました……」

「そういえばエレンも、何かしらのトラウマを引き摺っているって言っていたな。良ければ相談に乗るぜ?」

「……いいえ、貴方に比べたら些細なモノですし、今の貴方が他人の相談に乗れるほどの余裕があるのですか?」

「う、そういう事を言う……? わかったよ、確かにそうだな。ま、気が向いたら言ってくれ」ラスティーは寂しそうな笑顔を残して退室する。

「……えぇ、具体的には『彼女のトラウマ』ですし……」エレンはベッドから出て、城下を探索する準備を始めた。



 パレリアは西大陸の五大大国の内の一カ国であり、広大な領土を有していた。東海岸の半分を有し、貿易が盛んで、武具作り、農耕と隙がない。

 だが、戦争には弱かった。隣国のバルカニアとは2年前に戦争をしたばかりで、ガムガン地方を奪われていた。この手痛い敗北の報復として、近々この国はガムガン奪還作戦を計画しているという噂が巷でいくつも立っている。

「で、私は何をすればいいのですか?」エレンは胸の下で腕を組み、ラスティーの企み顔に目を向ける。

「とりあえず、この城下の住人から情報を引き出してくれ。それとなく、な」

「で、ラスティーさんは?」

「俺は……」そびえ立つ城に一瞥をくれ、へっと笑う。

「貴重な情報を盗みに参る!」

「そうですか。…………えぇ!! ちょっと、それはいけませんよ!!」慌てた様に彼の肩を揺らす。

「どうして?」

「だって! お城に不法侵入し、機密情報を盗んでくるのでしょう? そんな事を他国からの旅人であり、賞金首である貴方がやったら即刻処刑にされますよ?」

「捕まったら、な」自信満々な表情を覗かせ、親指を立てる。「まかせとけ」

「……もし捕まったら、私はどうすれば?」

「何もしなくていい。下手に動かず、住民の噂話を集めてくれ」

「下手に動かずって……私ってそんなに頼りないですか?」イラつくように眉をピクつかせる。

「頼りにしているから情報収集に集中して欲しいんだよ。頼んだぜ、先生」そう言い残し、ラスティーは颯爽と城の方へと向かっていってしまった。

「あぁ! もう……出鼻を挫かれても知りませんよ?」



 エレンは早速、通行人たちの話に耳を傾け、武具屋のオヤジから八百屋の主人に至るまで様々な住人に話を訊いた。

 皆、口にすることは違えど、近々このパレリア国はバルカニア国に喧嘩を売ると言った。ある者は「最近、この国に雷の賢者を得た」と口にし、またある者は「バルカニアとボルコニアの不仲を利用する狡猾な策がある」と言った。

 エレンはなるべく怪しまれず、されど相手が知識をひけらかしたくなる様な話術で調子を合わせ、更に水の読心魔法を駆使して読み取り、国民は戦争を望んでいないと知った。

「なるほど、戦争を望んでいるのは国王と一部の家臣だけで、回りは嫌々付き合わされているだけ、か……」頭の中のメモ帳で話を整理し、箪笥に仕舞う。

 ある程度、情報を訊き出した彼女は城のある方面へ向かい、ラスティーに何事もないか様子を観に行く。

 しばらく歩くと、跳ね上げ橋前で小さな騒動が起きていた。



「貴様! 城の周りを嗅ぎまわり、あからさまに風を飛ばして偵察をしていたな!!」近衛兵が槍をラスティーに向けて怒鳴っていた。

「いやいやいや~そんな言いがかりですよぉ」媚びを売る様に手を揉み、腰を低くさせるラスティー。

 彼の情けない姿を見て頭を抱え、深い溜息を吐いたエレンは、彼を庇い立てしようと足を一歩前へ出した。

 すると、城の方から1人の少女が現れる。その子はエレンの身長の半分程度しかなく、煌びやかなローブを身に付けていた。高価そうなイヤリング、綺麗に整ったツインテール、そして自信たっぷりのその表情はまるで王族の人間の様なオーラを放っていた。


「我が国の雷帝、雷の賢者で在らせられる『エミリー・ミラージュ』様である!」


 彼女の隣の大臣が胸を張り、通った声を上げる。

「雷の……賢者? 女の子が? てか、やっぱビリアルドは選ばれなかったのか……」小声を出し、小さな彼女を眺める。ビリアルドとは違い、大きな魔力は感じず、ラスティーは不思議に首を傾げた。

「あなた、ジェイソン・ランペリアス3世でしょ?」賢者が小さな口を開く。

「んぅ?」いつの間にか眼前に近づいていた彼女に狼狽する。しかもエミリーはラスティーと同じ目線までふわりと浮き上がっていた。

「東の地で10000ゼルの賞金首。魔王軍相手に交渉の利用価値がそれほどあるか疑問ですけど……備えておくべきでしょうか?」エミリーが大臣に問う。

「それ以前にこの『亡国の王子』が我が国の城を嗅ぎまわっているというのが胡散臭く、何か企んでいることは明白。牢にぶち込んでおけ!」

「けっ! そうはいくかよ!」ラスティーは誰が襲ってきてもいいように身構る。

 近衛兵が2名、彼に掴みかかろうと前に出るが、その勢いを利用して2人を直投げで気絶させる。

「我が国の近衛兵を一瞬で……やるわね」エミリーは相変わらず彼の目線まで浮き、自信たっぷりに腕を組んでいた。

「ここまで数々の死線を掻い潜ってきたからな……」目の前の脅威に怖気ず、煙草を咥えて火を点けようとオイルライターを取り出す。

「タバコは体に悪いと聞きますよ♪」エミリーはニコリと笑うと、指先がチリっと僅かに光る。

 すると、『パチっ』という蚊の鳴くような音がラスティーの耳に響く。

「が……あぁっ!」ラスティーは着火した煙草を落として白目を剥き、膝を折って地面に顔からダイブした。口から黒煙をポックリと吐き、ビクビクと痙攣をする。

「あら? 強すぎた……かしら?」

「流石は我が国の矛。さ、この元王子を牢へ引き摺っていけ!」大臣は城内の兵を呼び出し、ラスティーを引き摺っていってしまった。



「どうしましょどうしましょどうしましょどうしまhdguah##$%&’!!!!」

 いざとなったら助けに入ろうと構えていたエレンだったが、威圧的な大臣と、まさかの雷の賢者に怖気づき、涙を浮かべながら城下町の外へと早足で向かっていた。

「えぇっと! こうなった場合はほっといて住民から情報を収集……できるわけないでしょう!? しかもあんなに簡単に捕まるなんてラスティーさんらしくないし、何を考えているの?!」

 待ちの外の門にもたれ掛り、しゃがみ込むエレン。頭を抱え、掻き毟り自慢のポニーテールが乱れていく。

 考えを巡らせ、どうにかして捕まった彼を助け出そうか頭を捻ったが、何も思い浮かばずに自分が情けなくなる。

「あぁ……んもうっ!」涙を浮かべ、天を仰ぎ見る。彼女の気持ちとは打って変わり、燦々と太陽が降り注いでいた。

「あの、すまないが」突然、エレンの隣から透き通った声が響いた。

 その声の主は紅色の鎧を身に付け、フルフェイスの兜を被っていた。兜からは金色のポニーテールが飛び出ている。背中には身長ほどある大剣が備わっていた。

「ん、はい? なんでしょう?」涙を拭い、相手を見上げる。

「国境近くのロンク村から来た村長の使いです。この城の王に頼み事があり馳せ参じたのだが……城下町は初めてなので道案内を頼みたいのですが……時間があれば……」

「あの、私はこの国の住民ではなく、旅人なので……」

「そうか、すまない。では他を当たるとしましょう」

 頼もしい体つきの青年だった。声からして16~18歳だろうか、透き通った声が特徴的だった。身体は城下の近衛兵顔負けの見事な出来栄えの鎧で包まれていた。背筋や歩き方でその者がタダの田舎の戦士ではない事を物語っている。

 しかも背中の大剣。こういった馬鹿みたいに重く長い剣は『目立ちたがり』か『筋肉バカ』もしくは『手練れ』が好んで使う武器である。エレンの瞳には、この者はただのバカに映らなかった。

 頼りになる戦士だと感じた。

 エレンはこの機を逃すまいと、鎧の青年の前に立つ。

「あ! あの……やっぱり道案内をさせてください! 今日一日で城下中を回ったので……その、」

「そうですか、助かります。では、よろしくお願いします」

 鎧の青年は深々とお辞儀し、エレンの隣に立った。

「よし……城に着くまでに仲良くなって……どうにかラスティーさんを助け出せないか相談できれば……」



 2人は真っ直ぐに城へは向かわず、観光するかのように城下の巨大建造物へ向かった。

 このパレリアにはコロシアムが存在し、ほぼ毎日、何かしらの大会が開催されていた。と言っても闘技場で行われるのは『暇を持て余した豪傑』が『非力な囚人』を惨殺するだけである。時たま『バスターライオン(闘獅子)』などの獣と囚人を殺し合わせる、趣味の悪い虐殺をショーとして公開しているだけだった。

「ここが有名なパレリアコロシアムです。ここでは……」エレンはパンフレットを読みながら甲冑青年の案内をしながら世間話を織り交ぜていた。

「ほぉ……こんな大きな建物、どうやって建てたのだろうか……血の臭いが香るな。嫌な場所だ」そう口にしながら踵を返す。

「そろそろ、城へ向かいたいのだが……」

「あぁ、待ってください! 次は貴族、マーロウ家の屋敷に……」

「先を急ぎたいんだ、すまない」

「で、でも! その……」

「どうした? なにか困っているのか?」見透かした様に口にし、マスク越しにエレンの弱り果てた顔を見た。

「はい……」

 エレンは仲間が捕まってしまった事を告げ、涙を浮かばせた。

「お願いします! 王様に会うなら、彼を解放するように頼んではくれませんか?!」

 紅色の戦士はしばらく黙りこくり、悩む様に辺りを見回した。

「これから相談する我が村の願いも相当なものでな……その後に願ってもいいが、望みはかなり薄いと思う……」

「言ってくれるだけでいいんです! どうか……」エレンは深々とお辞儀し、重ね重ねお願いした。

「……わかりました」と、青年が兜を取る。

「え?!」驚いたように目を剥くエレン。

「尽力しましょう」なんと、逞しい鎧や兜、背格好に得物で判断していたが、この戦士は青年ではなく、凛とした顔をした女性であった。

 しかも、見覚えのある顔だった。

 19年前、診療所に運び込まれた黒髪の女性その人と瓜二つなのだ。

「……えぇ?! え、え……とぉ?」狼狽を隠せずに彼女の顔をあらゆる角度から眺める。

「……あの、何か? 顔についていますか?」

「い……いいえ。スイマセンが、おいくつですか?」

「年齢ですか……残念ながらお答えできません」

「どうしてですか?!」どう見ても目の前の女性は16~18だった。だが、もし19年前の女性と同一人物であれば30代半ばである。どうしてもそんな年齢には見えなかった。

「……記憶が、無いんです」

「記憶?!」

「……えぇ、自分の名前、年齢に出身地……全て抜け落ちているんです。残っているのは、これだけ……」と、脇に挿したボロボロの刀を手に取って見せる。

「っ……!!」その刀は19年前に見たものと同じだった。


「あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 エレンは屈んで頭を抱え、大量の汗を掻きながら昼間の夢の続きをフラッシュバックさせた。悲鳴、下卑た笑い声、錆びた鋸、肉片、血、そして恐怖がへばり付いた顔。それらが彼女の頭の中でグルグルと回り、五臓六腑をひっくり返す。

「お、おい! 大丈夫か?! 息を、息を深くするんだ!」

「う! うぅ……あぁ!!!」

 彼女は目の前の戦士と19年前のボロを纏った女性をダブらせ、頭の中でクッキリと蘇ったトラウマが暴れまわり、消える事のない心の傷がゆっくりと開いていく。

「やめて!! こっちにこないでぇ!!!」

「参ったな……」戦士はエレンの首を軽く打ち、気絶させて肩に担いだ。

「すいませんが、ここらに診療所はありませんか?」紅の戦士は彼女をひょいと担ぎ、住民たちが指を差す方向へと歩いていった。

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