20.航海と酒と船酔い

 砂漠を抜け、アリシア達一行はイモホップ港から大海原『バイス海』へと旅立ち、船上でやわらかな潮風を味わっていた。

 彼女らの乗っている船は貨物船であり、本来旅人を乗せる事は無かったが、とある事情とラスティーの交渉によって乗船を許されていた。

「連中が現れたら頼むよぉ~」船員が木箱を片手に口にする。

「はいよぉ~」ラスティーは潮風を胸いっぱいに吸いながら大空を見上げて煙草を機嫌よく吹かした。

「航海は初めてだな」地平線を眺めながらぽつりと呟くヴレイズ。

「俺は何度目かな……いいもんだろ? 船ってのはよ」

「アリシアの体には合わないみたいだけどな」

 彼ら2人のいる右舷の反対側でアリシアは船の外へ青い顔を向け、我慢しようのない気持ち悪さと格闘しながら唸っていた。

「船大嫌い……うっぷぅ」

「大丈夫ですか? 酔い冷ましの魔法なんてあるのかしら? お酒の方の酔いならあるのですが」エレンは魔法医学書を片手に頭を捻り、片手に魔法水を纏わせながら状態異常回復魔法を色々と掛け合わせて酔い覚ましの術を模索した。

 そんな彼女らの背後に船乗りが1人立ち、腕を組んだ。

「酔って吐くのはいいが、あまり海を汚すような真似をすると海神様が怒るぞ~」

「うっぶっ……海神さま?」

「この大海原のバランスを保つ神様だ。海を汚したり、必要以上に漁をすると海神様が怒り、船を沈めに来るんだってよ」

「そりゃ怖いですね……って、船を沈めるのも海を汚す行為なのではないですか?」

 エレンのセリフを聞いて船乗りはにんまりと笑い、顔を近づけた。

「海神様の手にかかれば、藻屑なんて残らないんだよ……怖いだろ? 海は大切にしろよ」と、豪快に笑いながら船長室へ向かう。

「……そんな話を聞いても酔いは治らないよぉう……うぇぇ」

「この魔法を試しましょう」指先から一粒のヒールウォーターを絞り出し、アリシアに差し出す。

「あたしで実験しようとしてない?」

「いいえ~♪」



 貨物船はイモホップ港を出て、一週間で反対側の西の大陸『カウボーブ大陸』、パレリア国の港に着く予定だった。

 その間、アリシア達は無料で乗せて貰う代わりに、貨物船を襲撃しにくる海賊たちを撃退する仕事を受けていた。

「海賊って絵本に出てくるみたいな陽気な海賊?」船底にあるハンモックに横になりながらアリシアが問う。「歌って踊って骨付き肉に齧り付くさ」

「いいえ、船長さんが言うには……」

 この海には海軍崩れの海賊が多く航海しており、貨物船や客船を見つけては略奪を繰り返していた。数によっては軍艦でも襲うらしい。

 特にこのバイス海にいる海賊はタチが悪かった。3隻で囲み、砲撃を浴びせかけ、弱ったところを乗り込んでくるのが常套手段だった。

「シャレにならないね」

「陸の盗賊団と同じような連中ですよ」

「あいつら大嫌い…うえぇ…」船内がギシっと揺れ、それに合わせてアリシアの顔が青く変わる。



 航海が始まって3日目。

 海賊も嵐もなく、進路を順調に進み、船員たちは鼻歌混じりに釣りをするほど余裕を見せていた。

 賑やかな甲板上で、快晴の空を見上げながらヴレイズが憂鬱そうにため息を吐く。そんな彼を見てラスティーが隣に立ち、肩を叩いた。

「少し話、いいか?」問いながら煙草を咥えると、ヴレイズが火を点ける。

「あぁ」

「どうも」煙を吐き、手すりに背を預ける。

「着いたらまず、パレリア城に向かい俺の昔の仲間と合流するつもりだ。そこで魔王討伐の策を話し合い、これからの旅の具体的な目標を決める。で……」

「話したいのはそれじゃないだろ?」見透かすようにラスティーの目を見る。

「まぁな」と、懐から酒のボトルを取り出し一口含み、ヴレイズに手渡す。

「……なんだ? 昼間から」

「夜の方が気は抜けないから、今のうちにな」

 ヴレイズも一口飲み、ボトルを返す。甘ったるい灼熱と妙な冷たさが踊りながら下へ降りていき、一瞬で身体が熱くなる。

「強い酒だな」

「で、本題だが……」

「あぁ」


「お前の目的は、なんだ?」


 ラスティーはヴレイズの目をしっかりと見つめながら言い放った。

 ヴレイズは何を言われたのかわからず、目を丸くした。

「え?」

「俺たちの仲だろ? そろそろ腹を割った話がしたいんだ。ヴレイズは何を目的にして、俺たちと旅を続けているんだ?」いつになく真面目な表情を見せ、酒をもう一口飲んでヴレイズに渡す。

「……」ヴレイズは酒をグビㇼと飲み下し、ボトルを返す。ラスティーから目を背け、遠くで風に当たっているアリシアを眺めた。

「ガッカリさせたくないから、言いたくないな……」

「言った方が楽になるぜ?」

「エレンもそう言っていたな。待てよ、まさかエレンは……」と、アリシアの背中を摩るエレンに目を向ける。

「彼女は詳しくは知らない、が……お前の中で沸々と滾るモノは読み取ったみたいだぞ」

「そうか。ま、だいたいわかるだろ? 俺は13年前にある男に村を焼き払われたんだ。俺はそいつを、そいつを……」拳を握り、ラスティーからボトルを奪って酒をまた飲む。

「復讐か。ま、俺はそれでもいいと思うぞ」

「え?」否定されると思っていた矢先に意外なセリフが飛んできて狼狽する。

「俺も目的は復讐かもしれないな。魔王が憎くてたまらない。アリシアもそうだろう。エレンは……聞いた話では魔法医学校の連中を見返したいとか言っていたから、似た様なもんだろ。だが……」

「だが、なんだ?」


「ヴレイズは、このまま何気なく俺たちに着いて来ていいのか?」


 ラスティーの言葉が胸に刺さったのか、顔に影を作って俯く。

「村を手助けしたり、化け物を退治したりする時、お前はいつも乗り気じゃないし、魔王討伐に興味が無いって感じだ。このまま俺たちと共に旅をしても、お互いの為にはならないと思う」

「……俺を追い出すのか?」

「話を急ぐな。だが、ヴレイズは最初の頃に比べたらスゲェ頼りになるし、追い出すとか仲違いとか俺は御免だ。なぁ……お前はこの旅で何がしたい?」

「何?」

「要は復讐だろ? だがその復讐に至るまでに何をするか考えるべきだと思うんだ」と、ヴレイズからボトルを奪い返し、飲もうとするが、中身は空だった。「飲み過ぎだぞ」

 ヴレイズは黙りこくり、しばらく悩み様に頬と眉を歪ませ、軽く唸った。

「エレンが言うには、今のお前の心は安定している様に見えるが、いざ復讐相手に出会ったら別人に変わるだろうってさ。で、二度と戻ってこられなくなるってよ」

「……俺はどうすればいいんだ?」

「心の落ち着け方に問題があると思う。アリシアは困った人を見ると、何が相手でも助けようとするだろ? エレン曰く、あれは自分の心を落ち着けるための行動、らしいぜ」

「心を?」

「……自分がいたのに故郷を目の前で焼かれたトラウマ……それが彼女の心を蝕んでいるそうだ。その浸食を防ぐためだかどうだか……。

エレンの話は難しいから上手く説明できないが、心を落ち着ける為に何かしらやらなきゃならん事があるって話だ。人によっては宗教だとかポリシーだとか……俺は頭の中で策を巡らせながら煙草を吸うってな具合かな?

とにかく、ヴレイズも何かそういう心のケアってやつ? やった方がいいぜ」

「……よくわからないな」

「正直、俺もわからない。言いたいのは、俺たちは『魔王討伐』っていう大業を成そうと旅を続けているんだ。そんな中、目的も心も不安定なヤツに足を引っ張って欲しくないって事だ。たまには自分の意志で考えて行動してみろよ」

 そこまで言うと、ラスティーは吸殻をボトルに捨て、エレンたちの方へ歩いていった。

「目的……かぁ」



 彼らの会話を盗み聞きしていたエレンはラスティーに近づき耳元へ顔を近づけた。

「心のケアのくだりは、貴方には言われたくないでしょうね」ラスティーは3日に一度、エレンの心の検診と治療を受けていた。

「……すいませんが、今夜もいいでしょうか?」

「はいはい、王子様」

「ついでにあたしも助けて……」青から緑に変わった顔を向けながら白目を剥くアリシア。

「じゃあこれを飲んでください」と、透き通った緑色をしたヒールウォーターで満たされた両手を差し出す。

「……本当にあたしで実験してない?」

「いいえ~別に♪」



 日が沈み、辺りは黒い絵具で塗り潰したように真っ暗になる。暗がりを照らすのは星の光。微かな明かりは周囲を頼りなく照らした。

 ラスティーの言った通り、夜が一番危険であり、この時間帯に海賊に攻め込まれたら一瞬で沈没である。

 見張り台にはヴレイズが立ち、頭を押さえながら地平線に目を配った。

「昼に飲み過ぎたなぁ……ったく、ラスティーの野郎……」と、彼のセリフを思い出し、また苦そうな表情をした。

「……目的、か」

 その頃、船底でラスティーはエレンの診察を受けていた。

 エレンは椅子に腰掛け、ノートを片手に彼の話に耳を傾ける。ラスティーはハンモックに揺られながら昼の会話や自分の考え、これからの行動と悩みについて告白していた。

「難しく考えすぎる癖をなんとかした方がいいですよ。それに、仲間がいるのですから……もっと頼ってくださいね。今みたいに」と、ペンで彼の鼻の頭を小突く。

「ボスにも言われたなぁ……マフィアやってた頃は気楽だったなぁ……そうだ、2年前のあの時……」

「あの、今日はもう遅いですから続きはまた、ってことで」

「あ、あぁすいません先生」

「先生はやめて……いや、今は先生でいいかな?」

 すると、エレンの背後にヨロヨロになったアリシアが立ち、彼女の背に身体を預けた。

「軽くなりましたね」

「吐くものが無くなったからね……うっぷ……」

「どうしたんだ? 眠れないのか?」ラスティーが問いにアリシアは青い顔を向け、椅子に腰掛ける。

「あ、あのさ……『勇者の時代』って聞いたことある? サンドゥ村で耳にしたんだけど」

「あぁ……魔王が現れた直後の時代だ。俺達みたいに魔王討伐を掲げた自称勇者たちが大勢、名乗りを上げたって聞くな」と、煙草を吸おうと咥えるが、アリシアの顔色を見て察し、大人しく懐に仕舞う。

「で、その勇者たちはどうなったの?」

「あるものは失踪し、ある者は盗賊や魔物に殺され、またある者は盗賊に身を落とし……『勇者の時代』は5年くらいで終わりを告げ、魔王討伐を掲げる者はいなくなったそうだ。俺から言わせてもらうと、気軽に『勇者』を名乗るべきではないと思う!」

「それは何故です?」エレンが問うと、ラスティーは顔を顰めて指を立てた。

「何の覚悟も使命感も、そして強さも持たない者に勇者を名乗る資格はない! そう、俺自信も勇者と名乗るつもりはない! 俺は本物の勇者を知っているからな!!」

「本物の」

「勇者?」声を合わせて顔を見合わせるアリシアとエレン。

「そう、あれは15年前。魔王が俺の国を襲った時、1人の勇者が! 勇者が……うぅ……」急に暗い顔をして俯き、ハンモックに横たわるラスティー。

「はぁ……延長ですか?」

「はい先生」ラスティーは再びエレンの患者になり、思い出した内容を洗いざらい話す準備をした。

「アリシアさん、余計な事を言わないで寝なさい!」

「はい先生」


 

 そんな真夜中、アリシア達が乗る貨物船を補足した一隻の船。見張り台の男が望遠鏡で貨物船の武装を確認し、声を上げる。

「イモホップ国のウォレスト号ですぜ。旧式カノン砲が6門だけの貧弱な貨物船でさぁ!」

「情報では4人の用心棒を乗せているとか。名前を調べたら札付きみたいですね」一等航海士と思われる男が書類の束からアリシア達の顔が書かれた手配書を4枚取り出す。

「風、炎、水に光……魔法の射程外からいつもと同じ戦法で問題はなさそうだな」

 汚らしくも奇抜な格好をした大男たちは卓上の海図にナイフを突き立て、ベルで船に乗った戦闘員たちに合図を送り、戦いの準備を促す。

「緊張の緩む夜明けと共に襲撃をするぞ。他の2隻にそう伝えろ」

「アイアイサー!!」

 頼もしい掛け声を聞き、船長とおぼしき大きな帽子を被った髭面の男がぐふふと笑い、酒をガブガブと飲みながら骨付き肉を豪快に喰らった。

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