16.男爵の咆哮
辺りがオレンジ色に染まる夕刻頃。
ビリアルドはクイーンの縄張りである湖に、ひとりでやってきていた。
ろくに装備も用意せず、両腕両脚に青白い稲妻を纏わせ、地面に黒い足跡を残しながら一歩一歩、湖に近づいていく。
目の前には10頭以上のサーベルヒポリトンが顔や目だけを水面から覗かせ、彼を見据えていた。
そんな湖の中から突如、山の如き牙カバが飛沫と大波と共に姿を現す。眼前の我が子の仇を前にして目を血走らせ、咆哮と唾を浴びせる。
クイーンの唾液がスコールの様に降り注ぐ中、ビリアルドは稲妻のバリアを展開し、バチバチと音を鳴らした。飛んできた唾が障壁で弾かれジュワっと蒸発する。
「さぁ、女王よ……我が手柄となるがいい」
「あの男爵様に勝てるかねぇ~」双眼鏡を覗きながらラスティーが口にする。彼ら4人は今、決闘が行われようとしている湖から200メートル離れた林の中で待機していた。
「本物のクラス4なら牙カバの1頭や2頭は朝飯前だろうけど……」目の前の稲光を眺めながら口にするヴレイズ。
「彼はクラス4なんですよね?」エレンが問うと、ヴレイズは何か引っかかる様な表情で腕を組み、首を傾げた。
「昨日の閃光や魔力、ヤツの言動だけで判断するなら間違いなくクラス4だろうな。だが……」
「お前にも魔法使いの『違い』って奴がわかるのか?」ラスティーが双眼鏡から目を離し、ヴレイズに目をやる。
「俺もクラス3の端くれだからよ」
彼らの会話についていけないのか、エレンは悩み顔を作りながらラスティーの隣に腰を下ろす。彼女は回復や呪術などの分野は得意だったが、戦闘に関する水以外の魔法の知識には疎かった。
「何が心配なのでしょう?」エレンが問うと、ラスティーは彼女に双眼鏡を渡し、目の前の決闘を見る様、薦めた。
遠くでビリアルドが体全身に稲妻を纏い、クイーンの体当たりや噛みつきを避けながら雷槍を連射していた。まるで大砲が地面に着弾した様な轟音と、乾いた破裂音が耳を劈き、エレンは堪らず耳を塞いだ。
「すごい戦いじゃないですか!?」興奮しながら口にするが、ラスティーとヴレイズは心配そうな表情を更に深刻化させ、唸る様にため息を吐いた。
「ありゃあ、クラス4モドキだな」ラスティーの呟きにエレンが問いを返す。するとヴレイズが口を開いた。
「クラス4を名乗る最低条件は『体内を巡る魔力の無限化』だ。この所業は並大抵の努力や才能じゃ不可能だ。だが、たまぁに偶然と運と才能が重なって、魔力の『巡り』を掴んで無限化に成功する魔法使いもいるんだ。だが、そういう奴は大抵……」
「クラス3で学ぶ技術が疎かだ。ヤツはその典型だな」と、ラスティーが付け加えながら煙草を巻き始める。
「え? あれが?!」ただでさえ雷魔法が戦闘に使われるトコロを見たことがないエレンは驚き、双眼鏡を覗いた。
「雷魔法は制御が難しく、他の属性よりクセが強いから、大抵の雷を身に宿した連中は挫折して魔法使いになるのを諦めるんだ。だが、いったん使いこなすと、あんな風に派手に稲妻を振り回せるようになる。だが、あれはクラス3としては一皮むけた初歩ぐらいだ」ラスティーのセリフにヴレイズも相槌を打った。
「いかに属性を練って魔力を高め、火力を放出するか……そればっか考えていた時期もあったなぁ……その結果が俺の自慢の赤熱拳なんだけどな」
「聞いてねぇーよ。まぁ魔力が無限だから、雷を浴びせ続ければ、どんな相手でも勝手にくたばるだろうって考えだろうけど、己自身の体力が尽きちまうと意味ないよな……」煙草に火を点け、フッと煙を夕日に向かって吐き出す。
そんな彼らの会話をよそにアリシアは道中で収集してきた薬草を混ぜ合わせ、禍々しい色をした丸薬を練っていた。陽気に鼻歌を歌いながらひとつふたつと作り、袋に入れていく。未だに視力は回復していなかったが、道具を丁寧に手入れし鞄に詰める。
「準備できたけど、様子はどう?」
「アリシア、本当に加勢するのか? お前の目を潰したヤツだぞ?」ヴレイズは彼女の目を心配しながら訊いた。
「あいつの為じゃなくて、クイーンの為かな?」
「邪魔したら殺されそうだな。それでも行くのか?」ラスティーが遠くの決闘を指さしながら問うた。
「大丈夫! あたしの作戦通りにやればね!」
「でも、目がまだ……弓もクローも使えないでしょう?」エレンが口にすると、アリシアはニヤリと笑って見せた。
「使わないから大丈夫! さ、そろそろ行こう!」アリシアは林から飛び出し、ビリアルドが戦う湖へ向かった。
「それに付き合わされる俺たちの身にもなってくれよぉ~」ヴレイズが漏らすとラスティーが彼の後頭部を引っ叩いた。「いでっ!」
「魔王討伐を掲げる俺たちにとって、良い試練じゃないか」
「その試練で殺されたら意味ないだろ!」
「怪我したら私が治しますよ~♪」
決闘が始まって5分。ビリアルドは息を荒げ始めていた。
いくら雷を浴びせても怯まず、弱る様子も見せないクイーンに彼は焦りを覗かせ、冷や汗を垂らした。
「とっととくたばれ! この化け物がぁぁ!!」両腕に魔力をできる限り溜め、大きな稲妻の剣を作り出し放つ。
クイーンはその魔法を正面から受け、爆発と雷球が飛び散り煙を上げたが、全く効く様子も見せぬまま突撃した。それをギリギリで避けるビリアルド。
先ほどの余裕の表情は何処へやら、彼の身体から疲労がこみ上げ、脚に砂が詰まったような重さが襲い始めていた。
クイーンはその巨体に似合わず小回りを利かせてUターンして曲がり、巨大な双斧の備わる大口を開き、狙いを定めて直進した。
「くそ! こんな所で死ぬものか!!」大口に向かって全身から威嚇するように稲妻を放ち、雷を飛ばす。だが、いくら魔力が無限のクラス4でも、その魔力を放つのは気力体力集中力である。故に、彼が放った渾身に雷はもはや小動物を殺す程の力は無かった。
「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!!」
目に涙を溜め、死の恐怖に震えあがるビリアルド。そんな彼をヴレイズとラスティーが横から突き飛ばし、クイーンの牙からギリギリ逃がした。
「間に合ったか」
「助けたくねーけどな」納得いかない様子のヴレイズが腕を組む。
「き、貴様らは! 無礼だぞ! この僕を足蹴りになど!」額に血管を浮かせながら怒鳴るビリアルドだったが、2人は耳を貸さずクイーンを見据えていた。
「湖の牙カバは襲ってこないよな?」
「アリシアが言うには、クイーンの合図が無ければ襲ってこないらしい。そしてこれはクイーンの私闘。仲間の手出しは無いはずだ」ラスティーはアリシアから手渡された丸薬を3つ手の中に隠し持ち、風の準備を進める。
「頼んだぜ、ヴレイズ」
「また俺が囮かよ」
「囮というより、壁かな?」
「どっちも変わらねーよ!」と、手に炎を込める。
クイーンはそんな2人に目もくれず、尻餅をついたまま動けないビリアルドに狙いを定め、再び突撃を始めていた。
迎撃しようと手をかざす彼だったが、その目の前にラスティーが立つ。
「手柄はくれてやるから、邪魔だけはするな」
「指図をするな平民風情が!」プライドが傷ついたのか歯を剥きだして怒りを露わにする。
するとラスティーが彼の鼻先に無表情の顔を近づけた。
「お前が貴族なら俺は王子だぞ? 頭が高い!」
「へ?」
そんなやり取りにはお構いなしに突撃するクイーン。そんな目の前にヴレイズは飛び出し渾身の火柱を、クイーンを囲む様に放った。堪らず突進が止まる。いくら牙カバでも炎を怖がる本能には勝てなかった。
だが、この炎はクイーンの身を焦がすような事は無かった。
大口を開けて混乱するクイーン。そんな彼女の口にラスティーは丸薬を放り投げた。
「効けばいいけどな」アリシア特製の睡眠効果を持つ丸薬だった。
クイーンはうつらうつらと巨体を揺らしたが、炎の柱ごしにビリアルドを睨むのを止めはしなかった。
すると、茂みに隠れていたエレンが大きな水の塊を作り、ラスティーの目の前に頬り投げる。
「お願いします!!」
ラスティーは笑顔で応え、風で水を掴み取り分散させ、ヴレイズの炎によって霧に形を変えた。その霧をクイーンの周りに散布させる。
エレンの投げた水には鎮静効果や心に働きかける回復魔法が宿っていた。
やがてクイーンの鼻息が徐々に大人しくなり、血走った瞳を元の色に戻す。
「もう大丈夫か」と、ヴレイズが火柱を消す。
クイーンは静かに呼吸を繰り返し、落ち着きを取り戻していたが、その目は未だにビリアルドを睨み付けていた。
そこへアリシアがひょこっと現れる。エレンと並びながらクイーンに近づき、宥める様に壁の様に大きな横腹を摩る。
「アリシアさん。めっちゃ怖いんですけど……」
「大丈夫。あたしの調合した丸薬が効いているからね。さ、仕上げよう! お願いします先生」と、エレンに首を垂れるアリシア。
「こんなこと、やった事ないですよ……」自信のなさそうな表情でエレンはクイーンの横顔に左手を置き、右手をアリシアの頭に手を置いた。
「何をやってるんだ?」ヴレイズが目の前の光景を眺めながら問うた。
「エレンの心を覗く力を応用して、アリシアの心をクイーンに伝えている……らしい。できるかどうかはわからんが……」
夕日が完全に落ち、辺りが真っ暗闇になる6時頃。
クイーンは鼻息をフンと鳴らしながら湖へ戻っていった。
魔力を使い果たし、地面にへたり込むエレン。
「うぅ……疲れたぁ……今日の治療は消毒と包帯を変えるだけで勘弁してください」
「お疲れ様~」満足そうに微笑むアリシア。
「上手くいったみたいだな」ラスティーが近づくと彼女たちは揃って頷いた。
「赤ん坊を弔った事を伝えて、あいつを殺しても意味ないって説得したんだ。クイーンは理性的だから上手くいったよ。もしキングが相手ならこうはならなかっただろうね」と、湖から頭半分を出して決闘を眺めていたキングを横目で見る。
「よし、じゃあ村に戻って、もう一泊あの主人の家に甘えようか。今日もカレーらしいな……」ラスティーが安心したような表情でエレンに肩を貸した。
「あたしが採ってきたスパイスを入れていたから、今日は辛いよ~」
「楽しみだな」ヴレイズが歯を見せて笑うと、ラスティーが表情を曇らせた。
「俺は甘口の方が好みなんだが……」
「我がまま言わないの、王子様」エレンがにこやかに口にする。
「ちょっと待ちたまえ!!!!」
存在を忘れられていたビリアルドが声を上げる。
「あ、まだいたんだ」4人が声を揃える。
「僕の手柄を横取りして! さぞ気分がいいだろうな! 僕に恥を掻かせてさぞ胸がすく思いだろう!! そうやって僕を笑いものにするがいいさ!」
「別にお前を肴に酒を飲んでも巧くねぇわ」ラスティーが煙草を取り出しながら答える。
「あんたを助けたかった訳じゃないよ」アリシアが口を苦そうにさせる。
「黙れ! 僕はお前らと違って一時の自己満足に浸る為に戦っていたわけではない! 賢者に選ばれる為! 我が国を守る為に戦っていたんだ!」
「国を守る?」エレンが首を傾げると、ラスティーが口を開いた。
「あいつのいる北の大陸に賢者がひとりもいないんだ。つまり、魔王に睨みを効かせる戦力が無い。あいつの国の喉元には魔王の剣が届きつつあるらしいからな」
「わかった口を訊くんじゃない! 自称王子が! 僕の気持ちがわかってたまるかぁ!」瞳を青白く光らせ、怒鳴り散らすビリアルド。
「……そうか。まぁ頑張ってくれ自称クラス4。さ、行こうぜ」ラスティーはそっけなく返事だけして村へと歩み始めた。
「待て、この野郎!!!」ビリアルドはラスティーの背に向かって怒り任せの電撃を放った。ヴレイズが「危ない!」と口を開こうとした途端、風が吹き荒れる。
ラスティーの放った風は雷の進路を曲げ、地面に荒々しく着弾させた。数瞬で彼はビリアルドの鼻先まで詰め寄り、蹴りを食らわせ地面に転がし、ボウガンを向けた。
「おとなしく手柄だけ持って、さっさと失せろ」
「な、何故、格下の風ごときで雷が……?」
「……500年前まで雷と風は同じ属性で、雷使い達が独立し『雷』という属性が誕生したらしい。故に風の魔法の本質は雷と一緒だ。だから、曲げる事が出来るんだ。勉強が足りないな」と、紫煙を吐きかける。
「ゲホっゴホッ」煙に咽て目を瞑って咳をしている間に、ラスティーは仲間の下へ向かいビリアルドに背を向けていた。
「くそ……絶対に賢者になって連中を見返してやる!!」
その夜の食後、アリシア達は旅支度をしながら明日の予定について話し合っていた。
「明日にはイモホップ国のティラミ砂漠かぁ~なあ、馬車を利用するってのはどうだ?」ヴレイズが口にするとラスティーが丸めた地図で彼の頭を叩いた。
「俺たちは揃いも揃って賞金首だ。乗れるわけがないだろ!」
「そっか……嫌だなぁ~暑いの」
「炎使いのクセに……」アリシアは水と食料のチェックを済ませ、武具の手入れを始める。
エレンは窓越しに村の様子を眺めながら湯を沸かしていた。
「あのビリアルド男爵は、村を出たようですね。クイーンを追っ払った英雄として……」
「賢者になる為なら当然だろ。選ばれるには人格も点数の内だからな。その人格は最低だが……」ラスティーは村長から借りた本を眺めながら口にした。
「だが魔法学会の雷使いの長老たちは実力至上主義らしいから、あいつが選ばれることはないだろうな……」と、続ける。
「お前、あいつの事嫌いだろ?」ヴレイズが問うとラスティーは首を振った。
「……いいや……正直、力を貸してやりたいよ。俺の故郷が消される前の父さんみたいな焦り方だった……だが、アリシアの目を潰されたし、牙カバに酷いことをしたからな」
「目は完全に潰れてないけどね」綺麗な包帯にまき直し、余裕の笑顔を見せるアリシア。
「ま、ともあれ明日はいよいよ砂漠だ。ゆっくり寝て備えようぜ」
「くそ……ちくしょう……」感謝状を胸に仕舞ったビリアルドは整っていた髪をぐちゃぐちゃに乱し、悔しさに表情を歪めながらトボトボと独り、村を後にしていた。
村長や村の人々の声援が胸に突き刺さり、さらにラスティーに言われたセリフに頭を掻きまわされ、悔しさでどうにかなりそうな様子だった。
「賢者になったら覚えてろ……いや、そんな事をしている場合では……だが見ていろ!」鼻息を荒くさせる男爵。
彼の脳裏に他の賢者候補たちの影がチラついていた。誰もかれも優秀であり、親のコネで候補になった自分とは出来の違う者ばかりだった。
その影の中で頭2つほど小さな影が、ビリアルドの中で大きくなる。
「くそぉ! あんな娘に! お子様に負けて堪るかぁぁぁぁぁぁ!!!」
夜空に向かって吠える男爵。彼の咆哮は北の空へ向かって虚しく木霊した。
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