15.クイーンの咆哮

 日が落ちて辺りが暗闇に包まれる午後8時。

 ニコル村を見渡せる小高い丘に、1つの巨大な影が現れる。要塞の様な体つき、巨人の戦斧の様な牙、大槌の様な脚。サーベルヒポリトンだった。

 しかもその牙カバは、そこいらの湖にいる1頭ではなかった。ここらの群れの中で一際、体が大きく、只ならぬ気配を滲ませるクイーンである。

 牙カバの群れを守る役目はキングにある。だが群れを納め、号令を放つ権限はこのクイーンにあった。

 巨大な体から蜃気楼の様な殺気を漂わせ、辺りの空気を震わせる。小さな瞳を血走らせ、巨大な鼻の孔から空気が震えるほどの息を吐き、吸い込む。

 そして村の方角を見下ろし、まるで火炎でも吐く勢いで咆哮した。

 その瞬間、草木が波打ち、辺りの小動物たちが一斉に村とは逆の方向へと逃げ出した。

 


「今のは……」カレーに舌鼓を打っていたアリシアが咆哮の響く方角へ顔を向ける。

「この近くに化け物でもいるんですか?」ラスティーが家の主人に声をかける。

 彼らは日が落ちる前に、主人とおかみさんに頼んで、一宿一飯にあり付いていた。

「……いやぁ? ここ30年であんな咆哮は聞いたことがないなぁ……」食後のパイプをふかしながら主人が首を傾げる。

「近くの牙カバが棘でも踏んだんでしょ? おかわりは如何?」おかみさんが勧めると、エレンを除く3人が手を挙げた。

「育ち盛りなのでしょうか?」エレンは楽しそうに笑いながら彼らを眺め、自分のカレーを上品に口へ運んだ。



 その頃、宿屋に泊まっていたビリアルドの下へ、村長が顔を真っ青にして駆けつけていた。息を切らせ、汗だくになりながら椅子に座りこむ。

「何の御用で?」食後のティータイムを邪魔され、苛立ったような表情を向ける。

「今の咆哮、おききになりましたか?」全身を震わせながら問う村長。

「……えぇ、こんないい夜に無作法な獣がいたものですね。ウルフソルジャーの遠吠えに相応しい夜なのに……」

「今のはクイーンの『警告』です」

「警告?」

「はい。50年前に経験したので、わしにはわかります。その時、村の者が牙カバの縄張りを悪戯に荒らし、1頭の牙カバの赤ん坊を殺したのです。

 その行為に怒ったクイーンが同じように村に向けて咆哮しました。

 訳も分からず3日が過ぎると、クイーンがこの村に突撃し、縄張り荒らしの犯人を見つけるまで暴れまわりました。村が半壊する頃、その犯人がクイーンに噛み砕かれ、吐き散らされ……そしてようやく怒りが収まったのか、湖へ帰っていきました……」

 この話にビリアルドは興味が無いのか、顔も向けず紅茶を啜るだけで相槌も打たなかった。

「先ほどの咆哮……久々にクイーンがお怒りになった証です! 村の者にはキツく言い聞かせているのですが……どうやら誰かが怒らせてしまった様で……」気まずそうに眉をハの字に下げる。

「犯人を捜し、付き出せばよいではないですか。生贄の様に」ビリアルドはまだ顔も向けず、冷たく言い放った。

「そう簡単に探せませんし、いつ襲って来るのやら……それに今はこの村は大きくなり、多くの客もおります! どうか……助けてはくださいませんか?」深々と頭を下げる村長。

 ビリアルドは紅茶を飲み終わり、窓の外を見ながらため息を吐いた。

「……いいでしょう。ただし、条件があります。今回の出来事を綴った感謝状をククリス魔法学会へ送る事。僕は賢者候補なので、ね」自信たっぷりの表情を作り、村長の肩に手を置いた。

「安心してください。この村は、ボディヴァ家の誇りに賭けてこの僕が守ります!」



 夜が明ける午前4時前。

 アリシア達は早くから起床し、咆哮を響かせていた丘へと向かっていた。

「なぁエレン、さん」ヴレイズがぎこちなく問う。

「『さん』はいりませんよ、ヴレイズさん」やさしく微笑みかえすエレン。

「……はい。アリシアの目は、本当は治っているんじゃないですか?」目の前を付き添いも杖もなしでズンズンと進んでいくアリシアを見て目を細める。

「私も自分の目を疑いますが……今朝、診断した時はまだ神経は完治していませんでした……」綺麗に咲く花に触れて笑うアリシアを見て、首を傾げる。

「不思議だな……それに丘から少しコースがズレてないか?」ラスティーが地図片手に後ろから問う。

「目の見えないアリシアを先頭に行かせているからな~って、おい! アリシア! そっちでいいのか?!」ヴレイズが声を上げると、アリシアは振り向きざまに笑顔を向けた。

「大丈夫か?」3人が声を揃えると、彼女が歩みを止める。

 その先にはサーベルヒポリトンの亡骸が腐臭を漂わせながら転がっていた。

「うわっ! 酷いな」漂う強烈な悪臭にラスティーが表情を歪める。

 エレンはアリシアの隣に屈み、牙カバの巨体に手を置いた。

「……焦げた跡があるけど、炎によるものではありませんね。内側から焼け爛れています……」

「この子、赤ん坊だ……」アリシアがぽつりと呟いた。

「え? 大岩ぐらいデカイのにか?!」驚いたヴレイズが亡骸に近づく。

「生後半年かな? 牙がまだ幼い。そうとう大きな個体の子なんだよ、きっと。クイーンぐらい……かな?」牙に触れながらアリシアが口にする。

「傷を見るに、強力な雷魔法を喰らったみたいだな。この悪臭は内臓が焼けて腐った臭いだ……ん? かみなり……」何かに勘付いたのかラスティーが眉をひそませ、同じく気付いたヴレイズが目を合わせる。

「あのヤローだ」声を合わせる2人。

「よし! ラスティー、この子が入る大きな穴を掘ってくれるかな? 弔ってあげよう」アリシアが口にすると、ラスティーは2つ返事で竜巻のドリルで穴を掘り始めた。



 村に戻ったアリシア達は、世話になった家主に昨日の咆哮の正体とその原因を話す。犯人については、確たる証拠がない為、ビリアルドの名前は伏せて伝えた。

「なるほど。朝から村長が慌てているわけだ」主人が眉を落とし窓越しに、広場に村人たちや観光客を集める村長に目を向けた。

「咆哮と村と何か関係が……あるんだろうねぇ~」ラスティーは騒ぎを風で探り、村長の話の内容に耳を傾ける。「はっは~ん。話が見えてきた」

「どんな話なのですか?」エレンが問うと、ラスティーは村長の話と自分の推理を小声で語った。

 その間にアリシアとヴレイズは、おかみさんの朝ご飯の準備を手伝い、テーブルに皿を乗せた。

「なぁアリシア、目は大丈夫か?」

「うん。鈍い痛みはもうないよ。それに問題ないよ~」まるで普通に視力がある様にコップにオレンジジュースを注ぐ。

「昨日から疑問に思っているんだが……なんで見えてないのに、そんな風に動けるんだ?」

「5歳の頃、訓練したんだよ。夜とか洞窟とか、闇の中でも普通に行動できるようにね。おじさんには色々教えてもらったなぁ~今、どこで何をやっているんだか」

「そのアリシアを育てた『おじさん』って……狩人なのか?」

「そうだよ~」笑い返しながら鍋の中のスープを更に注いでいく。

「……何者なんだろうな」



 日が頭上に上る頃、ざわつく村の広場で村長が、今後の事をゆっくりと語っていた。

「これから村を襲うであろうクイーンを討伐してくれると、このお方が名乗りを上げて下さいました。雷の賢者候補のビリアルド・ボディヴァ様です」紹介の後、ビリアルドは胸を張りながら村長の前に出た。

「皆さま、この僕が来たからにはもう大丈夫です! 怒り心頭のクイーンはこの僕、ビリアルド・ボディヴァ男爵が華麗に討伐してごらんに入れましょう! しかも討伐料の類は一切受け取りません! 無償で皆様の救世主になって見せましょう!!」己を見せつける様にその場で1回転し、キメポーズを作る。

「本当にクイーン・サーベルヒポリトンを倒せるのか?! その昔、この国の王がクイーンの牙で剣を作るために軍隊を差し向け、返り討ちにあったと聞いたが?」旅人のひとりが声を上げる。

「僕の雷が信用できないなら、観戦すればいいですよ」余裕の笑顔で返すが、旅人は首を高速で振った。

「もし……失敗したら?」武具屋の店主が問う。

「ありえない。失礼だよ、きみ」ビリアルドは笑顔を崩さず、村人たちの質問や不安の声に応えていった。彼が言うには夕方には決着がつくと指を立て、ギャラリーたちが大きく拍手をする。


「阿保くせ~」家の影で聴いていたラスティーが舌を出す。

「自作自演、か。許せないが、何を言ってもあいつには勝ち目無いもんなぁ~」ヴレイズはソルティーアップルを齧りながら鼻を鳴らした。

「このまま黙って旅支度をして、砂漠へ入りますか?」荷物チェックを進めながらエレンがため息交じりに口にした。

「ん~あいつがどこを狩場に選ぶか、だなぁ~」腕を組みながら唸るアリシア。

「え? もしかして加勢するのか?」種を吐きながら不満そうな声を上げるヴレイズ。

「ちょっとね……ねぇエレン!」

「なんですか?」

「エレンってさ、身体の水分から心の内を読み取る事ができるんだよね?」アリシアの問いにエレンは笑顔で頷いた。

「もしかして動物の心も読めたりするの?」この問いにエレンは小さく頷いた。

「じゃあさ……」ニヤリと笑いながらエレンに耳打ちする。この問いにエレンは笑顔のまま冷や汗を掻いた。

「アリシアさん……何を考えているのですか?」

「んふふ♪」

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