12.王子様の精神科医
日の光が頭上にくる頃、3人はカルミンの街に辿り着いていた。
海岸沿いのこの街は綺麗な水が豊富で、中央広場には立派な噴水があった。水使いが多く住んでいるため、魔法医の営む診療所や、回復魔法専門の魔法学校が建っていた。現在の水の賢者の生まれ故郷でもある為、他の国よりも治安が行き届いており、王立ギルドからきたハンターもここで多く働いている。
「さて早速、診療所へ行こうかね!」大怪我人である2人は地図看板で場所を確認し、駆けようとすると、ラスティーが2人の襟首をつかむ。
「まずは変装しろ。5000と8000の賞金首だってことを忘れたか?」
「この国までポスターは出回ってないだろ? ってラスティー、いつの間に着替えたんだ?」ヴレイズが目を剥く。ラスティーはブランダの街にいた時のスーツ姿になっていた。
「街に敬意を払っているんだ。それに、田舎者扱いされたくないしな。2人は俺の用意した変装道具で仮装しろ。治療はそれからだ」
「擬態ね。ほいほい」アリシアは彼から渡された袋に手を入れ、つけ髭を取り出した。
「それ、付けるのか……?」
変装が終わり、3人は街で一番人通りが少なく、客の並んでいない診療所に来ていた。他にも3軒、診療所が建っているが殆ど行列ができる程、患者が並んでいたのだった。
唯一並んでいなかったのがこの『ライトテイル診療所』だった。
「ヤブだったりして」大きな髭越しにアリシアが不安そうに漏らす。
「多少ヤブでも治してくれるなら……」付け鼻眼鏡越しにヴレイズが口にする。
「俺は2人に比べて軽傷だから、最後でいいぞ」
「じゃ、じゃあヴレイズ、お先に」
「いやいやアリシア! どう考えても君が先だろう?!」と、3人は診療所へ足を踏み入れ、受付に名前を記入して待合室の長椅子に腰掛けた。
しばらくして「ボンバイエ・ハナエさん~」という透き通った女性の声が響く。ラスティーが用意したアリシアの偽名だった。
「なんちゅう名前を……」ぶつくさ口にしながらも診療室へ入っていった。
「旅行者の方ですね? はじめまして『エレン・ライトテイル』と申します」綺麗な白衣を着たポニーテールの女医が美しいお辞儀で出迎えた。
「始めまして、ア……ボンバイエ・ハナコです」背中の痛みを堪えながらお辞儀で答える。
「ハナエさんじゃなかったかしら?」
「あ、あぁそうです! ハナエです……はい」弱ったように頬を掻く。
「で、今日はどんな事でこちらに?」
冷や汗を掻きながらアリシアは服を脱ぎ、傷の具合や肋骨の痛みを伝えた。
メモ帳に説明された症状を記入し終え、エレンは両腕に魔力を込め、水を纏い、彼女の傷を丁寧に撫ではじめた。
「つめたっ」
「ごめんなさいね~」優く声をかけ、傷の具合を正確に検診する。「わかりました。傷が深いわりに上手に処置してありますね」にこりと笑い、新しい包帯とガーゼを取り出す。
「先生、どうでしょう? 治りますか?」
「もちろんですよ、アリシアさん」右腕で不思議な光を放つ水球を作り、鉄製のボウルの中に注ぎ、ガーゼを浸す。
「え? なぜ私の……?」目を見開きながら彼女の顔を見た。
「貴方の身体の『水分』が教えてくれました。なぜこんな傷を負ったのかも……貴女はとても優しいんですね。自分の命も顧みず他人を助けるなんて……」ガーゼで傷を覆い包帯を巻く。肋骨にも同じく水で浸したガーゼを付け、同じように包帯で固定した。
「はい、終わりです。治るのには少し時間がかかりますけど」
「何日くらいかかりますか?」
「そうですねぇ~2時間でしょうか?」
「にじかん!! 早いじゃないですか!!」アリシアは傷の痛みも忘れて仰天する。するとエレンは深い溜息を吐きながら足を組んだ。
「そのくらいの傷なら、他の診療所は1分とか数秒で直しちゃうんですよ。だからウチには誰もこないんです。精々、盗賊風情や外国から来たあなたみたいな人くらいしか……」
「数秒?! それも凄いですね! さぞ腕がいいんでしょうね!」このセリフを聞いたエレンは再びため息を重たそうに吐いた。
「だと思うでしょ? 実は早いだけが売りで、数週間もすると傷が開いたり、病気がぶり返したり、血腫が爆発したりするヤブばっかなんですよ? おっと、営業妨害ですかね」毒っぽいセリフを吐き、ニヤリと笑う。
「うわっ……そんな診療所よりエレン先生の方がいいと思うんですが」
「それはないですわね~なにせ私、この街の鼻つまみ者ですから」
「それはどういう……?」
「……それはまた別のお話ってね。治療は終わり! 御次の方どうぞ! ドンタコス・ジロウさ~ん」
「ドンタコス・ジロウってなんだよ……」診療室で治療を終えたヴレイズがむくれ顔で出てくる。右腕にはヒールウォーターで満たされたギプスが巻かれていた。
「偽名だよ偽名。この街を出るまでお前はドンタコス・ジロウだ。いいな?」
「はいよ……まぁ偽名だってばれていたけど」
「よし! 最後は俺だ。2人は先に飯屋に行っててくれ。終わったら合流する」と、名前を呼ばれたラスティーは診療室へ入っていった。
「しかし腕のいい先生だったなぁ~俺の腕、1時間で治るってよ」
「あたしは2時間だって! なんか訳ありで人気ないみたいだけど……」
「美人でいい体なのになぁ……」
「このおっぱい星人……」
「おかしいですねぇ」エレンはラスティーの腕の傷を治療しながら小首を傾げた。
「なにがですか?」
「このくらい私でも数分で治せるのですが、なかなか傷が塞がりませんね……」悩むような表情を作り、ラスティーの顔色を窺う。
「意外と傷が深いんでしょうね」困り顔を作るラスティー。
「みたいですね」と、急に治療を中止して診療室奥の長椅子を引っ張り出す。「ここに横になってください」エレンは彼を立たせ、長椅子に押し倒した。
「な、なにをするんです? この店はまさか……」ついつい鼻の下を伸ばし、エレンの胸元をさりげなく覗く。
「勘違いをしないで下さい」エレンは彼の額に手を当て、そっと目を瞑った。
「ん?」不思議そうに首を傾げ、苦笑いを作って見せた。
「私の回復魔法は、私の魔力と患者さんの内なる魔力を利用した『ゆっくり、されど確実』な回復魔法です。でも、患者さんの心の疲れや乱れがあると、魔力が半減してしまうんです。あなたは相当、心が疲れているようですね? ん……あなたも2人の様に名前を偽っていますね……?」
この言葉を聞いてラスティーは彼女の手を振り払い、眉を吊り上げて立ち上がった。
「あなたは一体何者ですか?!」
ラスティーが睨み付けると、エレンは苦笑しながら語り始めた。
「……私は人間の身体の水分を通して記憶を覗き見る事が出来ます。
ごく稀に水使いは幼少時代にこの能力を持って生まれますが、歳を重ねるごとに失ってしまうのです……が、私は父の教えに従いこの能力を磨き続けてきました。
少し力は落ちていますが、少し心を覗くことができます。
ですが、この力のせいで魔法医学会の鼻つまみ者になり、噂が広まって誰もこの診療所にこなくなりました……勝手に人の心を覗く変態って……」
「先生……」
「でも、この力を上手く利用すれば人の傷ついた心を癒せると思っています。肉体の傷は心に、心の傷は肉体に障ります……故にこれを医療に生かせば、いままで不可能だった治療もできると思うんです。
……どうでしょう? 私に治療させてはもらえませんか?」エレンは優しく微笑みかけ、ラスティーに再び長椅子に身体を預けるように促した。
「お、俺の悩みは仲間や……恩人にすら中々言い出せなかったんだ……そんな事を今日、出会ったばかりのあなたに言える訳が……」エレンから顔を背けたが、彼女は彼の顔に優しく触れた。
「赤の他人だからこそ、言える事もあると思うんです。それに、医者には守秘義務があります。誰にもいいませんよ」人差し指を口の前に置き、微笑んだ。
ラスティーはしばらく悩む様に立ち尽くしていたが、観念したように横になり、天井を見上げながら静かに口を開いた。
「俺はガキの頃……」
治療の終わったアリシア達は街の中央広場にある食堂にきていた。そこには王立ギルドハンターが多く屯し、酒を飲んでは騒いでいた。またある者は作戦会議でもするように、テーブルに地図を広げてナイフを突き立てていた。
アリシア達は遠慮するように、下手に目立たないように店の隅のテーブルにつき、そこで日替わり定食をゆっくりと味わっていた。
「んぅ~久々の食堂のご飯♪」傷の痛みがマシになり、ご機嫌なアリシアはフォーク片手にサラダをモリモリと食べ、ぶどうジュースを啜った。
「食べにくい……」治療は終わったがまだギプスが取れないヴレイズは不便そうに左腕でスプーンを持ち、豆を口に運んだ。見かねたアリシアがフォークで彼の口に豆を運んだ。「サンキュ」
「それにしてもラスティー遅いね? 傷は浅いのに」
「女医さんにちょっかい出してたりしてな。あ~酒が飲みたい」
「治るまでダメって言われたでしょ?」と、また一口ヴレイズに食べさせる。
すると、遠くのテーブルからアリシア達の名前が飛び出た。びくっと反応した2人は顔を低くし、そっと、その会話へ耳を傾ける。
「この国に隣国の賞金首が流れてきたって話だ。『アリシア・エヴァーブルー』と『ヴレイズ・ドゥ・サンサ』2人合わせて13000! これは逃す手はないだろう」王立ハンターの1人が手配書を高らかに掲げる。
「このエヴァーブルーはピピス村出身らしいな。黒勇隊に村を焼かれたって? 情けねぇ村だなぁ! 弱い村は潰されて当然だぁ!」ひとりがゲラゲラと笑い、酒を呷る。
「くっ……」アリシアは悲しみと怒りの入り混じった表情を作り、拳をギュッと握りしめた。
「店、出るか?」ヴレイズが問うと、またハンターたちの笑い声が轟いた。
「調べによると、このヴレイズって奴も村を焼かれているらしいな。サンサ族っていやぁ火の一族だろ? その連中が焼かれて滅んだとは皮肉だねぇ~」
「なんだそりゃ? もう雑魚じゃん、雑魚!」
言いたい放題口にするハンター達。
ヴレイズも額に血管を浮き上がらせ、歯を食いしばった。
そんな彼を見てアリシアが勢いよく立ち上がり、店が吹き飛ぶ勢いの怒声を張り上げた。
「いい加減にしろよ、んなぁろぉう!!!」目を血走らせ、睨みを効かせる。
それを合図に店内にいたハンターたちが反応し、一斉に武器を構えた。
「ありがとう先生。スッキリしたよ」今朝とは違い、日が差した様な顔になったラスティーは上着を羽織り、傷の完治した肘を摩った。
「どういたしまして」少々疲れた顔になったエレンは髪を掻き上げ、優しく微笑んだ。テーブルには分厚くなった紙束が置かれ、そこにはラスティーの発言が記録されていた。
「久々だ、自分をさらけ出したのは。全部言い切ったあと、お茶を出してくれましたが、あれはなんです? あれを飲んだらスッキリしました」と、湯呑を指さす。
「抗鬱作用の茶葉とヒールウォーターで淹れた薬膳茶です。落ち込んだ時はあれが一番」
「俺にも作れるかな?」
「さぁ? 風の回復魔法に関してはノータッチなモノでして。で、御代ですが……」エレンは懐から請求書の紙を取り出し、魔法でインクを操って数字を記した。
それを見たラスティーは目を丸くした。
「5800ゼル……3人分にしても高くないか?」
このセリフを耳にしてエレンは不満げに腰に手を当てた。
「これでも良心価格よ? 盗賊相手には前払いでもっと吹っ掛けているんだから! あ、なんならローンも可ですけど?」
「払えるっちゃぁ払えるが、手を付けたくない金なんだよなぁ……」
「こちらも商売ですから」
すると、診療所にアリシア達が慌ただしく入り、ドアの前にソファーやデスクを立て掛ける。外からは殺気だったハンターたちの声が響いた。
「なんで我慢できなかったんだよ?」ドアを押さえながらヴレイズが問う。
「だって故郷を笑いものにされたんだよ!? あたしだけならともかく、ヴレイズのまで! 堪忍袋の緒も切れるわ!!」
「まぁ怒って当然だけどさ……王立ハンターたちのど真ん中でキレなくても……」ドアが激しく叩かれる。
そんな様子を耳にしてラスティーが診察室から現れる。
「お前ら! 何やってるんだよ?! 変装がばれたのか? 何でここに戻ってきた!!」
「迎えに来ようと思って……」アリシアが済まなそうに首を縮める。
「俺はガキじゃねぇんだよ! 察するわ! 探して合流できるわぃ!」
「何の騒ぎ?」エレンも騒ぎを目にし、首を傾げた。
「悪い……迷惑をかけるつもりは無かったんだが……」ラスティーは頭を下げたが、エレンは楽しそうに笑った。
「別に構わないわよ。ぶっちゃけ、バレたら私も賞金首になりそうなこと沢山しているし」彼女は傷ついた盗賊や賞金首を相手に幾度も診察をしていた。
これは表沙汰になったら国から処罰を受けるような行為だった。さらに彼女は心を覗く特殊能力を学会から疎まれているので、この街に敵は大勢いた。巷では闇医者と後ろ指をさされる始末であり、彼女はそれにうんざりしていた。
「裏口はあるか?」ヴレイズは慌てた様に口にしながら診療所の奥へ向かい、目当てのドアを開けた。
「どうだった~?」どんな目に遭ったか瞬時に悟ったアリシアが意地悪そうな声を出す。
「塞がってた……」頬に傷を作ったヴレイズが俯きながら答える。裏口ではすでにハンターが待ち伏せしていた。
「俺たちは関係ないから堂々と逃げていいか?」エレンの肩に手を回したラスティーが咳ばらいをしながら問う。
「てめぇ薄情だぞ!!」ヴレイズが口から火を噴き、ラスティーは冗談だと笑った。
「で、作戦は立てられる?」もう一歩で破壊されそうなドアを懸命に押さえながらアリシアが問うた。
「……先生、この診療所、どこまで無茶できますか?」この問いにエレンはにこやかに答えた。
「吹っ飛ばしちゃっていいですよ。この診療所も街も大嫌いだから!」
これを聞いたラスティーは早速、部屋中を風で探索し、使える物を探した。何かを嗅ぎつけた彼は薬品庫へ向かい、ありったけの可燃性薬物をかき集める。さらに床下への扉を見つけ、アリシア達に入るよう促した。
「先生! どこですか?」ラスティーが風で彼女を探すと、エレンは鞄片手に現れた。
「いつでも夜逃げできるように準備だけはしていたんです。で、何をすれば?」
ラスティーは彼女を床下へ避難するように伝えた。そして自分も後に続き、身を潜める。
「ヴレイズ、頼むぞ」隣にいる彼に伝える。自分は風を操り診療所の表と裏のドアを開け、ハンターたちを招き入れた。
「奴らは何処だ?!」
「いないぞ! 手分けして探し出せ! 13000ゼルだ!」
「薬品くせぇな……なんか嫌な予感が……」
診療所がハンターたちでごった返しになった瞬間、ヴレイズは床下の扉の隙間から小さな火の玉を転がした。それが可燃性薬物に着火し、たちまち火の手が上がる。それを合図にラスティーは風を操り、炎を掻き回してハンターたちの逃げ場を奪っていった。
「アリシア、例のブツを」ラスティーの声に応え、彼女は鞄からある物を取り出した。それは道中狩った獣たちから採取した臭い袋で作った特製臭い玉だった。これはタダの悪臭を放つ玉ではなく、火に反応して大爆発する危険な代物だった。
「景気よくいこう!!」それを火炎の中心部へ投げ入れる。
「これからどうしようか……?」真っ黒になった顔をゴシゴシと擦りながらアリシアが口にする。彼女たち4人は爆発後、カルミンの街を抜け出し、遠く離れた川沿いの草原に来ていた。
「傷は治ったが物資の補給は出来なかったな。次の村まで持つか?」心配そうにヴレイズが問うが、余裕な表情で所持品のチェックをするアリシアを見て頬を緩めた。「たぶん大丈夫だな」
「こっから更に西へ向かえばニコル村だ。そこまで持つだろ。で……」ラスティーは煙草を吸いながら隣で座り込んでいるエレンに顔を向けた。「貴女はどうしますか?」
彼女は夜空を眺め、しばらく沈黙していた。遠くに見えるカルミンの街を目にし、小さくため息を吐く。
「行く当てもないし、あなた達について行こうかしら。少なくともあの街より、あなた達から必要とされそうだし」
「えぇ!」3人が声を揃える。
「ダメかしら?」
「いや、俺たちの目的知ってるんですか?」ヴレイズが問うと、エレンはふふっと笑った。
「魔王討伐、だったかしら。いいじゃない、夢があって」
「夢じゃない! 目標!」アリシアはキリッとした表情を向けた。
「目標、ね。旅の途中で私の目標にも出会えるかな……」
「どんな目標で?」ラスティーが訊くと、エレンは微笑んで答えた。
「私のトラウマ、かな。そう言えば2人に告白するんじゃなかったっけ? 王子様」このセリフにラスティーは表情を険しくして固まり、アリシアとヴレイズは顔を見合わせた。
「お・う・じ・さ・ま?」
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