1.赤熱拳のヴレイズ

「仕事はあるかな?」

 眠そうな目を擦り、欠伸混じりでカウンターのベルを鳴らすヴレイズ。

 ここはニーロウにあるギルド街ジャンキーウルフ。ならず者達が集まり、仕事や賞金首のポスターを毟っては出て行き、血にまみれながらここに戻ってきて汚い金を受け取る。この街ではこれが常識だった。

「なんの用だ! 毎度、喧しいんだよ若造ぅ!」あまりしつこく鳴らすのでギルドマネージャーがベルを取り上げた。

「仕事はあるか? って聞いたんだよ」眉を吊り上げながら身を乗り出す。

「近い近い! っとぉ……今あるのはこれだけだ」書類を1枚取り出しヴレイズに差し出す。

「おっと! これは俺がやるぜぇ」背後で目を光らせていた大柄のハンター、アックスベルが横取りする。ヴレイズは馴れた様な表情でその腕を掴み強く握った。

「今日から剛腕のアックスベルって通り名を隻腕のアックスベルに改名するか? ん?」掴んだ腕から黒い煙が立ち上る。

「あぢぢぢぢぢ! ムキになるなよ! 冗談だって!」急いで書類を返して腕を振りほどき、手形になった火傷を摩る。

「ったく、油断も隙もないな……どれどれ」書類に目を落とし、署名欄に得意の炎魔法で名前の焼き印を押す。

「10000ゼル……大金だな。張り切って行くかぁ!」



 ヴレイズは街から数十キロ離れた、盗賊団が数年前からアジトに使っている廃村に来ていた。日が落ちるまで木陰で待ちながら干し肉を齧り、仕事内容を再確認する。

「ゲスタル盗賊団にさらわれた娘の救出、ねぇ……拉致されて1週間以上経っているらしいけど大丈夫か? あいつらの悪い噂はどれも胸糞悪いからなぁ……」

 数十分後、辺りが暗くなったことを確認し、廃村の西から侵入する。

 見張りは手早く気絶させ、慣れた手つきで物陰に隠す。

「鋼鉄製の装備か……盗賊にしては中々だな」

3人ほど気絶させ、食糧庫へ忍び込む。異臭に気付き、顔を歪めながら鼻をワザとらしく摘まむ。

「腐った肉が吊るされているな……こいつら、こんなの食ってるのか?」

 指先に炎を灯し、辺りを探りながら「誰かいるか?」と、呼びかける。誰も答えず、異臭が胃を刺激しはじめたのを合図に踵を返すと、倉庫の片隅で何かが蠢いた。

 ヴレイズは足早に駆け寄り、火の光をそこへ向けた。

 そこには布袋を顔に被せられ、両手を後ろ手で縛られた娘が一糸纏わぬ姿で転がっていた。ヴレイズが彼女の肩に触れると、袋の中から弱々しい唸り声を上げ、身を捩る。体は痣や切り傷に火傷、鞭で打たれたような跡が痛々しく刻まれていた。

「もう大丈夫だぞ」布袋をとると、今にも噛みつきそうな表情がヴレイズを睨み付けた。「落ち着け、助けに来たんだ」精一杯の笑顔を向けたが、それでも彼女は威嚇を止めなかった。

「俺の名はヴレイズ。赤熱拳のヴレイズだ。聞いたことない?」

「…………ず」眼つきをそのままに口を小さく開く。

「ず? ず、なんだ?」

「おみずを……ちょうだ……い」強がってはいるが声は子猫の様に弱々しかった。

「おう、ちょっと待て」ヴレイズは彼女の頭を軽く支え、飲みやすいように水筒を傾けた。

「ゲホっガハッ! けほっ……っっはぁ~~~久々のお水だ……」慌てて飲んだのか咳き込みながらも、やっと表情を和らげた。

 ヴレイズは指先の小さな炎で彼女の手足を縛る縄を焼き切り、水筒を持たせた。

「全部飲んでいいぞ」と、ポーチから傷薬を取り出し、彼女の傷の治療を始めた。

「少し痛むが、我慢してくれ」切り傷を指先の火で消毒し、軟膏を丁寧にぬる。彼女は表情を変えず、黙って水を飲みながらヴレイズを見ていた。

「名前は?」

「……アリシア」水筒を返し、自分の腕と脚の調子を確認するように摩る。

「いい名前だ。動けるか?」包帯を巻き終わり、道具をポーチに仕舞う。

 アリシアは小さく頷きながら彼の背中に備わるナイフの柄をみつめた。

「よし、長居は禁物だ。とっとと逃げよう」

上着を脱ぎ、彼女の肩にかけようとするが、その隙に彼女は姿を消していた。

「あ……れぇ?」

 異変に気付き腰に手を当てると、ナイフが無くなっていることに気付く。

「どこ行った? まだ連中がいるんだから危険だぞ?!」慌てて辺りを見回し、食糧庫から出る。

 すると民家の中からくしゃみの声が小さく耳に入り、そこへ向かう。

 そこにはアリシアがナイフの柄で盗賊の脳天を一撃していた。倒れると手早く盗賊のズボンとシャツを剥ぎ取り、身に付ける。ブーツのサイズを確かめ、合わないと見るとため息を吐き、盗ったポーチの中の干した木の実をよく噛んで食べる。

「まっずい。腐ってる」

「おい、勝手にどっかいくなよ」できる限り声を荒げないように口にしながら彼女に中腰で歩み寄った。

「お水、もう一口くれる?」

「いいけどさ、勝手に行動しないでくれよ?」と、目を離した隙にまた目の前から姿を消す。しかも、ポーチの中の水筒が無くなっていた。

「なんなの? あの娘?」

 


 アリシアは水筒の中身を飲み切り、口内の木の実のカスを吐き捨てた。倒壊しかかっている教会の裏手へと回り込み、見張りの脳天にナイフの柄を叩き込む。ブーツのサイズが合わずにまたため息を吐きながらも、目標であるゲスタルの下へと向かう。

 ゲスタルはここに着いてからは教会の長椅子で寝ていた。アリシアはあの男の下卑た笑顔を思い出し、この一週間の脳裏に焼き付いた出来事、そして村で起こった惨劇を思い出し吐き気と激しい怒りを燃えたぎらせた。

 ナイフを逆手に構え、耳と鼻に集中する。教会内のランプに火は灯っておらず、真っ暗闇だった。

「お前の仕業か、アリシアぁ~」背後から聞きなれた声が響く。

 アリシアは眉を吊り上げ、背後へ向かって足を蹴り上げ、肘で顔面を捉える。怯んだ隙に肩に向かって怒りの籠ったナイフを突き立てたが、ショルダーアーマーに阻まれナイフはポキリと折れてしまった。

「ナマクラが!」歯を剥きだし、すぐさま折れたナイフの先で太ももを狙ったがそこにもプロテクターが用意してあり、阻まれてしまう。「くっ!」

「お前はいつもここを狙うんだよなぁ~俺も馬鹿じゃないんだぜ~」彼女の首を大きな手で締め上げ、空いた左手で胸を揉みしだく。

「触るな!!」振りほどこうと暴れるも、この一週間でゲスタル達から体力気力を搾り取られており、たった一本の水筒とマズい干し木の実ではとても万全にはなれなかった。

「アリシア~愛してるぜぇ~」彼女の悔しそうな表情を確かめ、満面の笑みで豊かな胸に顔を押し付けひひひと笑う。

 すると、ゲスタルの背後が真っ赤に燃え盛り、自慢の巨体が吹き飛ぶ。

「ぎゃひぃぃぃぃぃん!」

「触んなって言ってるだろ、おっさん」ヴレイズが手の中の火をフッと吹き消し、アリシアを抱きとめた。

 アリシアは礼を言う前に跳び、素足でゲスタルの顔面を蹴りつける。鼻血が噴き荒れ、歯が飛ぶまで踵をめり込ませた。

「これが! 一週間前の! 礼だ! 喰らえ! よくも! 村のみんなを!!」

「あ、あごぱげぇあ……」目がでんぐり返り、舌が半分千切れ、喉をガラガラと鳴らす。

 しばらく蹴り続けたが、彼女の疲弊した体力では長く続かず息を荒げ始める。

「もう止めとけよ……これ以上やると君の脚が汚れるぞ?」

 アリシアは荒れた息を整え、ゲスタルの身体で足に付いた返り血を拭った。

「……そう、だね」やり返し足りないのか、煮え切らない表情で倒れたゲスタルを睨み付ける。

「よし、ここから出よう! 街に着いたら飯奢るよ。腹ペコだろ?」と、上着を彼女の肩にかけ、やさしく背中を摩る。

「うん、ありがとう……」アリシアは疲れた様な笑顔をヴレイズに向けた。

 2人が教会を出ようとすると、ゲスタルが狂ったような笑い声を上げた。

「うっせぇな、おっさん!」ヴレイズが顔をしかめる。

「おいアリシア~お前どこへ行くんだ~! 帰る場所も迎えてくれる友達ももういねぇだろぉ~ぜぇぇんぶ灰になっちまったもんなぁ!」上体を起こし、血達磨の毒笑を向ける。「お前は死ぬまでずぅぅっと独りぼっちだ! 今! お前にあるのは俺たちとの最高に楽しかった一週間の思い出だけだ! 毎夜毎夜思い出して震えるんだなぁぁ!」血唾を飛ばしながら満足そうに大声で笑う。

 アリシアは肩を震わせ、口を手で覆い、必死で悲鳴のような泣き声を堪えていた。ゲスタルが聞きたかったのは彼女のこの泣き叫ぶ声であり、彼女は連中の容赦ない暴力にずっと耐えてきたが、ゲスタルの最後ッ屁によって彼女の皹だらけの忍耐は崩れてしまった。

 彼女の呻くような泣き声を聞き、ヴレイズは無表情でゆっくりとゲスタルに近づき、ヤツの目線まで屈んだ。

「なぁ。赤熱拳のヴレイズって通り名、聞いたことあるか?」

「さぁな。あまりに小物すぎて知らねぇよ」ヴレイズには目もくれずに答える。

「そうか……そりゃあお気の毒に」と、背筋を伸ばして指を鳴らした。「俺の名前を知っている賞金首は決まってこう頼むんだ。『お腹だけは殴らないでぇ!』ってな。何故だか知りたいか?」

「別にぃ」ゲスタルはヴレイズよりもアリシアの震えた背中を眺め、ニタニタと笑っていた。

「俺が初めて仕留めた賞金首は金剛頭のベッゾっていう奴だった。そいつぁ石頭自慢で、頑丈な兜を被っていた。

俺はそいつの頭をこの拳に火を込めて殴り潰してやった。

 そうしたらギルドのヤツはこう言った。『こんな誰だかわからないやつに1ゼルも払わないぞ!』ってな。そりゃないよ、と思いながらも俺は二度と賞金首の顔面を殴らないと誓った……で、俺は必ず腹を殴って仕留めるようになったのさ」と、腕を組んで笑う。

 ゲスタルはそんなヴレイズを馬鹿にするように鼻で笑った。

「だからどうした? 俺がビビるとでも?」

「話はここからだ。大抵の賞金首はお前みたいに立派な鋼鉄製のプロテクターや鎧を身に付けているんだ。ちょっとやそっとじゃビクともしないな。

 だが、俺の赤熱拳はさっき言った通り、頑丈な兜も、石頭も殴り潰せるんだ。

 つまり、この拳で腹を殴ったらどうなるか……想像できるか?

 鎧は殴られた部分が溶けた鉛になる。で、拳は頑丈な腹筋を焼き破り、背骨手前まで食い込む。だが出血はしない。傷は焼潰れちまうからな。で、溶けた鉛が傷口に流れ込む。さらに傷口から流れ出る事の出来ない大量の血が、内臓へと溜まっていくんだ」

 そこまで聞くとようやく薄ら笑いを止め、ゲスタルはヴレイズに顔を向け、血唾を飲み込んだ。

「殴られたヤツは全員、半日もがき苦しんでようやくくたばる。言葉に出来ないような悲鳴を上げながらな……わかったか? なんで『お腹だけは殴らないで』って頼むか」そこでようやくヴレイズは拳を握って構え、上腕に真っ赤な炎を纏った。

「ま、まて! 待ってくれ!」


「彼女は一週間耐えたんだろ? 半日ぐらい我慢しな」


 言い終わる前にヴレイズは拳を振った。ゲスタルの自慢の鎧は頼りなく溶け、ヴレイズの腕は勢い余って背中まで突き抜けた。拳は引き抜かず、そのまま炎を激しく燃え盛らせ、ゲスタルは悲鳴を上げる事も出来ぬまま、あっという間に燃えカスに成り果ててしまった。

「ちっ……熱くなりすぎてキメ台詞通りにはならなかったな……」腕を鎮火させ、額に血管を浮き上がらせたヴレイズは踵を返し、彼女に歩み寄った。

 アリシアは鼻水を啜り、顔をゴシゴシと擦った。

「ありがとう……少しスッとした、かな?」

「君の為にやったんじゃない。嫌な事、思い出しちまったから、その憂さ晴らしをしただけさ」

「そう……でも、ありがとう」アリシアはヴレイズの胸に頭を預け、目を瞑った。

「……どういたしまして」

 しばらくそのまま時が流れたが、突然アリシアがヌッと顔を上げた。

「でもさ、獲物の前で舌なめずりするのはどうかと思うよ? 油断したら命取りだぞ?」

「さっきからさ……君は一体何者なんだ?」

「狩人」

 2人の間に夜風が吹き抜け、ゲスタルの燃えカスを教会の天井へと舞い散らせた。

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