第15話 デートとは

 休日の駅前は、いつもどおり人通りが多かった。子連れの親子やカップル、友達付き合いなど様々だ。誰もがこの日、この時間を過ごすことを楽しんでいるように見える。もちろん、誰かと一緒にいない人もいる。一人で行動するのが好きな人、仕方なく一人で行動している人……、これも様々だ。どちらかといえば、俺は一人で行動する枠組みだろう。駅前のゲームセンターにふらっと立ち寄ったりする。


 そもそも三人以上での行動は得意ではなかった。道を広がって歩くわけにもいかず、かといって一人だけ前方や後方を歩かせるのも気が引ける。女子高生なんかは問答無用で広がり歩いているが、あれはきっと小魚が自分たちを大きな生物に擬態しようと集団行動する心理と同じなんじゃないかと、俺は常々思っている。しかしそれが女子高生にとってどんな利益をもたらしているのかは不明だった。


 駅前のオブジェ周辺には、俺を含めて多くの待ち合わせ人がいる。はたしてこの中に何人このオブジェの名称を知っている者がいるのだろうか。そもそもなにがモチーフになっているのか。


 約束の時間まで、あと三十分。俺は昨日、棗に言われたとおり(実際には棗の妹が言ったとおり)に、待ち合わせの時間の一時間前にここに来ていた。早過ぎるのではないか、と思ったけれど、周りの人たちを見るかぎり、案外普通なのかもしれないと思い直していた。


 付き合うって面倒だなあ……。


 なんでこんなに相手を気遣わなきゃいけないんだろう。




「明日さ、彼女とデートすることになったんだけど、どうしたらいい」


 俺は携帯電話を持ち直して、いつもの本のページをめくった。真剣さの欠片も見当たらないし、たぶん女性陣からすれば、なにを読みながら相談を持ちかけているんだ、と業腹に違いないだろう。


「いや、知らねえよ」棗は吐き捨てるように言った。「言っておくけど、俺は誰かと付き合ったこともなければ、デートもしたことない」


「なんだ、意外だな。棗の部活って女子ばかりだから一人くらいゲットしているもんだと思ってたわ」


「ゲットできるような女たちに見えるのか?」


 見た目だけなら、と言おうと思ったが、しかし見た目で考えると、彼女たちは近寄り辛いかもしれない。高嶺の花だし、付き合うまでに高くつきそうだった。


「うん、まあ、その話は置いておこう」俺は話を切り替えることにした。「それで、どうしたらいいと思う」


「って言われてもなあ……、無難に映画とか行けばいいんじゃね?」


「この間行ったし」


「ん? 初デートってわけじゃないのか?」


「ああ、違う違う。俺がこの間行っただけ」


「てめえの都合なんか知らねえんだよ」怒られた。


「しかも先週だし、もし今週も行ったら受付のお姉さんに『うわっ、この子また映画見に来てる。引くわ―』とか思われたりするだろ」


「ねえよ!」


「さらに言えば、先週はゴスロリと行ったから、『この子、別の子と来てる。引くわ―』とか思われるだろ」


「ゴスロリ?」


「うん、ゴスロリ」


「よくわかんねえけど、お前、そんなに悩んでなくね?」


「実は案外どうとでもなる気がする」


 好きな人と行くならどこ行ってもそれはデートだ、みたいなことを伊澄が言っていた。つまり散歩感覚でもデートとして成立する。悩む必要なんてなかった。


 あとは伊澄がなんとかしてくれるはずだ。デートをしようと持ちかけたのは彼女だから、それなりのプランがあるのだろう。俺はただそれに従うだけでいい――はず。


「なんだ、じゃあこの電話は自慢か?」


「いやいや、ただ所作みたいなもんがあれば教えて欲しかっただけだ」


「んー、それなら妹に聞いてやろうか?」


「そういや、妹いるんだっけ」


「姉もいる」


「くれよ」


「つーか、お前も妹いるだろ」


「恋愛に興味ないタイプだ、こっちのは。外にいるよりも家にいることの方が多いし、滅多に出かけないし、休日は基本的に寝てるし、まず間違いないだろ」


 同じように家にいる俺とほとんど同じ時間を過ごしているといっていい。出かけるときや家の中を動いているときに後ろをついてくることはなくなったが、それはただついてこないだけで四六時中顔を合わせていることに変わりない。


 むしろ監視されているような気さえする。俺の部屋に勝手に入るし、出かけるとどこへ行ったのかを訊かれるし。まあ、そこが妹らしくて可愛いんだけど。


「うちのはよく出かけているけど、やっぱり妹って同じじゃないんだな」


「当たり前だろ」


「それで、えっと所作だっけか。ちょっと待ってな」


 棗の声が小さくなり、ドアの開く音がした。自室かリビングから出たのだろう。それから微かな足音がした。もっとドタドタとしている奴だと思っていたけれど、静かに動く奴だったようだ。


 しばらくしてノックをする音と棗の声がした。妹の部屋を訪ねたのだ。なんだか人の家に盗聴器を仕掛けている気分になってきた。悪くない気分だった。


「もしもし」


「教えてもらえたか?」


「まあ、聞けたっちゃあ聞けたけど。あまり参考にはならないぞ」


「なんで」


「うちの妹も誰かと付き合った経験ないから、あくまで理想――いや、理想から三段階くらいレベルを下げた話しか聞けなかった」


「三段階下げたら意味ないだろ」


「うん、まあそうなんだけどさ――って、おい、いいかげん離れろ!」受話口の向こうから、争う声が聞こえる。


「大地さーん、私です、聞こえますか?」棗の妹の声が聞こえてきた。その後ろで返せと言う棗の声。


「こんばんは」


「噂はかねがね聞いてますよ」


「棗からか?」


「違いますよ」と笑う棗の妹。「あれ、もしかして知りません? 私、美咲ちゃんの友達なんですよ……となると、自己紹介をしないといけないですね。初めまして、白樺愛(しらかばめぐみ)です。愛情の愛で、メグミです」


「どうも」


 テンション高いなあ。


「なんかクールな感じがしますね。嫌いじゃないですよ。お兄ちゃんの友達だからきっとかっこいい人なんですよね」


 どこかで聞いたことのある理論でハードルをぐんっと上げられた。そして今の一言ですべてを察することができた。


 愛ちゃん、棗のことが好きだ。


 男としてなのか兄としてなのかは判然としないけれど、まず間違いない。


 なるほど、三段階ほど理想を下げたのも、なんだか棗が言い淀んでいたのもそう考えれば辻褄が合う。妹の抱く男の理想像が兄であるなんて、相手が友達だとしても言い辛いだろう。


「えっとデートの話でしたっけ」と愛ちゃん。いつの間にか棗の声は消えていた。諦めたのかもしれない。「変に特別なことをしようとするのは間違いですね。デートだからといって高級レストランとか行こうとする人いるらしいですけど、あんなの息苦しいだけだと思います。そんなものを強要する女はゴミです。捨ててください」


 すらすらと酷いことを言う子だった。そんな女性に恨みでもあるのだろうか。


「注意すべきなのは、心遣いです」


「心遣い」


「そうです。たとえばデートに遅刻するなんて言語道断です。できるだけ早く待ち合わせ場所にいることがベストですね……まあ、一時間くらいでしょうか」


「……早過ぎじゃね?」


「そんなことないですよ。待ち合わせ時間っていうのはつまり、デートの始まる時間です。十時に待ち合わせたのなら十時になった時点でそれはデートです。相手がいないとしても始まっているんです」


 この子、普段からこんなこと考えているのだろうか。


「あと割り勘争いはしてください。相手に奢ってもらう魂胆のゴミは切り捨てるべきです。デートは一人でしているんじゃなく、二人でしているんです。支払いを分かち合うくらい当たり前なんです」


「うん、つまり、奢られて当たり前精神が気にいらないってことか」


「そうです! そのとおりです!」


「なるほどなあ……」


 なんだろう、なんとなく愛ちゃんの気にいらない女性像を聞かせられているだけのような気がしていた。しかしそれは、愛ちゃんなりにしっかりとした考えを持っているということだ。この子なら悪い男に騙されることはないだろう。だからこそ気になることがあった。


「愛ちゃん」


「なんですか?」


「もし棗……お兄ちゃんとデートするならどうする?」


「私が徹底的にエスコートします!」元気のいい返答だった。「お兄ちゃんが行きたいところにいって、支払いなんて全部私がします。お兄ちゃんが最高に楽しませます。お兄ちゃんが楽しいなら私も楽しいし、嬉しいのなら私も嬉しい。なんといっても、お兄ちゃんとデートできるだけで私は死んでもいいくらい幸せです!」


「もしさ、棗に彼女ができたらどうする?」


「あ?」明らかに女の子のものではない声が聞こえた。彼女の特徴が微かながらも残っていることだけが救いだった。


「……棗ともっと仲良くなれるようにな」


「はい!」




 正直に言って、参考になったのが待ち合わせ時間のことだけだったので、仕方なくそれを試しているのが現状だった。とにかく昨日の電話でわかったのは、愛ちゃんがふとしたきっかけがあれば一線を超えかねないほど棗のことを好きだということだ。


 待ち合わせ時間の三十分前に伊澄は現れた。白いワンピースに半袖のデニムシャツ、それに腰に巻かれた少し大きめのベルトが特徴的だった。制服、そして部屋着以外の姿を見るのは初めてのため、少し驚いてしまった。


 俺の姿を見つけると、伊澄は駆け足で近づいてきた。


 笑顔で、


 そして手を振りながら、


 俺の名前を呼ぶ。


 凄く恥ずかしい……。並みの精神力では耐えきれない。


「早いね、まだ時間前だよ?」伊澄が俺の前で立ち止まった。俺はさりげなく彼女に影を作るために移動した。


「実は昨日の夜から待っていたんだ」


「嘘だよ、それはー」伊澄は笑う。


「なんでわかるんだよ」


「だって家にいたじゃない」


「え?」


「え?」


「あれ、もしかして昨日も俺ん家来た?」


「ううん、昨日は見てるだけ」


 どういうことだろう、と本格的に考え始めた俺を叩きつぶし、気にしてはいけないと囁く俺の意見に賛同した。危うく思考の底なし沼に足を踏み入れるところだった。


 しかしなにより驚愕なのは、伊澄が俺の部屋に来ることが当たり前だと思い始めていることだ。付き合い始めてからほぼ毎日のように訪れられているせいか、それが習慣の一種になっているのだ。今思えば、初めて伊澄が攻め込んできた日が、実はたいしたことじゃないではないかと思えてしまうほど、感覚が麻痺している。


 見ているだけ、と伊澄に対して、入ればよかったのに、と返してしまおうとするほど。


「実は、今日の予定とか考えてないんだけど」


「大丈夫、私が考えてきてるから」


「最初はどこに行くんだ?」


「大地くんが行きたいところ」


「無計画と変わらねえよ!」

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