第14話 見えない歪み
気分の悪さが絶頂に達して意識が朦朧とし、気付けば自分の席で突っ伏していた。いったいなにが起こったのかと記憶の整理が行われたけれど、結論として魔法が使われたのだということになった。もうダメかもしれない。
とりあえず腕時計で時間を確認。一限開始少し前。なんとあの状況から間にあったというのか。伊澄という少女を侮っていた。
ここで俺の意識は一旦途切れ、次に目を覚ましたのは昼休みのことだった。凛久によればどんな手段を尽くしても起きる気配がなかったため、教師陣は死んだように眠る俺を放置することにしたらしい。一限目の教師がまずそれを察し、そして黒板の端に注意事項としてその旨を書いた。今でもまだ残っている。
「ようやくお目覚めだね」いつの間にか凛久が振り返っていた。「月曜日だからといって、ここまで不抜けている奴はきみ以外に存在しないと思うよ」
「いや、俺の妹の方が凄いぞ、きっと。俺さえいなければだけど」
「堕落の血筋なんだね」
「俺、どんな感じで連れてこられたんだ?」
「ああ、そうだそうだ。ボクはそれもそれについて訊きたい。きみ、古宮伊澄に連れられてきたけど、いつの間に仲良くなったの?」
「お前と見に行った日かな」
「ああ、屋上で会ったのか」
「察し良すぎるだろ。怖いわ」
「それで?」
「付き合うことになった」
「え?」凛久にしては珍しく、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。「えっと……、ああ、うん、えー、そうか、おめでとうっていうべきなのかな」
「うん、ありがとう」
「なんだろうね。親友に彼女ができたというのに、素直に喜んでやれないのは、ボクの人間としての器が小さいからなのかな。やだね、こういうの」
「仕方ないさ。お前が目をつけた奴だったんだから」
「しかし、どういう経緯? 大地、彼女のこと知らなかったんだよね? 大地から告白することはまずないから、きっと彼女からだよね。一目惚れっていうのも考えにくいから、旧知の仲だったのかな」
「お前、何者だよ」
「大地の親友だけど」
「俺も詳しくは憶えてないんだけど、子供のころに会ったことがあるらしいんだわ。それで、たぶんその頃からの気持ちをようやく伝えられたって感じ」
「狼狽えただろ」凛久は面白そうに言った。
「だからなんでわかるんだよ」
「そういうのに弱そうだからね。大地って唐突なことに万全の対応ができないタイプだし、ましてやその日初めて見た女の子に告白されたら、きみのキャパを超えるよね、完全に」
「それで俺はどんな感じで連れてこられたんだ?」
「古宮伊澄に肩を借りて現れたよ。なんか起きているんだか眠っているんだかわからない状態でね。まあ、きみがそんな状態であったことよりも、教室は古宮伊澄の存在でざわついていたよ。特に男子がね、きみに圧倒的な殺意を向けていた。今日から夜道は気をつけてよ?」
俺はなるべく顔を動かさず、目の動きだけで教室内を確認した。いつもと変わらない雰囲気の中に、たしかに殺伐とした空気が漂っている。そして彼らの視線は俺に向けられている。あの目は人を殺す目だ。凛久の忠告を聞き入れることに決定した。
「しかし大地に彼女かぁ、羨ましいなぁ」
「なんか、ごめんな」
「ボクはいいけど、大地にはそれなりに交友がある女子がいるだろう? 彼女たちに事情を話さないとね、きっと大変なことになる」
「大変なこと?」
「血の海ができる」
「まさか、そんなことが!?」
「かもしれない」
俺はほっと胸を撫で下ろした。
ちょっとだけその光景を想像できてしまったからだ。
「で、どこまでしたの?」
「どこまでって?」
「ハグとか、キスとかあるだろ」
「手を繋いだ。あと意識なかったけど肩を借りた」嘘は言っていない。真実を語るべき場所は選ぶものだ。
「中学生かよ……」凛久は呆れ、目も当てらないという表情を見せた。
「うっせー、ほっとけよ」
「そういう恋愛も嫌いじゃない。うん、まあいいんじゃない? 初めての交際は少しずつ段階を踏んで、経験を積んでいくべきだ」
「いかにも経験者であるかのような口ぶりだな」
まさかとは思い、言ってみた。たしかに達観視している素振りだし、なんとなく凛久からは大人の雰囲気を感じることが多い。高校二年生までにいったいどんな人生を、経験を積んできたというのだろうか。
「脳内で何度もシミュレートしてきた」
「バカ野郎っ!」
つくづく面白い親友だった。
凛久との会話に夢中になっていると、クラスがざわつき始めた。なにがあったのか、なんて俺は微塵も気にせず、凛久と話を続ける。俺にとって凛久と会話をすることは、クラスの興味よりも遥かに重要なことだ。
しかし、それは意外にも、凛久の方から切り出された。
「あのさ、大地にお客さんみたいだよ」
凛久に言われ、自然と視線を入口に向けていた。そこには伊澄の姿があった。慣れない場所にいるせいか、少し戸惑っているようにも見える。おどおどしている伊澄の姿が新鮮で、あと二十分くらいは見ていたかった。
あ、目が合った。助けを求めているんだろうなあ。
ふと、クラスの連中の視線が俺にではなく、伊澄に向けられていることに気付いた。あの不快感が消えて、凄く肩が軽くなった。子泣き爺が離れていったかのような気分だ。
「行ってあげないの?」
「もう少し見ていたい」
「趣味趣向についてとやかく言うつもりはないけど、彼女がこっちに来たらボクが困るんだから、早く行ってあげてくれないかな」
「お前が言うなら仕方ないわ」俺は立ち上がった。
「そうそう、彼女にさ、ボクと付き合ってくれないか訊いてみてくれないかな。もしくは一時間くらいボクのものになって欲しいんだけど」
「いいぜ」俺は答えた。親友の趣味趣向は追及しないものだ。
「あと、彼女の友達とか紹介して欲しいな」
「なんで?」
「美人の友達はきっと美人だ」
「ああ、なるほど。わからなくもない」
「よろしくね」
立ち上がったときから気付いていたが、どうやら視線が再び俺に向けられ始めているようだ。俺は誰とも視線を合わせないように移動する。それはもう露骨に顔を下に向けたり、顔の前に手をかざし相手の顔を隠したりと、あらゆる手段を尽くした。
バキッ、と近くでなにかが砕けた音が聞こえた。怖すぎて目を向けられない。
どこかで壁を殴っているような音もし始めてきた。耳を塞ぎたい。
たぶんこのクラスの男子すべてを敵に回していることは間違いなかった。夜道どころか学校生活でも気を張らなければいけないようだ。いつ何時に刺客が現れるかわからない。今だって実は足になにかをぶつけられているのだ。消しゴムだったり、ティッシュ箱だったり、ルービックキューブはかなり痛かった。
ようやく教室を出られたころには、俺の体力は通学時程度まで落ちていた。せっかく授業中眠っていたのに、すべてが無駄になった。
「楽しいクラスだね」伊澄が言った。彼女は教室からの攻撃を受けないように、少し入口から離れていた。
「いやあ、俺もこんなにクラスの連中と関わったのは初めてだ」いまだに背中に攻撃を受けていた。振り返る勇気なんかない。
「そうなの?」
「俺、友達少ないからさ」
「そうなんだ。少し意外」
「それで、なんの用なんだ?」
「え……、メールしたと思うんだけど」
「マジで?」俺はすぐに携帯電話を確認した。たしかにメールが来ていた。どうやら昼食を一緒にとりたいらしい。「悪い、さっきまで寝てたんだ」
「前の席の人と話していたと思うけど」
「うん、だからその前までだな」
どちらが促すこともなく、自然と賑やかな廊下を歩いていた。向かう先は屋上だろう。なんとなくそう思った。
「あれは友達?」
「親友」俺は答えた。「高校で一番仲がいいんだ」
「私よりも?」
「まあ、過ごした時間から考えればそうだな。まあ、比較するのも変な話だ」
「そう、なんだ……」
しばらくの間、会話が途切れた。伊澄が黙り込んでしまい話しかけ辛い雰囲気を醸し出したからだ。似たような雰囲気を感じ取ったことが以前にもある。彼女が初めて家に侵入してきたときだ。
階段を上り始めたころ、そろそろ大丈夫だろうと思い、俺は口を開いた。
「そうだ、その親友からなんだけど」
「なに?」
「ボクと付き合って欲しいだって」
「え?」伊澄が目を丸くした。当然だろう。「えっと……、もう一回言ってもらえる?」
「ボクと付き合って欲しい」
「嫌だ」即答だった。あえて訊き返したのだろう。
「じゃあ、もう一個。友達を紹介して欲しいんだって」
「なんで?」
「美人の友達は美人だから。たぶん付き合いたいんだと思う」
「なんか変わってる人だね。私と大地くんが付き合ってること知ってるんじゃないの?」
「もちろん。女好きなんだ。可愛い女の子をこよなく愛していると言っても過言ではない」
「ちょっと教えられないかな……」
明らかに引いているな、これは。
「あのさ」と伊澄が声のトーンを変えて話を切り替えたのは、俺が屋上へと出る扉に手をかけているときだった。向こう側からは賑やかな声が聞こえる。悲鳴のような騒ぎ声は、いつか本当に悲鳴が聞こえてきたとしても無関心でいられるほど聞き慣れてしまったものだ。
「なに」俺は振り返った。伊澄は恥じらいを紛らわそうと両手を弄んでいた。
「今度の休み、デートしよう」
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