第6話 突然の告白

 昼休みが終わる三分前、U組に到着する直前に、俺は凛久に「先に行っててくれ」と言って別れた。凛久は怪訝な顔をしたが「わかった」と教室へと向かった。あれはたぶん俺の考えを見抜いたに違いない。


 五限の始まりを知らせるチャイムが鳴り響く。


 それと同時に、俺は屋上へと続く扉を開いた。


 屋上は扉の右手側がちょっとした自然の広がる憩いの場で、左手側が軽くスポーツができるほどのスペースがある。落下防止用のフェンスは高く、上部は返しになっていた。登ろうと思えばできるが、しかしその返しを越えるのがいささか面倒である。相当な腕力を求められるだろう。しかしまあ自殺を考える人にとっては、障害にもならない対策に違いない。


 左側に誰もいないことを確認して、右の憩いの場へ移動する。いざというときに隠れる場所が多い方がいいという判断からだ。ベンチなどが数台あるだけで、隠れられる場所のない広場は危険だろう。その点、芝生が広がり、レンガでできた鉢がその芝生でできた広場を囲っていた。そこに立つ木々は、身を隠すのにはうってつけだ。ちょうどいい日陰もできていて一石二鳥である。


 扉から一番離れたベンチに腰掛けようと思ったとき、ふと気付いた。俺の他にも誰かがいる。向かい側のベンチで女子生徒が寝ているようだ。日陰となったベンチで、開け広げられた本が顔の上に載っていた。同じような考えを持つ生徒がいて、その見知らぬ生徒に少し親近感がわいた。


 ベンチに腰掛け、胸ポケットから小説を出した。例によって凛久から借りたものだ。タイトルは『止まらないホールケーキ』。まったく意味がわからない。だからこそ、内容が気になるというものだ。凛久は小説を買う際は必ず新品で、そのとき付いていた帯を決して外さない。いわく、そのときの世間の評価がわかるから、だそうだ。


 どれどれ、と俺はまず様式美となった帯の確認を始める。そこには俺でも知っているような有名な小説家が「まさか、ここまでホールケーキが止まらないとは思わなかった!」と述べている。なにを言っているのだろう、この人は。


 表紙はタイトルに準じて数種のホールケーキが描かれていた。その周りには包丁やフォークが並べられている。包丁が並べられているという歪な光景が、しかしその表紙では違和感がない。


 包丁からこの小説がミステリーではないかと連想した。この手のタイトルのものはまずカテゴリを想像することから始める。当たっていれば嬉しいし、外れていればそれはそれでいい。小説とは内容を楽しむよりまず、タイトルで楽しむことから始まる。とは、凛久の言葉だ。俺は帯からだ。


 表紙をめくる。


 同時に、心地よい風が吹いてきた。


 ふと、向かいの女子生徒を見た。


 仰向けのままだ。


 動かない。


 手は腹の上で組まれていた。


 小さな枕があることに気付いた。


 風が吹いて髪がなびかなければ気付かなかっただろう。


 なんとなく、


 昨日の妹の姿が重なった。


 なぜだろう?


 わからない。


 視線を小説に戻した。



 ちょうど第二幕まで読み終えて一息ついていたとき、向かい側の女子生徒がゆっくりと起床した。まず顔の本を退かし、背もたれに手をかけ、ゆっくりと。まだ眠いのか瞼を擦っている。そして大きなあくびをしながら、上半身を伸ばした。腕が高く挙げられ、胸が強調された。サイズは不明、小さくはない、と男子学生らしく感想を述べる。しかしカップ数を予測することはできなかった。以前に妹から教えられたことがあったが、男子には無縁な情報だったために、早々に記憶から消去しておいたのだ。


 観察をしていると、目が合ってしまった。どうやら視線に気付いたようだ。


 女子生徒は動かなくなった。


 じっと、もしくは、呆気になって、視線を向けたままだ。


 なんだか視線を落とし辛くなってしまった……。


 こうなったらとことん視線をぶつけ合おう、その宣戦布告のために、俺は陽気に手を振ってみた。どこかの令嬢のごとく、手首をしなやかに動かして。


 すると、女子生徒はスイッチが入ったかのように動き始めた――というよりは慌て始めた。きょろきょろと辺りを見回している。そう思えば、寝ぐせがないかを確かめるように髪を整え始めた。女子とはいつ何時でも身なりを気にするのか。大変そうだ。


 知らない男子から手を振られたらさすがに戸惑うのは仕方なかった。しかし面白いので、もう少しだけ振ってみることにした。笑顔で。正直、自分でもなにがしたいのかわからない。

が、数秒もしないうちに疲れてきて(小説を持っていたせいもある)、すぐに手を引っ込め、なにごともなかったかのように小説に目を落とした。


 ここまでの小説の感想――本当にホールケーキが止まらない。監禁されたその部屋を駆け巡るその様に興奮も止まらなかった。


「あ、あの……」と頭上、および正面から声が降ってきた。顔を上げると、そこにはさきほどの女子学生がいた。


「どうも」俺は素気なく挨拶をした。気取っているわけではない。小説の続きを一刻でも早く読みたいのだ。こんな気持ちにさせた元凶である凛久を恨んだ。


「いつからここに?」


「五限開始ちょっと前かな」


「隣、いい?」


「え? あ、ああ、どうぞ」


 どういうつもりなのか量りかねた。なぜ隣に座る必要がある。


 まさか、さっきの仕返しだろうか。慌てふためいている姿を楽しんだことに気付いて、俺に同じ思いをさせようという……。


 気付かれないように、隣に座る彼女の顔を窺った。


 あれ?


 どこかで見た気がする。それも最近。


 記憶を辿る。


 しかしホールケーキが邪魔をした。


「……あのさ」しばらくして、彼女が深呼吸のあとに呟くように言った。


「うん?」


「きっと大地くんは憶えてないと思うんだけど」


 なぜ忘れていることがわかった。顔に書いてあるのか?


「私ね……。ずっと好きだった」


「……え?」


「私と付き合って欲しい」彼女はそう言って、その大きな瞳に俺を映した。魅了の力でもあるのか、俺は目を離せなかった。吸い込まれそうだと思った。


 力強い瞳。


 ほんのりと赤くなった頬。


 なんだこれは。なんなんだこの状況は。


 どうしてこうなった。


 誰だ、この子。俺が憶えてない?


 どこかで会ったことがあるのか。いつだ。


 たしかに彼女には見覚えがある。名前も知られているようだ。それくらいの仲ではあったと考えていい。


 ダメだ。わからない。


 まさか、からかわれている?


 それはない、と別の俺が告げた。


 冷静な判断をする俺だ。


 これが演技である可能性は?


 それもない。


 なぜわかる?


 なぜ思い出せない。


 彼女の瞳が潤み出す。


 返答を待っている。


 ああ、そうか。思い出した。この子は、C組の子か。凛久と見に行った……。


 なるほどね。


 わけがわからない。


 苦しい。呼吸をしていないことに気付いた。


 まずは平常心を、と思ったとき、


「あ、はい」


 と、返事をしてしまった。


 もうなるようになれ、と思うのと同時に、


 自分の最低さに気付かされたのだった。

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