第12話 6回戦

 

  6回戦


 「勝美さん。6回戦に上がりましたから約束通りアメリカの話聞かせて下さい」「そんな大した話はないよ。逆に何を聞きたいか言ってくれれば話すよ」「そうですね。そもそも何でアメリカに単身で乗り込んだんですか」「それはほら。当時まだ日本では女子プロボクサーは認めてもらえなかったから試合ができなかったのよ。唯一試合が出来たのがアメリカだった。理由はそれが第1。それに試合をしないとあの気持ち良さを味わえないでしょう。あなたもあの気持ち良さはわかるでしょう」「はい。わかります。もう最高ですよね」「そうでしょう。あれは試合でしか味わえない快感。それを味わえるのがアメリカしかなかったってこと」「ふーん。ところでリングネームのパールハーバー勝美って誰がつけたんですか」「成田さん。今の旦那。最悪のリングネームでしょう」「それって完全に喧嘩売ってますよね」「もろよ。もろ。大体私が入場するとリメンバーパールハーバーの嵐だもの。完全なキラー。悪役。まーでもその分盛り上がったし有名にもなったから世界戦も転がってきたのかもしれないけどね。それが成田さんの狙いでもあったんでしょう」「ふーん。向こうでは何級でやってたんですか」「バンタム級からウエルター級までやったわよ」「なんですかそれ」「要は試合をたくさんやる為にウエイトの幅を広げて待ってたって訳。あの気持ち良さを味わう為にね」「それって幾ら何でも異常ですよ。私はさすがにまだそこまではいってないな」「そのうちなるよ」「へーそれで向こうでの戦績はどうだったんですか」「15勝1敗1引分け15KO勝ち。勝ちは全部KO勝ち。1敗は判定負け。唯一の負けはデビュー戦。もろにアウェイ判定。これはひどかった。だって相手は血だらけ。私は無傷だよ。ありえないと思った。こりゃ判定では今後も勝てないと思ったからとにかく全てKO狙いで行った。お陰でKO率は88%よ」「88%って凄すぎですね」「まーね。パンチには自信があったからね。それと引分けは世界戦。これは自分でも納得の行くドローだった。やっぱりチャンピオンも強かったしね。相手の選手の名前はエノラ・ジェシカ。これは広島に原爆を落としたB29の爆撃機エノラ・ゲイから名前を取ったんだって。方やパールハーバー。方やエノラ・ゲイだから当時はめちゃくちゃ盛り上がったわよ。まさに因縁の対決。これを仕組んだのも成田さん。彼はこの試合を機に一気に売れっ子プロモーターにのし上がった」「へーじゃあ成田さんは勝美さんさまさまですね」「だから旦那にしたんじゃない」「ところで世界戦はどこでやったんですか」「これがあのラスベガスのMGM。もうあそこは最高。あそこで試合をやったらもうたまらなく気持ちいいわよ。千里も頑張ってMGMのリングに上がりなさいよ」「んーそんなこと聞いたら頑張ちゃおうかな」「それで二人でラスベガスへ行く荒野をぶっ飛ばそうよ」「何ですかそれ」「私はロスからベガスへはいつもハーレーに乗って荒野のロードをぶっ飛ばして行ってたのよ。それがまた気持ちいいんだ。とんでもなくでかい大型トラックをぶっちぎって真っ直ぐ伸びたロードをかっ飛ばす。周りは広大な荒野。でっかいわよアメリカは。ちなみに私の愛車ハーレーの名前は大和って言うんだけどね」「へー。想像しただけでワクワクしてきますね。私もその時はハーレー買っちゃおう」「そうね。一緒に走りましょう。何たって試合中はシンクロしちゃうからね。任しといて」「こちらこそよろしくお願いします」

 千里は6回戦に上がり初の試合に臨んだ。さすがに6回戦になると相手も手強い。「千里。こんなところでモタモタしてられないよ。とっとと2勝して8回戦に上がるよ。次のラウンド倒しに行くよ」「はい」6回戦の初陣もKO勝利。2戦目もKO勝利し難なく2勝を挙げ8回戦へと進んだ。「ふー。やっと8回戦A級か。デビューして2年。やっぱり叩き上げだと結構かかるな」「千里。ここからが勝負よ。やっと上の選手達と戦える切符を手に入れたんだからね。一応あなたは現在世界ランク16位。上位の選手に勝ち続けてうまく行けば3戦目で東洋太平洋にチャレンジできるかもしれない。そしてその上はもう世界チャンピオンしかないからね。いよいよだよ」「はい。頑張ります」女子の世界では東洋太平洋チャンピオンと世界チャンピオンしかなく日本チャンピオンというものは存在しない。

 千里のトレーニングは基本的に月曜日から土曜日までの朝練と夕方のジムでのトレーニングだ。日曜日は完全なオフにしてある。千里の休日の過ごし方はとにかく十分に睡眠をとり起きれば読書にふけっている。勝美の現役の頃とは大違いだ。どちらかと言えば元来大人しいタイプなのだろう。闘争心に欠けるところがある。そこに闘争心の塊の勝美がシンクロするわけだ。千里にとっては最高のパートナーに違いない。

 「ねー成田さん。継続は力なりって本当だね。千里は本当に上手くなった。ボクシングは才能のスポーツだって言う人もいるけどそれだけじゃないわよね」「そりゃそうだよ。才能のある奴は人の倍早く上手くなるけど人の何倍もかけて覚える奴は体に嫌って言うほどしみつくから覚えた後の伸び代が違うんじゃないかなかえってそっちの方がいいかもな」「そうだね。才能のある奴はすぐ生意気になるしね。全部俺の才能のおかげだなんて顔するしね」「そうだな。その点千里ちゃんは真面目で素直なんだろう」「そう。馬鹿が付くくらい素直で真面目」「早くプロモートするのを楽しみにしてるから頑張ってくれよ」「OK任しといて」

 千里は順調に8回戦でも勝ちを収めていた。「千里ちゃん。喜べ」「何ですか会長。慌てて」「今度の試合。勝ったほうが東洋太平洋チャンピオンに挑戦が出来る」「本当ですか。試合はいつですか」「2ヶ月後の8月8日(水)だ。そしてこれに勝てばタイトル戦だ。現チャンピオン。もちろんわかってるよな。おまえがデビュー戦で負けた唯一の1敗の相手。澤美香だ」「もちろんわかってます。よーしやっとリベンジのチャンスが来た。絶対に勝ってやる」「その前に次の試合絶対に勝つよ。千里」「もちろんです。勝美さん」

 千里は試合に向け調整に入った。この頃には既に何をすべきかは千里自身十分にわかっていた。勝美はそれにアクセントを施しスキルアップさせる。調整は順調に進み前日計量を迎えた。今回も千里はリミット丁度の48・99㎏だ。

 「さて、千里。今日のお昼は何にする」「今日はパスタにしましょう。デビュー戦ではパスタを食べて負けちゃったけど心機一転新たな気持ちで明日勝ってチャンピオンに挑戦します。だからパスタを食べて1からスタートします」「あはは。OK。じゃあパスタにしよう」

 二人はパスタを食べながら明日の試合の打ち合わせをした。「明日の相手の松本は28歳。丁度油の載ったいい選手よ。決して油断しないように。序盤は距離を測ってジャブ中心にしっかり組立てよう。自分の距離を把握出来たら遠慮せずに打って行こう。4ラウンド目に勝負をかけよう」「わかりました。私も松本選手のビデオ見ましたが試合巧者の良い選手ですね。相手のペースに引き込まれないよう注意します」「うん。まずは明日の事だけ考えましょう」「はい」

試合当日。「あー早くリングに上がりたい」例によって千里は体がうずいてしょうがない。「よーし。そろそろ行くか。千里ちゃん」「はい。お願いします」「今日も永ちゃんのラストシーンだ。イメージはKO勝ちだぞ。行くぞ」千里はリングに上がった。「あーこの感覚。興奮してくる。頭がスーッとする」「千里。興奮するでしょう」「あっ勝美さん。もう限界です」「でも焦っちゃだめ。クレバーに行きましょう」「勝美さん。一緒に楽しみましょう」

 「カーン」ラウンド1。

 ジャブ、ジャブ。千里は足を使いながら距離を測る。相手の松本は体を左右に揺らしながら懐に入るタイミングを測っている。巧みに千里のジャブをかわしながら一瞬の隙をついて入り込む。千里は体を入れ替えてジャブを放つ。両者互いに主導権争いだ。「カーン」第1ラウンド終了。

 「どうだ千里ちゃん。松本は」「そうね。さすがに上手い。でももう1ラウンドやれば大体タイミングと距離はわかると思う」「んっ。なんで勝美が言うんだ」「はい。そりゃ私は千里の動きを見ればわかるわよ。ねー千里」「勝美さんの言う通りです」「あっそ。じゃあ次のラウンドもこの調子でな」

 「カーン」ラウンド2。

 「千里。ちょっと仕掛けて見ようか。フェイントでジャブ出して早いストレート打とう」チョン、ズバン。「千里。もうちょっと踏み込もう」チョンチョン、ズバン。「うん。この距離だ」「カーン」第2ラウンド終了。

 「どうだ千里ちゃん。大分掴めたか」「はい。そろそろコンビネーションを混ぜながら仕掛けてみます」「よし。カウンターだけは気をつけろよ。松本はカウンターには定評があるからな」

 「カーン」ラウンド3。

 シュッシュッシュッ。早いジャブ。「よし。この距離だ」千里は体を振りながらタイミングを測った。「よし。ここだ」ワンツー。「だめ」勝美だ。しかし遅い。その時松本のカウンターの左フックが千里を捉えた。ダウン。絶妙のタイミングで松本の左フックが決まった。「ワン、ツー、スリー」「千里。大丈夫」「大丈夫です」「カウント6まで寝てましょう」「フォー、ファイブ、シックス」千里は立ち上がった。松本が一気に詰めてきた。千里にはまだダメージが残っている。千里はクリンチをしながら何とか耐えている。「千里。あと20秒。耐えるよ。コツコツ手は出して。じゃないとレフリーに試合止められる」「カーン」何とか凌いだ。

 「大丈夫か千里ちゃん」「すいませんタイミングを測ってたのは私だけじゃないですよね。さすがに松本さん上手いです」「千里。今度は私の言う通りに動いて。一瞬早くイメージ送るから」「はあ。イメージ送るっておまえら何言ってんの」「会長。私と千里はいつも一緒にトレーニングしてるからなんとなくわかるの。こんな時に一々深く考えない。さあ行こう」

 「カーン」ラウンド4。

 「千里。いつもより大きく体を左右に振って。相手おびき出すよ。ダメージが残ってるふりをして。ガードをしっかり固めてわざと手を出させて。彼女熱くなると右ストレートを打つ時右肘を引く癖があるからあなたのパンチの方が必ず早く当たる。ガードの隙間からよく見てカウンターよ」案の定松本がラッシュをかけてきた。右、左、ボディ、アッパー、止めの右ストレート。「ここだ」「バチン」ダウン。千里のクロスカウンターが見事に松本の顎を捉えた。「ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ、シックス、セブン」カウント7で松本が立った。千里が勝負に出た。一気に詰めてワンツー。下がる松本を追いさらにワンツー、フック、アッパー、フック、アッパー、ボディ、ストレート。レフリーが割って入る。手を振った。TKOだ。第4ラウンド1分50秒。千里のノックアウト勝ちだ。「よし。勝った。あー来た来た。この感覚。気持ちいい。最高。勝美さんどうですか」「どうもこうも最高よ。止められない」「本当ですよね。早く次の試合がしたいです」「次はあの澤美香よ。今日以上の強敵だからね」「えーわかってます。もう誰でもいいから早く試合がしたい。気持ちいい。最高」まさにこの二人はボクシング気狂いだ。




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