第9話 デビュー戦
デビュー戦
千里のデビュー戦が決まった。2ヶ月後の10月3日(土)場所は後楽園ホールだ。階級はライトフライ級。「千里。あなた今、体重何キロあんの」「54㎏位です」「そう。ライトフライはリミット48・99㎏だから6㎏位減量しないと。まー6㎏位どうって事ないでしょう。どう」「はい。大丈夫です」「それじゃ試合までのスケジュール組むから
しっかりやってよ。基本的にはこれまでと変わらない。大きな違いはスパーリングの回数を増やす。最後2週間は減量次第で考える。とにかく初陣を飾れる様に頑張ろう」
「千里は本当に真面目で練習も一生懸命やる。でも元来のセンスの無さはまだまだ克服できてない。戦い方がわかってない。それとリズム感がひどい」勝美はこの事が不安でしょうがなかった。「戦い方をマスターするにはスパーリングを増やすしかない」矢沢ジムには軽量級の男子選手が多いのでこれらとのスパーリングは出来るがやはり実際の女子選手とのスパーリングもしっかりやらなければならない。「会長。千里とスパーリングやる女子選手を探して下さい。やっぱり男子選手だと女子には中々本気にならないところもあるのでお願いします」「OK。わかった。まかしときな。これでも元14回防衛記録保持者の日本チャンピオンだ。なめんなよ」「お願いします」事実、矢沢会長はフェザー級の元日本チャンピオンで14回防衛している。この記録は未だに破られていない。
千里は連日の様にジムでは男子選手とスパーリングをした。又、他ジムに遠征して女子選手ともスパーリングをこなした。「千里。もっと自分の距離をしっかり把握して。強いパンチが打てるところがあなたの距離よ。しっかり把握して、今のままじゃ全然ダメ」千里の元来のセンスのなさはスパーリングで如実に現れる。「そんなにくっついたらパンチ出せないでしょう。出せても弱いパンチばっかりじゃない。何度言わせるの。何でわかんないの。パンチもらいすぎだよ。パンチは受けるものじゃないよ。もっと体降って。リズミカルに。本当リズム感ないな。もっとしっかりガード上げて。攻撃が下手くそなんだから防御位しっかりやりなさい。そんなんじゃボコボコにやられるよ。何度言ったらわかるんだよ」勝美の口調も段々エスカレートしてくる。「千里。ちゃんと毎日走ってるの」「はい。毎朝走ってます」「その割にスタミナがないわね。もっとサンドバッグ休まず叩いて。パンチのスタミナはパンチを出してつけるしかない。3分間休まず叩いて」「はい」「ドン。バスン。ダダン・・・」「ほら休むな。リズムなんか取る必要ない。どんどん叩け」「バン。ババン。ドン・・・」「だから休むなって言ってんだろう。リズムなんか取って休んでんじゃねーよ。どんどん叩け。アホ。連打連打」「パスン。パスン」「そんな弱いパンチいらないよ。そんなんじゃスタミナつかないよ。もっと強く。速く。ボクシングは相手をぶっ倒すスポーツだよ。はい残り30秒。叩け叩け。倒せ倒せ。ぶっ倒せ。そんなんじゃ倒せないよ。はい。次ミットやるよ。リング上がって」「パスン。パスン」「なんだそのジャブは。ビュンとスピードだよスピード」「バチン。バチン」「もっと引きを速く。体降って。膝が硬いんだよ。膝でリズムとるんだよ。この運動音痴」千里のリズム感のなさはなかなか治らない。「あんた本当リズムないね。そこにタイヤがあるからその上に乗って軽く跳ねて膝柔らかくするトレーニングして」「はい」
猛烈なトレーニングが続いたが千里はなんとかそのトレーニングについて行った。
そしてあっという間に2ヶ月が過ぎ試合前日を迎えた。勝美は千里を伴い後楽園に赴き計量に臨んだ。体重はリミットジャストの48・99㎏。OKだ。「千里。じゃー軽くお昼ご飯食べよう」「はい。もうお腹が減ってるのかもよくわかりません」「そう。減量すると胃袋がおかしくなるのよ。だから一気に食べると胃に負担がかかって逆に体調を壊すからまずは水をゆっくり飲んで徐々に食べる様にしなきゃだめ。ちなみに何か食べたいものある」「カレーがいいです」「カレーか。それはだめだは。刺激が強すぎる。食べるんだったら夜にしなさい。別なものは」「じゃーパスタ」「よし。それで行こう」
パスタを食べながら明日の試合に付いて二人は話した。「明日の相手もデビュー戦だから立場は一緒だからね。スタイルもオーソドックスみたいだからやりずらい事はないと思う。普段の練習通りワンツーを中心に組み立てて」「わかりました。明日は何時までに後楽園に行けばいいですか」「試合は6時からで2試合目だけど4時に集合しましょう。今日は帰ってゆっくり休んで体調整えて」「わかりました。なんだかドキドキしてきました」「まー初陣だからしょうがないよ。私はリングに立てると思うとワクワクしてしょうがなかったけどね。あの頃は今と違ってアメリカでしか戦えなかったから大変だったのよ」「アメリカですか。すごいですね」「まーね。今思えば懐かしい思い出よ。この話をすると長くなるから今度ゆっくり話すよ」「お願いします。楽しみにしてます」
翌日。川口市は雲ひとつない快晴だ。勝美はジムに寄り試合の最終チェックを終え後楽園に向かった。地下鉄を降りると後楽園はバケツをひっくり返した様な猛烈な雨。所謂ゲリラ豪雨だ。「川端康成の雪国じゃないんだから勘弁してよ。トンネルを抜けると雪国ではなく地上に出ると大雨か。嫌んなるな。試合は出がけの天気みたいにスカッと行きたいもんだわ」勝美は一人ごちた。
千里は既に後楽園ホールに着いていた。「どう。体調は」「はい。昨夜は緊張して余り眠れませんでしたけどお昼を早めに食べて昼寝をしたらバッチリです」「そう。それじゃゆっくり準備して体を動かして」「わかりました」
6時第1試合が始まった。「次だから体あっためて」「はい」「千里。リラックス。リラックス」第1試合が終わった。「よーし。行くぞ。今日は永ちゃんのラストシーンにした」「ちょっと会長。初陣でラストはないでしょう」「KO勝ちのラストシーンをイメージするんだよ」「まったく。千里気にしないで行こう。レッツゴー行くよ」「はい」千里は赤コーナー。セコンドは矢沢会長と勝美だ。
両者の紹介が終わりいよいよゴングだ。女子は1ラウンド2分で戦う。
「カーン」ラウンド1。
千里はいつも通りジャブを放つ。出足はお互いに慎重だ。だが相手の選手は千里より明らかにスピードがある。体も柔軟そうだ。「カーン」1ラウンド終了のゴングだ。「千里。相手はあんたよりスピードがあるから体を振って懐に入って打ちなさい。あんたはスピードはないけどパンチ力はあるから自信持って行きなさい」「はい」
「カーン」ラウンド2。
相手がスピードを上げてきた。「速い。4回戦の選手のスピードじゃない。この子センスある。戦い方もうまい」勝美は不安になった。千里はシャープさがない。戦いのセンスもない。こういった相手は一番苦手なのだ。
「カーン」第2ラウンド終了。
「千里。もっと体を振って。振りながら懐に入って打ちあいに持ち込んで。パンチはあんたの方が間違いなく上よ」
「カーン」ラウンド3。
上手い。相手は完全に千里のパンチを見切っている。千里のワンツーを左にダッキングしてのボディ。見事だ。「カーン」第3ラウンド終了のゴングだ。
「千里。判定では負けてる。次が最終ラウンド。もう思い切って行くしかない。倒して来なさい。それしか勝てない」
「カーン」ラストラウンド。
千里が突進して行く。相手はフットワークでかわす。千里のパンチは全く当たらなくなった。相手は無理をせずかわしながらパンチを入れてくる。「カーン」試合終了のゴングが鳴った。結果は3-0の判定負け。完敗だ。
千里は初陣を飾る事が出来なかった。
「千里。今日の相手はとても4回戦のレベルじゃなかった。がっかりしないで次頑張ろう」「いいえ。4回戦は4回戦です。畜生。悔しい。勝美さん。私もっともっと頑張りますから強くしてください。畜生」
後日相手選手の情報が入った。小学生から空手をやり女子サッカーでもならしたスポーツ万能選手という事だ。「千里とは全くタイプが違った訳だ。それにしてもセンスあったな。あれは将来いい線行きそうな子だ」その選手こそ生涯千里のライバルになる澤美香だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます