第5話 世界戦

 


  

世界戦


 世界戦が決まり勝美は愛車ハーレー大和に跨りラスベガスMGMホテルに向かった。「とうとうここで試合ができる。次来る時は試合の時だ。そしてここを出る時は世界チャンピオンだ」勝美は誓い。MGMを後にした。

 「リッキー。ばしばし鍛えてね」「OK。カツミ。ゼッタイカチマショウ」リッキーも大分日本語が喋れるようになった。勝美はと言うと英語は相変わらずからっきしである。

世界戦の準備とはいえ基本的なトレーニングは変わらない。ただ相手のジェシカを想定してのトレーニングとなる。ジェシカはサウスポーだ。サウスポー相手のスパーリングが増える。ウェルター級なら減量の必要もない。大好きなハンバーガーも食べられる。体力的には問題がない。やはり問題はスピードだ。デビュー当時から比べるとスピードは格段に上がったが相手のエノラ・ジェシカはリングネームが爆撃機だけあってスピードと破壊力は図抜けている。今の勝美のスピードでは太刀打ち出来ない。勝美は徹底的にランニングと筋トレを行った。今回はウェルター級だから筋力を付けてもウェイトをオーバーする心配はない。朝のランニングは10㎞。筋トレも倍に増やした。勝美の体は見る見る無駄が削げ落ち筋肉が増した。筋肉が増したとは言えボディビルダーのような大きな筋肉ではない。パンチのスピードと破壊力が増したシャープな筋肉だ。「カツミ。モットカタノカイテンヲハヤクネ。コンパクトニネ」リッキーのアドバイスは的確だ。試合が近づくにつれスパーリングにも熱が入る。勝美のスパーリング相手はもちろん男子だ。女子で勝美のスパーリングパートーナーをできるものはいない。それにやはり女子よりも男子の方がスピードがある。ジェシカ対策には持ってこいだ。「カツミ。モットカラダフッテ。スピードニタイオウスルニハボディバランスガタイセツヨ」リッキーの声が飛ぶ。「しかし黒人選手は本当にスピードがある。いい練習になるけどまともにもらったら大変だわ」勝美はスパーリングに明け暮れた。

 試合まで1ヶ月。勝美とリッキーはサンタモニカで合宿に入った。

 朝6時起床。ランニング10㎞。

        ラダートレーニング

 朝食7時30分 9時まで休憩

 9時     筋トレ

        鉄アレーシャドー

        ダッシュ&スロー

 午前中は3時間の練習だ。

 昼食12時 15時まで休憩

 15時    体操

        縄跳び*2R

        シャドー*3R

        サンドバック*5R

        スパーリング*6R

        ミット打ち*3R

        パンチングボール*3R

        ディフェンストレ*2R

        ストレッチ

 午後は2時間の練習だ。

 夕食18時

 20時    ビデオ観察及び対策

 1時間のイメージトレーニング

 22時就寝

 このスケジュールを2週間行った。

 合宿を終えてからはほとんどがスパーリングに費やされた。毎日10ラウンドだ。試合まで1週間は疲れを取る為軽めの練習に変わる期間だ。

 「やるだけの事はやった。あとは本番を待つのみ。この1週間は軽めのトレーニングで体を整えよう。でもハンバーガーを食べられるなんて本当ウェルター級でラッキーだ。これがバンタム級の世界戦じゃ減量がきつくて参っただろうな」勝美本人には知らせていなかったが成田はバンタム級からウェルター級まで全てのチャンピオンに勝美との世界戦を打診していた。しかし勝美のパンチの威力はこの頃有名で軽いクラスでは敬遠されていたのだ。唯一受けたのがウェルター級のジェシカだった。

 その頃成田は今回の試合の注目度を上げるためテレビ局やスポンサーへのロビー活動を積極的に行っていた。「今回の試合は日本のボクシング界にとっても重要な試合だ。何が何でも成功させなければならない」成田はアメリカだけでなく日本にも何度も帰国しスポンサー集めに躍起になっていた。その甲斐あって日本テレビがテレビ中継する事となった。日本で初めての女子世界戦のテレビ中継だ。

 半年はあっという間に過ぎ去った。試合1週間前。父勝男から手紙が届いた。「ここまでよく頑張った。試合には観戦に行く。鬼畜米英。天皇陛下万歳」「全くわけわかんない。全然変わらないな」勝美は微笑んだ。

 試合当日計量。勝美もジェシカも一回でパスした。お互いに握手を交わしその場を離れた。

 試合当日控室。「勝美。とうとうここまで来たな。5年前おまえが単身アメリカに渡ってきた時はどうせ持っても3ヶ月だろうと思ってたけどまさかここまで来るとは思わなかったよ」「随分失礼ね。あの時俺に任しとけって言ったのは誰だっけ」「そうだな。やっぱり俺の目に狂いはなかったわけだな」「よく言うよ」「俺もこの試合を成功させてプロモーターとしてステップアップするぞ。おまえも勝って日本にベルトを持って帰れよ」「任しといて」「そういえば今日は天皇陛下万歳のお父さん来るんだろう」「そう。それと鬼畜米英が口癖なの。試合中言わなきゃいいと思ってるんだけど」「大丈夫だ。言ったって通じないから」「それもそうだね。あはは」「さて、そろそろ時間だな」「OK。レッツゴーカツミ」リッキーだ。「よし。行こう」勝美はリングに向かった。

 「ウォー。リメンバーパールハーバー。リメンバーパールハーバー」物凄い盛り上がりだ。勝美の気分も最高潮だ。リングに上がり観客を煽る。「もっと言え。もっと騒げ。あー気持ちいい。最高だ」実はこの頃には勝美も大分人気が出てきていた。この「リメンバーパールハーバー」もある種勝美に対する声援でもある。笑いながらやじる客もたくさんいる。チャンピオンのエノラ・ジェシカが入場してきた。「ボンバーエノラ」こちらは正真正銘の大声援だ。ジェシカがリングに上がって観客に手を振る。「エノラ・ジェシカ」物凄い人気だ。それもそのはずめちゃくちゃ美人だ。「あーなんでまたこんなに美人なのかなぁ。私の相手はいつもそう。成田さんわざとそういう風に組んでんじゃないの」勝美はぼやく。「まーいーや。あの顔ぼこぼこにしてやる」

 国歌斉唱。先ずはアメリカ国歌が流れた。続いて日本の国歌。君が代が流れた。終わると同時に「鬼畜米英。天皇陛下万歳。勝美頑張れ」袴に下駄履きの勝男がリングサイドにいた。「うわー。勘弁してよ。しかも日の丸の鉢巻に日の丸の扇子かよ。まいったなぁ」コーナーでは成田とリッキーが笑っている。「特攻服じゃないだけましだよ」「冗談やめて」「勝美。頑張れ」「千葉先生も来てくれたんだ」「姉御。頑張れ」「あっ。伊作だ。来てくれたんだ。相変わらずちびだな」

 リングアナウンサーの選手紹介が終わりいよいよゴングだ。この試合はタイトル戦なので10ラウンドで争われる。両者が中央で睨み合う。レフリーの注意が終わり両者が離れた。

 「カーン」第1ラウンドのゴングが鳴った。先ずはお互いジャブで牽制だ。ジェシカはサウスポーだが勝美は比較的サウスポーは得意な方だ。右をジャブ代わりに多めに繰り出すのがこつだ。ジェシカもジャブを中心に繰り出してくる。このラウンドはお互い距離を測りながら様子を見ている。「カーン」静かな1ラウンド目が終わった。「カツミ。ツギノラウンド。ワンツーカラボディネライマショウ」「OK。リッキー」

 「カーン」ラウンド2。

 「シュッシュッドン」ワンツーボディだ。ジェシカの顔がゆがんだ。「シュッシュッドンバシン」今度はワンツーボディフックだ。ボディ打ちでガードが下がった所に強烈なフックだ。これは効いた。「よし。もう一丁だ」しかしジェシカもさすがはチャンピオン。2度は食らわない。ワンツーをダッキングでかわし逆に空いているボディに強烈な一発を見舞った。「グッ」勝美の顔がゆがんだ。そこに容赦なくアッパーが飛んできた。「バチン」頭が揺れる。お互いに一歩も引かない打ち合いが始まった。「カーン」2ラウンド終了のゴングが鳴る。「カツミ。ガードシッカリ。ウチマケテナイヨ。ジブンノキョリタイセツニネ」「OK。リッキー」

 「カーン」ラウンド3。

 このラウンドも両者譲らず。どちらかと言えばジェシカはスピードを生かした手数で勝負。勝美は強烈なパンチ力で勝負。戦前の予想通りの戦いだ。「カツミ。ツギノラウンドスコシショウブイクネ」「OK。リッキー」「ゴー。カツミ」

 「カーン」ラウンド4。

 勝美が飛び出した。「シュッシュッバチンパチンバチンビシッ」ワンツーフックアッパーフックストレートの6連発コンビネーションだ。「ダウン」ジェシカが倒れた。見事なコンビネーションだ。「ワン。ツー。スリー。フォー。ファイブ。シックス。セブン。エイト」カウント8でジェシカが立ち上がった。まだ1分ある。勝美はラッシュした。ジェシカはクリンチを混ぜ体を入れ替えながら何とか凌いだ。「カーン」第4ラウンド終了。惜しくもしとめることが出来なかった。「カツミ。グッドネ。コノチョウシヨ。アイテモソロソロクルコロヨ。ガードネ」「OK」

 「カーン」ラウンド5。

 ジェシカが出た。中盤。勝負に出た。「シュッドンパチン」ジャブボディアッパー。「ドンパチン」勝美ダウン。アッパーが諸に入った。顎は急所だ。食らうと頭が振られ一発で倒れる。「ワン。ツー。スリー。フォー。ファイブ」カウント5で立ち上がった。「カツミ。モットユックリタチアガルヨ」リッキーが怒鳴る。今度はジェシカのダッシュだ。勝美が堪らずクリンチする。「クソ。さすがに強い」勝美は性格的にクリンチはまずしない。ジェシカはボディとアッパーが得意だ。わかっているがやはり速い。「カーン」第5ラウンド終了。何とか凌いだ。「ふーやっぱり強いや」「カツミ。モットカラダフッテ。ジェシカ。テガナガイカラカラダウゴカシテ、カワシテ、フトコロハイッテコンビネーション。OK」「OK。リッキー」

 「カーン」ラウンド6

 壮絶な打ち合いが始まった。このラウンドはお互いに一度づつダウンする。「カツミ。カラダガレンシュウオボエテルヨ。カタマワシテ。スピードスピード」「OK。リッキー」

 「カーン」ラウンド7。

 両者瞼を切り血まみれだ。「カツミ。ダイジョウブ。メミエル」「リッキー大丈夫。まだ見える。ジェシカの顔も酷くなってきたね。美人が台無しだ。あは」

 「カーン」ラウンド8。

 残すところこのラウンドを入れて3ラウンドここからが勝負だ。相手も必死だ。勝美は得意のコンビネーションを放つ。ワンツー、フック、アッパー、フック、ストレート。ジェシカもダッキング、ウィービングをしながらかわす。かわす反動を利用して得意のボディ、アッパーが勝美を襲う。どちらも一歩も引かない。もはや両者クリンチもしない。まさに死闘だ。「カーン」8ラウンド終了のゴングが鳴る。

 「カツミ。ノコリ2ラウンドネ。コレマデカラダデオボエテルコトオシゼントダスネ。コレマデノレンシュウオシンジルネ」「OKリッキー。もう何も考えない。自分の体に任せるわ」

 「カーン」ラウンド9

 ここまで二人共ダウンは二度づつ。まさに一進一退だ。勝美の右ストレート。ジェシカがダッキングでかわし左のフックがカウンターで勝美を捉えた。勝美倒れない。堪えた。ジェシカのラッシュだ。ボディ、フック、バックステップしてとどめのストレートだ。勝美がこれに合わせた。クロスカウンターだ。もろに入った。ジェシカぐらつく。今度は勝美のラッシュだ。両者全く譲らない。「カーン」9ラウンド終了のゴングだ。

 「カツミ。ナイスファイト。ツギデサイシュウラウンドネ。ジブンシンジテガンバルネ。メハダイジョウブ」「リッキーありがとう。ここまで来たら目なんて関係ない。死ぬ気て行くわ」「OK。レッツゴー」

 「カーン」ラウンド10。ラストラウンド。

 「勝美。鬼畜米英。天皇陛下万歳。頑張れ」

「父さんだ。相変わらず何言ってんだか」会場は敵も味方ももはやない。両者に大声援だ。

勝美もジェシカもボロボロだ。飛び散る血。光る汗。飛び散る血が汗で光り美しい。二人共もはや意識がないのではないかと思うほど自然だ。だが両者パンチを繰り出す。これまで練習で培ったものが恐らく自然に出るのだろう。

 「あー気持ちいい。なんだろうこの感じは。ジェシカのパンチがスローに見える。私のパンチもスローだ。宙に浮いてるみたい。あー気持ちいい。最高」

 「カーン」試合終了のゴングが鳴った。両者が健闘を讃えあいリングの中央で抱き合う。

会場は割れんばかりの拍手。スタンディングオベーションだ。こんなクリーンな美しい試合は見た事がない。この模様は海の向こうの遠い日本にも送られている。「勝美。いい試合だったぞ。ナイスファイトだ」矢沢会長だ。「勝美。相変わらずあなたらしい試合よ」勝美の母だ。実は勝美が渡米するとき母のみちは「勝美。行くからには絶対にチャンピオンになりなさい。なれなかったら辞めさせるわよ」と伝えていた。多くの日本人が初めて女子プロボクシングを目の当たりにした試合でもある。結果はどうあれこの試合は永遠に語り継がれるだろう。ジャッジが出た。レフリーが両者を中央に呼ぶ。緊張の一瞬だ。ジャッジが両者の手を上げた。「ドロー」引き分けだ。チャンピオンベルトの移動はない。勝美はベルトに手が届かなかった。「ドローか。悔しいけどしょうがない。あーでも気持ち良かった。こんな気持ち良さは初めて。又、やろう。今度こそチャンピオンになってやる。勝てなかったけど負けてもいないからまだ母さんに止めさせられないしね」「勝美。よくやった。惜しかったな。見てみろよこの声援。もうリメンバーパールハーバーなんて誰も言わないよ。勝美は完璧にアメリカに受け入れられたな」「成田さんのおかげよ。ありがとう」「カツミ。ザンネン。ザンネン」「何。リッキー泣かないでよ。次よ。次々。これからもトレーナーよろしくね」「モチロン。モチロン」

 勝美がリングを降りると大声援が勝美を包んだ。「勝美。よくやった。天皇陛下万歳」「全く父さんは。でも鬼畜米英が消えた。父さんもすっきりしたかな」伊作が抱きついてきた。「姉御。ナイスファイト」「ちょっと重い。あんたちびのくせに体重だけはあるね。でも遠いところ応援に来てくれてありがとう。地元のみんなは元気」「元気ですよ。きっとみんな今頃テレビに釘付けですよ。おーいみんな見てるか。平助見てるか」「あはは。伊作やめな」勝美は笑いながら会場を後にした。

 翌日。MGMグランドホテルを見つめ「又、来るからね。やっぱりボクシングは最高に気持ちいい。特にここでの試合は最高だ。ちょっとの間待っててね」MGMに別れを告げ、愛車のハーレーダビッドソン大和に跨りラスベガスを後にした。



  

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る