第4話 プロデビュー

  


  

  プロデビュー


 「勝美。デビュー戦が決まったぞ。9月30日。場所はオリンピック・オーデトリアムだ。相手はアメリカ女子プロ第1号のマリアン・トリミアーだ。アメリカの女子プロ第1号対日本の女子プロ第1号の対決だ。盛り上がるぞ」成田は意気揚々だ。「クラスは何級ですか」「ライト級だ。それとリングネームなんだけど僕の方で勝手に考えちゃったんだけどいいかな」「はい。構いませんけど何て言うんですか」「うん。パールハーバー勝美」「はー。それって思いっきり喧嘩売ってません」「だって鬼畜米英でしょう。それに絶対話題性があっていいよ」「信じらんない。さすがにもうちょっと考えません」「ごめん。もう提出しちゃった」「なんだかなぁ」「お詫びに飯でも奢るよ。今後の話もあるしね」「ラッキー。行きましょう」「何か食べたいものは」「もちろんハンバーガーよ。試合が終わるまではもう食べられないから」「よし。じゃーリッキーも誘おう。リッキー。飯食べに行こう」「OK。ナリタ」「勝美。どこか行きたいショップは」「そうね。ISLANDSにしよう」「OK。レッツゴー」

 各自が好きなハンバーガーを注文した。

 「どう。トレーニングは順調」「えーお陰様でだいぶこっちにも慣れてきた。言葉はまだダメだけどなんとかなるもんですね。身振り手振りで理解し合えますよ。かえってそっちの方が面白くてコミュニケーションもとれる感じですよね」「へー面白いもんだね。リッキーはどう」「えー。いい人を紹介していただいてありがとうございます。とっても明るくてきついトレーニングもリッキーとなら苦にならない感じになります」「ふーん。リッキー良かったね」「ナンダカヨクワカリマセン。デモアリガトウ」「ところでこれから僕は徹底的に君を売り込んでいく。パールハーバー勝美のリングネームもその一環だから勘弁して。僕は君の世界戦まで視野に入れてるからね。そのつもりでリッキーと頑張ってよ」「はい。もちろん私の目標も世界チャンピオンですから。リッキーよろしくね」「オフコース。シンパイナイヨ。カツミ」「とにかく成田さん。どんどん試合組んでください」「わかった。体に支障をきたさないペースで組むよ」「よろしくお願いします」3人は食事を終え外に出た。すると一見して不良とわかる若いのが3人こちらに向かってくる。一人がナイフを出した。「リッキー。勝美を頼む」「えっ。ちょっと成田さん」「カツミ。ダイジョウブ。ノープロブレム」成田は一言二言若者らと話すといきなり一人がナイフで成田に切りかかった。成田はそれを左に交わし左フックを食らわしたかと思うと残りの二人に向かって踏み込みたちどころに3人を倒した。

「嘘。成田さんすごい」「オー。カツミシラナカッタノ。ナリタ。モトニホンチャンピオンヨ」「えー。全然知らなかった。だってどっから見てもなよなよしてる風にしか見えないよ」「能ある鷹は爪を隠すってね。これでも元ライト級の日本チャンピオンさ。勝美のボディーガードも兼務してるわけだ。まーいらないかもしれないけどね。とにかくこっちは物騒だから気をつけてね」「はい。わかりました。それにしてもたまげた」

 9月30日まで後3ヶ月。リッキーのトレーニングが激しさを増した。「カツミ。スピード。スピード」女子はやはり男子と比べるとパワーとスピードが劣る。勝美は柔道をやっていたのでパワーには自信があったが若干スピードに難がある。リッキーは勝美にスピードを上げるトレーニングをこれまで以上に施した。ボクシングのパンチは腕力ではない。背筋力。腰。肩の回転だ。足腰の強化と背筋の強化だ。先ずはランニングだ。これも普通のランニングではない。100mダッシュして50m軽く流す。これを毎日50本。腕立て100回。背筋100回。スクワット50回。勿論腹筋もだ。今回の試合はライト級。ライト級ならば殆ど減量はない。その分楽と言えば楽だが筋力を付けると体重は増えるので注意しなければならない。勝美は必死にトレーニングをした。スパーリングも毎日行った。相手はもちろん男子だ。黒人、メキシカンがほとんどだ。これまでの相手は男子アマチュアだったが今回からはプロを相手に行った。当然スピードも段違いに速い。「何なのこいつらのスピードは。尋常じゃないしこのリズムも凄い。日本人と全然違う」勝美は当初スピードに翻弄されていた。しかしスパーリングを重ねるにつれ徐々に慣れてきた。

 「やっとリングに立てる。アメリカに来て1年半。試合がしたくてしょうがなくてこっちまで来たけどようやっと実現する。あー早く試合がしたい」勝美は辛い練習も楽しくてしょうがなかった。

 3ヶ月はあっという間に過ぎた。いよいよ試合当日。控室で勝美はワクワクしてどうしようもなかった。「あー早くリングに上がりたい。思いっきりパンチを打ちたい。早く。早く」

「サーカツミ。レッツゴー」リッキーの声がかかった。いよいよ入場だ。

 「リメンバーパールハーバー」「リメンバーパールハーバー」「キルジャップ」物凄いブーイングだ。「だから言ったんだよなぁ。成田さん勘弁してよ」当の成田は「いいねーこれだよこれ。最高。もっと熱くなれ。ヤッホー」「駄目だこりゃ」勝美はリングに上がり手を上げた。一段と激しいブーイングだ。「あー気持ちいい。ここに上がりたかった。最高」今日の試合は4ラウンドだ。最初は日本と同じく4回戦から始まる。女子のルールは1ラウンド2分。インターバル1分で行われる。相手のマリアン・トリミアーには応援の声援が凄い。「どうでもいいけど凄い美人じゃない。頭にくる。ぼこぼこにしてやる」

 「カーン」1ラウンド目が始まった。勝美は左ジャブで威嚇しながらボディ、フック、ストレート、アッパーとコンビネーションを繰り出して行く。相手のマリアンも中々のものだ。「こいつ結構やるじゃん。女子プロ第1号は伊達じゃないね」勝美は水を得た魚の如くリング上を舞った。あっという間に最終ラウンドとなった。これまでのラウンドを見れば圧倒的に勝美が優勢だ。最終ラウンドのゴングが鳴った。「カーン」ジャブで距離を測りながら的確に勝美はパンチを当てた。相手も必死だ。「カーン」終わりを告げるゴングが鳴った。「あー楽しかった。気持ちいい。美人をぼこぼこにするのは気分がいいね。これで私と同じくらいかな。あはっ」判定が始まった。「ウィナーマリアン・トリミアー」「えっ。ちょっと何で」まさにアウェイの判定だ。会場はマリアンコールとリメンバーパールハーバーの歓声で一杯だ。「畜生。判定じゃ勝てない。次は絶対にKOしてやる」

 「いやー勝美。最高。大成功だ。この調子でばんばん試合組むぞ」成田は絶好調だ。「あのねー成田さんこんなふざけた判定がある。冗談じゃないわよ」「まーそうかりかりしなさんな。しょうがないよ。ここはアメリカ。完全アウェイなんだから判定じゃ勝てないよ」「次は絶対KOしてやる」「その意気その意気。ところで今後の階級はどうする」「減量が必要なら気合入れてやるから何でもいいですよ」「本当かよ。じゃー遠慮なく試合組むよ」「望むところです」

 勝美はその後バンタム級からウェルター級まで戦う事になる。バンタム級のリミットは53・52㎏。ウェルター級のリミットは66・68㎏。その差13・16㎏だ。これだけの体重の幅で試合をするのは通常であれば考えられない。勝美は普段は63㎏のライト級だ。当然減量は厳しいものになる。真夏でもサウナスーツを着てのトレーニングは当たり前。それでもなかなか落ちない時は真夏に窓を閉め切ってストーブを焚いてトレーニングをする。これにはさすがに他の練習生に迷惑が掛かるがプロの試合優先だから仕方がない。しかも水は一切飲まない。まさに体は干からびた状態だ。唯一許されるのは野菜だ。この減量次第で試合当日の動きは全く変わってくる。現在は前日計量になったが当時は当日計量だ。減量失敗は即、敗北につながる。計量後いくら食事を取ってもすぐに体力が戻るはずもない。常にコンディションを整えて動ける状態で減量しなければ意味がない。選手の中には減量が試合になってしまうものもいる。これでは試合では全く体が動かず勝つことはできない。勝美は試合が決まった翌日から綿密な計画を立てて徐々に落として行くので体のキレにはほとんど影響しない。とは言えやはり減量はきつい。しかも試合ごとに減量の幅が異なるのも厄介だ。「あの試合の気持ち良さを味わえるのなら減量なんかへっちゃらよ」勝美は歯を食いしばって減量を行った。もちろん大好きなハンバーガーもお預けだ。この計量にも実はホームとアウェイの差がある。勝美が計量するときはしっかりと計られるが対戦相手は一瞬計りに上がりすぐに降りて水を飲む始末だ。これではまともな計測は出来るはずがない。要は計量オーバーしているのを隠すためにみんなでグルになっているわけだ。当然計量係もグルだ。最初は勝美も文句を言ったがここはアウェイ。所詮無駄な足掻きだ。今では気にもしなくなっている。「相手が重かろうが関係ない。ぶっ倒すのみ」

 デビュー戦は飾る事が出来なかったがその後は連戦連勝。全てKO勝ちである。会場は勝美が入場すると一斉に「リメンバーパールハーバー」の大合唱だ。そんな中を勝美は勝ち続けた。試合は4ヶ月に一度のペースで組まれた。年間3試合だ。ボクシングは過激なスポーツなのでこのペースが目一杯のペースだ。

 段々と「パールハーバー勝美」の名は全米に知れ渡ってきた。成田は次のステップを考えていた。それはボクシングの聖地ラスベガスで勝美の試合を組む事だ。当時ラスベガスで試合をした日本人は勿論いない。現在でも西岡選手がやっと試合ができたくらいだ。ラスベガスで試合を行うのはボクシング選手にとっては夢でもある。又、プロモーターとしてもラスベガスで成功を収める事は一流のステイタスでもある。成田は何としても勝美の試合を組みたかった。目標は勿論世界タイトル戦だ。

 勝美は週に一度は完全なオフ日とした。勝美のオフの過ごし方は決まっている。渡米後買った愛車のハーレーダビットソン。愛称「大和」に跨りロスからラスベガスまでツーリングだ。アメリカならではの荒野を走り巨大トラックをぶち抜いて行く。「ヒュー。アメリカはでっかいな。気持ちいい。最高。それにしてもでっかいトラックだな。日本じゃこんなの走れないよ」ロスからラスベガスまでは3時間くらいで着く。勝美はMGMグランドホテルの前で「いつか必ずここのリングに立ってやる」と誓った。

 勝美は勝ち続けた。この頃勝美は父の勝男に短い手紙を書いている。「父さん。約束通り鬼畜米英。ばんばんぶっ倒してるからね」

勝男からの返事は「8月15日を忘れるな。世界チャンピオンになれ。天皇陛下万歳」似た者親子だ。

 チャンスが来た。ウェルター級のチャンピオンが勝美を指名したのだ。これは成田が仕組んだ。チャンピオンの父親はミッドウェイ海戦で零戦に殺られ戦死していた。未だ恨みは消えていない。勝美のリングネームは「パールハーバー勝美」だ。チャンピオンが意識しない筈はない。成田は微妙にそこを突いた。

「チャンピオン。どうですか勝美と戦ってすっきりさせませんか。勝美もアメリカの原爆投下には納得していません。お互いに戦ってすっきりさせませんか」ちなみにチャンピオンのリングネームは「エノラ・ジェシカ」だ。勿論広島に原爆投下した爆撃機B29のエノラ・ゲイからとったものだ。リングネームもお互い因縁めいている。この時勝美はウェルター級世界ランク5位。実力的にも申し分ないカードだ。「アメリカに渡って5年やっとチャンスが来た」勝美は燃えた。

 このニュースは日本でも話題となった。「日本人女子第1号プロボクサーパールハーバー勝美 世界に挑戦 相手はエノラ・ジェシカ まさに因縁の対決」各紙が取り上げた。試合は半年後の日本時間10月10日午前8時。これも因縁かファイティング原田が世界チャンピオンになった日でもある。場所はラスベガスMGMグランドホテル。ボクシングの聖地での対決である。メインイベントはあのモハメッドアリの世界戦だ。その一つ前に組まれての試合だ。ダブル世界戦である。世界中が注目する試合だ。


  


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