息子 平成28年幕開け

 結局プロテストはダメだった。夏から一生懸命やったけど残念な結果になってしまった。考えてみれば平成27年はうちにとっては最悪な一年だった気がする。父さんの落選、僕のプロテスト失敗など。まー父さんじゃないけどなんとかなるさで頑張るしかない。気持ち新たに新年を迎えた。

 僕ら家族は毎年正月は田舎の宮城県で過ごすことにしていた。しかしこの年は父さんは一人で家に残っていた。選挙の後始末やら色々ある見たいだ。正月を一緒に過ごさなかったのは初めてかもしれない。まー段々と家族の生活も変わって来るのは仕方ない事だと思うけどやっぱり寂しさはあった。来年はジュンも大学受験だからきっと田舎に来ないで家に残るだろう。そうなると母さんも家に残るだろう。誰も来なくても僕は必ず田舎に行く。これも僕のルーティンだから。田舎には爺ちゃんとあーちゃんがいる。爺ちゃんは80歳をとっくに過ぎてるけど元気だ。あーちゃんは歳はよくわからない。何で女の人は母さんもそうだけど自分の歳を言わないのかな。不思議でしょうがない。でも皆んなあーちゃんの事は「若い若い」って言ってるから若いんだろう。二人は僕がボクシングをやっている事には反対みたいだ。爺ちゃんが以前父さんに「お前。リョウにボクシングなんかやらせるなよ。リョウに合うはずないだろう。あんな優しい子に」「別に本人が好きでやってんだからいいだろう。大体男は武道、格闘技の一つでもやってた方がいいんだよ。議論しててもいざとなったらこいつぶっ飛ばしてでも分からせてやろうと思う時がある。そんな時腕に覚えがあった方が気持的にも優位になるんだ。まっ実際にやったらアホやけどそういう気持ちを持つのは大事だと思うよ。だから本人がやりたいならやらせる」こんな話をしてた時があった。何だかよく分からない理屈だけどそもそも僕は父さんが言うことには小さい時から何でもYESだ。ボクシングも父さんから「お前もやるか」って誘われたのがきっかけだった。でもやって良かったと本当に思っている。僕の大切な居場所になった。

 田舎は大好きだ。何がいいってやっぱりご飯が美味しい。家で食べてるのも同じお米らしいが全然味が違う。あーちゃんが言うには水が違うらしい。本当に美味しい。それと空気が美味しい。特に冬は寒いけど美味しい。これだけで満足だ。前は毎年スキーに行ってたけど色んなことがあって行けなくなった。でも又、いつか行ける様になると思う。父さんも必ず復活するし、僕も頑張る。なにせもう今年で二十歳になる。 

 この年の正月三が日は田舎でのんびり過ごしたが翌日家に戻り早速トレーニングを開始した。とはいえジムは5日からなので軽いランニングとシャドー、筋トレから始めた。父さんは正月の飲み過ぎでまだだらだらしていた。「いやー正月太りだ。2㎏太った」とか言っていた。僕は体質なのか正月休んでもほとんど体重は変わらない。「僕なんか休んでも全然変わらないよ」「あのね。若い頃は代謝がいいから太んないんだよ。俺だってお前の歳の頃は今より15㎏位痩せててめちゃくちゃカッコ良かったんだぞ。なあママ」「はいはい」相変わらずだ。「それよりリョウ。次の試験来月だよな」「うん。そうだよ」「あっと言うまだぞ。大丈夫か」「うん。大丈夫だよ」「よし。ジムが始まる5日から俺も始動するぞ。今度こそ頑張ろうな」「うん。わかった」僕の会話は短い。

 ジムが始まり本格的なトレーニングが再開した。再開したと言っても基本的にはこれまでのトレーニングと一緒だ。違うのは力強さがないので体感トレーニングと筋トレを増やした。あとはスパーリングしかない。僕は言われた事は昔からやる方だ。でもできる様になるまでは人より時間がかかる。これは小さい時から父さんに「リョウ。お前は人より時間がかかる。だからって卑下したり焦る事はないからな。継続は力なり。努力は必ず報われるからしっかり続ける事」って言われてた。僕は自分なりにやってるんだけど相手が嫌になって来るみたいだ。特に父さんはたまに「何回言ったらわかるんだー」「何でできねーんだよ」なんて切れる時がある。自分が焦るなとか言ってるくせにだ。僕だって頭にくる。時には「あー」とか言って切れてやる。そうすると父さんは「お前何切れてんだ」って言うけど先に切れたのは父さんだろうって感じだ。

 そんなこんなであっという間にテストの日を迎えた。場所はボクシングの聖地後楽園ホールだ。2回目とはいえやはりちょっと緊張した。今回は筆記試験はない。スパーリングのみだ。僕は体重が軽いのでいつも一番最初にスパーリングを行う。この日もそうだった。2Rのスパーリングを無事に終えると「リョウ。今日はこの前より良かったぞ」父さんが言ってくれた。実際僕も手応えがあった。正直この日のスパーリングは自分ではよくできたと思った。ところがだ翌日の結果発表で僕の名前は載ってなかった。父さんも心の中では何とかなったんじゃないかと思っていた様で結構落ち込んでいた。「リョウ。本当惜しかったよ。会長ももうちょいだったって言ってたぞ。次頑張ろう次だ」「うん。わかった」そうは言ったけど本当にショックだった。トレーナーの成川さんは5回も受ければ受かんだろうなんて言ってたけど勘弁してもらいたかった。「こっちの身にもなってくれ」

 3月に入ったら父さんに呼ばれた「リョウ。又、選挙に出ることになった。だから当分ジムには行けない。お前一人でできるな」「うん。わかった」何と又、選挙に出ると言う事だ。正直僕は父さんはあまり政治家に向いてないんじゃないかと思っていた。理由は優しすぎるから。何となく政治家のイメージに優しい人はいない気がしていた。まー強いて合っているのかなと思うのは前向きなところと信念の強さだ。

 そんなこんなで一人でのトレーニングが始まった。一人と言ってもジムには成川トレーナーがいた。僕は成川トレーナーを絶対的に信頼していた。次のテストは4月だ。今度で3度目。3度目の正直だ。正直に言うと父さんが朝練に出なくなってからは実は時々寝坊してさぼった事もあった。でも自分なりに一生懸命トレーニングは続けた。

 4月のテストの前日、成川さんが「リョウ。明日は俺も見にいくからな。今度は大丈夫だろう」と言ってくれた。毎日練習を見ていてくれた成川さんが太鼓判を押してくれたのだ僕も今度は行けると思って明日を迎えた。

 3度目のプロテスト。スパーリングも無難にこなした。結果は翌日。

 しかしまたしても僕の名前は合格者の中にはなかった。父さんがいつもの様に「リョウ。次だ次。絶対に努力は嘘つかない。努力は絶対に報われるよ」と言ってくれた。だけどこれで3度目だ。さすがに落ち込んだ。1週間程ジムを休んで行って見ると「そんなに悪くなかったぞ。何で不合格なんだ」成川さんが怒っていた。僕が成川さんに「又、頑張りますのでよろしくお願いします」と言うと「こんなんで諦めるなよ。絶対受からせるからな」「はい。ありがとうございます」そうだ成川さんも父さんも応援してくれている。僕は何でも時間がかかるんだと自分に言い聞かせた。

 

 プロテストが終わってちょっとすると我が家にびっくりすることが起きた。何と妹のジュンが書いた本が出版されると言うことだ。これには父さんと僕は驚いた。母さんは知っていた様だ。「リョウ。すげーなジュンは」「本当だね」「あいつ昔から本好きだったからな。あとこりゃパパの作戦がハマったな」「何それ」「いやーパパとママの仲人の所に昔遊びに行った時にリビングに本が一杯合ったんだよ。そしたらその人がみんなの目の付く所に本を置いとくと子供は必ず読む様になるって言ってたんだよ。だからうちは廊下と階段廻りを全部本棚にしたんだ。そうすればお前らも見ると思ってな」「ふーんそうなんだ」実際うちには小説とか本は沢山あった。「この作戦。見事にハマったな。お前はダメだったけど。でもこれからだよ。本は一生だから、俺だってこんなに読む様になったのは30歳を過ぎてからだからな。いやーでも本当にめでたい。皆んなに言わないとな。お前も友達に言えよ」「えー嫌だよ」「何でよ。可愛い妹だろうが」「全然可愛くない」正直ジュンとはあまり仲は良くなかった。父さんはジュンの本を沢山買って皆んなに自慢して歩いてた。ジュンは僕と違い勉強も出来た。ちょっと悔しかったけど選挙、プロテストと失敗続きだったので我が家にとっては久しぶりの明るいニュースだった。

 5月に入ると父さんの選挙も佳境を迎えていた。今度は比例区と言う選挙に出るらしく全国が対象という事だった。又、この選挙から18歳以上に選挙権が与えられるという事で僕も投票できた。母さんから「友達にも投票のお願いしてよ」と言われたけど元々あんまり友達はいないのでSNSで配信した。何だか今度の選挙は今までとは違うのが僕が見てもわかった。普通は町中に選挙カーが走っているんだけどこの選挙ではほとんど見なかった。何でも参議院選挙という事で規模がでかいのであまり目立たないそうだ。何れにしても僕が手伝えることはほとんどない。それに父さんから「お前は次のプロテストに向けてしっかりトレーニングしろ」って言われたのでこれまで通りトレーニングを重ねた。次のテストは6月だ。やる事は決まっている兎に角筋力をつけて積極的にスパーリングで打ち合う。プロテストのスパーリングは勝敗ではない。技術、スタミナを見る。要は手数を多くし積極的に打ち合い2R戦い続ければ合格する。自分なりには1回目のテストからやってるつもりなんだけど受からない。正直悩んでいた。「どうすれば受かるんだろう。言われた通りやってるつもりなんだけどな」そんな事ばかり考えていた。

 そして6月のテストを迎えた。結果はやはり不合格。「やっぱり僕はダメなのかな。才能ないのはわかってるけど何やってもダメなのかな」「お前。何言ってんだ。大丈夫必ず受かるから諦めるな。ここで諦めたら一生後悔するぞ」父さんは言ったけどさすがに4回目だ嫌になった。

 いよいよ父さんは選挙戦に突入した。この選挙は日本一長く期間は3週間だそうだ。この年は特に暑い日が続いた。選挙区は全国だがさすがに全国行脚は出来ない様で地元が中心の選挙の様だった。父さんは去年の選挙の時から目に異常をきたしていた。目と目の周りが真っ赤なのだ。原因はわからなかったが何れにしても辛そうだった。1年に2回も選挙をやるのだから疲れも出ていたんだと思う。僕は密かに期待していた。これで受かれば大逆転だ。

 父さんは連日連夜奔走していた。手伝いに来ている人達も一生懸命だ。でも手伝いに来ている人達がこれまでと違っている気がした。後で聞いたらどうやら党を変えたのが原因でこれまで来てくれていた人達が来てくれなくなったそうだ。それでも新しい人達が多勢手伝ってくれていた。感謝。感謝だ。

 しかし結果はまたしても落選。父さんと母さんはクタクタだった。そして誰より落ち込んでいたのがジュンだった。ジュンは友達に父さんへの投票依頼をしていたのだが結果は落選だ。格好がつかなかったのだろう。学校も2、3日休んでいた。これを見た父さんが更に落ち込んでいた。本当に最悪だった。でも父さんは直ぐに立ち直って色々動き始めていた。全くもってタフだ。僕も負けてられない。5回目のテストに向けて練習を再開した。今度は8月だ。

 成川さんからテスト受けてみろって言われちょうど1年がたった。あっという間の1年だった。自分でも随分筋力はついたと感じていた。言われた通りにやっているつもりでもあった。でも受からない。周りの人たちは全然変わってないと言う。何がいけないのか自分でも分からない。そんな思いのまま8月のテストを迎えた。

 結果はまたしても不合格。これで5回目だ。さすがにもうやめようかと思った。更に僕にとって大きな痛手が起きた。このテストの後、成川さんが怪我をしジムに来れなくなってしまったのだ。これにはさすがに参った。そしてこの頃からジムの雰囲気がおかしくなって来た。僕に陰口を言う奴が出てきたのだ。別に悪口を言われるのは小さい頃から慣れてるからどうってことない。でも父さんの事まで悪く言う奴だけは絶対に許せなかった。こそこそ話をしている奴がいたから言ってやった「てめーグズグズ言ってんじゃねーよ」みんな驚いていた。そりゃそうだ僕は大人しくて有名だったから驚くはずだ。この頃からだ僕の体に異変が現れたのは。自分が自分でなくなる時があった。父さんは「悪リョウと良リョウだ」なんて言ってたけど不思議な気分だった。父さんは最初心配している様だったけど途中からは笑っていた。「なんて奴だ」こっちはこれでも悩んでいたんだ。

 選挙の整理もつき父さんは9月からジムに復帰した。「リョウ。ビシバシ鍛えるからな。成川さんの為にも絶対受かるぞ。それが恩返しだからな。もう受かるまでやるぞ。言いたい奴には言わせとけ。関係ねーよ。わかったか」「うん。わかった」僕の会話は短い。

 父さんとのトレーニングが再開した。今度のテストは10月だ。成川さんがいなくなったぶん父さんはこれまで以上に厳しくなった。

「リョウ。もっと身体振れよ。何回言わせんだよ。そんなんじゃ又、受かんねーよ」練習中はボロクソ言われる。正直頭にきて時々切れる。「お前、何切れてんの。悔しかったら出来るようになれよ」本当ムカつく。

 9月6日。僕の二十歳の誕生日の日だった。父さんと初めて太郎に行った。

 「マスターこいつが二十歳だよ。笑っちゃうよね」「本当だな。はえーなー。ついこの間まで親父の足にしがみついてたチビがな。もう二十歳だもんな。俺らも歳とるはずだわ」「本当だね。ところでマスター生二つね。こいついっちょまえにビールが飲みたいんだって。笑っちゃうよね」「高杉君の息子じゃ飲むだろう」「どうだかね。でもリョウ。ボクシングやってるうちはあんまり飲むなよ」「わかってる」「いいねー親子で飲むなんて」「ねーなんだか夢のようだよ」父さんは僕と飲むのを楽しみにしてたみたいだ。でも初めてのビールは苦くて正直あまり美味しくなかった。そのあとに頼んだ酎ハイはなかなかいけた。

 そして10月。6回目のテストを迎えた。「いいかリョウ。兎に角自分から積極的に行け」「わかった」

 2Rのスパーリングを無事に終えテストは終了した。正直今回のスパーリングは良かったと思った。でも帰り父さんとお昼を食べている時に「お前何でもっと自分から行かないんだよ」とか散々言われたので「そんなに悪かった」と声を荒げてしまった。自分では良く出来たと思っていたから思わず荒げてしまったのだ。

 翌日結果が出た。不合格。父さんの言う通りになってしまった。

 「もう分かんないよ。僕なんかやっぱりダメなんだよ」「ちょっと待て。何言ってんだ。ここまでやってきて諦めるな。絶対に努力は裏切らない。俺を信じろ。まだ6回だろう。10回かかった奴もいるらしいぞ。諦めるな」父さんはこう言う時必ず僕を抱きしめる。僕はもう二十歳何だけど。でもなぜか父さんに抱きしめられるとホッとして落ち着くそしていつも「うん。わかった」と言ってしまう。「よーし次は12月だな。さすがに今年中にはなんとかしような」「うん」僕の会話は短い。

 7回目のテストに向けてのトレーニングが始まった。やる事は基本的には一緒だ。只、これまでの筋トレの成果かだいぶ力はついてきていた。あとは戦いなれする事が兎に角大切だ。

 テストを二日後に控えた夜。父さんがベロベロに酔って帰ってきた。「リョウ。絶対受かるぞ。頭きた。絶対見返してやるぞ」どうやらジムの忘年会で僕の悪口を言われたらしい。僕も父さんの悪口を言われると切れるが父さんも同じようだ。

 いよいよ7回目のテストを迎えた。「リョウ。もう何も言う事はない。兎に角自分のボクシングをしろ」「うん。わかった」ゴングが鳴った。相手はサウスポーだ。ついてない。「ジャブジャブ」相手のパンチをかわしボディだ。「ドスン」相手も攻めてくる。何発かもらった。でもこっちも打ち返してやった。2Rはあっという間に終わった。「お疲れさん。シャワー浴びて着替えて皆んなの応援しろよ」「わかった」「なんだろう父さん何も言わない」やっぱりまたダメだったのかと思った。着替えて戻ると「リョウ。俺は今日はこのあと知り合いの選手の引退式があるからこのまま後楽園ホールに残るから皆んなと先に帰れよ」「わかった」

 どっちにしても結果は明日。自分ではできたと思った。

 「バタバタバタバタ」父さんが帰ってきた。「リョウ。受かったぞ受かったぞ」「えっ何プロテスト」「そうだよ受かったんだよ」「でも発表明日じゃないの」「それがもう発表されたんだよ」「嘘」「本当だよ。見ろ」父さんがスマホを出した。そこには高杉リョウとはっきり写っていた。「やったー。パパやったー」「やったやった。なっ努力は嘘つかないだろう」「本当だね」「何。リョウ。受かったの」「うん。ママ受かった」「良かったねー。でもパパの方がリョウより喜んでるよ」「そうかな」「そうだよ。だってパパ泣いてるよ」「本当だ」

 やっと受かった。7回もかかった。1回目からちょうど1年だ。努力は嘘つかない。努力は必ず報われるだ。

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